ターニャの無惨な死は、「アルバトロス」の仲間達に大きな衝撃を与えた。夜中のうちに塔から彼女をかき集めて──遺体を運び出すことを、もはやこのようにしか表現できなかった──埋葬してからも、彼らは重苦しい表情のままだった。
ガルトは埋葬までディングを演じ続けていたが、その後、高熱を出して倒れ、回復した時にはディングに戻っていた。ガルトの存在を知らない者達には、ディングが衝撃のあまり一時的に記憶を失ったように見えた。何も知らないディングに、一同はターニャの死を告げはしたものの、その無惨な殺されようについてはとても打ち明けることができなかった。
だが、誰よりも衝撃が大きかったのは、ターニャの父であり「アルバトロス」の頭領であるキースであった。彼は病床につき、日に日に衰弱していった。
そんなある冬の日のことである。
「よう」
キースの病床で看病を続けるディングのもとを、ランディが訪れた。手にはカッツから預かった薬の袋を持っている。
「どうだ? キースさんの容態は」
「今眠ったとこ。でも……寒さがこたえてるみたいなんだ」
キースの眠りを覚まさぬよう、小声でディングは答える。ランディはディングの隣にすとんと座り、同じく小声でささやく。
「おまえも顔色よくないな。休んだらどうだ?」
「……ん、いい」
ディングは少し笑ってみせた。ガルトのかげりのある笑いとはまるで違うが、どこか力のない、ディングにしては珍しい表情である。
「眠ると、なんか嫌な夢見るんだ」
「嫌な夢?」
「うん……。よく覚えてないけど」
ディングにしては珍しいが、姉のように慕っていたターニャを失ったのだから、致し方ないのかも知れない。
「……俺さ、なんで覚えてないんだろう」
ディングがつぶやくように言った。
「何を?」
「あの時、塔を駆け上がったのは覚えてるんだ。てっぺんのドアを開けて……なにかが見えたような気がしたけど、それきり記憶がなくてさ」
「そうか」
ランディは事実を知っている。「それ」が何かをディングが認識する前に、ガルトが出現したのだ。ディングにターニャの変わり果てた姿を見せぬように。だがそれを告げることはできない。
「……なんで肝心な時に、俺、記憶が飛ぶのかなあ」
ディングがため息をつく。
「ターニャの最期の顔も見てあげられなかった……気がついたら、なにもかも終わっててさ」
「ディング……」
見ない方がいいものもある。そんな言葉をランディはかろうじて呑み込む。
「いつか、思い出した時に弔ってやれよ」
そう言うのが精一杯だった。
「うん、そうだね」
ディングは少しだけ笑みを見せた。
「いつか……思い出せたらいいな」
「ああ」
ガルトはガルトで必死だったのだろう。無邪気な自分の分身を守るために。だが、それがかえってディングを悩ませている。
双方を知るランディは、だが、ディングにかけてやる言葉を持たない。なぜならこれは、ディングとガルトの問題だからだ。
──俺ではだめなんですよ。
──あいつでもだめなのか……。
ガルトがもらした言葉の意味を、ランディは未だ知らない。
「……ディングには、悪いことをしたかも知れません」
突然、声の調子が変わる。ディングのものからガルトのものへ。
「そうか」
ランディは動ずることなく答えた。
「ディングとは別に、俺は『アルバトロス』に興味を持っていました。民衆を助けるという理想のために危険なことをあえてやるのはなぜなのか……そして、理想のために何を犠牲にできるのか……そんなことを知りたかった」
「……」
ガルトの言葉には、なにやら含むものがあるように感じられた。まるで彼自身がいずれそのような理想に殉じようとしているかのように。
冬が過ぎ、春の兆しがあらわれる頃。
「アルバトロス」の頭領、キース・ウィルビアーが静かに息を引き取った。
ターニャの死をきっかけに瓦解しかけていた「アルバトロス」にとって、それは決定的な事件だった。
キースの葬儀後、副頭領のカッツが「アルバトロス」解散を告げる。キースが行なっていた、ガイドの斡旋業はカッツが引き継ぐものの、裏の仕事からは撤退する……その方針に異議を唱える者はいなかった。ある者はケレスを去り、ある者はガイドとして留まる。
ディングは留まることを選んだ。ガイドとして生活していけるだけの腕はあったし、他の町にこれといって行くあてもないからだという。
ランディは解散をきっかけに、ひょんなことから一員となっていた盗賊団から離れ、もとのように魔剣に力を与えるための旅に出ることにした。
「寂しくなるなー」
ランディの見送りに港へやって来たディングは、心底残念そうにそう言った。
「なに、ここを拠点に動き回るつもりだから、運がよければまたここで会えるさ」
ランディはそう言ってディングをなだめる。また会わねばランディにとっても困るのだ。ダーク・ヘヴンの謎も、ディングとガルトが別人格である理由も、何一つ明らかになっていないのだから。
実際、ランディがたまたま目撃することになったこの事件が後に与えた影響ははかり知れず、ランディはずっと後になってそれを知ることになる。
すべてはまだ、始まったばかりだったのだ。
(狂宴 終)