――はじめに神天地を創りたまへり。地はかたちなくむなしくして闇淵の面(おもて)にあり神の霊水の面を覆ひたりき。神光あれと言ひたまひければ光ありき。(旧約聖書より)
「いたか?」
「いや……確かにこの角を曲がったはずだが……」
数人の男達が、銃を片手に周囲を見回す。俺は建物の陰に隠れてじっと様子をうかがっていた。
男達はみな同じ服をまとっている。白い僧衣に白い靴――全身、白ずくめだ。
ルークス教の信者達だった。
ルークス教とは、一言で言えば、この世を光の帝国にしようという教義を持った新興宗教である。信者は一人の男を光の象徴としてあがめ、彼の命ずるままに、この世から闇を葬り去るべく「闇狩り」を行なっている。狩られる「闇」とは黒い目や髪、肌を持った人間だ。ルークス教では、身体の黒い部分はその人物の闇の属性を表わすのだ。
大規模な世界戦争と復興、民族の融和と分裂を幾度となく繰り返してきた現在、黒い目と髪、肌を持った純粋な「黒人」という人種は――「白人」や「黄色人種」と同様に――存在しない。しかし様々な人種の血が混じり合った結果、どこの家庭でも目、髪、肌のいずれかが黒い子供は1人ぐらいは生まれている。ルークス教の連中もそういった人々を片っ端から殺すわけにはいかないので、特別な基準を設け、その基準を満たした人々を対象に狩りをしているというが、その基準はどんなものかは謎のままだ。だから非合法の整形医のもとへ、肌や髪の色を変えてもらいに来る者は後を絶たない。
ルークス教がこのような殺戮を繰り広げても表立った非難を浴びず、それ以前に法のもとに取り締まられることすらないのはなぜなのかは定かではない。一説には教祖が人々の心を魅了し、操っているのだとも言うが、それも噂に過ぎない。しかし現に、闇の侵入を防止するという名目で、夜中に灯火を消すことは禁止されているし、闇の属性を減らすということなのか、非合法の整形医も黙認されている。
そうした医者のもとに行けば、俺のこの黒い髪や目、浅黒い肌も変えてもらえるだろう。しかし、俺はそうまでして助かる気はない。たったひとつの目的さえ達成できれば、生き延びることなどどうでもいい。
どんなに姿を変えたところで、ルークス教の奴らは俺を狙ってくるだろう。
なぜなら、ルークス教の光の象徴――ヒカルという名の若い男――は、俺の弟だからだ。
ヒカル・タナハシ・693-1028は、俺の3歳下の弟だった。
何をやらせても平凡で、性格もおとなしくいつも俺の後ろに隠れていた彼は、暗い所が病的にといっていいほどに嫌いだった。
俺の言うことはなんでも聞くくせに、暗い所にだけはどうしても近寄ろうとしなかったし、夜眠る時も必ずあかりをつけたままでいるヒカルを、俺は少々厄介に思いながらもそれなりに世話を焼いてきた。今思うとかまい過ぎだったような気もするほどに。
そんなヒカルが突然姿を消したのは、今から3年前、彼が19歳の時のことだ。何の前触れも、書置きもなく、気がついてみると彼はいなかった。
両親と俺の心配をよそに、2ヶ月あまりが過ぎた頃から、ルークス教の噂が流れ出した。
「ルークス」とは大昔の言葉で「光」という意味だ。そう聞いた時には別に気にもとめなかったが、ルークス教を率いているのが金髪でライトブラウンの目、白い肌を持つ20歳前後の男だという話を聞き、俺は急に不安になった。
まさか、あのヒカルが?
そんなはずはない――と何度も心の中で否定していたが、俺はついに耐えきれなくなって、ルークス教の本部に確認をしに出かけた。
そこに、まぎれもないヒカルがいた。
が――。
数人の信者を両脇に従え、豪奢な椅子にゆったりと腰をかけたヒカルは、俺をちらりと見下すような目で見て、こう言った。
「お久しぶりですね。何か御用ですか?」
そのよそよそしい態度に、俺はしばらくあっけに取られてつっ立っていた。が、なんとか気を取り直して、急に彼が消えたことで自分達がどれだけ心配したか、こんなことをしていないで戻ってこい、といった説得を試みた。彼はその説得を表情も変えずに最後まで聞き、それからおもむろに口を開いた。
「私は光です。もはやあなた方人間の指図は受けません」
「なっ……」
俺はしばらくの間、声も出せなかった。
本当にこいつは俺の弟なのか? あのおとなしいヒカルなのだろうか?
