魔の島のシニフィエ

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第一章 復活の声

3 山猫達の密会

 ドリュキスの夜は早い。
 夜半過ぎともなれば、外を出歩く者もほとんどいなくなる。以前は墓地の周辺や森にしか出没しなかった屍鬼が、最近では町中にも現れるようになったからだ。大方の屍鬼は夜更けに徘徊して死肉を食らう程度の、さして害のない存在だが、やはり夜中に出会うことは避けたいものである。しかも最近では生きた人間を襲う者や暗黒魔法を使う者もわずかながらいるという。ロルンの暗殺者は死ぬと破壊神の秘術によって屍鬼となり、暗殺を続けるのだという噂まで流れている。
 厳重に鍵をかけ、ひっそりと寝静まった町。
 ただ一ヶ所だけ、眠らない場所があった。
 港にほど近い界隈にある金物屋。町では「ジュールの店」と言えば大抵通じる、生活用品を扱う店である。一見ただの店に見えるが、その地下には隠し部屋がある。厳重な警戒の中、今夜も密談を交わす者達が集っていた。
「大体、そろったようだな」
 金物屋の店主であるジュールが、一同を見回した。年は既に老境にさしかかっているが、歩き方も姿勢も気迫も、年齢をまったく感じさせない。ここに集まった反信徒集団のまとめ役にふさわしい風格を備えている。
 いつもながら若いおじいちゃんだな、と、ジュールの孫娘アリスは思った。短く切りそろえた栗色の髪と大きな目、年の割に細い身体と機敏な身のこなしは、年頃の女性というよりは少女といった方が似合うかも知れない。金物屋の配達をしつつ、信徒の支配に抵抗する組織「ランクス」の連絡係でもある。集会の日時と場所を、符丁で知らせる役目だ。
 アリスは参加者達を眺めやる。真向かいに座った青年と目が合った。ジーン・クロセリアという行商人で、半年ほど前からドリュキスに居着いて集会に加わっている。短い金髪と青いやさしげな目、色白の肌は、この島では珍しくないが、美しい容貌が女性の人気を集めそうである。アリスも同様で、ジーンに見つめられ、にっこりと会釈されると、つい顔を赤らめてしまうのが常であった。照れ隠しに半ば慌てて目をそらす。
「今日の報告は、まず、一連の破壊神事件についてだが……」
 ジュールが口を開き、集会が始まる。
「ジーン、事件の報告を」
 ジュールに促され、ジーンが立ち上がる。行商人の立場を利用して、町の噂を集めてくるのが、彼の役割だ。
「最近国中で、破壊神を見たという噂が広まっていることは、皆さんご存じのことと思います」
 一同はジーンの報告に耳を傾けた。
「それも奇妙なことに、破壊神が破壊神らしからぬことを言って消えてしまうことから、人々が理解に苦しんでいるようです。そう、ゲイリーさんの葬式での事件のように」
 ゲイリーがロルンの暗殺者に殺され、その葬式に謎の人影が現れたという話は、以前の集会で報告されていた。ゲイリーの店を引き継いだ弟のベイリーが、実はゲイリー本人だということは、ジュールとアリスにしか知らされていない。
「らしからぬ、とは?」
 ジュールに答えて、ジーンは続ける。
「ウドゥルグは死と破壊を望んでいない、とか、生命はめぐりゆくもので、死は滅びではない……というようなことだそうです」
「破壊神の姿をかたったペテンとは考えられないのか?」
 今日の出席者では唯一、事件に遭遇したベイリーが問う。
「……さあ、それはなんとも。顔をはっきり見た者はいないようですし、見たところで、我々も本物の破壊神の姿を知っているわけではありませんから。ただ、司祭は礼拝でそう言って騒ぎを静めようとしていますね」
 ジーンは情報収集のために、信徒の礼拝にまで出席しているらしい。大した行動力だと、いつもながらアリスは感心する。
