魔の島のシニフィエ番外編・救いを求めるものたちへ

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 ゲインでの事態を収拾し、デューイが帰途につこうとした時である。

「バートレット」

 女の声がした。
 振り向くと、デューイと同じ年頃の女が立っている。それまで気配を感じさせなかっただけあって、身のこなしはただ者ではない。

(ロルン!)

 とっさに身構えようとして、だが、彼女の様子がおかしいことに気付く。両手を広げ、丸腰なことを示しているのだ。

「忘れたの? バートレット。剣の練習を一緒にしたじゃない」

「ルクシア……ティア・ルクシア?」

 たしか、ロルンのレブリム支部で同期だった。互いの素性はほとんど知らないが、同じ剣技を専攻していたため、かろうじて顔は覚えている。
 だが、デューイはロルンを脱走したばかりか、ロルンの属する教団を滅ぼした者だ。ロルンのルクシアにしてみれば敵以外の何者でもない。

「……何の用だ?」

「さすがに警戒してるのね」

 ルクシアはくすりと笑う。表情の乏しい笑みは、ロルンでは珍しくはない。

「じゃあ、結論から言うわ。私達、ロルン・レブリム-ゲイン支部は、あなたに投降します。反対者は拘束し、河口の港に停泊中の船で待機中です」

「……えっ?」

 さすがのデューイもあっけに取られる。教団の手足、忠実な武力であるはずのロルンが、自ら投降してくるとは。
 にわかには、信じがたい。

「……信じられない? しかたないけどね。今まで殺し合ってきたんだし」

「え、いや……」

「バートレット」

 ルクシアはまっすぐにデューイを見つめて言う。

「誰もが教団に忠誠を誓っていたわけじゃない。でも、少しでも態度に出せば自分どころか家族の命すら危ない……だから必死に忠誠を誓う振りをして、命令に従っていた。それはあなただけじゃなかったのよ」

「……」

 ルクシアの言う通りかも知れない。だが、なぜゲインに彼らがいるのか。

「ついてきて。あなたに見せたいものがある」

 ルクシアは返事を待たずに歩き出す。デューイは一瞬迷ったが、意を決してルクシアのあとに続いた。

「ここよ」

 ルクシアが案内したのは、川べりの宿屋の一室だった。
 扉を開け、ルクシアはデューイを先に室内に通す。
 デューイは立ちすくんだ。
 足元に横たわる、壮年の男。変色した顔色は、彼が既に死亡していることを表わしている。自ら選んだ死なのか、手には小さな瓶が握られたままだ。

「この人は……?」

「バルベクト・ユジーヌ司祭長」

「!」

 赤い仮面に遮られ、素顔を一度たりとも見せたことのなかった司祭。教団の中で誰よりも底知れぬ脅威を感じさせた男。その彼が、ものいわぬ死体となって目の前にいる。
 こんなにも、あっさりと。

「なぜ…」

「ユジーヌ様は、誰かを待っていたわ。生き残ったロルンをここに集結させ、いつでも出航できるようにしていたのに、ご自分はここに留まって。……私の任務は3つあった。ここへの定時報告と、それ以外の時には決して近づかないこと、そして……」

(私の身になにか起きたときは、あなた方は自由行動に入りなさい)

 ユジーヌはそう言った……と、ルクシアは語る。
 それは、ロルンに下されるべき命令ではない。もはや彼らに指示を下せる司祭はいない。ユジーヌがいなければ、彼らは誰の指示も受けることができない。そうなった時ユジーヌは、各自の判断で動けと言ったのだ。ロルンにこれまで一切許されていなかったことをせよ、と。

「ユジーヌ様に何があったのかは知らない。ただ、ユジーヌ様はこうなることを知っていて……もしかしたら望んでいたような気がするわ」

 根拠はないけどね、と、ルクシアはつけ加える。

「定時報告に来て、倒れているユジーヌ様を見つけた……とにかく船の仲間に知らせようと戻った時、現われたの」

「なにが?」

「ウドゥルグ様が」

 あの時──、とルクシアは語る。
 最後の司祭を失い、動揺するロルン達の目の前に現われた人影。船のへさきに無造作に立つ後ろ姿に、なぜか誰も近づくことができなかった。
 圧倒される暗殺者達を背に、彼は静かにこう言った。

「もう、無益な血を流すな。私がそう望んだことなど、一度もなかったのだから」

 彼らが気がついた時、へさきには誰もいなかった。

「でもね、あれが本当にウドゥルグ様かなんて、大した問題じゃないのよ」

 ルクシアはつぶやくように言う。

「私たちが一番聞きたかった命令を下してくれた……いつ島内に騒ぎを起こすかわからない私たちを、彼はいつでも殺すことができたのに、そうしないでいてくれた。だから私たちは、彼に従うことにしたの。あなたの説く生命の神として現われた彼にね」

「ルクシア。君は……」

「ウドゥルグ」として現われた人物の正体を知っているのだろうか。
 だがルクシアは微笑し、デューイの口に人差し指を当てて言うなというしぐさをする。

「どうでもいいことよ。大事なことはたった一つ。教団の一部だった私たちを、教団が滅びた後に救ってくれた『ウドゥルグ様』がいたってこと。いい?」

「……ああ、そうだね」

 デューイも笑みを見せる。
 たとえ偽りの神話でも、人を救うことができるのなら。
 真実を知らず、幻想に足をとられることがよいわけではない。偽りの神話が人々を抑圧していた状況に比べれば、少なくともまだましというだけのことだ。
 大切なことは恐らく、その先にある。
 救われた人々──ロルンの暗殺者達を含めて──をどう導いていくのか。それが彼のすべきことなのだろう。

「ウドゥルグ」の名のもとに。

(end)


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