狂宴

[日と月の魔剣士・インデックス][交差の地・インデックス]

1 アルバトロス

 「また失敗? もう、いいかげんにしてよ」
 ターニャ・ウィルビアーのいかにもうんざりしたような声を聞きながら、いいかげんにしたいのはこっちだ、とランディ・フィルクス・エ・ノルージは思う。
 婚約者を失い、一族を惨殺されてから半年あまり。兄への復讐だけを唯一の目的としてきた彼がこの街にしばらく滞在することにしたのは、ほんの気まぐれからである。洞窟探検のガイドとして雇った少年、ディングを観察してみるということは、当時の彼にとってはさして重要なことでもなかったし、情報収集の片手間以上に関わるつもりなど毛頭なかった。ディングの師匠にガイドの技術を学ぶのも、その手段でしかなかったはずだ。
 が。
 「まったく……本物だったら何回毒ガス浴びてると思う?」
 ターニャはランディが解除に失敗したトラップを手早くしかけ直す。
 「……自分でもそう思う」
 ランディは演技でなく頭をかいた。
 確かに細かい作業は得手ではないが、ここまで自分が不器用とは思っていなかった。とても片手間にやるどころの話ではない。
 加えてランディを指導することになったターニャも、実技に関しては素人相手とは思えないほどに容赦なかった。ランディと同い年の小柄な女性だが、怒った時の迫力はランディですらたじたじになるほどである。
 「右のねじは2回ときっかり4分の1だけまわすの。何度言ったらわかるのよ」
 「頭ではわかってるつもりなんだけど……」
 粟粒ほどの小さなねじを正確にまわすことができずに、先刻から何度も失敗していた。工具を手にするのも初めての彼は、正直いって戸惑ってばかりいる。ケイディアで最も栄誉ある剣士の一族のランディも、ここではまるで立場がなかった。
 「よーう」
 ひょっこりと顔を出したのはディングである。今朝ランディを自分の師匠のキース・ウィルビアーとその娘ターニャに紹介し、そのままガイドの仕事に出かけていたはずだ。その彼が帰ってきているということは……。
 「もう、そんな時間か……」
 窓の外を見る。ケレスの港を夕日が黄金色に染め上げていた。時の経過に気付かないほどに、失敗続きの練習に没頭していたのか。
 「あのね」
 ターニャがディングにつめよっている。まる1日不器用な生徒につき合わされたのだから、無理もなかろう。
 「私もいろいろ指導してきたけど、ここまで不器用な奴初めてよ、はじめて」
 「え、そんなに?」
 ディングは目をぱちくりさせてこちらを見る。他意のない目だけに、余計にきまりが悪い。こんな状況になるとは、さすがに予測していなかった。
 「……悪かった」
 認めるしかない。
 「へえ」
 ディングが妙に嬉しそうだ。
 「なんだよ」
 「ランディでも苦手なことがあるんだ」
 「……そりゃそうだろ」
 ランディはふてくされて答える。どちらかというと彼は努力家だ。剣に関しても、天才肌の兄とは違って目に見えないところでずっと練習を重ねてきた。彼とて不得意なことは多くある。表に見せないようにしているだけのことだ。
 「すまなかったですね、ターニャ」
 「気にしないで。教え甲斐があるってものよ」
 「え……」
 ランディは絶句した。
 教え甲斐というほど気合を入れて教えられても困る。
 「危険区域で死なずに済む程度には仕込んであげるから、頑張りましょうね」
 「……」
 ランディはどこか罠にはまったような気分で黙り込む。そこまで本気になるつもりはなかったのだが。
 「よかったな、ランディ!」
 ランディの思惑などまるで知らないディングが、無邪気に笑った。

 その日の晩、中心街で夕食を済ませ、新市街の宿に戻ろうとしていたランディを呼び止める声があった。振り向くと、闇色の髪の少年がかげりのある笑みを浮かべて立っていた。
 「おまえか……」
 「こんばんは」
 ディングの顔をした少年は、ディングには似合わぬきれいな公用語で挨拶をよこす。
 「何か用か?」
 「いえ……昼間のあなたが面白かったので、つい」
 「……そのためにわざわざお出ましか」
 そうか、こいつはディングの時の記憶もあるんだ……と、ランディは思い出す。ディングのもう一つの人格、ガルト。ディングの持たない過去の記憶を持ち、ディングを影から守っている。ランディとはこれが二度目の対面だった。
 「冗談ですよ」
 ランディの歩調に合わせて宿への道を歩きながら、ガルトは言う。
 「なぜ、苦手なことをやってまで、ガイドの技術を学ぼうなんて思ったんです?」
 「ガイド料もばかにならないからな」
 ランディの答えに、ガルトはくっくっと笑う。
 「いざとなれば盾になるガイドを、あなたが節約するなんてね」
 (こいつ、根にもってやがる)
 洞窟でディングを盾に死霊を狩ろうとした時、ガルトが表われた。死霊の手からディングを守るために。だがそのためにランディの方も死霊を狩れなかったのだ。いってみれば、互いの第一印象は最悪だった。
 「……おまえはなぜだと思っている?」
 ランディはガルトの出方を待とうと、そんな風に問いかけてみた。
 「そうですね。ケレスに滞在するだけなら、こんな手間をかける必要はない。あなたの求めるものについての情報が狙い……ってところですか」
 「まあ、そんなところだ」
 ランディは曖昧に肯定する。そういうことにしておいた方がいい。
 ディングを拾い、ガイドの技術を教えたキース・ウィルビアーは、ケレスでガイドの斡旋業を営む。ガイドの持つケレスの主な情報が彼のもとに集まってくるのだ。もちろんその情報網を利用できればという思いもあるが、実際にはディングの持つという「力」とガルトの持つ過去の記憶に興味がある。
 あの洞窟で、死霊に襲われたガルトが使った魔法──「記号魔法」という、宙に図形を描いて発動させる魔法──が放っていた気配が、ランディには気になっていた。それはどことなく、ランディが死霊の封印に使っている術の気配に似ているように感じられたのである。もし本当に近いものだったら、ディングとガルトを宝玉に変えることで、兄よりも強い宝玉を手に入れられるかも知れない。死霊の封印の力を持つ者ほど、強力な宝玉となるのだから。
 あるいはまた、彼らの出身地であるダーク・ヘヴンであれだけの強力な魔法が伝わっているのならば、きっとダーク・ヘヴンには死霊が多いのではないかという期待もある。だがせっかくの機会を逃さぬためには、この目的は明らかにしない方がいい。ただでさえ、ガルトには信用されていないのだから。
 「あそこまで難しいとは思わなかったんでな」
 ガルトは口の端をちょっとだけつり上げた。
 「よりによってターニャにあたってしまいましたしね」
 「よりによって?」
 「彼女はガイド達の中でも厳しいんですよ。彼女の父親のキースさんなんて、ガイドになるわけでもない普通の人には最低限のことしか教えませんし」
 ランディはため息をついた。
 「ディングの奴、なんだってそんな女に紹介してくれたんだ」
 「俺が言うのもなんですが、ディングには悪気はなかったと思いますよ。彼はキースさんに拾われてガイドになったから、その娘のターニャは彼にとって姉さんみたいなものなんです。きっと一番信頼できる人にあなたを指導して欲しかったんでしょうね」
 「……そういうのを、お節介と言うんだ。おまえの相棒にそう言っとけ」
 明日もまた、ターニャの指導の続きがある。
 気が重い。こんなことをしにケレスに来たわけではないのだ。
 「それじゃ、俺はこの辺で」
 宿屋の前で、ガルトはすっときびすを返した。ランディは無言で手を上げ、応じる。
 (お互い、腹のさぐり合いになってるな)
 ランディの口もとには苦笑が浮かんでいる。ランディがディングとガルトに関心があるように、ガルトもまたランディに関心を持っている。初めて会った洞窟の中、心に負った傷をさらけ出すように話題を誘導していったランディに、ガルトはおのれの未熟さを思い知らされたらしい。だが彼はそんなことは口にしようともしないだろう。
 互いに真意を明らかにせず、軽口を叩きつつ、だが相手の様子をじっとうかがう。ガルトとはこれからもそんな奇妙な関係であり続けるような気がした。