「お、おまえ……」
俺はその時、まだ諦めてはいなかった。
「どういうつもりだ? 一体なぜそんなに急に変わっちまったんだよ!」
「私は……」
ヒカルは無表情に答えた。
「おのれの真の姿に目覚めただけのことです」
こいつは――。
背筋が寒くなるような気がした。
誇大妄想とか、そういうものなんだろうか。
今は何を言っても無駄だ。
「――わかったよ」
俺は吐き捨てるように言った。
「戻れとは言わん。だがな、自分の親兄弟を見下すような奴が『光の帝国』なんてものを作れるものか!」
ヒカルは黙っていた。
俺はそのまま背を向け、ルークス教本部を後にする。
あいつは妙な妄想にとりつかれている。自分は人間ではなく「光」なのだと。
そんな、ある意味病人が教祖として人の上に長く立っていられるはずはない。いつか必ず、妄想が立ち行かなくなり、教団は行き詰まるだろう。
それまでは、好きにさせてやろう。行き詰まったときには受け入れてやるから。
俺の考えは甘かった。
時がたつにつれて、ルークス教は俺の予想を裏切っていった。
ルークス教は急速に広まり、古い宗教の数々を圧倒するほどにまで勢力をのばしていった。
無論、批判する声はあった。だが、その声はじきに消えていった。大っぴらに批判をした人々が必ず数日後に命を落としたからだ。その死因は病気や事故、ゆきずりの殺人など様々である。しかし彼等の死とルークス教の関わりは、噂にはなっているものの、証拠が発見されずに謎のままである。あるいは治安当局も、ルークス教を恐れているのかも知れない。
この時、俺はまだ事態を静観していた。
心のどこかで俺は楽観していたのだ。
20年近くもの間一緒にいた弟だ。彼の性格は把握している。あのおとなしい奴が、そう大それたこともできないだろう――と。
だが俺は間違っていた。
ヒカルは恐らく、時期を待っていただけだったのだろう。ルークス教が反対者の存在を許さないほどの勢力を持つようになる時期を。
そして、ルークス教発足から2年半後、つまり今から半年前のこと。
ヒカルはついに「闇狩り」を命じた。
「闇狩り」開始の知らせを聞き、血相を変えてルークス教本部へ駆けつけた俺を迎えたヒカルの様子は、以前に会った時とまったく同じだった。豪奢な椅子に座った彼の両脇に数名の信者が控えているという状況はもちろん、ヒカル自身の姿さえも、2年半の間を隔てているにもかかわらず、まったく変化していなかった。
歳月が人に及ぼす変化が、どうしたことか、彼には見られなかった。
「ヒカル、おまえがそんなことをするとは思わなかったぜ」
入るなりそう言った俺に、二年半前と同じ姿のヒカルは、二年半前と同じ口調で静かに答える。
「仕方がないのです。光の帝国を作るためには闇の手先を消さねばなりません」
「おまえ……」
俺はヒカルをにらみつけた。ヒカルは表情ひとつ変えない。その態度がますます俺を苛立たせた。
「何の権利があってこんな馬鹿なことをするんだよ。光? 笑わせるんじゃねえ、何か証拠でもあるっていうのかよ?」
「あなたには理解できないでしょう」
ヒカルはまるで、刑の宣告をする裁判官のように、静かに言った。
「なんだって……?」
「ごらんなさい」
ヒカルは初めて手を動かし、俺をまっすぐに指さした。
「あなたの目も髪も……肌も闇の色、つまりあなたも闇の手先なのです。闇に光は理解できません。闇は光に追放され、消滅させられる宿命なのです」
俺は戦慄を覚えた。
こいつは、俺の弟なんかじゃない。
世界をねじまげつつある狂人だ。
俺は長い間我慢していた言葉を、怒りのあまりに叩きつけた。
「今まで弟と思って邪魔せずにいたが……もう許せねえ。見てな、きっとこんな宗教をつぶしてやる!」
しかし――。
ヒカルはいっこうに動じていない。それどころか、薄笑いすら浮かべている。
「そんなに大きなことを言ってしまっていいんですか?」
「なに……」
「あなたがなぜ、このルークス教本部に無傷で入ることができたのか、わかっているんですか?」
俺は黙っていた。が、嫌な予感が脳裏をよぎる。ヒカルはさらに続けた。
「今のあなたの言葉、そっくりお返ししましょう。今まで兄と思い、命は助けるつもりでしたが……残念ですね、今日からあなたも『闇狩り』の対象です。ですが、最後の慈悲として、あなたが今すぐここを出て行けば、この場で殺すことだけは見送ってさしあげましょう」
