狂宴

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[日と月の魔剣士][交差の地]

1 アルバトロス

 「また失敗? もう、いいかげんにしてよ」
 ターニャ・ウィルビアーのいかにもうんざりしたような声を聞きながら、いいかげんにしたいのはこっちだ、とランディ・フィルクス・エ・ノルージは思う。
 婚約者を失い、一族を惨殺されてから半年あまり。兄への復讐だけを唯一の目的としてきた彼がこの街にしばらく滞在することにしたのは、ほんの気まぐれからである。洞窟探検のガイドとして雇った少年、ディングを観察してみるということは、当時の彼にとってはさして重要なことでもなかったし、情報収集の片手間以上に関わるつもりなど毛頭なかった。ディングの師匠にガイドの技術を学ぶのも、その手段でしかなかったはずだ。
 が。
 「まったく……本物だったら何回毒ガス浴びてると思う?」
 ターニャはランディが解除に失敗したトラップを手早くしかけ直す。
 「……自分でもそう思う」
 ランディは演技でなく頭をかいた。
 確かに細かい作業は得手ではないが、ここまで自分が不器用とは思っていなかった。とても片手間にやるどころの話ではない。
 加えてランディを指導することになったターニャも、実技に関しては素人相手とは思えないほどに容赦なかった。ランディと同い年の小柄な女性だが、怒った時の迫力はランディですらたじたじになるほどである。
 「右のねじは2回ときっかり4分の1だけまわすの。何度言ったらわかるのよ」
 「頭ではわかってるつもりなんだけど……」
 粟粒ほどの小さなねじを正確にまわすことができずに、先刻から何度も失敗していた。工具を手にするのも初めての彼は、正直いって戸惑ってばかりいる。ケイディアで最も栄誉ある剣士の一族のランディも、ここではまるで立場がなかった。
 「よーう」
 ひょっこりと顔を出したのはディングである。今朝ランディを自分の師匠のキース・ウィルビアーとその娘ターニャに紹介し、そのままガイドの仕事に出かけていたはずだ。その彼が帰ってきているということは……。
 「もう、そんな時間か……」
 窓の外を見る。ケレスの港を夕日が黄金色に染め上げていた。時の経過に気付かないほどに、失敗続きの練習に没頭していたのか。
 「あのね」
 ターニャがディングにつめよっている。まる1日不器用な生徒につき合わされたのだから、無理もなかろう。
 「私もいろいろ指導してきたけど、ここまで不器用な奴初めてよ、はじめて」
 「え、そんなに?」
 ディングは目をぱちくりさせてこちらを見る。他意のない目だけに、余計にきまりが悪い。こんな状況になるとは、さすがに予測していなかった。
 「……悪かった」
 認めるしかない。
 「へえ」
 ディングが妙に嬉しそうだ。
 「なんだよ」
 「ランディでも苦手なことがあるんだ」
 「……そりゃそうだろ」
 ランディはふてくされて答える。どちらかというと彼は努力家だ。剣に関しても、天才肌の兄とは違って目に見えないところでずっと練習を重ねてきた。彼とて不得意なことは多くある。表に見せないようにしているだけのことだ。
 「すまなかったですね、ターニャ」
 「気にしないで。教え甲斐があるってものよ」
 「え……」
 ランディは絶句した。
 教え甲斐というほど気合を入れて教えられても困る。
 「危険区域で死なずに済む程度には仕込んであげるから、頑張りましょうね」
 「……」
 ランディはどこか罠にはまったような気分で黙り込む。そこまで本気になるつもりはなかったのだが。
 「よかったな、ランディ!」
 ランディの思惑などまるで知らないディングが、無邪気に笑った。

 その日の晩、中心街で夕食を済ませ、新市街の宿に戻ろうとしていたランディを呼び止める声があった。振り向くと、闇色の髪の少年がかげりのある笑みを浮かべて立っていた。
 「おまえか……」
 「こんばんは」
 ディングの顔をした少年は、ディングには似合わぬきれいな公用語で挨拶をよこす。
 「何か用か?」
 「いえ……昼間のあなたが面白かったので、つい」
 「……そのためにわざわざお出ましか」
