魔の島のシニフィエ番外編・意志を持つ力

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6・引き裂かれた心

 夜の森。
 焚き火に投げ込んだ、魔物よけの香が不思議な香りを放つ。
 その傍らでガルトは、マントにくるまって眠っていた。
 人目を避け、森を抜ける旅は困難である。比較的気候の穏やかな初夏とはいえ、夜ともなればかなり冷え込む。魔物や野獣のたぐいも多い。気を抜くことはできなかった。
 それだけに睡眠は貴重であった。たとえ短く浅い眠りでしかないにしても。
 だが、それすらもガルトには許されていなかった。
 うとうとと眠りに落ちるガルトの耳の奥で、焚き火のはぜる音は聖堂の信徒のざわめきに変わっていく。
 夢の中、彼はあの儀式の場にいた。
 エリアが目の前に引きずり出される。
(助けなきゃ……)
 身体は動かない。何もかもあの時のまま、再現されていた。
 司祭の祈りの文句が終わりにさしかかる。
 次に何が起こるのか、ガルトにはわかっていた。だが、どうすることもできなかった。
 動けないガルトの目の前で、大剣が振り降ろされる。
「エ……」
 不意に喉が自由になった。
「エリアァァーっ!」
 ガルトは絶叫し――、そしてはっと目を開けた。
「……夢か……」
 幾分ほっとしたように、彼はあたりを見回し、そして、愕然とした。
 彼の周囲の森が消えている。
 さほど広範囲というわけではない。せいぜい彼を中心にして半径6、7メートルといったところだろうか。だが、その範囲内にあった木々や草がことごとく枯れている。
 破壊の力。
 ガルトの記憶の中の悪夢が、またもや破壊をもたらしたのである。
 一連のできごとで負った心の傷は、ガルト本人が考えていたよりもはるかに深かった。 今の彼には、破壊の力を制御することはできない。わずかな感情の乱れが歪みを引き起こし、周囲の生けるものを死に到らしめるのだ。
 ガルトは自分自身を恐ろしく感じた。そしてこのような乱れを起こすことが可能な人間という存在に恐怖心を抱いていた。
 人間にさえならなければ。
 だが、それは言っても無意味なことだった。彼はもとから人間だったのだから。
 悪夢は、その一夜だけのものではなかった。
 毎晩のように、眠るとあの儀式の夢を見、自分でも制御できぬままに破壊を繰り返す。
 迂闊に眠ることさえできなかった。それが旅をますます過酷なものにした。
 数日もたたないうちに、ガルトは肉体的にも精神的にも、極限まで追いつめられていった。
「こんな力……もう……いらない」
 木の根元に座り込んで、彼はぽつりと言った。そのつぶやきには、もはや気力のかけらも感じられない。
 このままここで行き倒れてしまうのだろうか――まるで他人ごとのように、彼は思った。だが、それすらももう、どうでもよかった。

「ん……?」
 彼は目を覚ます。
「あれ……なんで俺、こんなところにいるんだ?」
 頭の中がぼんやりとしていた。霧がかかったような頭で彼は、脇に置いてある荷物を探り、地図を取り出す。地図には何かが書き込まれている。
「はーん、今ここにいるってわけか。で、この○印の……ドリュキスに向かってたんだな」
 地図を指でたどりながら、彼は推測する。こんな簡単なことをなぜ忘れているのか、彼には理解できなかった。まだ頭がぼうっとしている。
「……ま、いいか。とりあえず寝ようっと」
 明るい調子でつぶやき、彼は再びマントにくるまった。
 眠りに落ちる直前、彼はふと目を開け、つぶやく。
「あれ……俺って……誰だっけ?」

 ガルトは当惑を覚えていた。
 自分の身体が、自分以外の何者かによって動かされている。ガルトは意識の内側からその様子を眺めていた。
「彼」の見るものが見え、聞くものが聞こえる。触れるものの感触さえ、自分自身が感じているように感じられた。
 だが「彼」はガルトではない。
「彼」の考えていることが手にとるように分かったが、それはどれも、ガルトならば考えるはずのないようなことだ。自分が誰かもわからないのに、気にせずに眠ってしまうことなど、ガルトには到底できることではない。
(何が起こったんだ?)
 ガルトには「彼」の正体がわからなかった。

