魔の島のシニフィエ番外編

支えるもの、その名は(1)

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 森に足を踏み入れると、とたんに肌寒さを感じた。レブリムの町はこの季節にしては珍しく快晴で、朝だというのに太陽がかっと照りつけて暑いほどだったが、針葉樹の森にはその光はなかなか届かない。
「大丈夫か?」
 わずかに足もとがふらついたデューイの肩を、闇色の髪の青年、ガルト・ラディルンが支える。
「つまずいただけだよ。それより……」
 デューイは森の奥に目を向ける。がさがさと下草を踏む音とともに、さっと動く影があった。
「ヘラジカかなんかだろ。このあたりには、あんまり危険な動物は出ねえよ」
「そうかな……」
 二人は今、レブリムの北東に位置する町ヘルヴァムを目指している。デューイの両親に会い、身を隠すように説得するためだ。
 ロルンで思想規律違反のために処刑されたことになっているデューイが生きていることが教団に知られれば、デューイの両親も反逆の罪で教団に狙われることになる。処刑の場からデューイを助け出したガルトは、教団に抵抗する反乱組織の一員だった。教団への抵抗に協力するかわりに、デューイはガルトに対して両親の救出を要求した。
 デューイが懸念しているのは、ロルンの屍鬼部隊である。ここ数年のことだが、教団は監視の行き届かない森林地帯に屍鬼――魔法によって蘇った死者――を配備するようになっていた。教団の目をかいくぐって森林を抜けようとする者を、屍鬼は容赦なく襲う。森林地帯はもともと、猛獣も出没する危険な場所であり、それゆえに「死の森」とも呼ばれてきたが、現在は別の意味で危険な場所になっているのだ。
「屍鬼なら大丈夫。出て来ないと思うぜ」
 デューイの心配を察したのか、ガルトが明るく言う。
 ヘルヴァムには街道を通ればさほど遠くないが、ガルトは教団の監視網にかかりにくい森林を通って行くことを主張した。デューイは既に何度か屍鬼の危険を指摘していたが、ガルトは意に介したふうもない。
 率直に言えば、この命の恩人がなぜ屍鬼の危険をこうも軽視するのか、デューイには理解できなかった。とはいえ、今戦うのならば教団の生きた暗殺者よりは屍鬼の方が相手にしやすい。剣は持っていないが屍鬼を倒す魔法は知っている。だから、ガルトの提案を受け入れた。
 予測できる範囲において、危険を可能な限り回避する。あるいは、被害が最小限になるような選択をする。ロルンで叩き込まれた思考だ。
 自分がそんなふうにロルンの思考パターンで考えていると思うことは不快だったが、生き延びて両親を守るためには必要なのだと、割り切ることにした。
「ちょっといい?」
 デューイは先を歩くガルトの背中に声をかける。
「なんだ?」
「君はどこの支部だったの?」
 そう尋ねたのは、つい考え込んでしまう自分の気分を紛らわすためだった。が、返って来たガルトの言葉に、後悔の念を抱く。
「シガメルデ」
「!」
 シガメルデという町は、今はもう存在しない。八年前に謎の事件によって壊滅したという。ロルンで所属する支部は、出身地を意味するといってよい。ガルトの出身地は、何年も前に失われてしまったのだ。
「……ごめん」
「気にするな。もうずっと前のことだしな」
 ガルトの明るい口調に、かえって背負ったものの重さを感じて、デューイは黙り込む。
 シガメルデ壊滅事件について、デューイは詳しくは知らない。だが、破壊神がついに降臨したのだという噂があったことは覚えている。噂はその後立ち消えになったが、事件の真相は不明のままだ。
「……少し休もうか」
 デューイの足どりが重くなったのを気づかってか、ガルトが立ち止まる。いいよ、と断わろうとも一瞬思ったが、あちこちに火傷を負った身体はむしろ休息を求めている。彼はガルトの言葉に素直に従うことにした。

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