魔の島のシニフィエ

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第二章 破壊神の片腕

5 邂逅

 次にデューイが見たのは、石づくりの天井だった。
「よう。気がついたか?」
 若い男の声に、デューイはのろのろと視線をさまよわせた。身体が重く、動かない。目だけを動かして声の主をとらえるのは一苦労だったが、ともかく、視野の片隅に黒っぽい人影が映り、デューイは少しだけ安堵する。
 それにしても、ここはどこなのだろう。自分は死んだのではなかったか?
「あ……」
 かすれた自分の声。まがりなりにも、声は出せるようだ。
「ここは……死の世界……?」
「ばーか」
 間髪を入れず、陽気な声がした。さきほどの若い男の声である。
 ぱさり、と、顔にかかるものがある。お、すまん、という声とともに取りのけられたそれは、どうやら男の髪らしい。仰向けに寝ているデューイの顔を、ちょうど真上から、黒い瞳が覗き込んでいる。
「死んじゃいねえよ、おまえ」
「だって……」
 デューイは声につられるように起きあがろうとした。身体がずっしりと重く、思うように動かなかったが、男に支えられて、どうにか上体を起こすことはできた。
 狭い部屋のベッド。部屋の調度から見ると、どうやら宿屋の一室らしい。デューイが寝ていたベッドのかたわらに立つ若い男は、初めて見る顔だった。年のころはデューイよりやや上だろうか。後ろでひとつに束ねた長い髪、短めの上着ときつめに巻いた帯は、よく見かける格好であるが、なぜかはっと目をひきつけるものがある。快活そうな黒い瞳のせいだろうか。
「あんまり動かない方がいいな。火傷もしてるから」
 言われて気付いたことだが、身体のあちこちに巻かれた包帯の下で、ひりひりと痛みが走っている。痛みがさほどでもないのは、おそらく痛み止めの薬が効いているからだろう。あの練習生達の火球を一身に受けたのだから、しかたあるまい。
 一身に?
「……なんで僕は生きてるんだ」
 あの状況から、逃げ出せるはずがない。それはデューイ自身が一番よく知っていることだった。
 男はこともなげに答える。
「俺が助けたからさ」
「そんなこと、できるわけが……」
 言いかけて、失礼な口調だったことにデューイは気付く。
「……ごめん。まずお礼を言っておくべきだよね、こういう時は。僕はデューイ。助けてくれてありがとう」
 男は一瞬驚いたような顔をして、まじまじとデューイを見る。
「……俺が言うのもなんだけど、やっぱり、あんまりロルンっぽくないな、おまえ」
「やっぱりって……君は一体……」
 男は整った顔に快活な笑みを浮かべる。
「ロルンの様子をうかがってたら、おまえが処刑されかけてるのを見てさ。放っておくわけにいかない気がしたんだ」
「それだけで? 会ったこともない僕を?」
 デューイの声は、よほどいぶかしげだったらしい。男は笑い出した。
「怪しむのも無理はねえよな。悪かった。俺の名前はガルト。司祭にたてつく根性のある奴を探してる」
「……っ!」
 冗談めかして言ってはいるが、ガルトと名乗るこの男の言葉は、とても黙って聞き流せるようなものではなかった。
「……反乱分子?」
 どこかに司祭達の支配に抵抗し、反乱の隙をうかがう者達がいると聞いたことがある。信徒に知られれば無事では済まないため、その活動は地下深くに潜行し、人目に触れることはまずないと言ってよい。ロルンの暗殺者の中には、反乱分子専門の暗殺者もいるらしいが、デューイとは縁のないことだった。 
「まあね」
 ガルトは否定しない。
「助けたから、仲間になれと?」
「手っ取り早く言えば、そういうことだ。まあ、こっちの勝手で助けたわけだし、無理にとは言わないけどな」
「……」
 デューイは考え込む。それを迷っていると思ったのか、ガルトはさらに言葉を継いだ。
「嫌なら断ってもいい。信徒に密告されるのは遠慮願いたいけどな」
「……君の目的次第だな」
 デューイは答える。実際、この男が何を意図しているのか、デューイには判断がつかなかったし、信用できる相手かどうかもわからなかった。それに、デューイが助かることを予見していたかのような、ユジーヌ司祭長のことばも気にかかる。
「目的か……そうだな」
