4 迷うことなく語れ
一月が過ぎた。
「ゲインの奇跡」以来、デューイはレブリムにとどまって、新しい「ヘスクイル教」の教義を明文化しつつ、今後の島のあり方について各都市の代表者と話し合う毎日を送っていた。
教団の残存勢力であったリュテラシオンからの帰還者、そして革命の前に姿を消したロルン達に関する問題は、意外なことに、彼らが自ら投降してきたことで解決を見ている。ロルンはもともと、子ども達を強制的に暗殺者に仕立て上げる機関であり、しかも暗殺者がロルンでいることへの見返りはほとんどなかった。そのため、教団に疑問を抱きつつも家族にまで及ぶと言われる粛清と破壊神を恐れ、表面上従っていた者達は予想以上に多かった。
だが、彼らが未だ破壊神を崇める者達に反旗を翻し、彼らを拘束した上で投降したきっかけは、彼らの前に現われた「生命の神ウドゥルグ」であったという。
デューイの知らないところで、ゲインに続く奇跡が起きていた。ゲインのように後まで残る奇跡があったわけではなく、目撃者もロルンの暗殺者達であったために、あまり公にはなっていないが、そのおかげで無用な血が流されずに済んだことは確かである。
無論、それがガルトによるものだということはわかっていた。だが、多忙ゆえにほとんど身動きが取れないデューイには、今ガルトがどこにいて何をしているのかを知るすべはない。
もしかすると彼はもう、どこかへ行ってしまったのかも知れない……そんな風にすら思える。
そんなある日のこと、ドリュキスに戻っていたランディから手紙が来た。
そろそろ大陸に帰るつもりだ、と。
9月末、ドリュキス。
桟橋には船が停泊し、商人風の人々が乗りこんでいる。
島はまだ、正式な外交を諸外国と結んではいない。今は島内の立て直しに精一杯で、外交までゆとりがないのだ。正式に大陸の国々と外交を結ぶのは冬が明けてからになるだろう。だが、民間の商船が停泊することの可能な港はいくつかある。出港準備中のこの船は、恐らく国交樹立前の最後の商船となるだろう。
「ランディ!」
デューイの声に、埠頭でアリス達と話しこんでいたランディが振り返る。
「デューイ、来たのか」
「大丈夫なの? なんだか忙しいんでしょ?」
アリスの問いに、デューイは少し笑って見せる。
「一応名目はあるんだ。ここで捕まった司祭達の様子を見て来るってことでね」
ロルンの暗殺者達は、殺戮に疑問を抱いていた者が多かったせいか、殺すこと自体に楽しみを見い出してしまった一部の者達を除けば、新しい信仰を受け入れようという姿勢を見せていた。だが、問題はむしろ司祭達にある。生まれた時から破壊神を信じ、その中で特権を与えられていた彼らは、すっかり変貌してしまった周囲の環境にとまどい、中には精神を病む者もいるという。レブリムの司祭達についてはデューイも気にかけてきたが、ドリュキスにまでなかなか足を伸ばせなかったので気になっていたのである。
だが今は、ランディの見送りの時である。
「ランディ、今までいろいろありがとう。なんてお礼言っていいのか……」
「気にするな。意外に面白かったし、礼ならあいつからもらうことになってる」
ランディはそう言って、黒猫亭のあるあたりの一角を指差した。
「あいつって? ……あっ!」
旅の荷物を手にこちらへと駆けて来る、闇色の髪の青年。
随分とひさしぶりに見るガルトの姿が、そこにあった。
「ガルト!」
思わず駆け寄る。
「よう、デューイ」
何も変わってなどいないような、快活な返事が返って来る。
ガルトは何も変わっていないように見える。ただ一つ、短く切られた髪を除いて。
なんと言ってよいか、言葉が見つからない。会って聞きたいことも、言いたいこともいろいろとあったはずなのに、どうしても口に出て来なかった。
ガルトはたったの数日会っていなかっただけのような口調で話しかけてくる。
「忙しいみたいだけど、元気そうだな」
「う、うん。あの……」
ゲインの奇跡の礼を言ったものか、それとも尋ねたものか。あるいは謝るべきなのか。
デューイが迷っていると、先にガルトが切り出した。
「もうおまえを手伝ってやれないからさ、あとはしっかりやれよ」
髪を切ったから、ということか、ガルトは短くなった髪の先をつまんでみせる。そのおかげでやっと、デューイも素直に礼を言うことができた。
「ううん、あの時はどうもありがとう」
「なぁに」
ガルトのまったく変わらない態度は、デューイのわだかまりや迷いを拭い去っていく。そのままの口調で、ガルトは続けた。
「それと、俺、ランディと一緒に行くから」
「えっ……」
あまりにもあっさりとした宣言に、デューイは思わず顔を上げる。
「どうして……」
「最初から、この島が落ち着いたらランディに力を貸す約束だったからな。それにこの島にいると、つい神様ごっこしたくなる」
冗談に紛らわせてはいるが、その言葉の重みをデューイは理解することができた。
ガルトは恐らく最初から「生命の神」を演じてきたのだ。島の人々がこの先によりよく生きることができるように。本来の意味を云々することが、日々の生活を生きる人々にとって救いにならないことに、最初から彼は気づいていた。ただ、デューイが気づいていなかっただけなのだ。
「でも……」
「いいか? 俺は神なんかじゃない。ただ、その振りをして信じさせる姿と力を持ってるだけだ。でも、おまえはいつまでもそんなものに頼っていちゃいけない」
「わかってる。わかってるけど……」
不安なんだ。
君に救われ、支えられて、今の僕がいる。
僕への称賛はすべて、君の力に守られた僕へのものだ。
君がいないこの島で、僕は「神に選ばれし者」を演じ続けることができるのか?
様々な思いが、だが、言葉にならない。
デューイの様子に、ガルトは苦笑した。
「なあ、ウドゥルグって、そもそもなんだった?」
「え?」
デューイは意外な問いに驚きつつ即答する。
「生命の流れる摂理を示す記号」
「そ。だからさ、生きてるものはなんだって、その記号が示している摂理の中にいるんだ。ってことは……」
ガルトはデューイの額をつんとこづいてみせる。
「誰の中にも……おまえの中にも、ウドゥルグの力は流れてる」
「生きている……から?」
「そう。……不安になったら、自分の中のその力に聞け。そしておまえの感じた『ウドゥルグ』を語れ。迷う必要なんかない」
語れ、迷うな。
ガルトが繰り返し、デューイに言って来た言葉。
その意味を今、やっと聞くことができた気がする。
確かに「生命の神ウドゥルグ」は「破壊神ウドゥルグ」と同様、「ウドゥルグ」という記号が示すものそのものではない。だが、確実にその一面を言い当ててはいるのだ。そしてガルトは、それを――人々が「ウドゥルグ」の一面しか見ようとしないことを――許していた。恐らく、彼がこの島に戻ってきた時から。
「ありがとう」
精一杯の思いを込めて、デューイは言う。
「僕は……ガルト、君を忘れたりしない。僕がこの先、どんな『ウドゥルグ』を説いていこうとも」
引き止めることはできない。おそらく、もう会うこともない…そんな予感がする。
そしてデューイは「生命の神ウドゥルグ」の名のもとにこの島を導いて行く。本来のウドゥルグの力とは別のところで、彼は「神」をかたちづくっていくのだ。
もう、戻れないのだから。
だがそれでも、デューイは決して忘れない。
ガルトという名の「人間」と出会ったことを。彼との出会いが、デューイの運命を変えたことを。
いつか彼自身が生命の流れに帰ってゆく時まで。
(魔の島のシニフィエ 完)