魔の島のシニフィエ

[戻る][進む][インデックス]


第三章 生命の摂理 破壊の傷痕

1 山猫は爪を研ぎすます

 反体制組織「ランクス」。「山猫」という意味だ。山猫の目はすべてを見通すと言われることから、闇にまぎれて必要な情報を集める彼らにつけられた名である。もっとも実際には、この名がいつから用いられていたのかは定かではない。そもそも、体制に反対する組織の存在さえ、公には知られていなかったのだから。
 ともあれ後に「ランクス」と呼ばれることになる者達の集会に、ラスデリオン・デューイ・バートレットが加わったことは、集会に大きな変化をもたらすこととなった。
「よう、ちょっと外に行かねえか?」
  初めて参加した集会の後、ガルトはデューイを外に誘う。最近のドリュキスは屍鬼の危険がほとんどなくなっていたし、仮に屍鬼に襲われても、ロルンで屍鬼の倒し方を学んでいるデューイにとっては、さほど脅威ではない。元ロルンのガルトも同じことだろう。
 町外れに広がる森の空き地に腰を下ろしたところで、ガルトが尋ねてきた。
「どう思った? さっきの集まり」
「うん……」
 デューイは言葉を濁す。
「気になることでもあるのか?」
「ちょっと……ね」
 言っていいものか、判断に迷う。
 デューイの考える反乱分子と、目の前の彼らとは、あまりにかけ離れていた。ロルンのような支配と統制の行き届いた組織に属していたデューイにとって、数ヶ月に一度集まって、島の情勢を報告し合うだけの集団は、烏合の衆にしか見えない。とても、ロルンに目をつけられるであろう自分の両親や自分自身を守ってくれるようには思えなかった。だが、それをガルトに……自分を救い、両親ともどもこの組織に紹介してくれた恩人に言ってよいものだろうか。
「……民衆が集まって愚痴ってるだけに見える?」
「あ……」
 もしかしてガルトには、デューイが集会に不満を感じたことがわかっていたのかも知れない。だからこうして、集会の参加者に聞かれないようなところに連れてきたのだろう。ならば、遠慮しているべきではない。
「うん……それにもし僕がロルンに命令されて入り込んだんだとしたら、たぶん、数日でつぶせる集まりだ……と思う」
「そうだな」
 あっさりとガルトが肯定する。
「でも、そんな弱い集まりであっても、情報網だけはしっかりしていて、各都市の情勢をうかがったり、商人どうしの連帯を強めたりはできるんだ。だから教団は目をつけてる。前にもロルンが入り込んだことがあったしな」
 つまり、ここも安全ではないということだ。とはいえ、島の中で教団に逆らう行動を取り、教団にとって都合の悪い真実を知ってしまった自分の居場所など、他にはないだろうということも、デューイは承知している。
 考え、言葉を選びながら、デューイは答えた。
「ともかく……今のままだと、危ない気がするんだ」
「そう思うなら、島外に逃げるって道もあるが……どうする?」
 ガルトの問いに、デューイは再び考え込んだ。
 数の上で、民衆は圧倒的多数を占める。なのに、ごく少数の教団に長い間支配されつづけてきた。それは一つには死後にまで罰の及ぶ破壊神信仰、そして暗殺者を中心とする武力によるものと言ってよい。
 破壊神信仰については、それが偽りのものであることをデューイは知っている。また、各地に出没する「ウドゥルグ」を名乗る者が、人々の信仰を少しずつ揺るがしている。破壊神の存在が信じられなくなった時、人々は圧政に対して蜂起するだろう。実際、信仰の揺らぎとともに不満の声は高まりつつあるのだから。だが、一瞬にして数十人を殺すことのできる毒薬や、倒しようのない屍鬼から身を守るすべを、民衆は知らない。それに何より、彼らは支配されていることに馴れてしまっている。不満を爆発させたにしても、その後に何が残るのだろうか。あとに待っているのは、おびただしい犠牲者と、より強固な支配ではなかろうか。
(それをわかっていて、見過ごすことができるのか? 僕は……)
 自分一人がのうのうと逃げることなどできない。だが、自分に何ができるというのだろう。
「……まあ、すぐに結論を出さなくてもいいけどさ」
 ガルトの言葉に、デューイはうなずく。
「うん……少し考えさせて」
「だけど、抜けるなら深入りしない方がいいかもな」
「……」
