魔の島のシニフィエ

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第三章 生命の摂理 破壊の傷痕

3 魔剣士ランディ

 レーギス大陸よりもはるか北方に位置するヘスクイル島の冬は長い。ほとんど日の光の射さぬ、暗く冷たい冬が数ヶ月にわたって続く。海岸に吹き付ける風と波は荒く、船をも寄せ付けない。この時期人々は遠出することなく、家でじっとして過ごす。寒さを感じない屍鬼は普段通りに歩き回ることが出来るが、気温があまりにも低いために、ところどころで凍り付いて動きがとれなくなっているのもまた、冬ならではの光景である。
 この島では、冬が訪れることを「ウドゥルグのマントに覆われる」と言う。破壊神の支配の手が及び、さながら地上が死界と化したかのような季節。生命がかがやきを失い、死んだようになる季節なのだ。
 それゆえに冬は、破壊神を信仰し、その到来を待ち望む教団にとっては、もっとも聖なる季節である。日がもっとも短い……島では一日が夜に閉ざされてしまう冬至の日が一年のはじめの日であり、大祭のおこなわれる日なのは、そのためなのだ。
 とはいえ、教団も自然の猛威の前に平気でいられるわけではなかった。海が荒れるため、島外での暗殺活動は少なくなり、都市間の往来も夏ほど頻繁には行われない。あらゆる活動が、少なくとも表面的には停止したままで冬が過ぎていく。
 デューイはこの機会を見逃してはいなかった。翌年……ヘスクイル暦696年の春には、デューイは必要な知識をメンバーにあらかた伝え終わっていた。あとは、それぞれのメンバーを核として、協力者を増やしていけばよい。
 だが。
 デューイにとって気がかりな問題があった。
 確かに「ランクス」の主要メンバーを教団に対抗する方向に説得することはできた。だが、島中の民衆に対してそれが可能だとは到底思えない。教団を恐れ、破壊神を恐れ、殺されずに日々を生き延びることだけを考えている人々から、破壊神への恐れを取り除き、教団に抵抗する気にさせるための決め手。それが、デューイにはない。
 何か民衆をまとめあげるための象徴のようなものはないだろうか……デューイは長い間考えていたが、これといった案も浮かばない。
 そんな頃、一人の男がドリュキスの港に降り立った。


「本当にいいのかい? どうなっても知らないよ」
 レーギス大陸北部の町、リュテラシオンで会った「渡し屋」は、何度もそう言った。
 そのたびにランディ・フィルクス・エ・ノルージは笑って聞き流した。船に乗ってからも、後悔も躊躇も感じることはなかった。
 だが、ついに島が見えた時、背筋がすっと寒くなるような気がしたのを覚えている。なぜかはわからない。荒れた暗い海、もやの向こうにぼんやりと姿を現わしたヘスクイル島……。
 遠い昔、死と破壊をつかさどる破壊神が封印されたとされる北の島。ヘスクイル島がそのダーク・ヘヴンだと言われている。島には破壊神の復活を願う者達が集まって破壊神をあがめる教団を作っており、少しでも多くの血を流して破壊神の復活を早めようと、暗殺者を島外に派遣したり生贄を捧げたりしているというが、真相は知られていない。ごくの一部の商人と暗殺者を除いて島への出入りは禁止されているためだ。島について調査しようとした者もいないわけではなかったが、必ずといっていいほど、原因不明の死をとげる。
 危険な島だ。うかつに近づくものではない。だがそれを承知で、ランディはやって来たのだ。
 彼の求めるものが、そこにあるから。
「魔の島か……面白い」
 ランディは血の色に似た赤い瞳に不敵な笑みを浮かべ、身に帯びた片手剣に軽く触れる。
 ただの剣ではない。悪霊を宿らせることで力を発揮する魔剣。悪霊を制することのできない者が持てば、魔剣は逆に所持者を操り、殺戮者へと変えてしまう。