 「ち、が、う」
 ターニャが肩ごしに、ランディがナイフで切ろうとしていた糸をつつく。細い指だ。トラップを解除する時には驚くほど鮮やかに動いてみせる。
 「こ、こっち?」
 ランディはほとんどぴったりくっついた状態に張られたもう一本の糸を切る。カタン、と音がして、解除が成功したことを示す旗が立つ。  
 ほ……う、とランディはため息をついた。緊張が一気にゆるむのがわかる。祖国での御前試合の時でも、ここまで緊張したことなどなかった。
 「おめでと。ちょっと休憩する?」
 厳しいものの、ターニャは面倒見がいい。ランディが解除に集中している間に、いつの間にか茶をいれてくれていたようだ。
 「あ、ありがとう」
 ランディはにこやかに礼を言った。
 「つき合わせて悪いね。君にも仕事があるんだろう?」
 「いいよ、ディングの頼みだし、私の性分だもの。それに仕事は昼間には……」
 ターニャは言いかけてはっとしたように口をつぐむ。ランディの暗赤色の目が一瞬きらめいたが、何も聞かなかったかのようにさり気なく言葉を返す。
 「ディングは……どうしてガイドに?」
 「ん……3年ぐらい前かな」
 相手が話をそらしたい時に先に話題を与えてやれば、その話題に乗ってくる可能性は高い。ターニャもランディの思惑通りに話し出した。
 「親父が新市街の『アエラ』って宿屋の食堂に行ったとき、食い逃げがいたらしいの。そいつに雑踏の中で正確にサラダボウルを投げつけてつかまえたのが、食堂で働いてたディングだったんだって。で、親父はあの子に才能がありそうだってピンと来たのね」
 「才能……ガイドの?」
 「え? ええ……そう」
 ターニャの不自然な答え方にも、ランディは見て見ぬ振りをする。
 「それでうちで引きとって面倒見ることにしたの。食堂の下働きじゃもったいないしね。実際、あの子ってすごいでしょ? その……ガイドとして」
 「うん。とても2、3年しかやってないようには見えなかったよ」
 確かにガイドとしてのディングの腕は一流といってもよい。ほとんど未調査の洞窟を地図だけを頼りに踏破してしまったのだから。
 だが、ターニャやキースが見込んだのは、「ガイド」の腕だったのか。
 (こいつら、ひょっとして……)
 ランディには思いあたることがあった。だがそれをすぐ口にするほど迂濶ではない。
 休憩後も、厳しい指導は続いた。ターニャのトラップ解除に関する真剣すぎる態度も少し気になったが、あえて聞くほどのことでもなかった。

