魔の島のシニフィエ

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第一章 復活の声

2 葬式という名の芝居

「……随分、背が伸びたな」
 ゲイリーはまじまじと、目の前の青年を見る。七年もあれば、少年はおとなになる。均整の取れた顔立ちも、以前とは異なる雰囲気を帯びている。暗い影と一人で戦い続けているような、以前の表情とは違う。何かを得たような、穏やかな表情。だが闇色の目は、彼がかつての鋭さを依然として持ちつづけていることを示している。
「どうしてまた、戻って来たんだ? あの頃より、この島はひでえぜ」
「だから、だよ」
 ガルトと呼ばれた青年は微笑む。
「それよりおっさん、危ないところだったな」
 ガルトは繰り返す。ゲイリーは首をかしげた。
「一体どうしたんだ?」
「ロルン。おっさんを狙ってる」
 短いガルトの返事に、ゲイリーは身を固くする。
 暗殺者に狙われたが最後、生きのびることは不可能だと言われている。身に覚えがないわけではない。「渡し」によって何十人もの人々を島外に脱出させてきたし、今もドリュキスで秘密裡に活動する反信徒グループと親交がある。
「ちょっとこれ、借りるぜ」
 返答できずにいるゲイリーにかまわず、ガルトはゲイリーが立てかけたモップを取り上げる。ナイフを取り出し、モップの柄に何かを刻み込んだ。
「何を……」
「いいから」
 ガルトは真剣になっているようだ。ゲイリーには目もくれずに答える。ゲイリーは黙って、ガルトのすることを見守ることにした。ガルトは厨房に入り、モップに水をかける。
 と。
 モップがむくむくと盛り上がった。いや、水だ。モップにかけられた水が、生命を持つ流体のようにモップにまとわりつき、ひとつの形を作っていく。やがて、それは人型へと変化する。
「うわ……」
 覗き見ていたゲイリーが驚いたのも無理はない。モップで作られた人形は、完全に人の形になっている。ただし、顔はない。
「古い暗黒魔法だよ。外で見つけたんだ」
 外、とは島の外のことだろう。この魔術師らしからぬ風貌の青年は、かつてロルンで暗黒魔法……この島独自に発展を遂げた、暗殺のための魔法……を学んでいた。島外でも魔法の研究をしていたのだろうか。
 ゲイリーの目の前で、ガルトは厨房から出て来た。驚いたことに、モップ人形も後からおぼつかない足どりで歩いてくる。裏口の扉の前に人形を立たせ、ガルトは指で宙に何かを描き始めた。
 何を描いているのか、ゲイリーは知らない。だがそれも暗黒魔法のひとつであることだけは確かだ。宙に特定のシンボルと呼ばれる記号を描き、発動のことばを唱えることで、自然の法則や物質をあやつることができる。
「……よし」