 そうか、こいつはディングの時の記憶もあるんだ……と、ランディは思い出す。ディングのもう一つの人格、ガルト。ディングの持たない過去の記憶を持ち、ディングを影から守っている。ランディとはこれが二度目の対面だった。
 「冗談ですよ」
 ランディの歩調に合わせて宿への道を歩きながら、ガルトは言う。
 「なぜ、苦手なことをやってまで、ガイドの技術を学ぼうなんて思ったんです?」
 「ガイド料もばかにならないからな」
 ランディの答えに、ガルトはくっくっと笑う。
 「いざとなれば盾になるガイドを、あなたが節約するなんてね」
 (こいつ、根にもってやがる)
 洞窟でディングを盾に死霊を狩ろうとした時、ガルトが表われた。死霊の手からディングを守るために。だがそのためにランディの方も死霊を狩れなかったのだ。いってみれば、互いの第一印象は最悪だった。
 「……おまえはなぜだと思っている?」
 ランディはガルトの出方を待とうと、そんな風に問いかけてみた。
 「そうですね。ケレスに滞在するだけなら、こんな手間をかける必要はない。あなたの求めるものについての情報が狙い……ってところですか」
 「まあ、そんなところだ」
 ランディは曖昧に肯定する。そういうことにしておいた方がいい。
 ディングを拾い、ガイドの技術を教えたキース・ウィルビアーは、ケレスでガイドの斡旋業を営む。ガイドの持つケレスの主な情報が彼のもとに集まってくるのだ。もちろんその情報網を利用できればという思いもあるが、実際にはディングの持つという「力」とガルトの持つ過去の記憶に興味がある。
 あの洞窟で、死霊に襲われたガルトが使った魔法──「記号魔法」という、宙に図形を描いて発動させる魔法──が放っていた気配が、ランディには気になっていた。それはどことなく、ランディが死霊の封印に使っている術の気配に似ているように感じられたのである。もし本当に近いものだったら、ディングとガルトを宝玉に変えることで、兄よりも強い宝玉を手に入れられるかも知れない。死霊の封印の力を持つ者ほど、強力な宝玉となるのだから。
 あるいはまた、彼らの出身地であるダーク・ヘヴンであれだけの強力な魔法が伝わっているのならば、きっとダーク・ヘヴンには死霊が多いのではないかという期待もある。だがせっかくの機会を逃さぬためには、この目的は明らかにしない方がいい。ただでさえ、ガルトには信用されていないのだから。
 「あそこまで難しいとは思わなかったんでな」
 ガルトは口の端をちょっとだけつり上げた。
 「よりによってターニャにあたってしまいましたしね」
 「よりによって?」
 「彼女はガイド達の中でも厳しいんですよ。彼女の父親のキースさんなんて、ガイドになるわけでもない普通の人には最低限のことしか教えませんし」
 ランディはため息をついた。
 「ディングの奴、なんだってそんな女に紹介してくれたんだ」
 「俺が言うのもなんですが、ディングには悪気はなかったと思いますよ。彼はキースさんに拾われてガイドになったから、その娘のターニャは彼にとって姉さんみたいなものなんです。きっと一番信頼できる人にあなたを指導して欲しかったんでしょうね」
 「……そういうのを、お節介と言うんだ。おまえの相棒にそう言っとけ」
 明日もまた、ターニャの指導の続きがある。
 気が重い。こんなことをしにケレスに来たわけではないのだ。
 「それじゃ、俺はこの辺で」
 宿屋の前で、ガルトはすっときびすを返した。ランディは無言で手を上げ、応じる。
 (お互い、腹のさぐり合いになってるな)
 ランディの口もとには苦笑が浮かんでいる。ランディがディングとガルトに関心があるように、ガルトもまたランディに関心を持っている。初めて会った洞窟の中、心に負った傷をさらけ出すように話題を誘導していったランディに、ガルトはおのれの未熟さを思い知らされたらしい。だが彼はそんなことは口にしようともしないだろう。
 互いに真意を明らかにせず、軽口を叩きつつ、だが相手の様子をじっとうかがう。ガルトとはこれからもそんな奇妙な関係であり続けるような気がした。

 「ち、が、う」
 ターニャが肩ごしに、ランディがナイフで切ろうとしていた糸をつつく。細い指だ。トラップを解除する時には驚くほど鮮やかに動いてみせる。
 「こ、こっち?」