 数日後。ランディは講習の休みを利用して、貴族や大商人の邸宅が並ぶ区域を歩いていた。
 古くから交通の要所として栄えてきた港町、ケレス。最近では遺跡の発掘や洞窟の調査が進み、観光地としても有名になってきている。それゆえに町には帝国の貴族や大商人が邸宅を構える住宅地区と、彼らに雇われて働く者達が寄り集まって住む中心街、それに観光客を迎えるために最近整備されつつある新市街があり、それぞれ地区ごとの特色を持っている。
 ランディが向かっているのは、住宅地区のある商人の邸宅だった。大陸北部の穀物の売買を一手に引き受ける一方で、珍しい鉱石やいわくつきの品に目がないと評判の人物である。盗品売買に関わっているという噂さえ聞かれた。だがランディにとって、盗品であろうが呪われた品であろうがかまわない。彼に必要なのは、強い死霊を封じることのできる宝玉であって、その由来などどうでもいいことだった。
 バルザックというその商人はあいにく不在だったが、執事からそれらしい石に心当たりはあるらしいことを聞き、後日商談の約束をとりつけることができた。
 ランディが帰ろうとした時。
 「……?」
 見覚えのある顔を見かけて、ランディは立ち止まる。
 夕暮れ時の路地裏、あまり人目につかないところに、ターニャともう一人の男が立っていた。キースの家に出入りしていた姿を見たことがある。彼らはひとつの邸宅に時折視線をやりつつ、ひそひそとなにごとかを相談しているようだった。
 こんなところで、何をしているというのだろう。
 (もしかして……)
 ランディは物陰からそっと、彼らの様子をうかがった。ターニャ達はしばらく小声でなにかを話していたが、やがて小走りに住宅区域の奥の方へ消えていった。その足音が聞こえなくなるのを待って、ランディは彼らが見ていた邸宅の主の名を確認し、中心街の方へ向かう。
 中心街のメインストリートに面した酒場を適当に見つくろって入る。町の噂話が聞けそうなところを選んだつもりだった。ランディは店のカウンターに座り、住人達の世間話に耳を傾ける。その日住人達の間で話題になっていたのは、住宅地区の大商人が役人に賄賂を贈っていたことが明るみに出たというものだった。
 最近、ケレスで貴族や大商人のはたらいた不正が摘発されるケースが増えているらしい。古くからの商都ゆえ、贈収賄や脱税があたりまえのように横行していることは公然の秘密ともいうべきものだったのだが、最近それらをよしとしない者達が活動していた。彼らは「アルバトロス」と呼ばれているが、その正体は誰も知らない。知られているのは彼らがいわゆる「義賊」であるということだけだ。彼らは鮮やかな手口で貴族や大商人の邸宅に侵入し、不正の証拠となるような金品を盗む。そして盗んだものを役所にばらまいたり、広場に陳列したりして、当局が調査せざるを得ないように仕向けるのだ。中にはそのために失脚寸前になった貴族もいる。
 商人や役人の不正は物価の上昇や税の増加といった形で庶民に負担を強いる。それゆえに「アルバトロス」は庶民の間では人気があった。こうした店でも、次の標的となるのはどの貴族か、といった話題に花が咲く。人々は口々に、半ば願望の入った予測を言い合っていた。中には賭けまで始めるものもいる。
 「よお」
 賭けに盛り上がった男の一人が、ランディに話しかけてきた。
 「兄ちゃんも乗らねえか? 次に『アルバトロス』が入る家さ。本命が海運王ロックフィールド、対抗が関税官のジェンキンス、大穴が穀物商のバルザック、ってとこだ」
 ランディは記憶をたぐる。先刻ターニャ達が視線を投げかけていた邸宅の主の名は……。
 カウンターに銀貨を置き、ランディは男に言う。
 「ジェンキンスに1枚」
 「手堅いね、兄ちゃん。これが控えだ。事件が起きてから一日以内にそこのマスターに見せればいい」
 男の様子から、賭けがこの店で日常的に行われていることがわかる。ランディはついでに聞いてみることにした。
 「おやじさん、バルザックはどうして大穴なんですか?」
 「バルザックねえ」
 男は親切に答えてくれる。
 「今みたいにのしあがった時に妙な噂が流れたしな……いくら『アルバトロス』だってヤバいと思うんじゃないかねえ」
 「妙な噂って?」
 男や周囲で賭けに興じていた者達の話によれば、数年前にバルザックの競争相手だった商人達が相次いで原因不明の病や事故に倒れ、その隙に乗じるかのようにバルザックが市場を広げ、さらに穀物商の許可制を役人に働きかけて新しい商人が参入するのを極端に制限した。以来ケレスの穀物市場はバルザックがほぼ独占しているという。バルザック邸に出入りするまじない師の存在から、バルザックが競争相手を蹴落とすために不可思議な術を使ったのだという噂が絶えなかった。
 「なるほど」
 礼を言って店をあとにする。
 そして。
 数日後、ランディは再びその店を訪れた。
 「思ったより配当が少なかったな」
 銀貨を手に、ランディはそうつぶやいた。

 「だいぶマシになってきたみたいね」
 ターニャがぽん、とランディの肩を叩く。確かに最初よりは工具の扱いに慣れてきたこともあり、失敗の数は減ってはきている。
 「おかげさまで」
 当初の目的から大きく外れて、つい本気になって取り組んでしまったが、なんとか卒業できそうである。そのことにランディは心底ほっとしていた。
 「まあ、でも危険区域に一人で行くのは、よほどのことがなきゃやめといた方がいいわ」
 「……」
 なんとなくさじを投げられたような気分もしないではない。が、この講習でいかに自分がガイドに不向きかを思い知らされていたランディには、その方がむしろありがたかった。
 「肝に銘じておきますよ。やっぱり俺は剣を持っている方が合ってるようだ」
 「そういうことね」
 ターニャの口調も相変わらず容赦ない。それもしかたがないというものだろう。ディングを観察するためにガイドの技術を学ぶという作戦は、ランディの手先の不器用さの前に失敗に終わったようである。
 だが、ランディには次の手があった。できるだけ不自然にならないように気をつけながら、話題を向けてみる。
 「プロにはかなわないってことかな。……さすが『アルバトロス』だけありますね」
 「!」
 ターニャの顔色が明らかに変わった。すばやく動いた手が警報装置を作動させたらしく、廊下を駈けてくる足音が聞こえる。
 「どうしたターニャ!」
 駆け込んできたのはキースと、数日前にバルザックの邸宅近くでターニャと話していた男だった。
 「父さん、カッツ、こいつ……私達のこと知ってるわ」
 「なに?」
 キースは鋭い目をランディの方に向ける。ランディは動じることなく、その視線を受け止めた。
 カッツと呼ばれた男が声を荒げる。
 「おまえ、何を知っている?」
 「そんなに騒ぐこともないんじゃないですか? ガイドが盗賊を兼業してるってのはよくある話だ」
 ランディは平然を言葉を返す。
 「この間、住宅地区でターニャとあなたを見たんですよ。その翌日、近くの役人の屋敷が襲撃された。もしやと思ってかまをかけてみたんですが、図星だったようですね」
 「!」
 ぱん、という音。ターニャがランディの頬を平手で打った音だ。ランディはよけるでもなく、逆に不敵な笑みを浮かべてみせる。
 「貴様!」
 「カッツ、ターニャ! 二人とも落ち着け」
 キースが一喝する。二人は不満げな表情をあらわにしたまま、一歩退いた。
 「ランディと言ったな。何が狙いだ」
 「……やっぱり、あんたが親玉だったんだな」
 ランディは少しだけ語調を変える。もはや丁寧な物腰の好青年を演じる必要もなかろう。
 「言っておくが」
 キースの口調は静かだが、頭領にふさわしい迫力が感じられる。
 「ここは俺の屋敷で、中にいるのは俺の部下達だ。答えようによっては、ここから出すわけにはいかん」
 「あんた達の邪魔をするつもりはない。ただ、一つ取引をしたいだけだ」
 ランディは一歩も退くことなく答える。もとより予想していた展開だ。
 「言ってみろ」
 「俺は、ある石を探している。力の依代になるような’宝玉’だ。あんた達が集めた中に、そんな石の情報があったら教えて欲しい」
 「断わったら?」
 「あんた達の正体を、治安局に届ける」
 「口止め料として情報をよこせということか」
 「すぐにとは言わない。手がかりになりそうな情報が入ったら教えてもらえればいいし、現物がなくてもどこかにありそうだというなら、自分で取り引きに行く」
 ランディはたたみかけるように続けた。
 「俺はこの町に長居するつもりはないし、あんた達がやっていることにも興味はない。情報が入らなければそれでもいいし、町を出れば、あんた達のことは忘れる。悪い話じゃないだろう?」
 「……」
 キースは腕組みをしてしばらく考え、言った。
 「おまえがその石を探す理由を聞かせてもらおう」
 「……わかった」
 ある程度はしかたあるまい。ランディは慎重に話し始めた。国を代表する剣士の一族の当主だったこと、一族と婚約者を兄に惨殺され、当主として兄に打ち勝つために剣を鍛えねばならないこと。そのために剣の力の源となる宝玉が必要なこと。死霊を集めていることにはさすがに触れなかったが、おおむね矛盾はないように話したはずである。
 「……だから、頼れそうな情報源には少しでも頼っておきたい」
 「なるほどな……」
 キースはどう思う? というようにターニャとカッツの方を向く。二人とも眉根を寄せて考え込んだままだ。話はわかるが信用していいのだろうか、とでもいうような表情である。
 「俺はいーんじゃないかと思うぜ」
 そんな声とともにドアが開き、ひょっこりと顔を出した人物がいる。
 「ディング、聞いてたの?」
 「ちょっとだけ」
 ディングは部屋の中に身体を滑り込ませ、ランディの前に立つ。
 (やはり、ディングも仲間か)
 キースが記憶喪失のディングを引き取り、自分の姓を名乗らせて面倒を見たのはやはり、盗賊として育てるためだったのだ。
 「この男を紹介してきたのはおまえだったな、ディング」
 カッツが尋ねる。
 「こいつを信用していいのか?」
 「うーん……」
 少しの間、ディングは言葉を選んでいるようだった。ガイドの技術の習得者としての信用と、盗賊という秘密を共有する上での信用とは、当然のことながら違っているのだろう。
 「それはわからねえけどよ」
 ディングは闇色の目をきらめかせる。
 「仲間になってもらえばいいじゃん。捕まるなら一緒ってことでさ」
 (おや?)
 ランディは内心、首をかしげていた。ディングのケレスなまりが、一瞬消えたように感じられたのである。
 が、
 「それにランディは、根はいい奴だと思うしさ」
 そう言ったディングの声は、普段のケレスっ子のものだ。
 「なるほど」
 キースはランディに向き直る。
 「ランディとやら、おまえを『アルバトロス』のメンバーとして記録する。おまえが密告すれば、自分の首をしめることになる。もちろんおまえが町を出れば、記録は抹消する。そのかわり、おまえの必要な情報は提供しよう。それでいいな?」
 「……いいだろう」
 ランディはにやりと笑みを浮かべる。周囲の緊迫した空気が、少しだけやわらいだ。
 「用心棒ぐらいにはなってやる。……だが」
 「なんだ?」
 「トラップの解除だけはごめんこうむる」
 ぱん。
 ターニャの平手打ちが、だが今度はごく軽く飛んできた。
 「頼まないわよ、あんたにそんなこと」
 声が笑いを含んでいる。どうやら、契約はうまく成立したようだった。心底信用されているとは思っていないが、あえて裏切る必然性もない。互いの利害が合う範囲でうまくやっていければいいのだ。