 ランディは魔剣をさらに強くするために、この島へとやってきた。強い魔剣とは、より強大な悪霊を宿した剣である。これまでも各地をめぐり、強い悪霊を探し求めてきた。悪霊を手に入れるために、随分と非道なこともしてきた。他人の苦痛も生命も、彼にとっては悪霊を手に入れるための「利用可能なもの」でしかなかった。一見柔和で親切そうな表情の陰で、彼の手はその瞳の色のごとく赤い血で染め上げられている。
 彼がそうやって悪霊を求めてきた理由はただ一つ――復讐である。彼の持つ剣と対なす魔剣の所有者。魔剣に操られて一族を皆殺しにした、ランディ自身の兄。
 兄への復讐のことしか、ランディの頭にはない。
 この島にも、より強力な悪霊を求めてやって来た。島の中でいかに凄惨な事態が起きていようとも、関知するつもりはなかった。

 ランディが降り立ったのは、特に変わったこともない、ごくありきたりの港だった。
(……いや)
 ランディは目を細める。
 港街にしては、活気がない。荷のあげおろしをしている男達も、漁網の手入れをする女達も、どこか表情に陰りが見える。
 北の暗く重い空。もやのかかった海。生気のない人々。
 まるで、モノトーンの世界に迷い込んでしまったかのような錯覚さえ覚える。その中で色彩があるとしたら、時折見かける仮面の男達ぐらいである。仮面は青かったり白かったりするが、どれも同じ形で、どうやら色によって身分が違うらしい。
 誰もが破壊神の信奉者とは限らない。人口の大半はごくふつうの市民で、教団の圧政に耐えている…そう教えてくれたのは、この島出身の友人だ。かつて大陸北部の島、ケレスで知り合った、元暗殺者。ランディに通常ならば立ち入りできないヘスクイル島への潜入方法を教えてくれた。
 友人は「黒猫亭」という酒場に住んでいるという。島内での流儀を知らない彼がうかつに出歩けば、すぐに島外の者だと知られてしまう。それだけは避けねばならない。そのために友人と会わねばならなかった。
「黒猫亭」はすぐに見つかった。準備中という札はかかっているが、ランディは構わずドアを開ける。
「あっ、まだ準備中なんで……って、ランディ! ほんとに来たんだ」
 聞き慣れた声が、ランディを迎える。
 店内にいたのは一人の青年だった。長い黒髪を後ろでひとつに束ね、作業着姿で脚立に乗って天井の装飾を修理しているところである。快活な黒い瞳と額のほくろが印象的だ。
 ダーク・ヘヴンの元暗殺者。名をガルト・ラディルンという。
 ガルトは数年間、ケレスに住んでいた。ランディが初めて彼に会った時、彼は記憶を失っており、自分の肩にある暗殺者の証の刺青が何かも覚えていなかった。手先の器用さを生かして洞窟探検のガイドをしていたところを、ランディが雇ったのである。記憶を取り戻した後は、ケレスの図書館で記号魔法の本を共通語に訳していた。
 同じケレスにいたこともあって、二人はしばしば顔を合わせた。ランディにしてみれば、いずれ悪霊を探すためにダーク・ヘヴンに潜入しようという下心もあったのだが。
 ダーク・ヘヴンの暗殺者。記号魔法の使い手で、毒薬作りにも長けている男。暗殺者は五歳の時から養成所に入れられ、暗殺の技術とともに破壊神への忠誠心を植えつけられる。そして十五歳で暗殺者となる頃には、破壊神復活を早めるために喜んで生命を奪うようになっていくという。だが、ガルトがそんな教育を受けて来たようには、とても見えなかった。
 悪く言えば常識人、よく言えばバランスの取れた性格をしている。いや、かえって世話好きでお人好しなぐらいだ。なによりダーク・ヘヴン出身者として奇妙だったのは、破壊神ウドゥルグの存在を恐れるどころか、信じてすらいないということだ。
 その理由をガルトは語らない。なぜ司祭に追われ、島を脱出したのかも、再び戻った理由は何なのかも。このあたりはランディにとっても少々気になることではあったが、わざわざ聞き出すほどのことでもない。ランディにとって一番の関心事は、あくまで兄への復讐であり、そのために悪霊を集めたいというだけのことだ。ガルトとは気が合ってはいるし、信頼できるとは思っているが、さほど大事な相手というわけでもない。
