魔王だったんです


 ウドゥルグはもともと「魔王」という設定でした。「魔王」ネタは昔からかなり好きで、高校〜大学ぐらいの時には第六天(注1)から人界に降りてきた主人公の小説書いたり(これは今でも復活させたい)、雨月物語「白峯」(注2)のパロディ漫画描いたりしたものです。ただ、キリスト教の堕天使には今一つ心が動かなかったのですが。
 その魔王がなぜ「破壊神」ということになったのか。
 いやだって、自分が信仰するものを「魔」とは言わないでしょ普通。カルトじゃないんだから(そ、そうか?)、信仰しているからには正当性がなきゃあ、さすがに人民もいつまでも抑圧されていますまい。たとえつかさどるものが「死と破壊」だろうと「神」かどうかで一般の人々にとっての印象はまるで異なってくるだろうし。なにより「生命」への逆転ができなさそう。
 …というのは表向きの理由。実は他にも理由があります。
 設定を小説の形にするにあたって、参加しているサークルの、オリジナルキャラクターを紹介するコーナーに投稿してみました。この投稿がなかったら、たぶん今も形にできていなかったでしょう。だから投稿は私にとってとても意味のあることでした。
 で、このサークルは「ライブ・ア・ライブ」というスーパーファミコンのゲームのファンのサークルだったんです。
 「ライブ・ア・ライブ」は、私が別館のゲーム評論サイトでやたらと語っているゲームなんですが、「魔王」が非常に重要なキーワードになっています。どう重要かは実際にプレイしていただかないと…というものなんですが、少なくとも私のゲーム観をがらりと変え、インターネットが今ほど普及していなかった時期にあえてサイトを立ち上げるきっかけになった作品でした。
 そんなゲームのファンサークルで「魔王」なんてうかつに言うわけにはいきません。ゲーム中の「魔王」に重ねられてしまいます。けど、重ねられるようなものじゃない。「白峯」みたいな設定だったら「魔王」でもよかったと思いますが(注3)、「シニフィエ」はちょっと違い過ぎる。だから、変えました。
 ま、結果的には変えてよかったんでおっけー。

注1
 仏教では、天界は下から欲界、色界、無色界というように層をなしています。欲界に属する世界は6つあって、六欲天といいます。そのうちもっとも高い世界(第六天)である「他化自在天」には、解脱を妨げる魔王が住むと言われています。

注2
 「白峯」は金春流の謡曲「松山天狗」を題材に、江戸時代に上田秋成が書いた伝奇物語。保元の乱で讃岐の白峰に流された崇徳上皇の墓所を訪れた西行法師(かつて上皇の警護をする武士だった)の前に、魔王となった上皇の霊が現われる。自分の力で平治の乱を起こしたし、いずれは平家を滅亡させてやるという上皇に西行は「よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん」という歌を詠む、という話。
 ちなみにパロディ漫画は、 西行のもとに現われた崇徳院が「日本の大魔王の免許を取った」と豪語するが、まだ本試験の課題「平家滅亡」をクリアしていないので仮免に過ぎず、教官に引っ張られて退場、というギャグでした。ちょうど車の免許とった頃に描いたんだっけかな。

注3
 とか書いてたら、ゲーム評論サイトの方でなんか書きたくなってきた。書こう。