 デューイはくすりと笑った。ガルトは首をかしげる。
「どうした?」
「いや……なんだか君って、手伝ってくれって言ってたくせに、巻き込まないようにしてるように見える」
「……まったくだ」
 ガルトは闇色の瞳を幾分伏せ、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「おまえを助けた時、俺はたまたまその場に居合わせたわけじゃない。最初から、ロルンに処刑される奴がいたら助けようと考えていたんだ」
「暗殺者の傾向を知ってるから?」
「そうだな、それもある。それに……普通、自分達の集まりに何が欠けているのかなんて、内側からじゃわからないからさ、外から変えていくための目が必要だった」
「うん」
「実際、さっきおまえが指摘したようなことを変えていかないと、無駄な犠牲が増えるだけだ。だが、ここは正直に言って、俺一人じゃ限界があってさ。かといって、危険なことをやれとも言えねえだろ? 助けたのはこっちの勝手なんだから」
 確かに、この島で教団にたてつく以上に危険なことはない。ロルンの暗殺者の手をくぐり抜けて、司祭や教皇達を倒すと同時に、破壊神信仰から逃れた政治組織をつくりあげる……これらを教団に反撃の余地を与えぬように一気にやらねばならぬ。失敗も遅滞も許されない。こんなことが、果たして可能なのだろうか?
 デューイには確信が持てなかった。ただひとつだけはっきりとしていることがあるとすれば、そんな「革命」の中核となるべき者に必要な資質だ。困難な状況をも冷静に読み取り、目的を達成するまでの最短のルートを確実に進むことのできる者。そして何より、破壊神信仰の虚偽を知る者だということだ。
 ああ、そうか……デューイは納得する。この島でそんな者がいるとすれば、それはロルンの処刑台の上なのだ。暗殺者としての教育を叩き込まれ、だが、その思想を教団の色に染めることのできなかった者。そしてさらに、真実に近づくことのできた者。
 そう、デューイ自身のように。
 だが、自分がそんな資質を持っているかということになると、今ひとつ自信が持てないのも事実だ。
「……僕は、この島を変える力になれるのかな……」
「俺には予言なんかできねーよ。けどさ……」
 つぶやくようにガルトは言う。
「少なくとも俺よりは、大勢の人をまとめあげるのがうまそうに見える。彼らに必要なのは、そんな人物なんだとも思う。……だがそのために、おまえに自分を犠牲にしろとは言えないしな」
 不器用なひとだ。
 デューイはガルトのことを、そう思った。島の人々を救うためにデューイを言葉たくみに利用することもできるはずなのに、どうしてもそれができずにいる。デューイにはガルトが他人に対する優しさをうまく表現できないでいるように見えた。
 ひょっとしたらガルト自身は、自分の優しさに気付いていないのかも知れない。自分が傷つくことは平気でも、他人を犠牲にすることにはためらいを感じてしまう……デューイの目に映るガルトは、そんな青年だった。
 ガルトがなぜ反体制活動に身を投じているのかを、デューイはまだ聞いていない。だが、彼と話しているとわかるような気がした。多くの血が流されるこの島の現状に、彼は堪えられないのだ。恐らくは、ロルンで繰り広げられている残酷な場面を見すぎてしまったのではないか。
 理解できる気がした。
 かわいがっていた犬を自らの手で殺さねばならなかった時のやるせなさ。あの時手に残った感触を、デューイは今でもはっきりと覚えている。ガルトにもそんなことがあったのではないだろうか。
(この人の力になってあげたい)
 デューイは漠然と思った。命を救ってもらったこともあるし、どのみち、協力しなければ生き残ることは難しい。だがそれ以上に、デューイはガルトに対して共感めいたものを感じていたのである。
「……あの人達に欠けているのは、まず、教団内部の情報……それに、得た情報を最大限に活用するための方法と統率をとる指揮系統……かな」
「!」
 デューイのつぶやきに、ガルトが顔を上げた。
「おまえ……」
「ガルト、君の目から見て、あのメンバーの中で情報を分析したり、人を率いたりできそうな人がいたら、紹介してくれない?」
「……わかった」
 ガルトは口の端に笑みを浮かべ、数人の名を口にのぼらせる。
 後に歴史に残る者達の名だった。