 だが、今のランディにはガルトの協力が必要だった。ガルトも世話好きの血が騒いだのか、出身や身分を詐称する手筈を整えてくれる。教団の取り締まり(それは大体において、反乱分子がロルンによって殺される、という形を取った)は強化されていたが、抜け道もないわけではなかったのである。
 もっとも、長年にわたって人民の支配システムをつくりあげてきた教団が、閉鎖された島の中で、本当に彼らを把握していなかったとは考えにくい。おそらく教団は、地下に潜伏した人々を一掃するだけの力を持っていたが、あえて放置していた。
 その理由は、さほど難しいものではない。人々の中にある「破壊神」への恐れである。破壊神は死の世界を支配しており、復活の折にはこの世さえも死界に変えてしまうと信じられていた。つまり人々は、死ねば破壊神の支配下に入ってしまうし、生きていてもいずれは同じことになるのだという、絶望的な見通しのもとに生きていた。彼らにできるのは、死後のことや破壊神の復活後のことをなるべく考えず、目の前のささやかな日常に必死でしがみつくことだけだったのである。破壊神の復活を願う教団にたてつくこともできぬほど、その恐れは根深く彼らの心に住みついていた。
 旅の間に様々な信仰を見て来たランディにとっては、彼らがなぜそれほどに恐れるのかあまり理解できないところもあるが、なんにせよ、島に満ちている破壊神への恐れは知っておかねばならない。ガルトもそう考えたらしく、破壊神信仰がどのように人々の生活に影を落としているか、どのように振る舞えば怪しまれないで済むのかといったことについて、彼らしい明快な語り口で説明してくれた。
「悪霊のいそうな所は?」
 ガルトの説明が一通り終わったところで、ランディは尋ねてみる。
「街道沿いに、西に向かって森が伸びてるんだが、そこならいてもおかしくないな。ロルンに殺されて放置された死体がごろごろしてるって言うからさ」
「殺されて、と言えば、教団って生贄を捧げるんだろう? その辺にはいないのか?」
「……」
 ガルトは少し考え込む。快活な表情に心なしか陰りが見えた。表情がはっきりしているガルトは、わずかな表情の変化でまるで違った雰囲気になる。目を伏せたその様子は、幾分憂いを含んでいるように感じられた。
「少なくとも、今のドリュキスにはいない。以前はうようよしてたがな」
「?」
「いずれにせよ、教団に近づくのは危険だからな。やめといた方がいいと思うぜ」
「そうだな」
 ランディはうなずく。確かに見知らぬ島で破壊神の信奉者と関わり合いになってもしかたがないし、まして禁を破って潜入した身としては、避けるにこしたことはない。ただ、生贄という言葉にガルトの表情がさっと陰ったのが気になった。

 ランディはその日から早速、悪霊探しの探索に乗り出した。「黒猫亭」を拠点に、少しずつ行動半径を広げていく。周囲に怪しまれぬよう、ガルトの用意してくれた偽の経歴…ゲインで生まれ、木材を運ぶ商人の護衛として何度かドリュキスに来るうちに、ドリュキスに住むようになった剣士…をさりげなく出会う人々に示しつつ、知人を増やすことも忘れない。いざという時にはどんなものでも利用する、冷酷な心を隠し持ったランディではあるが、それを人前で微塵も出さずに振る舞うことも得意である。一見したところ、彼はにこやかで人あたりのよい青年にしか見えなかった。幸い金髪の彼は、闇色の髪と瞳を持つガルトよりもよほど、ヘスクイル島人らしく見える。
 そうしてランディは、着々と情報を集めていった。そして、悪霊を集めるには必ずしもいい時期ではなかったことを知る。
 かつてこの島には屍鬼や悪霊が多く、人々は夜出歩くこともできなかった。だが、悪霊の数はここ二十年ほどの間にかなり減少し、屍鬼も昨年あたりから数を減らしている。
 だが、最近の屍鬼や悪霊の減少には、妙な噂がつきまとっていた。
