魔の島のシニフィエ

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第四章 革命

3 レブリムの演説

 ヘスクイル島で反乱を企て、処刑された者はさほど多くはない。反逆を理由とした処刑自体は、司祭への暴言や生贄供出の拒否などの名目でしばしば行われていたが、組織的な反乱計画によるものは少なく、記録をたどれば100年から150年に1人出る程度である。また反乱が実際に起きたことは一度もなかった。教団の圧政を考えれば、これは少なすぎると考えてよい。
 かといって人々が教団を受け入れていたわけではない。教団に直接反感を表さないものの、子をロルンに入れて準信徒の地位を得た家族に対する近隣の住民の態度は一変する。教団への根強い反感が、最も立場の弱い信徒に向けて放たれるのである。
 にもかかわらず、反乱が起きていない理由は二つ。一つは反乱を企てる者の多くがロルンによって未然に暗殺されること、もうひとつは死後の世界を支配する破壊神の存在である。教団に反旗を翻し、死後に永劫の苦しみを受けるぐらいなら、黙って堪えていた方がましなのだ。
 デューイの名は反乱の気運とともに島全体に広がっていた。これまでの反乱の企てとは比較にならぬほどに、各地域の反乱分子を組織化し、統制の取れた集団に育て上げた功労者として。だが教団に抑圧されてきた人々の多くは、それでもやはり破壊神の前ではどうすることもできないのさ、とあきらめの表情でつぶやく。組織に加わっていても、自分達が本当に反乱することなどないだろうと、誰もが思う。
 蜂起などすれば……そして万が一成功してしまったら、破壊神は自分達を決して許しはしないだろうから。

 8月14日、レブリム。
 夜明け前……とでも言うべき時刻だが、既にあたりは明るい。北の果てに位置するこの島では、冬の間ほとんど夜の闇に閉ざされる一方で、夏に太陽が姿を隠す時間はほんのわずかしかないのである。
 とはいえ、人の通りはまだほとんど見られない。
 そんなレブリムの、大聖堂近く。狭い路地に、数人の男女が集まっていた。「ランクス」のメンバーである。
「ここからは、僕一人で行くよ」
 デューイは仲間達を見渡す。
「あとは打ちあわせた通りに。みんな、頼むよ」
 たぶん、仲間達と話すのも、これが最後だ。彼らもそれを承知しているためか、表情がやや重い。
「デューイ」
 背を向けて歩き出したデューイを呼び止めたのはランディである。
「おまえは、おまえが決めたことをやり遂げろ。決して迷うなよ」
 デューイがうなずくのを待って、ランディは続ける。
「……ガルトからの伝言だ」
 瞬間、デューイの眼にはっとしたような表情が浮かぶ。だが彼は無言のまま再び背を向け、いくぶん早足で立ち去って行った。
「……よし」
 デューイの姿が消えるまで見送ってから、ランディはてきぱきを指示を出す。
「アリスとベイリーは宿に待機中の仲間に集結場所を伝えろ。ライーザとレックスは広場周辺の警備ポイントに仕掛けを。フィルは処刑台設営現場に潜入して、魔法の準備を頼む」
「でも……よかったのかな」
 デューイの去った方角から目を離そうとしないアリスの肩を、ベイリーがぽんと叩く。
「こういうのは、命がけの方がいいのさ」
「嫌な言い方だね」
 アリスは苦笑混じりにつぶやいた。
「デューイってば、あんなに必死なのに」
「だからこそ、だぜ。デューイの無鉄砲を無駄にしないようにしてるんじゃないか」
「……もう行った方がいい。固まっていると怪しまれるぞ」
 ランディが二人の会話を遮る。
 やがて、メンバーはそれぞれの役目を果たすべく、レブリムの街に消えて行った。

 その日の夕方、教団から全都市に公布が出された。
 ウドゥルグと教団に対する反乱を企て、民衆を扇動した罪により、ラスデリオン・デューイ・バートレットを火刑に処す。処刑の日時は8月16日正午、場所はレブリム聖堂前広場とする。
 公布には、そう記されていた。