 「なんとか入り込んだようですね」
 その夜。
 宿屋へ戻る途中、不意にそんな言葉をささやいてくる者があった。直前までまるで気配がなかったにもかかわらず、ランディは驚く風も見せずに声の主を見つめる。
 「一応礼を言っておこうか」
 「なんのことです?」
 声の主……ガルトは闇色の目を伏せ気味にして答える。
 「とぼけるな。あの時一瞬だけ出てきていたろう」
 「……」
 「おまえのケレスなまりは中途半端なんだよ」
 「……さすがにあなたはごまかしきれないか」
 ガルトは苦笑する。
 「俺達は大陸のどこに行っても出身をカムフラージュできるように、なまりのない公用語を身に付けさせられるんです」
 「暗殺者のことか」
 ランディの問いを、ガルトは無視した。
 「ただ、覚えておいてください。俺はディングを守るために存在している。ディングの身になにか危害が及ぶようなことをあなたがしようとするなら……」
 「わかってる」
 ランディはうなずいてみせた。元暗殺者のガルトならば、誰かを殺すこともやってのけるだろう。ディングを守るためならば。観察するつもりはあっても、そこまで自分をリスクにさらすつもりはない。
 「守るつもりはないが、危害を加えるつもりもない。お互いの利害を踏み越えなきゃいいだろう?」
 言いながら、そうか、とランディは思う。ガルトはランディに関心を持ちつつ、ディングに危害が及ぶことを恐れているのだ。
 なにをそこまで恐れているのだろう。
 ──困るんですよ、ディングを死霊に会わせるようなことをされてはね。
 初めて会った時、ガルトが発した言葉。
 恐らく生命の危機とは異なる 「危機」をガルトは恐れている。ただの危害ではない、死霊がからむ危機。それが彼らになにか重大な意味を持つのだろう。
 こいつらは何者なんだろう……ランディはますます興味深く思った。
 「そうですね。それがおわかりならいいでしょう」
 用は済んだと言わんばかりに、ガルトはくるりと背を向けた。
 「では、また。ディングをよろしくお願いします」 
 「……待て」
 ランディは低い声で呼び止める。
 「何か?」
 「好きな時に表に出られるおまえが、あえてディングの影に徹する理由はなんだ?」
 「……」
 ガルトはランディに背を向けたまま、しばし無言だった。
 やがて、ぽつりと一言だけ言う。
 「俺では、だめなんですよ」
 「何が?」
 ランディは問い返す。だがガルトはそれ以上は口を開こうとせず、振り向くことなく夜の闇に消えて行った。