「……ともあれ、島全体に動揺が広がりつつあることは確かなようです」
 そう、ジーンがしめくくる。ジュールをはじめ、居並ぶ者達は首をひねり、それぞれが考え込むしぐさを見せていた。
 この前例のない事件をどう捉えたものか、誰にも見当がつかないようだった。アリスも例外ではない。
 破壊神だとしたら、信徒や司祭が数百年もの間主張し続けてきたことは偽りだったのか。
 破壊神でないとしたら、誰がどんな意図をもって、恐らく発覚すれば無事には済まないような所行をやらかしているというのか。
「この件については、もうしばらく様子を見た方がよさそうだな」
 ジュールの言葉に、アリスはうなずいた。アリスだけではない。皆が同意している。理解しがたいが、見過ごすべき些細な事件ではない。誰もがそのことを感じとっていた。
 その後、いくつかの報告がなされ、集会は終わった。屍鬼に襲われぬよう、そして信徒に怪しまれぬよう、三、四人ずつ連れだって出ていく。人が次第にまばらになっていく集会場で、アリスはぼんやりと、とっくに退出してしまったジーンのことなど考えていた。
「なあおっさん、さっきの話だけどさ」
 ふと、そんな声が耳に入る。
 新参者の黒髪の青年――たしかガルト・ラディルンとかいう名だったか。ベイリーの店に間借りしているらしい――が、ベイリーにひそひそと話しかけている。
「ん? ああ、破壊神の事件か」
「そうそう。あれさあ、そんなに深刻に悩む問題なわけ?」
 軽薄な口調だな、と思う。あまり好感は持てなかったが、アリスはそれとなく聞いていた。
「だってさ、破壊神が本物だって偽物だって、どっちみち、司祭連中にはまずいわけじゃん。喜んでいいことじゃないのかなあ」
「おまえなあ」
 ベイリーは苦笑をにじませる。
「そりゃそうかも知れねえが、考えてもみろよ。もしも、偽物だったとしたら、その……本物が怖いじゃねえか」
「うーん、やっぱり怖いかな」
「あたりまえだ。七年も外にいて、忘れちまったのかよ」
「忘れちゃいないってば。やっぱりって言ったのはさ、こーいう集会開いてても怖いモンは怖いのかなってことだよ」
 アリスははっとする。
 軽い口調と侮ってはいたが、たしかにガルトの言う通りなのだ。破壊神の怒りがもしも現実に及ぶとしたら、反信徒の集会を開いているような者達も対象外ではなかろう。だとすれば、今さら破壊神を恐れてもしかたないのだろうか。
 ベイリーはつぶやくように答えた。
「そうかも知れんな。だけどよ、俺達にはもうすっかり、破壊神への恐れってヤツがしみついてやがるんだ。生まれながらにな。信徒どもの担いでるのが破壊神じゃなかったら、とっくに世の中変わってるぜ。こんな所でちまちま集会なんかやらずによ」
「……ふぅん」
 ガルトは首をかしげる。
 あれ、とアリスは思った。ベイリーの言うような「破壊神への恐れ」は、確かに誰もが抱えている。人々が避けられない死。その死をつかさどる破壊神に逆らえば、死してなお永劫の苦しみを受けるという。破壊神が封印されており、未だ復活していないと言われているにもかかわらず、破壊神の威光をかさに着た信徒に表立って逆らえないのも、その恐怖があるからかも知れない。
 だが、なぜこのガルトという青年は、島の誰もが口にすら出せない恐怖を平気で語ってしまえるのだろう。まるで、破壊神を恐れてなどいないかのように。
 たしか彼はしばらく島外にいたという話だが、その程度で消えてしまう恐怖なのか。それとも、破壊神に対抗しうる手だてでも持っているのだろうか。
 まさか。
 アリスは首を振る。