 ランディはほとんどぴったりくっついた状態に張られたもう一本の糸を切る。カタン、と音がして、解除が成功したことを示す旗が立つ。  
 ほ……う、とランディはため息をついた。緊張が一気にゆるむのがわかる。祖国での御前試合の時でも、ここまで緊張したことなどなかった。
 「おめでと。ちょっと休憩する?」
 厳しいものの、ターニャは面倒見がいい。ランディが解除に集中している間に、いつの間にか茶をいれてくれていたようだ。
 「あ、ありがとう」
 ランディはにこやかに礼を言った。
 「つき合わせて悪いね。君にも仕事があるんだろう?」
 「いいよ、ディングの頼みだし、私の性分だもの。それに仕事は昼間には……」
 ターニャは言いかけてはっとしたように口をつぐむ。ランディの暗赤色の目が一瞬きらめいたが、何も聞かなかったかのようにさり気なく言葉を返す。
 「ディングは……どうしてガイドに?」
 「ん……3年ぐらい前かな」
 相手が話をそらしたい時に先に話題を与えてやれば、その話題に乗ってくる可能性は高い。ターニャもランディの思惑通りに話し出した。
 「親父が新市街の『アエラ』って宿屋の食堂に行ったとき、食い逃げがいたらしいの。そいつに雑踏の中で正確にサラダボウルを投げつけてつかまえたのが、食堂で働いてたディングだったんだって。で、親父はあの子に才能がありそうだってピンと来たのね」
 「才能……ガイドの?」
 「え? ええ……そう」
 ターニャの不自然な答え方にも、ランディは見て見ぬ振りをする。
 「それでうちで引きとって面倒見ることにしたの。食堂の下働きじゃもったいないしね。実際、あの子ってすごいでしょ? その……ガイドとして」
 「うん。とても2、3年しかやってないようには見えなかったよ」
 確かにガイドとしてのディングの腕は一流といってもよい。ほとんど未調査の洞窟を地図だけを頼りに踏破してしまったのだから。
 だが、ターニャやキースが見込んだのは、「ガイド」の腕だったのか。
 (こいつら、ひょっとして……)
 ランディには思いあたることがあった。だがそれをすぐ口にするほど迂濶ではない。
 休憩後も、厳しい指導は続いた。ターニャのトラップ解除に関する真剣すぎる態度も少し気になったが、あえて聞くほどのことでもなかった。

 数日後。ランディは講習の休みを利用して、貴族や大商人の邸宅が並ぶ区域を歩いていた。
 古くから交通の要所として栄えてきた港町、ケレス。最近では遺跡の発掘や洞窟の調査が進み、観光地としても有名になってきている。それゆえに町には帝国の貴族や大商人が邸宅を構える住宅地区と、彼らに雇われて働く者達が寄り集まって住む中心街、それに観光客を迎えるために最近整備されつつある新市街があり、それぞれ地区ごとの特色を持っている。
 ランディが向かっているのは、住宅地区のある商人の邸宅だった。大陸北部の穀物の売買を一手に引き受ける一方で、珍しい鉱石やいわくつきの品に目がないと評判の人物である。盗品売買に関わっているという噂さえ聞かれた。だがランディにとって、盗品であろうが呪われた品であろうがかまわない。彼に必要なのは、強い死霊を封じることのできる宝玉であって、その由来などどうでもいいことだった。
 バルザックというその商人はあいにく不在だったが、執事からそれらしい石に心当たりはあるらしいことを聞き、後日商談の約束をとりつけることができた。
 ランディが帰ろうとした時。
 「……?」
 見覚えのある顔を見かけて、ランディは立ち止まる。
 夕暮れ時の路地裏、あまり人目につかないところに、ターニャともう一人の男が立っていた。キースの家に出入りしていた姿を見たことがある。彼らはひとつの邸宅に時折視線をやりつつ、ひそひそとなにごとかを相談しているようだった。
 こんなところで、何をしているというのだろう。
 (もしかして……)
 ランディは物陰からそっと、彼らの様子をうかがった。ターニャ達はしばらく小声でなにかを話していたが、やがて小走りに住宅区域の奥の方へ消えていった。その足音が聞こえなくなるのを待って、ランディは彼らが見ていた邸宅の主の名を確認し、中心街の方へ向かう。