2 商談

 数日後。

 ランディは穀物商人バルザックの邸宅を訪ねた。以前約束していた商談の日である。珍しい鉱石のコレクターでもあるバルザックは、金額によっては取引に応じる気もあるという。ランディも宝玉にふさわしい石であれば、金額に糸目をつけるつもりはない。
 「ようこそいらっしゃいました」
 客間でランディを迎えたのは、神経質そうな壮年の男性である。邸宅のあるじ、バルザックだ。客間の扉と窓のあたりには、警備の者だろうか、屈強な男が数人立っている。
 (あまり商才があるようには見えないな)
 ランディには、バルザックがケレス中の穀物を一手に仕切っているほどの人物には感じられない。
 丁寧に挨拶を述べたランディは、先客がいることに気付く。旅の魔道士らしく、黒衣を身にまとい、痩せこけた顔の中で目だけが奇妙にぎらぎらとしている。先日中心街の店で聞いた噂が、嫌でも真実味を帯びてくる。
 バルザックの紹介では、魔道士とは旧知の間柄らしい。魔道士はぼそぼそと挨拶したが、その目は珍しいものを見るようにランディにたえず注がれていた。その粘着質の視線はランディを不愉快にさせたが、ランディは表情に出さず、にこやかにバルザックとの商談に入る。
 「ノルージさんでしたかな。ケイディアの名家の出の方とうかがっておりますが」
 ランディはノルージ家当主に与えられる、ケイディア国王の紋章が入った腕輪を見せる。国を脱出してからも、魔剣とともにずっと身につけていたものである。
 「おお、これはこれは。してそのような方が、なぜ私のコレクションに?」
 「わがノルージ家は剣士の一族。この剣を飾るにふさわしい宝玉を求めております」
 相手を信用させるためには、使える手はどのようなものでも使う。ランディは優雅な身のこなしで、剣を示してみせ……ふと気付いた。
 魔道士の視線は、ランディに向けられていたのではない。正確にはそれは、ランディの剣に注がれていた。
 「なるほどなるほど。あなたのお目にかなえばよろしいのですが」
 とりあえずは取引の相手として信用を得ることに成功したらしい。バルザックは警備の者に厳重に包まれた箱を持って来させた。
 注意深く開くと、中には大きなダイヤモンドのはめこまれたブローチが入っていた。大きさだけでなく、ダイヤのカットも見事なもので、光の加減によって薄い青色にきらめいた。
 「これが最近手に入れたブルーダイヤのブローチです。内戦で滅びた西方の国の姫君が身につけていたもので、一説にはこれを通じて人を呪うことができるとか」
 「……」
 ランディはダイヤを丹念に観察する。確かに死霊を呼び込む力は強そうだ。
 だが。
 (この程度なら、今の宝玉と大差ない。わざわざ手に入れるほどのことでもないな) 
 ランディは丁重に頭を下げた。
 「バルザックさん、申し訳ありませんが、これは私の探しているものとは違うようです」
 「そうですか。ならばクルーグリッヒさんはいかがでしょう」
 バルザックはランディの剣をまだじろじろと見つめている魔道士に話しかける。魔道士はぼそぼそと、これはすばらしい、ぜひ買い取りたい、というようなことを言った。
 値段の交渉に入った様子を見て、ランディは館を辞する。魔道士の視線がまとわりついているような気分が不愉快だったのだ。

 キースの家。
 「やあ、ランディ」
 ディングがいつもの明るい表情で迎えてくれる。居間ではちょうど会合が終わったところだったらしく、キースをはじめとする主だった者達がそろってくつろいでいた。
 「バルザックの家に行ってたんでしょ? どうなった?」
 ターニャの問いに、ランディは短く答える。
 「商談は不成立。不愉快な魔道士がいたんで、さっさと帰って来た」
 「魔道士?」
 「バルザックの怪しいコレクションを見に来たらしい。人の剣をもの欲しそうにじろじろ見るんで気分が悪くなった」
 「コレクションねえ……いろいろ噂があるけど……」
 「何か気になるのか?」
 「ええ」
 ターニャはうなずく。
 「実は、明日バルザック邸に入るの」
 「大穴か」
 ランディはぼそりとつぶやいた。
 「え?」
 「なんでもない。こっちの話だ」
 「予定ではコレクションには手をつけないつもりだけど、盗品や密輸の疑いがあるわ。そこまで捜査してくれるかしら」
 「ターニャ」
 キースが声をかける。
 「俺達にもできることとできないことがある。まずは庶民に影響のある不正を正すことだ」
 「そうね……父さん」
 ターニャは無理矢理自分を納得させようとしているように見える。ランディはディングにそっと尋ねた。
 「アルバトロスって、いつできたんだ?」
 「10年ぐらい前かな。おやじさんが呼びかけたんだってさ」
 ディングはキースを「おやじさん」と呼ぶ。
 「最初からこうやって、商人や役人の不正を摘発してたのか?」
 「俺はな」
 キースが口を開く。
 「10年前に親父が死んで、盗賊団のリーダーを継いだんだ。だが金のあるところから盗るだけってのは納得がいかなくてな。金の流れを見ていりゃあ、不正があるところはわかる。それを知っていて何もしないわけにはいかないだろうと思ったのさ」
 「はあ……」
 ランディには、自分のためではなく名もない人々のためにあえて犯罪を犯す彼らの心境が理解できていない。いくら被害者達が表沙汰にしにくいとはいえ、危険な橋には変わりがない。彼らはなぜそこまでして義賊であり続けるのだろう。
 「リーダーはな、放っておけないんだよ。不正を見て見ぬ振りをして苦しむ人がいるってことにな」
 ランディの疑問を察したように、カッツが補足する。
 「中心街に行ってみればわかるだろう? 地方からこの町に出てきて、日払いの仕事でかつかつに生きている奴等がどれだけいるか。大商人にせっかく築いた市場を荒らされた零細業者もいる。一方で不正な金で儲けている奴等がいる。それを見て黙っちゃいられないのさ、リーダーも俺達も」
 「それに、私達には誇りがあるわ。誰も知らなくても、人の役に立っているんだから」
 ターニャもつけ加える。彼女が自分の持つ技術に対してああも厳しいのは、自分の仕事への誇りゆえのことなのだろうか。
 「ふん……俺にはよくわからん」
 「わからなくて結構。邪魔しないでいてくれればいい」
 カッツはにべもなく言った。ランディもうなずいてみせる。キースやカッツ達は、ランディを仲間に引き入れはしたが、自分達の主義をもってランディを説得するつもりはなさそうだった。ランディとしてもその方が助かる。どの道、彼がケレスに滞在している間だけの仲なのだから。