 冗談じゃない。あの軽薄そうなしゃべり方の男が、そんなものを持っているはずはない。おおかた、深い考えなどなしに言っているだけだろう。さっきはっとさせられたのも偶然に違いない。
 ベイリーとガルトが出て行ってしまうと、アリスは今の会話を頭から追い出してしまった。忘れてしまったのではなく、忘れようとした。考えると居心地の悪い気分になってしまうので、考えたくなかったのだ。
 たかが新参者の言葉に、なぜ自分が過剰に反応するのか、アリス自身にもわからない。それでもアリスは、懸命にジーンの顔を思い浮かべて、ガルトのことを忘れようとした。

 アリスが次にガルトに会ったのは、数日後のことだった。
 次の集会の連絡のため、いつものように配達を装ってベイリーの店に立ち寄った時のことである。店にベイリーやトーマスの姿はなく、ガルトが黙々と料理の下ごしらえをしていた。
「よう」
 扉を開けたアリスに、ガルトは気軽に声をかける。陽気そうな黒い瞳が笑いかけていた。
「あ、あら、こんにちは。ベイリーは?」
 アリスは事務的に挨拶する。なにか言われたわけでもないのに、アリスはガルトのことをなんとなく苦手に思っていた。やけに馴れ馴れしい口調のせいだろうか。それとも、口調の割に本心や自分の境遇を語らないところが、信用できないのだろうか。
「ベイリーのおっさんなら出かけてるぜ。もうすぐ帰って来ると思うけど」
「……じゃあ、待たせてもらうわ」
 この男と二人きりでいるのはひどく気詰まりだったが、かといって集会の伝言を頼むほどに信用できる相手でもない。
 そんなアリスの思いには気付いていないらしいガルトは、カウンターに座ったアリスにコロネイル茶を出す。甘い香りの、女性好みと言われる茶だ。
 カップをアリスの前に置き、ガルトは下ごしらえの続きを始める。野菜を刻む手つきは鮮やかで、瞬く間に赤や緑の千切り野菜の山がつくられていく。
 ややあって、ガルトが口を開いた。
「ベイリーのおっさんに伝言?」
「……そうよ」
「あのさ、ついでに俺の伝言、頼めるかな。ジュールさんに」
「なに? あたしは伝書鳥でも郵便屋でもないのよ」 
 出された茶に、半ば義理で口をつけ、アリスはぶっきらぼうに答える。なぜこんなに冷たい態度を取ってしまうのか、なぜ些細なことで反発を覚えるのか、アリス自身にもよくわからなかった。
「それはわかってるけどさ」
 野菜を切る軽快な音が止まる。ふっと、周囲の空気が冷たくなったような気がした。ガルトから故意に視線をそらしているアリスは、ガルトの表情の一瞬の変化に気付くはずもない。
 一瞬……ほんの一瞬だったが、ガルトの表情は、ひどく真剣だった。普段の軽薄を装った顔からは想像もつかぬほど、厳しい目。その昏い輝きは、切れ味の鋭い刃物のようだった。
「……狙われてるから、気をつけな…って」 
 再び目を伏せて、刻んだ野菜を大皿に乗せながら、ガルトは低く言う。
「あ、あなた何を知ってるわけ?」
「考えればわかることじゃん」
 ガルトはすっかりいつもの口調に戻っている。
「ゲイリーさんが狙われたってことは、他の誰だって狙われる可能性があるってことだろ。違うか?」
「……」
 ぐっとアリスは言葉につまる。ゲイリーが信頼できる相手以外に決して裏の仕事を明かさず、慎重に慎重を重ねて行動していたことを、アリスはよく知っていた。
「となれば、ジュールさんだって十分に危ないことになる……むしろ奴等にとって邪魔なのは、ジュールさんの方かも知れないしな」
「で……でまかせの推測はやめてよ」
 乱暴に遮るアリスを、ガルトはじっと見つめる。アリスは相変わらず目をそらしたままだったが、それでも視野の片隅に視線を感じてはいた。
「ほんとに、でまかせだと思ってるわけ?」