 中心街のメインストリートに面した酒場を適当に見つくろって入る。町の噂話が聞けそうなところを選んだつもりだった。ランディは店のカウンターに座り、住人達の世間話に耳を傾ける。その日住人達の間で話題になっていたのは、住宅地区の大商人が役人に賄賂を贈っていたことが明るみに出たというものだった。
 最近、ケレスで貴族や大商人のはたらいた不正が摘発されるケースが増えているらしい。古くからの商都ゆえ、贈収賄や脱税があたりまえのように横行していることは公然の秘密ともいうべきものだったのだが、最近それらをよしとしない者達が活動していた。彼らは「アルバトロス」と呼ばれているが、その正体は誰も知らない。知られているのは彼らがいわゆる「義賊」であるということだけだ。彼らは鮮やかな手口で貴族や大商人の邸宅に侵入し、不正の証拠となるような金品を盗む。そして盗んだものを役所にばらまいたり、広場に陳列したりして、当局が調査せざるを得ないように仕向けるのだ。中にはそのために失脚寸前になった貴族もいる。
 商人や役人の不正は物価の上昇や税の増加といった形で庶民に負担を強いる。それゆえに「アルバトロス」は庶民の間では人気があった。こうした店でも、次の標的となるのはどの貴族か、といった話題に花が咲く。人々は口々に、半ば願望の入った予測を言い合っていた。中には賭けまで始めるものもいる。
 「よお」
 賭けに盛り上がった男の一人が、ランディに話しかけてきた。
 「兄ちゃんも乗らねえか? 次に『アルバトロス』が入る家さ。本命が海運王ロックフィールド、対抗が関税官のジェンキンス、大穴が穀物商のバルザック、ってとこだ」
 ランディは記憶をたぐる。先刻ターニャ達が視線を投げかけていた邸宅の主の名は……。
 カウンターに銀貨を置き、ランディは男に言う。
 「ジェンキンスに1枚」
 「手堅いね、兄ちゃん。これが控えだ。事件が起きてから一日以内にそこのマスターに見せればいい」
 男の様子から、賭けがこの店で日常的に行われていることがわかる。ランディはついでに聞いてみることにした。
 「おやじさん、バルザックはどうして大穴なんですか?」
 「バルザックねえ」
 男は親切に答えてくれる。
 「今みたいにのしあがった時に妙な噂が流れたしな……いくら『アルバトロス』だってヤバいと思うんじゃないかねえ」
 「妙な噂って?」
 男や周囲で賭けに興じていた者達の話によれば、数年前にバルザックの競争相手だった商人達が相次いで原因不明の病や事故に倒れ、その隙に乗じるかのようにバルザックが市場を広げ、さらに穀物商の許可制を役人に働きかけて新しい商人が参入するのを極端に制限した。以来ケレスの穀物市場はバルザックがほぼ独占しているという。バルザック邸に出入りするまじない師の存在から、バルザックが競争相手を蹴落とすために不可思議な術を使ったのだという噂が絶えなかった。
 「なるほど」
 礼を言って店をあとにする。
 そして。
 数日後、ランディは再びその店を訪れた。
 「思ったより配当が少なかったな」
 銀貨を手に、ランディはそうつぶやいた。

 「だいぶマシになってきたみたいね」
 ターニャがぽん、とランディの肩を叩く。確かに最初よりは工具の扱いに慣れてきたこともあり、失敗の数は減ってはきている。
 「おかげさまで」
 当初の目的から大きく外れて、つい本気になって取り組んでしまったが、なんとか卒業できそうである。そのことにランディは心底ほっとしていた。
 「まあ、でも危険区域に一人で行くのは、よほどのことがなきゃやめといた方がいいわ」
 「……」
 なんとなくさじを投げられたような気分もしないではない。が、この講習でいかに自分がガイドに不向きかを思い知らされていたランディには、その方がむしろありがたかった。
 「肝に銘じておきますよ。やっぱり俺は剣を持っている方が合ってるようだ」
 「そういうことね」
 ターニャの口調も相変わらず容赦ない。それもしかたがないというものだろう。ディングを観察するためにガイドの技術を学ぶという作戦は、ランディの手先の不器用さの前に失敗に終わったようである。
 だが、ランディには次の手があった。できるだけ不自然にならないように気をつけながら、話題を向けてみる。
 「プロにはかなわないってことかな。……さすが『アルバトロス』だけありますね」
 「!」