「……」
俺は無言で彼に背を向けた。
確かに命が惜しかったのかも知れない。だが、ヒカルの訣別の言葉を聞いた時、俺はひとつの決意を固めていた。
その決意を遂げるまで、無為に狩られたりはするまい。だから、この時俺は素直にに引き下がってみせた。黙ってすごすごと負け犬のように出て行く俺を、ヒカルは優越感と哀れみをこめて見送っていたに違いない。
半年前のこのできごとが、つい昨日のことのように思える。
機会を待ち続けて半年、今日俺はついにヒカルの狂気を消し去る。
先刻まで追ってきていた信者達も、諦めたと見えて姿を消した。それを確かめてから、俺は通りに出る。
通りのつき当たりにそびえ立っている大きな建物が、ルークス教本部だ。今日の正午、ヒカルは本部の最上階のバルコニーに立って、信者達に挨拶をする。建物の周囲には、一目教祖の姿を見ようと、信者達が大勢集まっている。が、俺は信者の群れには目もくれずに、本部の隣のビルに駆け込む。このビルの屋上からは、ヒカルの立つバルコニーがよく見える。
こんな機会は滅多になかった。
バルコニーにはボディガードとおぼしき人物が何人か見える。そいつらに見つからないように身を伏せて、背負っていたバッグからケースを取り出し、蓋を開ける。中のものを組み立てる手順は、何度となく訓練を積んだ分よどみがない。
組み上がった狙撃用の銃に実弾を込め、俺はバルコニーの方を見やる。ヒカルの登場はまだだった。
この瞬間のために、半年間待っていたのだ。
気持ちを落ち着けるために深呼吸をする。が、そんなことで静まるようなものではない。
ヒカルを暗殺する――半年前、そう決心した。
今までにも、ヒカルに対する暗殺未遂事件は起こっていた。至近距離、それも真正面から銃弾が発射されたこともあった。だがヒカルは一切傷つくことなく、現在に至る。
不老不死の光の象徴――信者はそう讃える。
だが、俺はそんなことは信じない。
二年半の歳月がまるで経過していないかのようなあいつの姿に、畏怖を覚えなかったわけではない。だが、あいつは俺の弟だ。同じ両親から生まれ、同じ家庭で育ってきた。それは思い違いようのない事実だ。
だから、俺にはあいつの狂気を断ち切ることができる――そんな気がする。
無論、俺一人であの信者の群れに太刀打ちできるわけがない。成功しても、怒った彼らは銃弾の発射された場――このビルに殺到するだろう。そして、そうなれば恐らく俺の命はない。
だが、それでも構わない。どうせこのままでは「闇狩り」で落とす命だ。後はどうなってもいい。
ざわざわと聞こえていた信者のどよめきが急に大きくなり、俺は我に返る。
教祖・ヒカルの登場だ。
自らを光の象徴と称する彼は、信者と同じ白い僧衣の上に、金色に輝く首飾りを下げている。左手に持った杖は、権威の印だろうか。
俺はゆっくりと銃を構える。照準を合わせ、一瞬のタイミングを待つ。
これで、すべてが終わるのだ。
ヒカルが挨拶のために右手を上げた瞬間、俺は引き金を引いた。
確かな手応えがあったと思ったその時。
すべてが闇に包まれた。
何が起こったのか分からなかった。とにかく、存在する光という光がすべて、一瞬のうちに消えたのである。
まだ日は高いはずなのに、空から振りそそぐ日の光はない。日食であれば晴れた空には星が見えるのだろうが、それすらも見当たらない。暗くなれば自動点灯するはずの街灯など、言うに及ばなかった。
ビルの下の方から、信者達のあわてふためいた声が聞こえる。
俺もビルの屋上でしばらく呆然としていた。
まさか――。
俺の頭に、ひとつの考えが浮かぶ。
信じられやしない。だが、この状況はそうでなければ一体どう説明できるのだろう。
ヒカルは、本当に光の象徴だったのだ。
そして俺が彼を暗殺したことで、世界中の光が消えた。
こんな事態があり得るのかどうかわからない。だが、彼が目的としていた「光によって闇を消滅させる」こととは正反対の事態が、こうして現に起こっている。つまり、闇によって光が消滅したのだ。
そう思って、俺は慄然とした。
ヒカルは光の象徴だった。ならば、ヒカルの兄である俺は……?