 8月16日。正午。
「時間だ。出ろ」
 下級司祭の声とともに、デューイは処刑場に引き出された。処刑台は広場の中央に作られており、大勢の人々が取り囲むようにして集まっている。聖堂から処刑台までの通路の両側にも人々がつめかけていた。その間をデューイは、両手を縛られ、執行人に付き添われて歩いていく。
 執行人は黒い覆面で顔を覆い、ウドゥルグのシンボルが背に描かれた黒衣を身にまとっていた。かつてデューイも教団の捧げ人として、この黒衣を着ていたことがある。覆面の下で苦悩し、意味のない殺戮に手を貸していた時期。
 泣き叫ぶ幼な子の声が、うるんだ動物の眼が、今も記憶に残っている。
 自分自身が殺した者達。教団の歪んだ支配のもたらす悲劇。
(やめさせるんだ。必ず)
 デューイは顔を上げ、きっと前を見据えて歩む。
 つめかけた人々の中から、ざわざわと声が聞こえてきた。
「あんなに若い子だったの?」
「かわいそうに……」
 それらの声はすぐにしっという制止にかき消され、聞こえなくなる。 
 処刑台はまるで円形の舞台であるかのようにしつらえられている。その中央にやぐらが高々と組まれ、一番上には人が二人ほど乗ることができるようになっている。デューイは自分でやぐらのてっぺんにまで上がらねばならない。その後、執行人がデューイをその場にしばりつけ、下に降りてやぐらごと点火するのだ。
 処刑台の周囲には人が近づけないようにロルンが警備をしている。司祭の姿が見あたらないのは、聖堂からよく見えるようになっているためであろう。
(みんな、うまくやってくれてるのかな)
 デューイがやぐらの上に登りきった瞬間に、フィルが呪縛の魔法を放つ。執行人と警備のロルンが呪縛にかかっている数分間だけ、デューイは自由になれるのだ。フィルの魔法がすべてを左右すると言ってもよい。
 信じるしかない。デューイはデューイのできることをするだけなのだから。
「おまえは、おまえが決めたことをやり遂げろ。決して迷うなよ」
 ランディに伝えられた、ガルトからの伝言。
 迷っている暇はない。自分の残された時間はわずかしかないのだから。
 処刑台の上、執行人が無言でやぐらを指し示す。手を前で縛られた状態でやぐらに登るのは骨が折れるが、デューイは素直に従った。燃えやすいようにとかけられた油の匂いが鼻をつく。
 死へ向かう歩みを、デューイは一歩ずつ進んで行く。
 人々が息をつめて見守る中、デューイはやぐらの上に立つ。
 その時。
 短い叫び声があがった。
 描いたシンボルの力を解き放つ声。フィルが魔法を発動した声である。
 呪縛は成功したらしい。デューイの立ち位置からは下を見ることはできないが、執行人が上がって来る気配はない。
(頼む、話し終わるまでもってくれ!)
 デューイは息を吸いこんだ。
 ここは舞台だ。
 デューイのために設けられた、最後の舞台。
「みなさん」
 よく通る、だが静かな調子で、デューイは語り始めた。
「刑を受ける前に伝えたいことがあります。教団がずっと、ウドゥルグという存在について嘘をつき続けてきたことです」
 少し間を置き、人々の間に驚きが広がっていくのを見ながら、デューイは続けた。
「僕はロルンにいて、教団が隠す古い文書を見つけました。ウドゥルグは破壊を望む神ではありません。命あるものを見守り、命の終わりには安らかな眠りをもたらす存在なのです。封印などされていないし、生贄も最初から必要なかったんです。……思い出してください。あなたがたの中に、教団の言うのとはまったく違う「ウドゥルグ」に出会ったことのある人がいるはず……僕も、その一人です」
 語りながらデューイははっとする。
