魔の島のシニフィエ

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第5章 魔の島のシニフィエ

1 封鎖

 8月20日。
 レブリムで民衆が蜂起し、聖堂から逃げようとしていた司祭達を拘束してから4日が過ぎていた。蜂起の知らせは各地に及び、かねてから組織化を進めていた反乱勢力を中心とした人々が次々と教団に反旗を翻しつつある。ゲインの聖堂も制圧が完了したとの連絡が入ってきたばかりだ。
 ラスデリオン・デューイ・バートレットは、レブリムで蜂起の事後処理にあたっていた。やらねばならぬことはあまりに多い。崩壊した教団のかわりにこの島をまとめあげていく秩序を作ること、教団の関係者を捕らえること、そして、一月もすればドリュキスに入港するであろう、リュテラシオンから帰還するロルンへの対策……。
 当分レブリムから離れられそうにはない。
(ガルトは…どうしているだろう)
 ドリュキスに無理矢理残らせたガルトが、デューイの演説のことをどう思ったかが、デューイにとってはひどく気がかりだった。だが、確かめにドリュキスへ行くことはできない。レブリムの有力者達と暫定政権の素案をまとめる作業をしている間も、デューイの頭からそのことが離れることはなかった。
「デューイ、ドリュキスから連絡だ」
 幾度にもわたる会合が一段落し、久しぶりの休憩を取っていたデューイに、ランディが声をかける。
 ランディに渡されたのは、「ランクス」前リーダーのジュール・デルガスルーアからの書状だった。レブリムでの蜂起の連絡を受け、ドリュキスでも市民が聖堂を取り囲み、上級司祭2名、中級司祭9名、下級司祭17名を拘束したこと、ロルンの抵抗は事前にガルトが封じていた上、教皇の死に虚脱状態となった司祭や信徒はほとんど無抵抗だったため、死者・負傷者はどちらの側にもほとんど出なかったこと、当面はジュールが町の代表権を託され、周囲の村をまとめつつ、レブリムからの連絡を待つこと。書状にはそれらの様子が子細に書かれていた。
「ドリュキスに向かったはずのロルンの部隊は?」
 捕らえた司祭達から、ドリュキスにロルンを集結させる予定であったことを聞いている。
「それなんだが……どこにもそんな連中は見あたらないらしい。15日の時点で、ヘルヴァムあたりを通過しているはずなんだが」
 15日といえば、蜂起前のことである。彼らがとり立てて隠密裡に行動する必要はなかったはずだ。
「ロルンが……消えた?」
「奴等が自分の判断で動いているとは思えん。誰か、指揮をとっているんじゃないか?」
「そのことなんだけど……」
 デューイは書状の中の、捕らえられた司祭の名前が書かれている箇所を示してみせる。
「上級司祭は全部で8人いるはずなんだ。でも一人だけ行方がわからない」
「……あいつか?」
「うん。バルベクト・ユジーヌ。彼はロルンを統括していた」
 蜂起の日、聖堂の地下で教皇の死体が発見された。斬られ方からロルンによるものと思われたが、ロルンが教団の頂点に立つ教皇を殺すなど、通常は考えられない。
 死体の傍らに投げ捨てられていた赤い仮面から、上級司祭の誰かが教皇を裏切り、秘密の抜け穴を通って逃走したものと思われた。
 市民が聖堂に突入して、あたりは混乱をきわめていたはずだ。そんな中で自ら教団に幕を下ろすような真似をして逃亡できる上級司祭など、ユジーヌの他には考えられない。
 だが、ひとつ大きな謎が残る。
「ユジーヌがロルンを動かして逃げるのはわかる。でも、蜂起前に消えたロルンはどういうことなんだろう?」
「ひとつ、考えられるのは」
 ランディが腕組みをして言った。
「バルベクト・ユジーヌは俺達が処刑に乗じて蜂起することを知っていた。そして、その後のことを考えて、ドリュキスに向かわせるはずのロルンを別の場所に動かした……」
「計画が洩れていたってこと?」
「いや、わからんが……むしろ奴の方が蜂起の機会を提供してくれたような気がする」
(ユジーヌがいるにしては平凡なんだ)
 ガルトもそんなことを言っていたことを、デューイは思い出す。
「だけど……なんのために? 教団の権力者がそんな…」
「さあな。いずれにせよ、一番厄介な奴がまだ残ってるってことは確かだ」
「うん……」
 デューイはうなずく。
 すべてはまだ、始まったばかりなのだ。
「それから、これはドリュキスから来た奴に聞いたんだが……」
 ランディはやや言いにくそうに続ける。
「ガルトが消えた。ドリュキスの聖堂を制圧したあと、誰もあいつの姿を見ていないそうだ」
「!」
 デューイは言葉を失う。
 もとから島内を気ままに動きまわる彼だったが、この時期にドリュキスを離れることは考えにくい。一体何があったというのか。
「そう……」
「デューイ、あいつはあいつでなにか考えてるはずだ。あまり気にするな」
「……会合に行かなきゃ。また続報が入ったら教えてくれ」
 やっとのことでそれだけ言うと、デューイは力なく席を立つ。
 一刻も早くドリュキスに戻りたかったのに。
 いつになったら、彼に謝ることができるのだろう……。
 その時である。 
「バートレット君、大変なことが起こった」
 駆けこんできたのは、レブリムの反乱組織の指揮を取っていたハロルドという壮年の男である。
「どうしたんです?」
 それは、驚くべき情報だった。
「落ち着いて聞いてくれ。ゲインが封鎖された」
「封鎖?」
「レブリムで決められたことに従う義理はないと。そして…バートレット君、君を教団になりかわって島を手に入れようとする謀略者だと非難している」
「なんですって?」
 人々を教団の圧政から解き放ちたかった。そしてその後に平和に暮らして行ける道筋を作りたかった。
 島を支配することなど、考えたこともない。
「僕はそんな……」
「もちろんだ。君の命がけの言葉が我々レブリム市民を動かした。君がそんな下心を持っていないことは、我々がよく知っている」
「だが、ゲインの連中はおまえの演説を聞いていない。レブリムで起きたことを見ていたわけでもない。こことは温度差がありすぎたのかもな」
 ランディが冷静に分析する。
「だけど……だからこそ、前々から準備を進めていたのに……」
 デューイは唇を噛む。反乱組織をまとめ上げることは、どの町でもやってきたことのはずだった。ゲインを軽んじたつもりはない。実際、新しい国家としての方針を決めるための会議に代表者の出席を求めていた、まさにその最中だった。
 だが、なぜと問う暇はない。
 これから新たな体制を築いていく時期に、ゲインをそのままにしておくことはできない。
 デューイは、決意を固めた。
「ゲインに行ってきます。僕が説得しなければ、恐らく信じてはもらえませんから」
「そうするしかないだろうな」
 ランディが賛意を示す。ハロルドもうなずいた。
「この島を住みやすいところにしたいという思いは、我々も君と同じだ。君の留守中も混乱が起きないよう、協力させてもらうよ」
「ありがとうございます」
 デューイは頭を下げ、会合でのいくつかの懸案事項に関する指示を出し、足早に部屋を出て行く。
 逃亡したユジーヌ、姿を消したガルト……気にかかる様々なことをおさえて、彼はひたすらゲインへと馬を走らせた。


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