3 闇の神の祝典

 その数日後。

 ランディは以前アルバトロスの襲撃先について賭けをしていた店に寄ってみた。
 「よう、あんたか」
 店の常連らしい男は、ランディの顔を覚えていたようだ。気さくに話しかけてきてくれる。
 「惜しかったな。ついこの間大穴が出たところなのによ」
 「それは残念だ」
 何食わぬ顔でランディは答える。バルザック邸への襲撃を事前に知っていたランディだったが、あまり続けて賭けに勝つと、彼とアルバトロスのつながりを察知される危険がある。それゆえにあえて店に行かずにいたのである。
 「大穴ってことは、例の穀物商人のところか」
 何も知らないふりをして、ランディは尋ねる。
 「ああ。バルザックは被害届を出していないんだが、監査局に賄賂の証拠書類がばらまかれたって話だ。穀物取引の免許停止ぐらいにはなるんじゃないかな……だがよ」
 男は幾分声を落とし、続ける。
 「バルザックの奴は相当頭にきているらしい。大丈夫かねえ、アルバトロスの奴等は」
 ランディの頭の片隅に、先日同席した魔道士のねっとりとした視線がよぎる。
 「……そうだな」
 ふっと、嫌な予感がした。
 店を出てから、自然に足が住宅地区に向かう。バルザック邸にまでは行くつもりはなかったのだが、それとなく周辺を探ってみた方がいいような気がしたのである。
 散歩を装って大きな邸宅がいくつも立ち並ぶ通りを歩いている時。
 視線を感じた。
 (こいつは……)
 幾分狂気じみた、粘着質の視線には覚えがある。
 ランディはゆっくりと振り向いた。
 「なにかご用ですか」
 言葉は丁寧に、だが決して友好的とは言いがたい口調で、ランディは少し離れたところにいる相手に呼びかける。
 相手──バルザック邸に居合わせた魔道士は影のようにうっそりとランディの方に近づいてきた。
 「あなた、血のにおい、しますね」
 南方なまりの声で、魔道士はそう言った。
 「……だから?」
 「死者の悲鳴、きこえます。その剣が吸った血が、あなたにまとわりついています。あなた、わたしの仲間、ですね」
 「?」
 冗談じゃない、ととっさに思う。確かに魔剣の主ではあるが、この見るからに異様な魔道士に仲間呼ばわりされる筋合はない。
 「近いうちに、祭りがあります。あなたもいかがですか」
 魔道士は友好的なことを示そうとするためか、にい、と笑う。ランディはどことなくぞっとするものを感じた。
 「祭り?」
 「わたしたちの世界をもたらすための儀式、です。あなたもあの塔で、ウドゥルグ様に祈りを……」
 魔道士が細くやせこけた手で指し示したのは、住宅地区外れにある塔だった。かつての牢獄のなごりで、現在は閉鎖され、長く使われていないはずである。だが、ランディの驚きは別のところにあった。
 (「ウドゥルグ」だと?)
 ランディの身に緊張が走る。「ウドゥルグ」とは、ダーク・ヘヴンで信仰されている破壊神の名だったはずだ。
 (ダーク・ヘヴンの出身者……? だが……)
 ランディはガルトの、きれいな公用語を思い出す。ダーク・ヘヴンの暗殺者は、カムフラージュのためになまりのない公用語を身につけさせられると、彼は言っていた。
 ダーク・ヘヴンの出身者でなくても、破壊神の復活を願う者がいるのだろうか。
 いずれにせよ、ひどく危険な気がした。
 「儀式ってどういうことですか」
 つとめて平静を装って尋ねてみる。一刻も早くその場を立ち去りたかったが、このまま放置しておくのも危険な気がしたのだ。場合によっては、ガルトに理由を話して処理してもらった方がよいかも知れない。
 「もちろん生贄です。生贄をウドゥルグ様のかたちに並べるのですよ」
 あの島では、無意味な殺戮が行われているから──。
 かつてガルトがつぶやいた言葉。
 ダーク・ヘヴンでは破壊神復活を祈って生贄を捧げるという噂は真実だったのか。
 「いかがです? ぜひこの宴の時を……」
 ねっとりとした視線をランディに向けながら、魔道士は繰り返した。
 「……考えておきましょう」
 その場逃れの言葉を捨て台詞に、ランディはさっさとその場を立ち去る。
 なにもかもが不愉快だった。
 魔道士の存在も、ランディが彼の仲間のように思われていることも、バルザックがその魔道士と親交があることも。
 (あそこに入ったのはマジにやばかったんじゃないのか? キースさんよ)
 いくら高い理想を掲げたとしても、目の前の悪意に勝てるのか。
 厳しい規律も義憤にかられた行動も、逆恨みや歪んだ悪意によって、どんなに悲劇的な結果をもたらすものか。
 彼らはその重みを引き受けているのだろうか。
 もしも誰かが犠牲になったとして、その主張を貫けるものなのか。
 ランディにとっては、わからないことが多すぎる気がした。

 ランディの予感は、その数日後に的中する。
  その日の晩、ランディが戻ると、キースの屋敷全体が騒然とした空気に包まれていた。
 「ターニャ? どこにいるんだよっ!」
 ディングの取り乱した声が響く。仲間の男達がなんとかなだめているが、その様子はただごとではないように思える。
 「おい、何があった?」
 「ターニャがさらわれたんだ。あのバルザックの野郎に」
 キースがしばらくここで待機するようにという指示を出している。ディングなどはそうでもしないとすぐにでも飛び出して行きそうだった。
 「……昼前、買物に出たターニャが数人の男に襲われた。それきり行方がつかめん。その後、この家に脅迫状が届いた。要求はターニャの身柄と、二度と余計な詮索をしないという誓約の交換、だそうだ」
 カッツがランディに説明しながら、手早く地図を広げる。
 「要求をのめば、ターニャは安全なのか?」
 「向こうはそう言っている。交換は明日中に、バルザック邸に誓約書を投げ込むことで成立するそうだ。だが……」
 「リーダー! 脅しに屈するんですか?」
 「でもターニャさんが……」
 「……」
 キースの顔には明らかに苦渋の色が見て取れる。理想を捨てるべきか、娘を犠牲にすべきか。そんな選択を彼は迫られているのだ。
 ランディも言葉を失う。悪意がすぐそこまで迫ってきているような気がした。
 「今夜中に助け出すってのはどうだ?」
 「どうやって? 場所もわからないのに!」
 そんな会話を聞きながら、ランディにはふと思いあたることがあった。
 ──いかがですか? ぜひこの宴の時を……。
 「キースさん、ちょっとディングを借りたい。ディング、俺と来てくれ」
 「ランディ? 何か知っているのか?」
 「確証はつかめんが、もし俺の考えていることが当たっていたら、ターニャが危ない」
  「わかった」
 キースはうなずく。ディングも手早く身仕度をととのえ、立ち上がった。ランディはカッツに簡単に説明してから地図で経路を確認し、ディングと一緒に駆け出していった。
 黄昏時の町を走りながら、ランディは思う。
 もしもあの魔道士の悪意にターニャがさらされているのだとすれば、ディングでは到底歯が立たないことだろう。恐らくそれに対抗できるのは、ディングではなくガルトだ。だがランディはガルトを呼び出す方法を知らない。ランディにできるのは、ディングを連れて行ってガルトの出現を待つことだけであった。
 「ランディ、どこに……」
 息をきらしながら、ディングが尋ねる。
 「あそこに見える塔だ。バルザックお抱えの魔道士がいる」
 塔の先端は見えていたが、大邸宅の周囲を回って行かなければならないため、思ったよりも時間がかかる。塔に着いた時には、既にとっぷりと日が暮れていた。
 塔の入口には鍵がかかっていた。ディングが慣れた手つきで鍵を外し、音を立てないようにそっと扉を開く。
 「あかりが……」
 「ああ」
 今ではもう使われていないはずの塔の内部にランプが置かれている。ランプだけではない。置きっぱなしの書物や食いかけのパンなど、たしかに最近何者かがいた形跡があった。
 「ターニャ、いるのかな……」
 ディングが不安げに言う。
 「上を見てきてくれ。俺は隠し部屋がないか探しながら、後から行く」
 ランディの言葉に、ディングは階段へと向かう。
 (ちっ……あの時みたいじゃないか)
 壁をさぐり、わずかな痕跡も見逃さないように部屋を調べながら、ランディは思う。
 7ヵ月前、祖国ケイディアで起こった、忌まわしい事件。
 行方不明の婚約者を探して、一族の広い敷地を走り回った。片隅の古い塔の最上階を捜索していた彼が見たのは、おびただしい鳥の死骸──禁断の秘術が行なわれた跡だった。それから間もなく、ランディは一族を失った。彼の婚約者を秘術によって宝玉に変え、魔剣をふるって一族を惨殺した兄によって。
 人間のエゴと悪意。他人の血をもってあがなう術。
 ──生贄です。生贄をウドゥルグ様のかたちに並べるのですよ。
 あの、身の毛もよだつような言葉。
 他人が犠牲になることに、今さらいちいち心を動かされはしない。だがあの狂気に満ちた連中に対して、嫌悪感以外の感情は抱きようもなかった。
 なにごともなければいいのだが。
 もしもランディの懸念が杞憂に過ぎず、ターニャの拉致と魔道士との間に関係などなかったのだとしても、あの不愉快な魔道士だけは斬って捨てておきたい気すらした。
 丹念に部屋を調べるが、隠し部屋のようなものは見つからない。だがランディは1枚のメモを見て顔色が変わるのを感じた。
 「12日正午、生贄受け取り、バルザック邸」
 そんな走り書きが残されていた。インキも紙も、まだ新しい。
 (12日? ……今日じゃないか!)
 焦る心をおさえて、ランディは剣を片手に上階を目指した。
 (これは……血のにおい)
 7ヵ月前の道場での惨劇を思い出す。ねっとりとした匂いが、階段を昇につれて濃くたちこめてきていた。
 (まさか、ターニャ……)
 耳をすます。塔の上の方は気味が悪いほどに静かだった。先に昇って行ったはずのディングの足音や声も聞こえない。
 最上階の部屋に足を踏み入れた時。
 ランディの眼前にはこの世のものとは思えぬ光景が広がっていた。

