魔の島のシニフィエ番外編

支えるもの、その名は(3)

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 表玄関は人目についくので裏口にまわり、扉をノックする。ややあって中から扉を開けた女性は、デューイの顔を見てはっとしたように立ちすくんだ。
「ラス……?」
 懐かしい愛称を、彼女は口にした。
「そうだよ母さん。僕だよ」
「なんてこと……ああ」
 母親の目に涙が光る。声をつまらせながら、母親は二人を家の中に招き入れた。扉を閉めてから、母親はデューイの頬に手を伸ばし、そっと撫でるように触れる。
「ラス、大きくなって……」
 間近に見る母親は、十年前よりもだいぶやつれた顔をしていた。年齢のせいだけではなく、ひとかたならぬ苦労を重ねてきたことがうかがえる。
「元気だったの? 手紙の一つもよこさないで……」
「ごめん……」
「そちらの方は?」
「母さん」
 デューイは母親をまっすぐに見つめ、静かに告げた。
「僕、ロルンで処刑されたんだ。教団の教えを守らなかったから」
「なんですって?」
 母親に動揺する隙を与えないように、デューイは早口で続ける。
「でもこの人が助けてくれたんだ。だから僕、もうロルンの暗殺者じゃないんだよ」
「そう……そうなの」
 母親はガルトに目を移し、一度、深々と礼をした。そしてデューイの手を取る。
「来て。お父さんに会ってちょうだい」
 奥の扉を開けると、ベッドに父親が横たわっていた。
「あなた、見て。ラスよ。ラスが帰ってきてくれたの」
 母親の声に、父親の頭が動く。病気で衰弱しているのだろうか、かなり弱々しい動きで、顔を声のする方向に向け、はっきりと驚いた表情を浮かべる。
「ラス……なのか。よく元気で……」
「母さん、父さんは……」
「夏の終わり頃から身体をこわして、起き上がることもできないの」
「そんな……」
 デューイは父親のベッドに駆け寄る。
「父さん、僕、ロルンを抜けてきた。もう暗殺者じゃないんだよ」
「そうか」
「でも……僕が生きてることを教団が知ったら、父さんや母さんも狙われてしまうんだ。だから一緒にドリュキスに行こうと思って……」
 父親はわずかに目を上げ、母親の方を見た。母親はかすかにうなずき返す。
「すまないな、ラス。だがドリュキスに行くのは無理だ。この身体ではな」
「そんな……」
 愕然とするデューイに向かい、父親は静かに続けた。
「ラス、おまえは優しい子だな。十年も教団にいても、変わらずにいてくれた。俺はそれが嬉しいよ」
「父さん……」
「だからおまえは逃げろ。俺たちのことはいいから」
「そんなこと、できるわけがない!」
 デューイは悲痛な叫び声を上げる。確かにこんな状態の父親を教団に見つからずにドリュキスへ連れて行くのは不可能に思えた。だが、そんなことを認める気にはなれない。病に倒れた父親に手心を加えるような教団ではなかろう。
(何か方法はないのか……?)
 懸命に策を探し求めても、有効なものは思い浮かばない。
 不意に。
「ちょっとどいてな」
 軽く押しのけられる。ガルトが父親のベッドに歩み寄り、すっと手を伸ばす。よどみない動きで魔法のシンボルを描いているのだと、デューイにはわかった。
(何の魔法だろう)
 それはデューイの知る魔法ではないようだった。次々に描かれていくシンボルの中には、デューイが知っているものも知らないものもある。
(!)
 ガルトの手の動きを注視していたデューイは、思わず声を上げそうになった。
 幾つ目かに描かれた、複雑で独特の形をしたシンボルを、デューイはよく知っていた。
「ウドゥルグ」のシンボル。
 破壊の神を表すものとされているこのシンボルを使った魔法を、デューイは三つしか知らない。生きた人間を即死させるもの、死者を蘇らせ、屍鬼に変えるもの、そして、屍鬼を本来の死体に戻すもの。
 だがガルトの描くシンボルの組み合わせは、それらのいずれでもないようだった。
 ガルトは父親に何をしようとしているのか。
 息をつめて見守るデューイの前で、発動の短い言葉が発せられる。
「これは……」
 父親がつぶやいた。顔の血色が明らかに良くなっているのがわかる。
「起き上がれますか?」
 ガルトの言葉に応じて、父親は身を起こした。
「苦しくない……いったいどうなったんだ」
「生命力を高める魔法です。だいぶ楽になったんじゃないですか?」
 驚いた顔の両親に向かってガルトは笑いかけた。父親はおそるおそるベッドから足を下ろし、立ち上がってみた。
「歩ける……歩けるぞ」
「あなた!」
 母親が駆け寄った。
「デューイの言ったこと、考え直してみてください」
 ガルトは軽く頭を下げる。
「俺の両親は、俺のせいで死にました」
 ガルトは二人に向かい、静かな調子で続けた。
「どんなに後悔しても、それはもう取り返しのつかないことです。でも、そうなる前に止められるのなら、俺は全力で止めたかった。もしあなたがたに何かあったとしたら、デューイもたぶんそう思うでしょう。子どもが親の死を望むはずがありますか?」
「そうだよ」
 デューイがあとを引き継いだ。
「この十年、父さんと母さんのことを忘れたことなんてなかった。せっかく教団から自由になっても、その代償が父さんたちだなんて耐えられない。教団からは僕がきっと守るから。だから、一緒に行こう」
「……」
 父親はしばらく考えをめぐらしていた。だがどう返事するかは、デューイにはもうわかっているような気がしていた。

 両親が手早く出発の準備を整えている様子を見ながら、デューイはガルトに話しかけた。
「どうもありがとう。君の魔法がなかったら、僕も一生後悔し続けることになったかも知れない」
「なぁに」
 ガルトは軽く笑ってみせた。
「おやじさんも、例のシンボルに助けられただろ?」
「えっ?」
 一瞬なんのことかと聞き返しかけたが、すぐに「ウドゥルグ」のシンボルのことだと気付く。
「ああいう使い方もできるんだ。この島で伝えられていないだけでさ」
「そうだね」
 ガルトは森であのように言ったのは、この魔法を知っていたからなのかも知れない。そうデューイは思った。自分の懸念は払拭されたわけではないが、ともかくも両親を助けることはできそうである。
「……ただ、これで安心なわけじゃない。わかってるよな?」
 ガルトの言葉に、デューイはうなずく。
「うん」
 ドリュキスの反乱組織がどんなものなのか、まだ彼は知らない。だが少なくとも、教団に抵抗するのはデューイ一人ではないのだ。そしてデューイは教団の決定的な弱みを知っている。
「でもきっと、守り抜いてみせる。父さんも母さんも、教団に狙われる人たちも」
 デューイは誓うように、そう言った。

 ウドゥルグに支えられ、歴史に名を残すことになるという予言。
 ずっと後になって、デューイは思う。この時の誓いが、予言の成就に向けて自分が踏み出した第一歩だったのかも知れない、と。

(終)

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