 低くうなずき、ガルトは裏口を開ける。モップ人形がゆっくりとした足どりで、外へ出て行った。ご丁寧にも、ドアをきちんと閉めて。
「なにをしたんだ? おまえ……」
 直接質問に答えようとはせず、ガルトはこう言った。
「二階に行こうか。窓から見えるはずだ」
 わけのわからぬままに、ゲイリーはガルトの言葉に従う。もし自分を暗殺者が狙っているのであれば、迂闊に裏口を開けて様子を見るのは危険だろう。外の様子を見たければ、どのみち、ガルトの言う通りに二階から覗くしかないのだ。
 二階の窓から、物陰に隠れるようにして下の様子をうかがう。人形は裏口を出てすぐ横の物置に向かって立っていた。傍目には物置のたてつけの悪い扉を開けようと苦労しているかのように見える。
 が。
「お、おい、なんだあれ? モップじゃねえのか?」
 ゲイリーが驚きの声を上げたのも無理はなかった。さっきまで水で作られた人形だったはずのそれが、ゲイリーとまったく同じ格好をしていたからだ。
「幻術だよ。あんまり長続きはしないけどな。……まあ見ててくれ」
 ガルトは平気な顔で答えた。
 店の裏口は、狭い路地に面している。普段人通りはほとんどない。
 そこに、入って来た人物がいる。帽子をかぶっていて顔は見えないが、服装と身のこなしから、若い商人風の男とわかる。近道しようとして来たようだ。
 男はゲイリーの姿をした人形の横を通り過ぎ、足早に去って行く。通り過ぎる瞬間に、ほんの少し手をはためかせたように見えたが、それ以外に不審なところはなかった。
 が。
 男が路地から立ち去ってものの数秒もしないうちに、人形がどさりと倒れた。
「行こう」
 ガルトが立ち上がり。ゲイリーの反応も見ずにすたすたと階下へ降りて行く。ゲイリーは慌ててその後に従った。
 倒れている人形は、見ればみるほどゲイリーにそっくりだった。
「げ……」
 ゲイリーは顔をしかめる。実際、あまりいい気はしない。 
 ガルトはといえば、口の端にいたずらっぽい笑みを浮かべて、ゲイリーの様子を眺めていた。まるで仕掛けたいたずらが成功した子どものようだ……と、ゲイリーは思う。
「ガルト、面白がってないでなんとかしてくれ」
 ゲイリーの言葉に、ガルトは苦笑し、路地に横たわる人形に向かって、また謎めいたシンボルを描く。一言発すると、人形がすっと溶けて流れたように見えた。かたちを作っていた水が、もとの水としての性質を取り戻し、流れて地面に吸い込まれていく。後に残ったのは、濡れた地面とモップと、一本の細い針。針の先には、恐らく猛毒か何かが塗られていたのだろう。どす黒く変色している。
「これで奴は、あんたを殺すつもりだったんだ」
 ガルトの言葉に、ゲイリーは立ちすくむ。
 あの時、裏口から出ていたら。
 ぞっとするものがあった。

