魔の島のシニフィエ番外編

支えるもの、その名は(2)

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「なんだか、まだ信じられない。ロルンの暗殺者じゃない自分がいるなんて」
 木の根元に座り、デューイはぽつりと言った。
 ガルトは同じ木にもたれて立っている。自分の言うことにじっと耳を傾けているガルトの様子を感じたせいか、デューイは我知らず、これまで誰にも打ち明けたことのなかった重苦しい思いを語り出していた。
「十年前にあの予言があって……もう教団の中で生きていくことしかできないんだと、ずっと思ってた。礼拝で生贄を捧げるたびに、僕はウドゥルグから逃れられないんだって……」
「そうか」
 低い声でガルトはつぶやく。何か思うことがあったのか、快活な普段の調子とはいくぶん違う、かげりのある声だった。
 デューイは続ける。
「ただ……ウドゥルグが破壊の神じゃないからといって、あの予言が消えてなくなったわけじゃない。じゃあ、僕は誰に支えられることになるんだろう」
 ウドゥルグは教団が喧伝するような死と破壊の神ではない。だがデューイは、その事実と矛盾するもう一つの体験をしている。
 ――私を呼んだか。
 ウドゥルグを呼ぶデューイの声に応じるように現れた侵入者。あの威圧感を、デューイははっきりと覚えている。真偽はどうであれ、あの侵入者はデューイの前に「ウドゥルグ」として現れたのだし、そのことはあの時、疑うべくもない事実のように見えた。
 いったい何が真実なのか。デューイを支える「ウドゥルグ」とは何なのか。
 教団の司祭長ユジーヌも、そのことに関心を抱いていたようだ。そして、実際彼は処刑の現場から助けられた。だが助けたのは、元ロルンの反乱組織の青年だ。
 予言の時はまだこの先だということなのだろうか。だとすれば、その時自分はどうなるのだろう。
 いつしか長い沈黙の時が流れていた。ガルトが自分の言葉の続きを待ってくれているのだと、デューイは思ったが、うまく続きを口にすることができない。
「ま、気にし過ぎだな」
 明るい調子で沈黙を破ったのはガルトだった。
「占い師がおまえを支えるって言ったのは、これなんだろ?」
 ガルトは木の枝を拾い上げ、地面に模様を描く。破壊神ウドゥルグの象徴とされてきた、独特の幾何学模様だ。
「確かに今のこの島では、これは破壊神の紋章だ。けど魔術師にとっちゃシンボルの一つにすぎない。しかも、これがもともと生命の摂理を表すシンボルだったってこと、もうおまえは知ってるんだろう?」
「そうだけど……」
「予言は予言だ。その通りにしなきゃならないもんじゃない。あとから振り返ってみたら予言通りになってるかも知れないし、ひょっとしたらもうとっくになってるのかもな。けど、それはその時のことだ。今気にすることじゃねえよ」
「……」
 確かに一理あるが、それならどうして司祭長は、真実を知ってなお自分を監視していたのだろう。
 デューイはそう口に出しかけたが、思いとどまる。
(ガルトは僕を元気づけようとしてくれるんだ。これ以上愚痴っぽく悩みを語るべきじゃない)
 そう思ったデューイは、かわりに言った。
「そうだね、ありがとう」
 そして立ち上がる。ヘルヴァムに早く着くのにこしたことはないのだ。

 屍鬼に遭遇することもなく、二人は森を抜け、ヘルヴァムに着いた。
  ヘルヴァムは小さな町で、デューイの両親の家もすぐに見つかった。町はずれにある一軒家にひっそりと暮らす両親に会うのは、実に十年ぶりということになる。
 家に近づくにつれ、デューイの心には不安が重くのしかかってきた。説得に応じてくれるだろうか。いやその前に、そもそも会ってくれるのだろうか。
 十年間、デューイは両親と連絡を取っていなかった。レブリムからヘルヴァムに移り住んだことや、二人ともともかく健在ではいるらしいことは知っていたが、家を訪れることも、手紙を出すこともなかった。教団の検閲と監視をかいくぐって会っても、本心を語ることはできないし、暗殺者が訪れることで両親に迷惑がかかってしまうのではないかという心配もあった。
 だから、今両親が自分のことをどう考えているのか、デューイには想像がつかない。
 ロルンの子供とその親の関係は、ほとんど途絶えてしまうことが多い。親にとっては子供は忌むべき暗殺者だし、子にとっては親は自分をその暗殺者にした張本人だ。 涙ながらに送り出してくれた両親も、今では自分をうとましく思っているかも知れない。
(……それでも)
 デューイはぐいと顔を上げる。
(僕が助けなくちゃならないんだ)
 両親が自分のことをどう思っていようが、自分が生きていることで彼らに危害が加えられる可能性があるのは事実だ。それだけは何があっても防がなければならない。そう、デューイは決意を固めた。

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