魔の島のシニフィエ番外編・意志を持つ力

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3・発覚

 数日後。
 ヘスクイル島南西部の街、シガメルデに近い小さな村、アズレン。
「お兄ちゃん!」
 振り向いた少女の顔がぱあっとほころぶ。
「おかえり」
「ただいま。元気にしてたか?」
 ガルトは微笑した。妹のエリア。今年12歳になったばかりだ。
 ロルンには宿舎があり、暗殺者達はそこで過ごす。養成所時代には年に幾度かの長期休暇があり、その時は家に帰ることを許されるが、教団の教育を受けた子ども達は帰らずに過ごすことが多い。ガルトのように「暗殺者の刻印」を受けたものは、比較的行動が自由になるが、やはり家に帰るものは稀だ。教団こそが居場所だと思えばこその話であろう。
 ガルトはそんな中で、できる限り家に帰るようにしていた。
 はじめのうちは両親も息子に会うことを喜んでいてくれたのだが――。
「元気よ。父さんや母さんたちには会った?」
「……うん」
 両親にはごく儀礼的な挨拶をしてきたばかりだ。それ以上に言う言葉が見つからない。相変わらず両親には疎んじられたままである。
 エリアだけが、ガルトの味方だった。
 だからこそ、ガルトは家に戻る。妹の喜んでくれる表情だけが、彼にとって救いであったのだ。
「エリア、これ」
 無造作にポケットからペンダントを取りだし、エリアにつき出す。淡い色合いのムーンストーン。島外の土産である。
「これって高いんじゃない? もらっていいの?」
「そのつもりで買ったんだってば」
「わぁい、ありがとう、お兄ちゃん」
 エリアの笑顔を見ていると、心が安らぐ。無邪気に振る舞ってはいるが、決して兄と両親の事情を知らないわけではない。それでもことあるごとに兄を理解し、庇おうとしてくれる。
 無論エリアとて、ガルトの正体を知っているわけではない。だが、世間ではロルンの暗殺者というだけで、十分すぎるほどに爪はじきの対象となりうるのだ。それでも理解者であろうとするエリアは、ガルトにとってなくてはならない存在だった。
「ね、似合う?」
 ペンダントを早速つけ、エリアは問う。
 やわらかい輝きの宝石は、花がほころぶように可憐に笑うエリアに似合う。ガルトがうなずいたのは言うまでもない。
「エリア!」
 隣室から母の声が聞こえた。
「何してるの、こっちに来て手伝いなさい!」
 ヒステリックな声。ガルトがエリアと話すことが気に入らないのであろうか。
「はーい」
 返事だけしておいて、エリアはガルトに向かって言う。
「嫌んなるよね。お兄ちゃんにはなかなか会えないってのに、貴重な時間も取り上げようとするんだから。私がくじ引かずに済んだのだって、お兄ちゃんのおかげなのにね」
「……忙しいんだよ、母さんも。俺は気にしてないから、行っておいで」
 まるで模範生のような言葉だと自分でも思いながら、ガルトは笑ってみせた。

 その頃はまだ、それでも平和な日常だったのかも知れない。
 それから半年もした頃だろうか。
 長い冬が終わり、やっと生命が大地のそこかしこから芽ぶくようになってきた頃。
 ガルトは何度か島外での仕事を経て、一人前の暗殺者として認められるようになっていた。暗殺者として認められても、彼にとってはあまり嬉しいことではなかったが。
 その日は、シガメルデにあるロルン付属の魔術研究所で、新しい魔法を学ぶことになっていた。養成所を終えても、時折このような学習の時間が設けられている。
 研究所の一室で、ガルトの他に数名の若い魔術師が講義を受ける。
「今日の魔法は、ちと高度なものじゃ。心するように」
 講師の老魔術師は、そう前置いて講義を始めた。
 魔法は、死者を蘇らせて意のままに操るというものである。ウドゥルグをあらわすシンボルを使う、最も高度な魔法のひとつであった。
 一通りの理論と描くべきシンボルの説明が終わると、老魔術師は実習に移った。
「それでは、実際にやってしんぜよう。よく見ておくように」
 助手が運んで来たのは、コウモリの死骸だった。老魔術師はその前で、先刻黒板に描いたシンボルを宙に描き、発動のことばをつぶやく。
 が、何も起きなかった。
 死骸は死骸のままだった。
「む……?」
 再度試みるが、結果は同じだった。
「おかしい。失敗などするはずは……」
 額に浮かぶ汗を拭いながら、老魔術師は落胆した面持ちでつぶやいた。

 死者を蘇らせる魔法の失敗。
 一度や二度ならば、偶然で済んだであろう。だが、偶然と片付けるにはあまりに頻繁に、それは起こった。
 ロルンの上層部も、不審を抱き始める。
 彼らが魔法の失敗する時の共通項に気付くまでに、さほど時間はかからなかった。
 魔法が失敗する時。
 ガルト・ラディルンが必ずそばにいた。