 ゲイリーは死人になった。
 実際に死んだわけではないが、ロルンに狙われた以上、表向きは死んだことにする必要がある。でなければ、再びロルンに狙われるだろう……そう、ガルトが勧めたのだ。
 ゲイリーの葬式は、翌日ひっそりと行われた。ロルンに殺された、つまり権力にたてついたために死んだ者の葬式であるから、あまり大掛かりになってはならない。ごく親しい者だけを集め、しかも表向きは事故死ということにして出される葬式。真相を知るのはゲイリーとガルト、それに事情を説明した共同経営者のトーマスだけである。
 ゲイリーは、喪主だった。首都レブリムから知らせを聞いて駆けつけてきた、ゲイリーの弟のベイリー、というのが、彼の役どころだ。これからずっと、この役を通さねばならないのはいささか不自由な気もしたが、致し方あるまい。
 それにしても、とゲイリーは思う。自分で自分の葬式を出す人間など、そうそういるものじゃないな、と。
 ガルトは参列していなかった。親しい者だけの式に部外者が紛れ込んでは怪しまれる、というのが、その理由だ。朝からふらっと町に出かけてしまったままである。
 押し殺したすすり泣きは、野菜の仕入れ先の女性の声だ。気のいいおばさんが、珍しく涙を流している。兄の死を嘆く演技をしつつ、ゲイリーは少しだけすまなく思った。
 葬式は滞りなく進んでいく。この島のしきたりで、棺の蓋には「ウドゥルグ」の紋章が彫られている。中にモップの入った棺を、ゲイリーとトーマスが荷車に乗せ、火葬場へと運んでいく。モップの葬式……もったいぶった芝居は、それで終わるはずだった。
 が、荷車がしずしずと動き始めた時。
 すっと空が暗くなった。今まで晴れ渡っていた空が、一転、分厚い雲に覆われる。不審に思った人々は、いっせいに空を見上げた。
「あ、あれは……」
 ほぼ同時に、複数の声が上がる。
 宙に、人の姿があった。
 棺の真上、通りに並ぶ屋根よりもやや高いあたりに、その人影は立っていた。足元を支えるものは何もない。
 空中に浮いた人影。
 長く黒っぽい髪、黒いマントに、鈍い輝きを放つ肩あてと靴。見下ろした顔の判別はつかないが、額に何やら光るものが見える。意図は知らねど明らかに、その人影はゲイリーの葬式に現れたのだ。
「……ウドゥルグ…?」
 誰かがつぶやく。
 その姿は確かに、聖堂に立つ破壊神の像によく似ていた。それに気象を左右し、宙に浮くなど、人間わざではなかろう。
 死と破壊をもたらす暗黒の神。多くの生贄の血を浴びて、破滅のために降臨したというのか。
 誰も、動けなかった。驚きと畏れに打たれ、空を見上げたまま凍りついていた。
 破壊神はもう復活していたのか? なぜ、破壊神がゲイリーの葬式に……? 
 この場で一番恐れを抱いたのは、ゲイリー自身だったかも知れない。破壊神に仕える司祭達に反抗し、ロルンに狙われたにもかかわらず生きのびたゲイリーは、破壊神の怒りを買うに十分だったはずなのだから。
 静まり返った路上で、人々の頭上から声が降って来た。その声は低く、静かだったが、あたかも人々の頭の中に直接響いているかのようだった。
 ……我が望みを妨げし者どもに災いあれ。
 呪いの言葉。
 ゲイリーは動けないまま、恐怖に見開いた目で、中空の破壊神を凝視する。
 破壊神はやはり、ゲイリーを罰するために現われたのだろうか。
 が、続く言葉に驚かされたのは、ゲイリーだけではなかった。
 ……我が望みを受け、多くの命を救いし者を殺せし者どもに、ウドゥルグの怒りを。
 どういうことだ?
 ゲイリーにもトーマスにも、参列者にも、その言葉は理解しがたいものだった。その言葉はあたかも、ゲイリーを殺したことになっているロルンの暗殺者に怒りを向けているように聞こえたからである。破壊神ウドゥルグはこの世を死と破壊で満たすために復活を望み、司祭やロルンはそのためにいけにえを捧げ、暗殺を行っているはずだ。破壊神ウドゥルグが怒る「望みを妨げし者」がロルンの暗殺者では、話が逆になってしまうではないか。
 当惑した人々が見上げる空。空を覆っていた厚い雲が切れ、日の光が射し込む。北国の弱い光とはいえ、それは見上げる人々の目を射た。まぶしさに閉じた目を開き、見上げた空に、既に姿はない。やわらかな日射しが、あたりを再び照らし始めているだけだった。
 かれらは他にどうしようもなく、葬式を続けた。棺を火葬場に運び、型通りの儀式を済ませる。何が起きたのか、あの人影は本当に破壊神だったのか……理解できる者はいなかった。
 ただ、ゲイリーは漠然と感じていた。
 この事件は、芝居だ。
 本物の破壊神なら、ゲイリーが死んでなどいないことを知っているはずだ。ゆえに、あれは破壊神の姿を利用した、何者かのしわざに違いない。
 その狙いはわからない。わざわざゲイリーの葬式に現れた理由も、参列者達をひどい困惑に陥れた言葉の意味もわからない。
 とはいえ、何者かが仕掛けたトリックであるのなら、あの時感じた言い知れぬ恐怖感はなんだったのだろう。あの、あらがうことのできない圧倒的な威圧感は?
 はっきりしているのは、司祭やロルンに敵対する何者かが、半ば公然と動き始めたということだけだ。この島を数百年支配してきた破壊神の信徒に牙をむく者が現れた……そのことが、この島をどう変えていくことになるのだろう。
 それすら知るすべはない。


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