 昨年から島の各地で、ウドゥルグと名乗る者が姿を現わしたと言われる事件が頻発していた。それも、教団が広め、誰もが信じていた破壊神とは、いささか異なる形で。破壊神は、各地の聖堂にある、長い髪に三つ目の男の像によく似た姿で登場する。そして、こともあろうに屍鬼を消し、人を救うのだという。
 破壊神は既に復活しているが、教団が言うように死と破壊の世界を作ろうとしているのではない……噂を鵜呑みにすれば、そういう結論が出てしまう。だが、幾世代にもわたって破壊神への恐怖を教え込まれてきた人々の、誰がそのようなことを信じられるというのだろう。屍鬼を存在させる力を持ち、死で世界を覆いつくすはずの破壊神が、そんなことをするはずがないのだから。
 それが本当に破壊神なのか、破壊神の名をかたる何者かなのかはわからない。だが、破壊神の名をかたるようなまねをして、教団やロルンや、まして本物の破壊神の手から逃れられるなどと思う者が、この島にいるはずはない。本物の破壊神だとすれば、教団はこれまで偽りによって人々に圧政をしいてきたことになる。なにより、破壊神とは何者なのか。復活しているのだとすれば、その目的は何なのか。
 誰にも見当がつかない。
 だから、島の人々はこの噂を、かなり困惑した表情で語る。
 ランディにとっては、破壊神が出ようと人々が困ろうとかまわないのだが、悪霊が減りつつあるということだけは気になる。早く悪霊を集めなければ、魔剣はいつになっても弱いままだ。それも、ただの悪霊では不足である。数百年単位の時を経て、現世と生者に対する憎しみだけが残った意識体。そんな強力な悪霊が、この島になら残っていると思ったのだが。たとえば「破壊神」がそういうものではないだろうか。
 それよりも、気になること。
 ランディは冷静に島内を観察していた。破壊神が何者かということを人々が疑う…それは、教団にとっては好ましくないことであるに違いなかった。破壊神への恐怖を背景に人々を支配してきた教団が、その支配の正当性を失った時、何が起きるのか。
(反乱、か)
 長年の圧政に耐えかねて蜂起する民衆の話は、旅の途中幾度も耳にした。この島でもいつか人々が立ち上がるだろう。
(まあ、泥沼になるな、この様子じゃ)
 いずれ反乱が起きるとしたら、圧倒的多数の民衆がはじめは優位に立つだろう。だが、支配されることに慣れ、戦う事を知らなかった彼らが暗殺者集団を擁した教団に勝てるようには、ランディには思えない。戦いが起きるとしたら、かなり長い間続くだろう。よほどの指導者が人々の統率をとらない限りは。そして、教団による虐殺とさらなる弾圧。長引けばそれだけ、悲惨な事態になるのは目に見えている。
 逆に、教団の言うような破壊者としての破壊神が復活すれば、それはそれで困ったことになる。ランディにはまだすべきことがあるのだ。こんな北の果ての島で、巻き添えになって死にたくはない。
 そうなる前にさっさと悪霊を集め、立ち去った方がよさそうだ。

 数日後のことである。
 ランディはドリュキスの北西部に広がる森に来ていた。町の人と雑談した時に入手した地図を片手に、鬱蒼と茂る木々を見渡す。
「ふん。たまには大物に当たりたいものだがな」
 島について2旬ばかり経ったが、戦果は思わしくない。街の周辺には大して力のある悪霊がいないのだ。
 初めて島を見た時、淀んだまがまがしい気配を感じた。悪霊の好む場の気配だ。それなのに島に着いてみれば、雑魚ばかりである。そんなはずはないという思いから、ランディはかなり苛立っていた。
 夜の森は危険である。悪霊以前に、夜行性の獣が徘徊しているからだ。だが、ランディも剣を持つ者、それも、最強の魔剣を持つことを許された者である。獣ごときを恐れてはいられない。
 細い道をゆっくりと、ランディは進んで行く。
(このあたりは……気が淀んでいるな)
 ねっとりとまとわりつくような空気。微かに腐臭のようなものが鼻をつく。
(!)