 ターニャの顔色が明らかに変わった。すばやく動いた手が警報装置を作動させたらしく、廊下を駈けてくる足音が聞こえる。
 「どうしたターニャ!」
 駆け込んできたのはキースと、数日前にバルザックの邸宅近くでターニャと話していた男だった。
 「父さん、カッツ、こいつ……私達のこと知ってるわ」
 「なに?」
 キースは鋭い目をランディの方に向ける。ランディは動じることなく、その視線を受け止めた。
 カッツと呼ばれた男が声を荒げる。
 「おまえ、何を知っている?」
 「そんなに騒ぐこともないんじゃないですか? ガイドが盗賊を兼業してるってのはよくある話だ」
 ランディは平然を言葉を返す。
 「この間、住宅地区でターニャとあなたを見たんですよ。その翌日、近くの役人の屋敷が襲撃された。もしやと思ってかまをかけてみたんですが、図星だったようですね」
 「!」
 ぱん、という音。ターニャがランディの頬を平手で打った音だ。ランディはよけるでもなく、逆に不敵な笑みを浮かべてみせる。
 「貴様!」
 「カッツ、ターニャ! 二人とも落ち着け」
 キースが一喝する。二人は不満げな表情をあらわにしたまま、一歩退いた。
 「ランディと言ったな。何が狙いだ」
 「……やっぱり、あんたが親玉だったんだな」
 ランディは少しだけ語調を変える。もはや丁寧な物腰の好青年を演じる必要もなかろう。
 「言っておくが」
 キースの口調は静かだが、頭領にふさわしい迫力が感じられる。
 「ここは俺の屋敷で、中にいるのは俺の部下達だ。答えようによっては、ここから出すわけにはいかん」
 「あんた達の邪魔をするつもりはない。ただ、一つ取引をしたいだけだ」
 ランディは一歩も退くことなく答える。もとより予想していた展開だ。
 「言ってみろ」
 「俺は、ある石を探している。力の依代になるような’宝玉’だ。あんた達が集めた中に、そんな石の情報があったら教えて欲しい」
 「断わったら?」
 「あんた達の正体を、治安局に届ける」
 「口止め料として情報をよこせということか」
 「すぐにとは言わない。手がかりになりそうな情報が入ったら教えてもらえればいいし、現物がなくてもどこかにありそうだというなら、自分で取り引きに行く」
 ランディはたたみかけるように続けた。
 「俺はこの町に長居するつもりはないし、あんた達がやっていることにも興味はない。情報が入らなければそれでもいいし、町を出れば、あんた達のことは忘れる。悪い話じゃないだろう?」
 「……」
 キースは腕組みをしてしばらく考え、言った。
 「おまえがその石を探す理由を聞かせてもらおう」
 「……わかった」
 ある程度はしかたあるまい。ランディは慎重に話し始めた。国を代表する剣士の一族の当主だったこと、一族と婚約者を兄に惨殺され、当主として兄に打ち勝つために剣を鍛えねばならないこと。そのために剣の力の源となる宝玉が必要なこと。死霊を集めていることにはさすがに触れなかったが、おおむね矛盾はないように話したはずである。
 「……だから、頼れそうな情報源には少しでも頼っておきたい」
 「なるほどな……」
 キースはどう思う? というようにターニャとカッツの方を向く。二人とも眉根を寄せて考え込んだままだ。話はわかるが信用していいのだろうか、とでもいうような表情である。
 「俺はいーんじゃないかと思うぜ」
 そんな声とともにドアが開き、ひょっこりと顔を出した人物がいる。
 「ディング、聞いてたの?」
 「ちょっとだけ」
 ディングは部屋の中に身体を滑り込ませ、ランディの前に立つ。
 (やはり、ディングも仲間か)
 キースが記憶喪失のディングを引き取り、自分の姓を名乗らせて面倒を見たのはやはり、盗賊として育てるためだったのだ。
 「この男を紹介してきたのはおまえだったな、ディング」
 カッツが尋ねる。
 「こいつを信用していいのか?」
 「うーん……」
 少しの間、ディングは言葉を選んでいるようだった。ガイドの技術の習得者としての信用と、盗賊という秘密を共有する上での信用とは、当然のことながら違っているのだろう。
 「それはわからねえけどよ」
 ディングは闇色の目をきらめかせる。
 「仲間になってもらえばいいじゃん。捕まるなら一緒ってことでさ」
 (おや?)