 ロルンのシガメルデ支部で、緊急の協議会が開かれた。何が魔法を失敗させるのか、その現象がガルトとどのような関係にあるのか……上層部の司祭達には、見当もつかなかった。
 が。
「その少年に話を聞いてみてはいかがです?」
 首都レブリムからやって来た上級司祭が提案した。バルベクト・ユジーヌという、その司祭の名を、ロルンで知らない者はいない。ヘスクイル教の頂点に立つ教皇に次ぐ権力者だと言われている。
 協議の間、仮面の下に表情を隠しながらじっと考え込んでいた、この高位の司祭が初めて発した言葉に、その場の一同が賛成する。
「しかし……話を聞いて何かわかるのでしょうか」
 かなり遠慮がちに、中級司祭の一人が尋ねる。ユジーヌ司祭の答えはあっさりとしていた。
「さあ……もしかすると、我々の待ち望んでいるものが手に入るかも知れません」
「……は?」
 あまりに謎めいた言葉に、一同は首をかしげる。だがユジーヌはそれ以上語ろうとはしなかった。

 ガルトは修養室に呼び出された。
 講師だった幾人かの魔術師と、青い仮面の中級司祭が一人。
「ラディルン君」
 中級司祭がまず口を開いた。
「君がいると、死体制御の魔法が成功しない。なぜだ?」
「わかりません」
 無愛想にガルトは答える。理由を知らないわけではない。彼の持つ摂理の力のせいだ。一度断たれた生命を呼び戻すような、摂理に反するまねを、摂理の力の象徴の前でできるわけがない。
 だが、司祭達の前でそんな理由を言えるはずもない。だから彼はうまくごまかし通すしかなかった。だが、やり過ごすには、彼はあまりに反抗的な目をしていた。
「何か心あたりがあるのではないかね?」
「あるはずがないでしょう」
「ラディルン君」
 老魔術師が横槍を入れて来た。
「おぬしは若さの割に優秀な魔術師じゃが、どうにも反抗的過ぎる。ウドゥルグ様のみ心にかなわずば、破滅の時に救われぬぞよ」
 ガルトはかなり怒りを感じていたのだが、なんとか堪えていた。
 が、老魔術師はさらに追いうちをかける。
「死体制御の呪文はウドゥルグ様のお力によるもの。おぬしはウドゥルグ様を怒らせることをしたのではないかね?」
「……」
「暗殺に気が進まなかったか、修行を怠ったか、何か思い当たることはないかね?」
 たび重なる的外れな追求に、ガルトは思わずこう叫んでいた。
「ウドゥルグを……俺を怒らせてるのはあんたらなんだよ!」
 気付いた時には遅かった。
 かっとなるあまりに、決定的な言葉を口走ってしまったことを、ガルトは認めざるを得なかった。
「な……」
「今なんと……」
 その言葉の意味に気づいた司祭達に、明らかな動揺が走る。
 ガルトはやにわに、机の上にあった本を司祭達に投げつける。
 彼らがひるんだ隙に、彼は部屋を飛び出す。
「あっ、ま、待て……!」
 叫ぶ声に耳を貸さず、ガルトは走り去った。

「まさか……」
 部屋に残された司祭達は、呆然とつぶやく。
 ロルンの一暗黒魔術師、それもまだ15歳の少年が、自分がウドゥルグだと口走ったのだ。
 どうしたものか、彼らにはわからない。
「騒がしいですね、どうなさいましたか?」
 そんな声とともに、ドアが開く。その場にいた者達が居ずまいを正す。
 赤い仮面。上級司祭である。丁寧すぎるほどの言葉づかいから、それが上級司祭のバルベクト・ユジーヌであるとわかる。
「じ、実は……」
 中級司祭が事情を話す。ユジーヌ司祭の頬がぴくりと動いた。
「そのガルトとかいう少年が、ウドゥルグ様だと……?」
「は……本人はそう申しておりました」
「……本当に現れるとはな……」
 ユジーヌの声は、ほとんどつぶやきに近かったので、周囲には聞き取れなかった。
「して、その少年の実家は?」
「アズレンに……」
「わかりました。私がアズレンに先回りしてウドゥルグ様をお出迎えすることと致しましょう。馬を用意なさい」
 仮面の奥で、ユジーヌの目が不気味な光をたたえている。
 ユジーヌは、何を計画したのか、喉の奥でくっくっと笑った。

 ガルトは走った。
 あてはない。だがロルンに戻るわけにはいかないのだ。
 確かに彼は、ウドゥルグと呼ばれて来た者である。だが、破壊神ウドゥルグが持つと信じられている力を持っているわけではない。
 摂理の力は生命あるものすべてに働くと言われる。その力を引き出すために「シンボル」を用いるのが暗黒魔術だ。だが、自分自身にそなわった力をどのように制御してよいのかを、彼はまだ知らない。
 暗黒魔術の失われた呪文を密かに研究するなどして、信徒達に対抗する方法を見つけようとしてはいた。だが、決定的に効果のある方法はまだ思いつかず、今に到る。
 正体を明かすには、まだ早すぎたのだ。
 己の軽率さを悔やみながら、彼は走る。
 アズレンの家に。
 家にももういられないだろう。だが、追手がかかる前に、逃げる準備をしなければならない。それに、エリアにも一目会って別れを告げたい。
 時間は残されていない。
 彼は走りつづける。
 そして家に着き、扉を開け、はっと立ちすくんだ。
 赤い仮面の司祭が、家の中にいた。

 


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