 最初にランディの目に入ったのは、祭壇らしき場所の中央に据えられた、ターニャの首だった。一目見てターニャがもはや生きてはいないことがわかる。
 (あの……野郎!)
 特別好意を抱いていたわけではないが、まるきりの他人というわけでもない。それなりの恩義もある。そんな彼女がこんなにもあっさりと生命を奪われてしまう理不尽さへの怒りは、理性で考えてどうなるものでもない。
 怒りが一瞬、その場の状況の真の恐ろしさに気付くのを遅らせたのかも知れない。
 よく見れば、そこは地獄だった。
 切り取られ、据えられていたのは、ターニャの首だけではなかった。
 (こいつは……!)
 ランディは目を疑った。7ヵ月前に惨殺された一族の無惨な姿も、これほどに酸鼻をきわめるものではなかったように思える。
 ターニャの身体は指一本にいたるまで、ばらばらに解体され、滑稽なほど丁寧に祭壇上に並べられている。何かの紋様か記号を表わしているかのように整然と。おびただしい血に染まった祭壇の上に置かれた指や足首や乳房が異様に白い。血の量から見て、彼女は生きながら解体されていったのではないか……そう思ったランディは、さすがに戦慄を禁じえなかった。
 思わずそむけた目に、隣の部屋へ続く扉が映る。血のあとを避けて近づこうとする彼の耳に、短く叫ぶような声と何かが倒れる音が聞こえた。
 (ディング? そこにいるのか?)
 ランディは静かに扉を開いてみる。
 扉の向こうは小部屋になっていた。魔道士はここを人知れず使っていたらしく、書物や薬草、さまざまな器具が積み上げられている。壁際に、倒れた黒衣の男が見える。例の魔道士だろう。そして、その傍らにたたずむのは……。
 「ディング?」
 呼びかけに彼は答えない。
 「おい……?」
 ランディが近寄ろうとすると、彼は力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
 「大丈夫か?」
 肩をつかんで軽く揺すぶる。
 「すみません……」
 血の気のまるでない表情のまま、小さな返事があった。
 「ガルトか!」
 ガルトは弱々しくうなずく。が、放心状態のまま、ぶつぶつと何かを繰り返しつぶやいている。
 「あいつにも……だめなのか……俺は……」
 「おい、しっかりしろ! 何があった!」
 肩をつかむ手に力を込め、ランディはガルトに呼びかける。ガルトのうつろな表情が少しだけ動いた。
 「……ディングが……暴走しかけたんです。俺が出なかったら今頃……」
 座り込み、床に目を落としたまま、ガルトは言葉を詰まらせた。
 「……こいつは、おまえがやったのか?」  
 ランディは倒れた魔道士を調べながら尋ねた。魔道士は既に死んでいたが、外傷のようなものは見当たらない。ガルトが暗黒魔法を使ったのだろうか。
 「はい……」
 自失するような状況だったとはいえ、ガルトはためらいなく人を殺した。まぎれもなく、それは暗殺者の身のこなしがなせるわざだったのだろう。
 「……とにかく、みんなに知らせよう。立てるか?」
 ガルトはうなずき、ふらふらと立ち上がる。見開いたままの目は、まだどこか焦点が定まっていない。その目がなにかをとらえ、のろのろと動く。
 「ランディさん、あれを……」
 弱々しくガルトが指し示したのは、床の上に放り出されていた一冊の本だった。表紙には独特の幾何学模様が書かれている。
 「これは……まさか……」
 隣室のターニャのむごたらしい光景が思い起こされる。なにかを描くかのように並べられていた死体……。
 「それが、ダーク・ヘヴンの破壊神の記号です」
 「じゃあやはり……」
 ランディは言葉を失う。
 ──生贄をウドゥルグ様のかたちに並べるんです。
 文字通り、そういうことだったのだ。生贄を解体し、記号の通りに並べること。誰がこのような凄惨な儀式を考えつくことができるというのだろう。
 「ダーク・ヘヴンじゃこんなことをやってるのか?」
 「……いえ」
 ガルトはかぶりを振った。
 「こんな酷い儀式は見たことがありません。この魔道士は恐らく……」
 「ダーク・ヘヴンの出身じゃない、ということか」
 「ええ」
 ガルトはかなり落ち着きを取り戻してきていた。
 「どこかで破壊神の信仰に触れ、独自の解釈をエスカレートさせていったんでしょう」
 「……ひどいもんだな」
 死をあがめる宗教と、残虐な狂気とが結び付いた挙句の凶行。
 「こんなことをして、破壊神とやらが復活すると本気で信じていたのか」
 「そうでしょうね。実際……」
 その先のガルトの声は、低くて聞き取れなかった。
 目を覆うばかりの祭壇の部屋を通り過ぎ、二人は塔を降りる。一刻も早く、キース達に知らせねばならない。
 「黒幕はやはりバルザックだろう。恐らく最初から殺すつもりで、ターニャをこいつに引き渡したんだ」
 塔の1階で見つけたメモを手に、ランディは言う。
 「キースさん達は、間違っていたんでしょうか」
 「俺にはわからんな。理想に殉じる奴もいれば、安全を好む奴もいる。だが……」
 だが……それにしても。
 「アルバトロス」のしてきたことは、一人の女性をここまでむごたらしく殺すほどの罪に値するものなのだろうか。
 なにか、人間の悪意をきわめてねじれ、歪んだ形でつきつけられたような気がする。
 ひどく堪え難い、だが言葉にしようのない、おぞましいものを見てしまったのではないか。
 ランディは顔をゆがめる。
 生きた人間の悪意というものは、浄化しようのある死霊よりもはるかにたちの悪いものかも知れない……そう、彼は思った。