「森の様子は?」
 ユジーヌは側近の中級司祭に尋ねた。
「はい。やはりアズレンより東で数箇所、彼によると思われる破壊の跡が見つかっています」
「引き続き、破壊の跡を追いなさい。そろそろ捕獲部隊を出した方がいいでしょうね」
「は。そのように致します。現在第二次偵察隊が出ておりますので、すぐに結果をご報告に上がれることと存じます」
「いいですか」
 ユジーヌは教え諭すような口調で続けた。
「彼は手負いの猛獣のようなものです。焦って捕らえようとすると、ヴァエルとジュラの二の舞いになることでしょう」
「は……」
 シガメルデにガルトを捕らえに行ったが死体で発見された司祭達の名を聞いて、中級司祭は幾分鼻白んだように答えた。
「時を待ちなさい。彼はいずれ、自分で自分を追いつめていくことでしょう。……破壊の力を使う自分と、それを認めたくない自分とに引き裂かれてね。そうして弱った状態ならば、たやすく操ることができるでしょう。多少精神や身体に異常をきたすかも知れませんが、そのくらいはどうでもよいことですからね」
 くっくっとユジーヌは笑う。
 彼にとってガルト・ラディルンという少年は、野望を実現させるための最強の兵器に過ぎない。その兵器を手に入れるために立てた計画は、おおむねうまく進行している。予想外だったのは、ガルトの力が強すぎて、アズレン付近に配置した監視人をも消し去ってしまったために、まんまと森に逃げられてしまったことぐらいなものだ。それもガルトが自分の力を制御できないために引き起こす破壊の跡を追うことで、十分に解決可能なことだった。
 あと少しで、彼は思いのままになる兵器を手に入れることができる。
 この島を長らく支配してきた破壊神の力が、彼自身の手によって。
 ユジーヌは低く笑う。
「失礼致します」
 ノックの音。
「入りなさい」
「第二偵察隊、ただ今戻りました」
「どうでしたか?」
「そ……それが……痕跡が消えました」
「……何ですって?」
 低くユジーヌは聞き返す。空気が凍りついたかのような錯覚を覚え、報告に来た下級司祭は内心震え上がったが、なんとか続けることができた。
「ヘルヴァム北部で発見されたものが、最後の破壊の跡でした。それ以降……少なくともこの2日間、破壊の力は使われておりません」
「野宿の跡は?」
「ありましたが……いつのものかは不明です。あるいは古いものに見せかけているのかもしれませんが……」
 そのていどの技術は、ロルンで教えられることである。ガルトがしていても不思議ではない。
「……」
 ユジーヌは沈黙した。
(死んだか? それとも……)
 ガルトの破壊力を引き出し、捕らえて意のままに操る計画。ガルトはここまで、面白いほど計画通りに動いてくれていた。
 だが、順調にいっていたはずの計画が、ここへ来て狂い始めている。
 嫌な予感をユジーヌは感じていた。
 まさか、たかだか15歳の少年に出し抜かれるはずはない。計画は完璧だったはずだ。それなのに、何が起こったというのだろうか。
 葛藤に堪えきれずに力尽きたのであれば、まだよい。 
 もしも破壊の力を自在に制御する方法でも見つけられてしまっては、すべてが終わりになってしまう。
 最強の兵器は、瞬時にして最強の敵になることもあるのだ。
 敵と化したガルトは、その力でユジーヌを狙うかも知れない。ユジーヌとて生身の人間である。ガルトの破壊の力にかなうはずはない。
 そうなる前に手を打たねばならなかった。
「……探しなさい。何としてでも」
 長い沈黙を破り、ユジーヌは口を開いた。
「薬で操りきれない場合には、殺してでもかまいません」
 それは、バルベクト・ユジーヌが初めて見せた焦りの現われだった。

