魔の島のシニフィエ

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第二章 破壊神の片腕

2 予言に記された者

「ただいま」
 いつものように帰宅したデューイは、店のカウンターを抜けて自分の家に入ろうとした。カウンターには父親が座っていて、占い師らしい風貌の男の相手をしている。
 デューイが父の脇をすりぬけようとしていると、占い師の声が耳に入ってきた。
「さっき話してらしたおぼっちゃんですか?」
 自分が話題になっているらしいと気付き、デューイは振り向く。
「ラス、占い師のロンバートさんだよ」
「えっ、ハル・ロンバート?」
 ハル・ロンバートといえば、島有数の占い師だ。瓦版や町角の掲示板で時折名を見かける。これまでに外れた占いはないとまで言われる腕前の持ち主だという。デューイが本物を見るのは、無論初めてだった。
「どうです? こいつ商売やっていけそうですか?」
 父が占い師に尋ねている。
 デューイは賢い子だが、利にさといところがない。よく言えば善人だが、悪く言えば商才がない……父がよくそう言っているのを、デューイは知っている。店を継ぐのはともかく、父の積年の夢……自分の店を島の各地に展開したいという……を叶えるほどのやり手にはなれそうにないということだ。父はどうやら、偶然店に立ち寄った高名な占い師に、息子の行く末を相談していたらしい。
 ロンバートは占い師特有の、長く伸びたあごひげを指でひねった。
「ふうむ、いい人相だ。だが商売人のアクは薄いようですな」
「そうですか……」
 いささか落胆した風な父を、ロンバートはなぐさめようとした。
「まあまあ、商売の相がなければ商売できないわけではありません。私がひとつ、ぼっちゃんの将来の姿を占ってさしあげましょう」
「それはありがたい。ほらラス、見てもらいなさい」
 父に押しやられ、デューイはカウンターの外に出る。
 ロンバートは椅子を借りて座り、カードを取り出してデューイに持たせ、心を静かにして切るようにと告げる。切ったカードを受け取ってさらに切り、テーブルの上に並べていく。裏向きに置かれたカードを一枚ずつめくり、その意味を読み取るのだ。
「……ほほう」
 占い師の口から、驚いたような声がもれた。
「この子は……歴史に名を残すような偉業をなしとげる……残念ながら、商売には縁がないようですが」
「むう……」
 喜んでいいものか、嘆いていいものか……父が曖昧な反応を返す。当のデューイはと言えば、偉業と言われてもぴんと来ていない。なにやらわくわくするものを感じはしたが、あまり自分のことを言われているような気がしなかった。
「いや、これはよい運勢ですぞ。若いうちは苦労が多く、命の危険もあるが、それを救い、支える強い者がいると出ている……」
「支える者?」
 父が聞き返している。
「さよう。それは……」
 占い師はカードをめくる。
 その手が、ふと止まった。見るとわずかに震えている。
 父の顔が、さっと青ざめた。
 デューイ自身も、呆然としてそのカードを見つめていた。
 百枚を越すカードのセットの中で、ただ一枚しかない、独特の幾何学文様の描かれたカード。それが「ウドゥルグ」をあらわすものであるということは、幼いデューイですら知っていることだ。それも、ただの占いの遊びではない。外れたことのないという占い師が引き当ててしまった運命。その重みがどれほどのものかは、占い師自身の表情からも明らかだった。
「まさか……」
 だれかが、そうつぶやいた。