 ランディの進む先は、木々が途切れ、ちょっとした広場になっているらしい。
 そこに、何かがいる。
 気配を消し、木の陰から少しだけ顔を出してみる。
(悪霊…いや、屍鬼だ)
 ランディのいる道はそこで途切れ、ちょっとした崖になっている。見下ろしたところにさして広くはない空間がある。そこに、屍鬼が集結していた。
 一体や二体ではない。十数体の屍鬼がひしめき合っている。月あかりの中、屍鬼達は一言も発することはない。ただ、狭いところでぶつかり合うたびに、肉がぼろぼろと剥がれ落ち、体液が滴り落ちる。悪臭がさほど耐えがたいものではないのは、ランディが風上に立っているからだろう。
 だが、なぜこんなに多くの屍鬼が集結しているのだろう。まるで待機中の軍隊のように、隊列を組んで。
 不意に。
 背後に気配を感じた。
 ランディは魔剣に手をかけ、すばやく振り向き……そして、目を丸くする。
 はじめて見る少年が、そこにいた。人差し指を唇に当て、静かにするようにと合図している。剣を背負ってはいるが、抜く気はないらしい。
 二人はしばらく動かなかった。
 どうやら、屍鬼の近くで騒ぐなということのようだ……そう悟ったランディが魔剣から手を離すと、少年は少し安心したような表情を見せ、向きを変えて歩き出す。ランディも後に続いた。
 しばらく歩いて、少年は立ち止まった。
「このあたりまで来れば大丈夫でしょう」
「君は?」
 見知らぬ相手に対しては、どんなに警戒すべき相手であっても、一応は物腰柔らかに接してみる。それがランディのやり方だ。
「失礼しました。僕はデューイといいます。あの屍鬼を見張っていました。あなたは……ランディ・フィルクス・エ・ノルージさんでしょう?」
「なぜ、俺の名を?」
「ドリュキスでガルトと関わりのある人なら、あなたに関心を持ちます。島外での彼を知っている人だということで」
「……」
 表情には出さないが、ランディは当惑気味だった。数ヵ月前に島に戻ったばかりのガルトが、ドリュキスでどんな地位を占めているのかなど、あまり考えていなかったからである。予想以上にガルトは、ドリュキスで人々と深いつながりを持っているらしい。
「ご安心下さい」
 ランディの当惑を見透かしたかのように、デューイと名乗る少年は笑った。
「あなたの邪魔はしませんし、ドリュキスでガルトの過去を知る人間はそう多くはありません。僕とベイリーさんと……あと数人でしょう」
(ふ……ん、まあいい) 
 自分の知らないところで、ガルト達が動いている。そこに引っ掛かりがないわけではなかったが、今は聞かずにすませる事にした。ランディには、そんなことよりも気になることがある。
「あの屍鬼……前からああやって集まっているんですか?」
「ええ」
 デューイはうなずく。年のころは十七、八歳といったところだろうか。年の割には丁寧でもの静かな口調である。
「あの屍鬼達は……ロルンの屍鬼部隊。かつての暗殺者達のなれの果てなんです」
「……驚いたな」
 珍しく正直な感想を、ランディは口にした。
「ロルンは屍鬼まで掌握しているわけですか」
「ここ数年ですけれどね。暗殺者の刻印に魔法がかけられ、死ぬと自動的に発動するようになっているんです。よみがえった死人は屍鬼となり、司祭の命令のみを聞く……知能も技術も生前のままにね」
 厄介なことになった、と、ランディは思う。屍鬼をそのまま宝玉に封じることはできない。一度肉体から解き放ち、悪霊と化してから手に入れるつもりだったのだが、屍鬼をロルンが支配しているとなると、そう簡単にはいかないようだ。下手をすれば、ロルンを敵にまわすことになる。
 そんな計算を微塵も表情に出さず、ランディは重ねて問う。
「デューイさんは、なぜ屍鬼の見張りを?」
「デューイでいいですよ。屍鬼がドリュキスに入って来ると危険ですから」
 なぜそんなことを……と言いかけてやめる。ある考えがランディの頭にひらめいたからだ。ガルトが島から脱出し、再び戻って来たこと。それはガルトにとって、不用意に広まれば致命的な結果を招きかねない情報だ。ベイリーにしろこのデューイにしろ、偶然知ったのではないはずだ。
 彼らは恐らく、ひとつの目的のもとに結集している。ロルンの支配を拒み続けていたガルトがからんでいるとなると、容易に想像がつく。
「ロルンの動向を探っている、というわけじゃないんですか?」
「さあ」
 誘いかける言葉を吐いてみたが、意に反して、デューイは平然と受け流す。
「以前のドリュキスは、夜などとても歩けたものではなかったそうです。屍鬼があちこちにいて……」
「じゃあ、最近屍鬼が減っているというのは、君達が退治したから?」
「そうですね……退治、と言ってしまうのは抵抗がありますが」
「どういうことですか?」
 ランディは首をかしげる。デューイは長いまつ毛を伏せ、つぶやくように答えた。