4 途切れた記憶

 ターニャの無惨な死は、「アルバトロス」の仲間達に大きな衝撃を与えた。夜中のうちに塔から彼女をかき集めて──遺体を運び出すことを、もはやこのようにしか表現できなかった──埋葬してからも、彼らは重苦しい表情のままだった。
 ガルトは埋葬までディングを演じ続けていたが、その後、高熱を出して倒れ、回復した時にはディングに戻っていた。ガルトの存在を知らない者達には、ディングが衝撃のあまり一時的に記憶を失ったように見えた。何も知らないディングに、一同はターニャの死を告げはしたものの、その無惨な殺されようについてはとても打ち明けることができなかった。
 だが、誰よりも衝撃が大きかったのは、ターニャの父であり「アルバトロス」の頭領であるキースであった。彼は病床につき、日に日に衰弱していった。
 そんなある冬の日のことである。
 「よう」
 キースの病床で看病を続けるディングのもとを、ランディが訪れた。手にはカッツから預かった薬の袋を持っている。
 「どうだ? キースさんの容態は」
 「今眠ったとこ。でも……寒さがこたえてるみたいなんだ」
 キースの眠りを覚まさぬよう、小声でディングは答える。ランディはディングの隣にすとんと座り、同じく小声でささやく。
 「おまえも顔色よくないな。休んだらどうだ?」
 「……ん、いい」
 ディングは少し笑ってみせた。ガルトのかげりのある笑いとはまるで違うが、どこか力のない、ディングにしては珍しい表情である。
 「眠ると、なんか嫌な夢見るんだ」
 「嫌な夢?」
 「うん……。よく覚えてないけど」
 ディングにしては珍しいが、姉のように慕っていたターニャを失ったのだから、致し方ないのかも知れない。
 「……俺さ、なんで覚えてないんだろう」
 ディングがつぶやくように言った。
 「何を?」
 「あの時、塔を駆け上がったのは覚えてるんだ。てっぺんのドアを開けて……なにかが見えたような気がしたけど、それきり記憶がなくてさ」
 「そうか」
 ランディは事実を知っている。「それ」が何かをディングが認識する前に、ガルトが出現したのだ。ディングにターニャの変わり果てた姿を見せぬように。だがそれを告げることはできない。
 「……なんで肝心な時に、俺、記憶が飛ぶのかなあ」
 ディングがため息をつく。
 「ターニャの最期の顔も見てあげられなかった……気がついたら、なにもかも終わっててさ」
 「ディング……」
 見ない方がいいものもある。そんな言葉をランディはかろうじて呑み込む。
 「いつか、思い出した時に弔ってやれよ」
 そう言うのが精一杯だった。
 「うん、そうだね」
 ディングは少しだけ笑みを見せた。
 「いつか……思い出せたらいいな」
 「ああ」
 ガルトはガルトで必死だったのだろう。無邪気な自分の分身を守るために。だが、それがかえってディングを悩ませている。
 双方を知るランディは、だが、ディングにかけてやる言葉を持たない。なぜならこれは、ディングとガルトの問題だからだ。
 ──俺ではだめなんですよ。
 ──あいつでもだめなのか……。
 ガルトがもらした言葉の意味を、ランディは未だ知らない。
 「……ディングには、悪いことをしたかも知れません」
 突然、声の調子が変わる。ディングのものからガルトのものへ。
 「そうか」
 ランディは動ずることなく答えた。
 「ディングとは別に、俺は『アルバトロス』に興味を持っていました。民衆を助けるという理想のために危険なことをあえてやるのはなぜなのか……そして、理想のために何を犠牲にできるのか……そんなことを知りたかった」
 「……」
 ガルトの言葉には、なにやら含むものがあるように感じられた。まるで彼自身がいずれそのような理想に殉じようとしているかのように。

 冬が過ぎ、春の兆しがあらわれる頃。
 「アルバトロス」の頭領、キース・ウィルビアーが静かに息を引き取った。
 ターニャの死をきっかけに瓦解しかけていた「アルバトロス」にとって、それは決定的な事件だった。
 キースの葬儀後、副頭領のカッツが「アルバトロス」解散を告げる。キースが行なっていた、ガイドの斡旋業はカッツが引き継ぐものの、裏の仕事からは撤退する……その方針に異議を唱える者はいなかった。ある者はケレスを去り、ある者はガイドとして留まる。
 ディングは留まることを選んだ。ガイドとして生活していけるだけの腕はあったし、他の町にこれといって行くあてもないからだという。
 ランディは解散をきっかけに、ひょんなことから一員となっていた盗賊団から離れ、もとのように魔剣に力を与えるための旅に出ることにした。
 「寂しくなるなー」
 ランディの見送りに港へやって来たディングは、心底残念そうにそう言った。
 「なに、ここを拠点に動き回るつもりだから、運がよければまたここで会えるさ」
 ランディはそう言ってディングをなだめる。また会わねばランディにとっても困るのだ。ダーク・ヘヴンの謎も、ディングとガルトが別人格である理由も、何一つ明らかになっていないのだから。
 実際、ランディがたまたま目撃することになったこの事件が後に与えた影響ははかり知れず、ランディはずっと後になってそれを知ることになる。
 すべてはまだ、始まったばかりだったのだ。

(狂宴  終)

[日と月の魔剣士・インデックス][交差の地・インデックス]