 数日後。
 デューイはガルトに紹介されたメンバーに、教団やロルンの組織構造や命令系統、聖堂の内部構造などをこと細かに説明していくための集会を開いた。
 が。
「でも、私たちに何ができるのよ」
 アリス・デルガスルーアが言う。短い髪の、デューイと同年代の少女だ。
 破壊神への恐れは根強く残っている。反体制の集会を開いている者達も、自分達の世代が実際に行動に移すことを考えているわけではない。話が具体的になると、人々は必ずといっていいほどに躊躇するのだ。
「できる、じゃないんです。いつか、誰かがやらなければならないことなんです」
「……?」
「今、この島では、教団の権力者を除いて、誰もなにもできはしない……自分自身も、自分が守りたい人も、守ることができない。みんなそれを運命だとあきらめて、翻弄されてきたでしょう? ……このまま永遠にそれを続けていきたいんですか? たとえば自分の身近な人が生贄になったり、ロルンに暗殺されたりしても、あなたたちがあきらめてしまえるのなら、僕には何も言うことはできない。……でも、そうじゃないから、今まで集会を開いて、仲間を集めてきたんでしょう? 違うんですか?」
 しん……と沈黙が彼らの上に落ちた。
 誰かがやらねばならない。それは十分承知している。
 問題は、その「誰か」に誰がなるのか、だ。
 ジュールが言った。
「……破壊神の怒りはどうする?」
「それは…」
 デューイは言葉につまる。破壊神ウドゥルグというものはただの記号であり、存在しないのだと、今ここで明かしてしまうことが得策なのか、デューイには判断がつかなかった。証拠となる書物も書簡も、教団の書庫に隠されている。口で説明したところで、彼らの根深い恐れを取り除くことはできず、かえって困惑を深めてしまうことになりはしないだろうか。実際、島の各地で起きている「ウドゥルグと名乗る者」の出現騒動は、破壊神への人々の疑念を深めはしたものの、決定的に恐れを払拭するには至っていない。
「もしいるとするんなら、ウドゥルグはたぶん敵じゃないぜ」
 思いがけない言葉を、ガルトが発した。
「敵じゃない?」
「俺のいた大陸の町じゃ、封じられた魔物や異世界の存在を召還する実験なんか毎日のようにやっていた。方法さえわかっていれば呼び出せないものなんかないぐらいにな。……なのに教団は700年近くも生贄を捧げ続けて、たったひとりの神さえ地上に呼び出せない。理由はなんだ?」
「そうねえ」
 真っ先に答えたのはアリスだった。
「生贄が足りないとか、方法が悪いとか……」
「ああ。いずれにせよウドゥルグにしてみれば、これだけかかって復活させられない教団に味方する筋合いはないってことだよなあ。考えてみろよ。自分がずっと封印されてたとして、誰かが『封印を解きます』とか言いながらずーっと解いてくれなかったら、かえって腹立つんじゃないか?」
 くすっと数人が笑う。
 ガルトの快活な口調に少しだけ空気がやわらいだのを、デューイは見逃さなかった。一同を見回し、力をこめて語る。
「大丈夫、僕が矢面に立ちます。破壊神の怒りも、僕がこの身に負います。なにかが起これば僕がすべての責任を取って、皆さんが逃げるだけの時間を稼ぎます。みんなが今まで通りの生活を送れるかまでは保証できないけど……少なくとも、教団の好きにはさせません」
「……わかった」
 ジュールが重々しく口を開く。 
「デューイ君、君の話を聞こう。この島をもっと生きやすい所にするために」


[戻る][進む][インデックス]