 バートレットの一人息子は、破壊神に魅入られている。
 そんな噂が人々の口の端にのぼるのに、さして時間はかからなかった。
 どこから洩れたのか、さだかではない。おそらくは、ハル・ロンバートの突然の引退表明の理由を詮索する人々が聞き出したのだろう。デューイと両親は、詮索好きの人々に対して、頑として否定し続けた。レブリムは田舎町ではない。噂など、一年もすれば忘れられる……。それまで耐えるつもりだった。
 だが、ある日。
 ひとりの司祭が、デューイのもとを訪れた。
 バルベクト・ユジーヌと名乗るその上級司祭は、口調だけは丁寧に、デューイを信徒として迎えたいと申し出た。無論、噂を聞いてのことであろう。
 実のところ、これが両親の最も恐れていたことだった。噂が広まり、商売にさし障りが生じるのは、まだいい。だが、噂を聞いて司祭が動き出してしまえば、彼らに逆らうすべはない。信徒として育てられれば、デューイはきっと、熱烈なウドゥルグの信奉者に育て上げられてしまうだろう。大切な息子を、そんなふうに失いたくはなかったのだ。
 司祭がやって来た晩、父がデューイを呼んだ。
 居間には母もいる。泣きはらし、思いつめたような表情だ。
「ラス。俺たちはおまえを、ウドゥルグ様の手に渡したくない」
 沈鬱な表情で、父は言う。
「占い師に頼んだのは、俺の軽はずみな思いつきだった。こんなことになると知っていたら、占いなどするんじゃなかったよ」
「でもね、ラス」
 声をつまらせながら、母が引き継ぐ。
「あなたは私達のかわいい子……一人でウドゥルグ様のもとになんか行かせない……私達も、一緒に行きましょう」
 デューイは気付く。
 両親は、死ぬつもりなのだ。親子三人で。
「だ……だめだよっ!」
 思わず、デューイは叫んでいた。
「父さんや母さんが、僕のせいで苦しんじゃいけないんだ。だって……僕は父さんと母さんにしあわせになってほしいもの」
「それは、俺達だって同じだぞ、ラス」
「だから、こうするしかないのよ!」
 母が泣き崩れる。握りしめたナイフが、デューイの方を向いて震えていた。
「占いの通りになってしまったら……ウドゥルグ様がやって来てあなたにひどいことをさせるかも知れない……沢山の人を殺したり……この島を破壊したり……」
「……ほんとにそんなことになるんだったら、僕はその時に死ぬよ。わざわいを広げないためには、そうしなきゃならないと思う」
 デューイは、年に似合わぬ静かな口調で言った。
「だけど、僕は父さんにも母さんにも、少しでも長く元気でいて欲しいんだ。……僕の言うこと、わかる?」
「……」
「大丈夫だよ」
 デューイは両親を見上げて言った。
「僕は、父さんや母さんに聞いたことを、絶対に忘れない。司祭が何を言おうと、僕は僕だもの」
 不思議なことに、両親を元気づけるために彼はそう言ったのではなかった。根拠はないが、なぜか、自信のようなものがある。狂信の徒に自分がなることはありえないという自信が。あの占いの結果さえも、彼は恐れていなかった。
 その揺るぎなさが、両親の心を落ち着かせて行く。
「ね? だから、そんなこと考えないで。どこにいても、僕は父さん達の子だよ」
 母親は泣きはらした目でうなずく。父親も。
 言葉で人を安心させ、信頼を抱かせる力がデューイにはあった。後年の彼は、その天賦の才能を存分に発揮することで、占いどおりの人生をたどって行くのだが、彼自身はそれを知らない。
 ともあれ、彼は翌日には家を出て、司祭の指示通り、ロルンのレブリム支部に入れられた。剣技と魔術を学び、去年暗殺者の刻印を受けたが、暗殺者としての活動指令が下ったことはない。司祭達はどうやら、デューイを島内にとどめおいて占いの真偽を見極めようとしているらしい。占いが真実であれば、それは破壊神が復活するということでもあるのだから、彼らが関心を抱くのも無理はなかった。
 暗殺のかわりに、デューイに与えられた使命が「捧げ人」だった。だが命を奪う行為には変わりない。両親への誓いどおり、ロルンの思想教育に耐え抜いてきたデューイにとって、それは苦役でしかなかった。


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