 ガルトは自ら、生命を守る存在を演じていたのか? ウドゥルグは本当は記号に過ぎないと誰よりもよく知っているはずの彼が、わざわざ破壊神の格好をして島内のあちこちに出没していた……まるで生命の神ウドゥルグが存在するかのように……のは、なぜだったのだろう?
 だが、それを聞くことはもうできない。
 デューイは言葉をついだ。
「僕はまもなく処刑されるでしょう。破壊神を冒涜し、死界で永劫に苦しむのだと、教団は言うのでしょう。それでも僕は今、まったく恐れていません。ウドゥルグを冒涜し、悲しませているのは、まさに教団の方だということを、僕は知っているからです」
 ゆるぎない口調。
 一片の迷いも持たぬかのように、デューイは話すことができた。自分の言葉が人の心を動かす力を持つことを、彼は知っていた。
 自分が死んでも、言葉は消えない。破壊神の存在を疑い、教団の支配に疑問を抱くこと。人々がそれを受け入れれば、教団の支配は崩れていくだろう。
 それを見届けられないことだけが残念だと、デューイは思う。
 あたりは水を打ったように静まり返っていた。かすかにすすり泣くような声が聞こえるのみである。
 言葉は、届いたのだろうか。
 かすかにやぐらが振動する。下から何者かが登ってくる気配がした。呪縛の解けた執行人だろう。
 時間切れだ。だが、語ることは語りつくした。もう思い残すことはない。
 執行人がやぐらを登りつめ、無言で剣を抜きはなつ。
 デューイは目を閉じた。
 剣をふりかざす気配がする。
 その時。
「やめてーっ!」
 群れ集う人々の中から悲鳴があがった。
 それがきっかけとなって、広場は堰を切ったように湧きかえる。
「そ……そうだ、もうやめてくれ、こんなこと!」
「処刑を中止しろ!」
 教団への抗議の声がそこかしこから聞こえる。今まで誰もが言えずに胸に隠し持っていた言葉が、いっせいにはきだされている。
 デューイはおのれの上にかざされた刃を忘れ、思わず目を開ける。
 信じられない光景が広がっていた。
 聖堂から慌てたように駆け出して来る司祭達にとびかかり、組み伏せる人々。
 抗議の声だけでなく、人々は確実に抵抗を身体で示しはじめている。
「みんな……」
 思わず感慨をこめてデューイはつぶやいた。それに答えるように、
「……まあ、こういうことだ」
 耳もとで聞き慣れた声がした。
 恐る恐る振り返ると、執行人が覆面を取って立っていた。
 血の色をした眼、赤みがかった金髪。
 ランディ・フィルクス・エ・ノルージの顔がそこにあった。
「ランディ……だったのか」
「最初からだ。おまえには黙っていたが、助け出すのも計画のうちだった」
 ランディはロルンの服を脱ぎ、やぐらの上から無造作に投げ捨てる。それからデューイの手を縛る縄を、手にした剣でぶつりと断ち切る。デューイが自由になった両手を上げてみせると、騒然となっている広場の一角からひときわ高い歓声があがった。
「レブリムの仲間達が、聖堂を囲んでる。……どうする?」
「どうするって……」
「この事態を利用しなければ、革命なんてのは無理だろう?」
「そうか……そうだね」
 デューイはつぶやき、広場を埋めつくす群衆に向かう。
「みなさん!」
 叫び声がどこまで響いたのかは定かではない。だがデューイは精一杯の声を張り上げた。
「僕はこれから聖堂に行き、教皇と司祭をとりおさえます。勇気ある人々よ、僕についてきて下さい!」
 ざわめく人々にその言葉がどこまで届いたのかはわからない。だが、処刑台の近くで上がった歓声は次第に広がっていき、やがて広場全体がデューイの名を呼ぶ。
 熱狂の中、おのれのことばが人々をゆり動かしたことへの確かな実感を、デューイはかみしめていた。


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