ヒカルを殺した俺は、一体何者だろう?
考えてみると、彼が本当に光の象徴ならば、ただの人間に簡単に殺されるわけがない。これまで誰も暗殺に成功してこなかったことが、彼が光の象徴であったせいならば、この事態の解は、ひとつしかない。
俺が、闇の象徴だったのだ。
いつだって、光は闇のあとに生まれてきたではないか。そして、光と闇のどちらか一方が存在しなければ、世界は成り立たないのだから、光と闇、それぞれの象徴が兄弟であったとしても不思議ではないだろう。
そう、すべてはうまく行くはずだった。自分が光の象徴だということにヒカルが気付き、歪んだ対立概念から闇を消そうとしなければ。
だが、今となってはどうしようもない。光が消えたこの世界では、少なくともこれまでの秩序は崩壊するだろうし、悪くすれば立ち行かなくなるかも知れない。
光さえあれば――新たな光の象徴さえ生まれれば、世界は元通りになる。我ながら虫のいい考えとは思うが、俺と弟のせいで世界が破滅するのを見たくはない。
光あれ――と、低くつぶやいてみる。これでどうなるものでもないと、心の片隅で思いつつ。
しかし、その瞬間、周囲が元のように明るくなった。
光がよみがえったのだ。
本部のバルコニーを見ると、ヒカルが倒れているのが見えた。なぜか、周囲に人影はない。眼前で起きた衝撃的な事件であるはずなのに、信者達はぞろぞろと解散を始めている。彼の死とともに、信者達を縛っていたなんらかの呪縛が解けたのだろうか。
俺は立ち上がった。ヒカルの遺体を、このままにしておきたくはない。信者が放置しておくのなら、せめて自分の手で埋葬してやろう。
ビルの階段を下りる俺の耳に、ふと赤ん坊の声が聞こえる。どうやらビルの一室から聞こえてくる泣き声のようだった。
その部屋の前を通りかかった時、ドアが開き、1人の若い男が興奮した表情で飛び出してきた。思わず声をかけてしまう。
「どうかしたんですか?」
男は嬉しそうに答えた。
「子どもが生まれたんです、たった今」
近所の人々に知らせに行く若い父親の後ろ姿をしばらく見てから、俺は再び階段を下りはじめる。
今の男の子供が、新しい光の象徴なのかも知れない。あるいは遠く離れたところで、同じ時に生まれた子供がそうなのかも知れない。
が、誰が光の象徴なのかはどうでもいい。そんなことはわからない方がいい。
俺はビルの外に出る。
昼過ぎの日の光がまぶしかった。
(end)
今はなき創作系のサークルで、毎回テーマを決めて作品を募集していたんですが、その中で「光」というテーマで書いたもの(あ、そういえば「夢魔」の最初の話はこのサークルの「夢」ってテーマで描いたんだっけか)。テーマを見てから思いついてさくっと書いたものです。
この後、「俺」ことヒカルの兄「リク(陸。通称リック)」は、年とることも死ぬこともできなくなってしまいます。幾度となく殺されかけて、でも、死ねない。潜んでいたアジトで銃を乱射され、自分だけが生き残ってしまったことも。
「光の象徴」として生まれた存在は、いつか狂い、ヒカルのように闇を狩るようになっていきます。それは「その光の象徴を殺す」ことでしか解決できません。それができるのは彼だけでした。無実の人々が、ただその身体的特徴から、命を奪われていく。それを止めるために彼は、闇狩りを始めた光の象徴を殺し続けます。およそ20年に一度ずつ。
そのうちに、彼を「闇の王」として、光の象徴に対抗する集団を作ろうとする勢力まで出て来る始末。そんな中で彼は何度となく、光の象徴の覚醒を未然に防ごうとしますが、それは成功しませんでした。
そして、親友と呼べる間柄であった青年、ラスが光の象徴として覚醒し、闇狩りを命じた時。
光の象徴の暴走は自分には止められない。そう思った彼はひとつの結末を選びます。そしてその結果――。
なんて展開をつらつらと考えてはいたのですが、細かいところで設定が破綻しているし(信者の扱いとかね)、今思うとリックのキャラも立ってなかったしで、今ではメモやらネームやらしか残っていません。でもまあ「シニフィエ」の設定を考えはじめた時、この話を念頭に置いていたのは確かです。