 ランディは内心、首をかしげていた。ディングのケレスなまりが、一瞬消えたように感じられたのである。
 が、
 「それにランディは、根はいい奴だと思うしさ」
 そう言ったディングの声は、普段のケレスっ子のものだ。
 「なるほど」
 キースはランディに向き直る。
 「ランディとやら、おまえを『アルバトロス』のメンバーとして記録する。おまえが密告すれば、自分の首をしめることになる。もちろんおまえが町を出れば、記録は抹消する。そのかわり、おまえの必要な情報は提供しよう。それでいいな?」
 「……いいだろう」
 ランディはにやりと笑みを浮かべる。周囲の緊迫した空気が、少しだけやわらいだ。
 「用心棒ぐらいにはなってやる。……だが」
 「なんだ?」
 「トラップの解除だけはごめんこうむる」
 ぱん。
 ターニャの平手打ちが、だが今度はごく軽く飛んできた。
 「頼まないわよ、あんたにそんなこと」
 声が笑いを含んでいる。どうやら、契約はうまく成立したようだった。心底信用されているとは思っていないが、あえて裏切る必然性もない。互いの利害が合う範囲でうまくやっていければいいのだ。

 「なんとか入り込んだようですね」
 その夜。
 宿屋へ戻る途中、不意にそんな言葉をささやいてくる者があった。直前までまるで気配がなかったにもかかわらず、ランディは驚く風も見せずに声の主を見つめる。
 「一応礼を言っておこうか」
 「なんのことです?」
 声の主……ガルトは闇色の目を伏せ気味にして答える。
 「とぼけるな。あの時一瞬だけ出てきていたろう」
 「……」
 「おまえのケレスなまりは中途半端なんだよ」
 「……さすがにあなたはごまかしきれないか」
 ガルトは苦笑する。
 「俺達は大陸のどこに行っても出身をカムフラージュできるように、なまりのない公用語を身に付けさせられるんです」
 「暗殺者のことか」
 ランディの問いを、ガルトは無視した。
 「ただ、覚えておいてください。俺はディングを守るために存在している。ディングの身になにか危害が及ぶようなことをあなたがしようとするなら……」
 「わかってる」
 ランディはうなずいてみせた。元暗殺者のガルトならば、誰かを殺すこともやってのけるだろう。ディングを守るためならば。観察するつもりはあっても、そこまで自分をリスクにさらすつもりはない。
 「守るつもりはないが、危害を加えるつもりもない。お互いの利害を踏み越えなきゃいいだろう?」
 言いながら、そうか、とランディは思う。ガルトはランディに関心を持ちつつ、ディングに危害が及ぶことを恐れているのだ。
 なにをそこまで恐れているのだろう。
 ──困るんですよ、ディングを死霊に会わせるようなことをされてはね。
 初めて会った時、ガルトが発した言葉。
 恐らく生命の危機とは異なる 「危機」をガルトは恐れている。ただの危害ではない、死霊がからむ危機。それが彼らになにか重大な意味を持つのだろう。
 こいつらは何者なんだろう……ランディはますます興味深く思った。
 「そうですね。それがおわかりならいいでしょう」
 用は済んだと言わんばかりに、ガルトはくるりと背を向けた。
 「では、また。ディングをよろしくお願いします」 
 「……待て」
 ランディは低い声で呼び止める。
 「何か?」
 「好きな時に表に出られるおまえが、あえてディングの影に徹する理由はなんだ?」
 「……」
 ガルトはランディに背を向けたまま、しばし無言だった。
 やがて、ぽつりと一言だけ言う。
 「俺では、だめなんですよ」
 「何が?」
 ランディは問い返す。だがガルトはそれ以上は口を開こうとせず、振り向くことなく夜の闇に消えて行った。


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