 翌朝には元通りに身体の自由がきくようになっていたが、それからも時折「彼」は現れた。
 ガルトは意識の内側から「彼」を観察する。
「彼」には記憶がなかった。また、ガルトが身体を動かしている間の記憶もないらしい。従って「彼」の記憶はひどく断片的なものだった。だが「彼」がそれを気にする様子はない。ガルトはこのことに少なからず驚いていた。楽観的にもほどがある。到底理解できないが、ある意味でうらやましくもあった。
 追いつめられ、心の平衡を失ったガルトに「彼」のような明るさがあれば。
 そう思ったとき、ガルトははっと気付く。
「彼」は自分の分身だ。
 今のガルトに最も必要なもの――前向きな明るさを「彼」は持っている。
 かつて聞いたことがある。一人の人間が、いくつもの人格を持つことがあると。そしてその場合に現われる人格は大抵、元の人格を補うような特性を持っているのだという。
 ある意味で病的な状態だ。少なくとも、普通ではない。
 だが、ガルトはこの状態を拒絶する気にはなれなかった。
「彼」はまだ不安定な人格だった。記憶も思考も断片的で、ただ楽観的な性格だけが際立っている。表に出ている時間もごくわずかだった。
 生まれたばかりのガルトの分身。ガルトが少し強く念じれば「彼」は消えてしまうかも知れない。あるいは少なくとも、意識の片隅に封じ込めるぐらいはできそうだった。だが、彼はそうするつもりはない。自分自身の状況に興味があったし、「彼」の明るい様子を見ているだけでほっとした気分になれたからだ。
 それに、ガルトは疲れている。極限まで追いつめられた心を回復させるためにも、少し休んでいたかった。
 しばらく観察を続けているうちに、もう一つ気付いたことがある。
 ガルトは摂理の力を使えなくなっていた。
 力そのものが失われたわけではない。彼の存在がすなわち、力の存在なのだから。だが、自分の意志で力を使うことが、彼にはできなくなっていたのだ。これまで感じることのできた生命の流れが、今のガルトには見えない。
 だがそれは同時に、破壊の力を使う危険がなくなったことを示している。摂理の力を誤った方向に働かせることで起きる歪みが、破壊の力であるからだ。
 その証拠に、ガルトは相変わらず悪夢を見るが、その衝撃で周囲を死の領域へ変えてしまうことはなくなっている。
 なぜ摂理の力を使えなくなったのか、理由はすぐにわかった。
「彼」が表に出ている時にだけは、生命の流れがわかる。ガルトではなく「彼」が、摂理の力を使うことができるようになっているらしい。
 だが「彼」は自分にそのような力があることを知らない。知らぬがゆえに、使いようがない。
(つまりどのみち摂理の力は使えないってことか)
 ガルトは結論を出す。
 ガルトと「彼」は、2人で1人だ。ガルトの持っていた力を代わりに「彼」が引き受けてくれているのだ。今の状態ならば、「彼」が自分の持つ力に気付かない限り、破壊の力を使わずに済む。
 自分で破壊の力を制御できなかったガルトにとって、これは願ってもないことだった。 自分の意志で力を制御できるようになるまで、「彼」がいた方が都合がいい。それに、「彼」が表に出て身体を動かしてくれることで、ガルトはゆっくりものを考えることができる。
 ドリュキスから島を出るまでは、追手を警戒しなければならない。記憶のない「彼」が不用意な行動をとってしまう危険もある。だから「彼」にすべてを任せてしまうわけにはいかない。だが、島から脱出したら、後はしばらく「彼」にこの身体を預けよう――そう、ガルトは考えた。
「彼」は島外のどこかで、ガルト・ラディルンではない誰かとして暮らしていくことだろう。それをガルトは内側から見つめるのだ。
 いつかガルトの心の傷が癒え、己の力を制御できるようになった時、彼らは再びひとつの人格へと戻るであろう。
 そうなった時、彼はヘスクイル島に戻る。バルベクト・ユジーヌに立ち向かうために。 
 だが、それはまだ先の物語となる。


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