 アリスはどきりとした。軽薄な口調と、核心をつく指摘のアンバランスに、心がいらだつのがわかる。
「あたりまえじゃない。あなたみたいな新入りに、何がわかるっていうのよ」
 罵倒の言葉はすらすらと出る。ガルトの言うことももっともだと、頭ではわかっているというのに、何故か素直に受け取る気になれない。
「それともあなた、ロルンの連中の気持ちがわかるっていうの? ひょっとして、ゲイリーを狙ったのだってあなたなんじゃない?」
「しねーよ、そんなこと」
「どうだかね。言っておくけど、あなた、信用できないのよ。こんな時期にひょっこり戻ってきたなんて言ってるけど、今まで何をしていたのかも言わないような人じゃない。何やってたもんだか!」
「……じゃあ、島中を旅する行商人だとでも言えばよかった?」
 アリスの激しい言葉に対して、ガルトはあくまで冷静だった。それが余計にアリスの神経を逆撫でする。
「とにかく!」
 ガルトの言葉を思い切り無視して、アリスは言い放つ。
「あなたの言うことなんか、信用しないわよ。あたしだけじゃない、他の誰だってそうに決まってる!」
「……勝手にすればいいさ。ただそれなら、今の話は忘れてくれ」
 つぶやくように、ガルトは言う。
 しまったとアリスは思う。明らかに言い過ぎだ。だが、腹が立っているのは事実だ。一度出た言葉を取り消すわけにもいかず、そのまま、アリスは黙り込む。ガルトも、何か言いたげな表情をちらっとしただけで、そのまま黙々と下ごしらえを続ける。
 前よりもはるかに気まずい静けさの中、ガルトの包丁の音だけが店に響いていた。

 ガルトの要望など聞くつもりは、アリスにはなかった。翌日ジーンに会ったアリスは、さっそくベイリーの店でのできごとを話し出す。まだいらだちが残っていたので、誰かにぶちまけたかったし、少なからず意識しているジーンと話したいということもある。なにしろ、信徒の目をはばかる話なので、それを口実に二人きりにもなれるのだ。それにガルトの言葉はまがりなりにも正論なので、信頼できる誰かに助言を仰ぎたかった。
 ジーンはうなずきながら話を聞いてくれた。
「そうか……そんなことがねえ」
「ねえジーン、どうしよう。あいつの言うことってむかつくけど、たしかにおじいちゃんが狙われてもおかしくないんだよね。なんとかしないと……」
 ジーンは眉をよせ、しばらく考え込んでいた。やさしげな顔立ちは、考え込むしぐささえ美しく見せる。アリスはそんなジーンに見とれていた。
「ねえ、アリス」
 顔を上げたジーンに、アリスはどきりとする。
「な、なに?」
「ジュールさんの警備を、僕にやらせてくれないかな」
「えっ……それは」
 意外な言葉を聞いた気がした。そこまでジーンを巻き込むつもりは、アリスにはなかったからだ。それに、ロルンの暗殺者に有効な警備などあるのかとも思う。ましてジーンはただの行商人である。暗殺者に太刀打ちできるはずもない。
 ジーンはアリスのそんな気持ちを見て取ったように、言葉をつなぐ。
「僕じゃ無理だと思う?」
「そ、そういうわけじゃないけど……でも……」
「大丈夫だよ」
 ジーンは微笑む。
「……いや、大丈夫じゃないかも知れない……僕も暗殺者に狙われてしまうかも知れないけど、君がせっかく頼ってきてくれたのに応えなかったら、僕は卑怯者になってしまう」
「……」
「やらせてくれるね? 警備」
「う、うん……」
 ジーンは命がけでジュールを守ろうとしているのだ。
 その決意のほどを思うと、到底断る気になれなかった。とはいえ、アリスの頭の中は、ジュールにもジーンにも死んで欲しくないという思いで一杯だった。


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