「彼らの身体の腐敗は止まらない。命はつなぎとめられているけれど、時を止めることはできないから。それはそれで、随分と苦しいことだと思うんですよ。死ぬことも生きることもできずに……」
 ふと、ランディの脳裏に浮かんだ名がある。
(ミルカ)
 婚約者だった彼女は、生きながら宝玉に変えられた。ひとりの人間を、わずか拳大の大きさにまで圧縮する秘法。想像を絶する苦痛を受けつつも、死ぬことはできない。果てしない苦痛と理不尽な運命への憎しみを少しでも和らげようと、宝玉と化した人間は悪霊を呼び込むのだ。生と死のはざまの苦しみを分かち合える相手として。
 屍鬼達の苦しみは、ミルカの苦痛に通じるのだろうか。
 が。
 ランディはもとから、ミルカ以外のあまたの人間の苦しみを思いやる気などない。苦しみなど、誰もがこうむるものだ。デューイのように見知らぬ屍鬼を苦しみから救ってやったからとて、魔剣が強くなるわけでもない。
 むしろランディにとって気になることがある。
「ガルトも確か、屍鬼や悪霊を浄化することができたはずですが、やはり君と同じように……?」
「さあ……僕は自分で勝手にやっているだけですけど」
 それにしては、屍鬼の減り方が激しい。屍鬼部隊以外の屍鬼が一掃されるのも、時間の問題だろう。たった一人でできることには、到底思えない。
 だが、ランディはそれ以上問うことはしなかった。初対面のせいか、デューイはかなりこちらを警戒している。話すことが真実とは限らないのだ。ランディも島外出身という弱みがある以上、デューイに手のうちを見せたくはなかった。
 とはいえ、島の中では予想外の事態が動いているようだった。それを無関係なこととして傍観しているわけにもいかないようである。

「ガルト、おまえ……何を企んでる?」
 翌日、二人きりの時を見はからって、ランディはそう切り出した。
 ガルトは闇色の目をぱちくりさせる。
「なんだよ、いきなり」
「この島……最近かなり変わって来ているんじゃないか? 屍鬼が減っていることといい、破壊神の噂といい。そんな時期に、一度出たおまえがここに戻ってきているのは偶然とは思えない」
「……」
 ガルトはしばらく無言で何かを考えていた。ランディはさらに言葉をつぐ。
「おまえの狙いは、今の支配体制を覆すこと……そのためには、破壊神を民衆が恐れていてはまずい。だから屍鬼を退治する一方で、破壊神が民衆の敵ではないかのような噂をばらまく。さらに協力者をつのって反乱の基盤を作ろうとしている……どの程度おまえがやっているのかはわからんが、少なくともかなり深くかかわっている……そうだろう?」
「……そんなことぐらい、おまえならとっくにわかってたんじゃないのか?」
 ガルトは切りかえす。ケレスに住んでいた頃から、二人は他人には決して見せない互いの性格を知り抜いていた。物腰やわらかな態度とは裏腹に、目的のためならば平気で相手を裏切るランディと、快活で無防備なほどにお人好しなのに、時折見せる不安定な精神が、過去になにか大きな傷を負ったことをうかがわせるガルト。どちらも少ない手がかりから正解を導き出す推理力をもっている点は共通している。互いに相手のすべてを知っているわけではないし、深く踏み込むつもりはない。だからこそうまくやっていけている。だが、利害がぶつかるような時、二人の会話はしばしば、腹のさぐり合いになるのだ。
 今が、まさにその時だった。
「まあな」
 ランディは認める。デューイとの会話で確信したことではあったが、以前から、ガルトが一度脱出した島に戻るなどと言い出した理由は現体制の転覆にあるのではないかとにらんでいた。わざわざガルトに確かめる気になったのは、それが自分の利害にかかわって来る問題にほかならないからだ。
「おまえは俺が悪霊を集めるために、教団側につくかも知れないと思っていた。だから今まで黙っていたんじゃないか?」
「ああ」
 あっさりと、ガルトはうなずく。いつ裏切るかわからないと言っているようなものだが、ランディは平然と聞き流した。
「でも、どちらの側につくにしろ、俺から情報を聞きだそうとすると思ってたからな。それを待ってた」
「なぜだ?」
「……手を貸してもらえないか?」
 予想していた問いだ。
 ランディは、眉ひとつ動かさずに答える。恐らく、ガルトも予想していたであろう答えを。
「それで俺に利点があるのか?」
「ああ」
 ガルトは声を落とし、続ける。
「どんな悪霊よりも強い力……欲しくないか?」
「強い力?」
「『ウドゥルグ』の力」
「!」
 ランディは思わず、身を乗り出しそうになるのをぐっとこらえた。
「……おまえは、破壊神の正体を知ってるのか?」
 ガルトはうなずく。闇色の瞳が、意味ありげにきらめいた。
「教えてやるよ。きっと、おまえの力になる」


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