 ガルトはふっと真剣な顔になる。快活でどちらかといえば軽薄そうにすら見える顔が、そうすると別人のように厳しい雰囲気を帯びた。
「破壊神に生贄を捧げるような社会を、もうちょっとマトモにしてやりたい、ってところかな」
「どうやって?」
「さあ」
 あまりにあっさりとガルトが言ったので、デューイは心底拍子抜けした。
「考えてないのか?」
「そういうわけじゃないけど。破壊神への恐怖を除いてやったら、事態はおのずと動いていくだろう?」
「たしかに……」
 人々を支配し、抑圧しているのは、司祭や信徒である。税から教育、日用品の物価に至るまで、信徒を優遇した圧政が敷かれている。だがそれに対して人々が抗議の声を上げないのは、信徒が恐ろしいからではない。無論ロルンの暗殺者は恐怖であるが、それよりもむしろ、その背後に見え隠れする破壊神が恐ろしいのだ。いつの日か復活を遂げ、司祭達の強力な後盾として君臨するウドゥルグ。死してなお永劫の苦しみを与えられることへの、半ば根源的な恐怖心を、人々は深く植えつけられてしまっている。彼らがもしこの恐怖から解放されれば、確かになにかが変わるだろう。
 だがそれならば、このガルトという男は破壊神の恐怖におびえていないのか。あるいは、なにかを知っているのだろうか。書庫でデューイが見つけた真実のようなことを。
 デューイを助けるのはウドゥルグ……占いではそうなっていた。このガルトは、ウドゥルグにどんな関わりを持っているというのだろうか。
「ウドゥルグ様が死と破壊をもたらすっていうのは、教団の嘘だって聞いたけど」
 ためしにデューイはそう言ってみた。ガルトの反応をためすつもりである。ガルトは特に驚いた風もなく聞き返してきた。
「それ、誰から聞いたんだ?」
「バルベクト・ユジーヌ司祭長」
「!」
 司祭長の名を聞いた瞬間、ガルトの表情になにかがよぎったのを、デューイは見逃さなかった。目の奥に燃え上がる炎を見たような気がする。ガルト自身、自分の感情の動きに気付いたのか、慌てたように目をそらし、壁にかかっている絵を眺める。
「司祭長を知ってるの?」
「まあな……」
 ガルトは言葉をにごす。あの驚きようから見て、かなり深い因縁があるようだ。
(ということは、こいつは信徒だったのか?)
 平民が司祭の名を知っていることなど、まずありえない。信徒か司祭、あるいはデューイと同じロルンの暗殺者か。
 その疑問を口に出すと、ガルトは苦笑した。
「鋭いな……たしかに昔、ロルンにいたことがある」
 そう言ってぐいと右腕をまくって見せる。肩口を覆うように幅広く、火傷の痕があった。
「それは?」
「刻印のあとだ」
 ロルンの暗殺者として一人前と認められた者は「暗殺者の刻印」と呼ばれる、髑髏の形の刺青を施される。デューイは左腕に刻印を持っているが、ガルトの刻印は火傷に覆われて跡形もない。
「八年ぐらい前に、ある事件があって……そのどさくさまぎれに、島を抜け出した。刻印はそのあと、自分で焼いて消した」
 淡々と、ガルトは言う。そして袖を元どおりにし、照れ隠しのように笑って見せた。
「話がずれちまったな……おまえこそどうして、ユジーヌを知ってる?」
 デューイも素直に口を開く。火傷の痕は、ガルトがロルンにいながらウドゥルグのしもべとなることを拒絶したあかしのように、デューイには思えた。そしてその姿に自分を重ねて見ていたのだ。
 恐らく、ガルトもデューイのように、教団の思想に抵抗し、ウドゥルグの真の姿を知ったのだろう――デューイはそう思っていたのである。
「昨日、書庫に忍び込んでウドゥルグのことを調べていて、司祭長に見つかった。……それで処刑されることになったんだ」
「なるほどね……その時に聞いたのか」
 デューイはうなずく。
「ウドゥルグが死と破壊をつかさどるって言われ出したのが、ヘスクイル暦元年以降だって気付いて、それ以前の文献を探して読んでいたんだ」
「なにか見つけたのか?」
「シンボルの説明の本と、それに挟んであった手紙。レフっていう署名があった。宛て先はアンリ・ダルノー」
「初代教皇か……」
「そう。ウドゥルグは生命をつかさどるものなのだから、破壊神と称して周辺の村を襲うことはやめよ。受け入れられないのならば、追放せざるを得ない……と書いてあった」
「……」
「多分ダルノー教皇がこの島に渡る前の手紙だと思う。司祭長に見つかって……どうせ処刑されるんなら聞くだけ聞いてやろうと思って、教団は嘘をついていたのか、って聞いてみたんだ。そうしたら『ウドゥルグ様にウドゥルグ様らしくあってほしい』って言ってた」
「だろうな……奴はそう言うだろうよ」
 ガルトはふと、遠くを見るような目をする。
「奴にとってウドゥルグは破壊力のある兵器でしかないんだ。そして、利用できるものはとことん利用する……」
「だから、僕も監視されていたわけか」
 ふともらしたデューイの言葉を、ガルトは聞きとがめる。
「監視されてたって?」
「僕はね……」
 デューイはぽつりと言った。この十年間、口に出せずにいたことを、ガルトにならば言えるような気がしたのだ。
「ウドゥルグに支えられ、この島の歴史に名を残す者になる……って予言されてるんだ」
「!」
 ぴくりとガルトの表情が動いた。
 デューイは続ける。
「そのせいでロルンに入れられて、捧げ人をやらされていた。君みたいに逃げ出す勇気もなくて、ずるずる従ってた……」
「勇気ってわけじゃ……」
「僕は」
 ガルトが言いかけた言葉をさえぎり、デューイは続ける。一気に言ってしまわねば、二度と口にする機会がないような気がしたのだ。
「家を出る時、両親と約束したんだ。破壊神を崇め、喜んで人を殺すようになってしまうぐらいなら、自分で命を断つって。だけど実際には……命令には逆らえないまま、生贄を捧げていて……いつか予言どおりにウドゥルグを復活させて世界を破滅させるんじゃないかって、すごく心配だった。だから、破壊神が僕らの信じているようなものじゃないかも知れないと気付いて、調べずにはいられなかったんだ」
「……」
 ガルトはしばらく考え込む。やがて見せた表情は、デューイにとってやや意外なものだった。
 不敵な笑み。最初に見せた快活な青年の笑みよりもやや影があるように見えたのは、デューイの気のせいだろうか。
「……デューイ、って言ったよな」
 デューイがうなずく。
「おまえ、すっげぇ面白いよ」
「?」
 きょとんとするデューイにかまわず、ガルトは続けた。
「おまえの予言を成就させるつもりがあったわけじゃないが……どうやら俺にはおまえの協力が必要らしい。さっきは強制しないって言ったんだが、やっぱり無理にでも一緒に来てもらいたくなった」
「……?」
「それに、ユジーヌがからんでるなら、おまえが生きてることも、奴にばれてるかも知れないしな」
「どうして?」
「奴はおまえが何者かに助け出されるかも知れないと思ってたんだろう? 実際、俺が助け出したわけだ。その意味じゃ、奴の思惑通りだったってことかな」
「じゃあ……」
 両親の顔が、デューイの脳裏をよぎる。ロルンにいながら反抗した者は通常処刑される。その場合には、家族に死亡が知らされるだけだが、仮にロルンから脱走した場合は、親兄弟ともに処刑されることになっている。もしもデューイが死んでいないことが判明すれば、両親に累が及ぶのだ。ここでガルトへの助力を断わって、自分が追われるかもしれないということ以上に、デューイにとっては両親のことが心配だった。
 デューイはある決心をする。
「……手伝ってもいいけど、条件がある」
「なんだ?」
「ヘルヴァムにいる、僕の両親を助けて欲しい。僕が生きていれば、処刑されてしまうかも知れないから……」
 ロルンに子どもを入れたということでレブリムで店を続けられなくなり、レブリム郊外の町ヘルヴァムでひっそりと暮らしている両親。人目をはばかって会いに行けず、検閲のために便りすらできないが、デューイはずっと両親の安否を気遣ってきた。
「わかった」
 ガルトはデューイの言葉を予測していたかのように、すばやく答えを返す。
「ドリュキスの反乱組織に預けるか、島外に逃れてもらおう。それでいいな?」
 デューイはうなずく。両親を救えるのなら、この男に協力して反乱分子にでも何にでもなってやろう、どのみち既に教団に反旗を翻してしまったのだから。

 港町ドリュキス。
 ジュール・デルガスルーア率いる反乱組織「ランクス」の拠点のあった町として、後に広く知られるところとなる。
 ガルトがデューイとデューイの両親を連れて彼らと合流したのは、ヘスクイル暦695年10月のことだった。

 

(第二章 了)


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