鈍くきしんだ音を立てて扉が開き、薄暗い道具屋の中に光が射しこんだ。
「いらっしゃいませ。ずいぶんお久しぶりですね」
扉を開けたままたたずむ剣士とおぼしき装束の男に声をかけたのは、黒衣を身にまとった店主である。
「……」
剣士は店の中に足を踏み入れ、懐かしそうに見回した。
「変わらんな、ここは」
「ええ、それがこの店の役目ですから」
店主の謎めいた返事に剣士は、相変わらずだな、と笑みをみせる。そしてふと、店の奥の方に視線をさまよわせた。
誰かを探しているかのように。
「あいつは?」
「半年前に」
「そうか」
二人の会話は、それきり途切れる。誰のことについてか、半年前になにがあったのかを互いに問うこともない。ただ、剣士の目に一瞬苦いものを呑みこんだような表情がよぎっただけである。
長い沈黙の後。
「これを預かってもらいたくてな」
剣士が無造作に突き出したのは、一振りの剣だった。つかにはめ込まれた石は、剣士の目と同じ、血のような赤い色を帯びている。
店主は無言で剣を受け取り、すらりと抜いてみる。いかにも切れ味の鋭そうな刃は、薄暗い店内で光輝を放っているかのように見えた。
「手に入れられたのですね」
剣士はうなずく。
「その剣のあるじは俺だ。だが俺にはこいつを託す相手を見つけることも育てることもできん。だから……あんたに預かってもらいたい。頼めるか?」
「承りましょう」
店主は委細を尋ねることもなく答えた。
「ですが、この石はお持ちになっていて下さい」
「ああ」
剣士はつかの石に目を落とす。
「あいつの形見……というわけか」
「ええ」
店主は慣れた手つきで石を取り外し、しばし待てと言い残して店の奥に消えた。
ややあって戻ってきたその手には、一振りの剣があった。
カウンターの上に置かれている剣と寸分たがわぬ……いや、つかの宝玉をはめこむ部分が異なる装飾になっている。
「それは……」
「ここにはめ込まれていた石です」
道具屋の店主はとんでもないことを口にする。だが、いかなる常識もこの道具屋では通じないのだということを、剣士は知っていた。鉢植えの植物が歌い、酒をたたえた杯が宝石を産む。石が剣に変じたとて、驚くにはあたらない。
少なくとも、この店では。
「この石は、ともにある者と共生し、強すぎるエネルギーを吸収してたくわえてきました。あなたの力がこめられたから、それにふさわしい形をとっただけのこと。あなたとともに生き、あなたとともに滅びる剣です」
「そうか」
剣士は新しい剣を手に取る。驚くほど手になじむ感触があった。
「これから、どうなさいます?」
店主が聞いた。
「さあな。もう縛られるものも使命もない、ただの流れの剣士だ。どこかで傭兵にでもなるか」
「そうですか。お気をつけて」
剣士は店を出る。
扉が閉まる直前、薄暗い店の中にたたずむ店主の口元がほのかに笑みを浮かべたように見えた。
「あれっ? ランディさん?」
広場に出、日の光のまぶしさに一瞬目を細めた剣士に呼びかける声があった。
驚いたような表情で雑踏の中から駆けよって来た青年は、懐かしそうな笑みを浮かべる。
「やっぱりそうだ。覚えてます?」
青年の顔には見覚えがある。かつてはるか北の島でともに戦った仲間。
あの時は、あいつがいたんだっけな……。
浮かび上がりかける追憶を振りきって、剣士は尋ねる。
「フィル……フィリップ・ホーリーか。久しぶりだな」
「こんなところで会えるなんて、びっくりしましたよ。どうしたんですか?」
「ちょっと……な」
長々と話して聞かせるほどのことでもない。適当に言葉を濁し、島のみんなはどうしている? と尋ねた。
フィルは顔をほころばせる。
「みんな、島の復興に懸命ですよ。やっとこの間帝国との条約が調印されたんです。それでここまでの定期船も出ることに決まったんで、僕が視察に来たんです」
少し前までは、死と破壊を司る神をあがめる邪教の島、と呼ばれていた孤島。その中で圧政に堪えていた人々を立ち上がらせたのは……。
「そうだ、ガルトさんがどうしてるか知ってます?」
「……」
ガルト。
あいつはもう……と言いかけてやめる。
知らない方がいい。彼がその命を削って戦っていたことも、革命が成功して島を出た時、彼の命は既に尽きかけていたのだということも。
フィルは続ける。
「ほら、ケレスで世話になった道具屋さんがいるって言ってたでしょう。そこに行けばわかるかと思ってたんですが、随分前に閉まっちゃったみたいで……」
「え?」
そんな馬鹿な。
ついさっきまで、彼はその店にいたはずだ。昔と変わらぬ場所で、変わらぬ店主が……。
彼は振り返る。広場から西へ伸びる通りに面したところに、あの店はあった。
はずだった。
思わず声を上げそうになる。
店は戸がしっかりと閉ざされ、看板も外されている。はすかいに打ちつけられた板も随分と雨風にさらされた形跡があった。
「あそこにあったんでしょう? なんだか随分有名な道具屋さんだったみたいだけど、半年ぐらい前に突然……」
フィルの言葉に曖昧にうなずきながら、彼は懸命に解を探す。
俺はさっき、どこにいたんだ?
ふと気付いて剣に目をやる。
つかに宝玉がない。
「ランディさん?」
フィルが不思議そうに問いかけてくる。
「いや、なんでもない。俺も今朝ここに着いたばかりでな。その道具屋に用があったんだが、無駄足だったようだ」
無駄どころか。
あの道具屋は恐らく、彼の訪れに応えたのだ。いかなる方法でかは知らぬが、剣を受け取り、宝玉を剣に変えるために現われた……。
なぜかは問うまい。だが。
(終わったんだな)
ひとつの物語の終焉を、彼は感じていた。
フィルとはその後、いくらか世間話をして別れた。恐らくもう会うこともないだろう。互いの記憶の中で、物語の登場人物のように時折思い起こされる、そんな行きずりの者達。誰もがそうして出会い、すれ違っていく。
そういうものなのだろう。人の人生も運命とやらも。
あの、闇色の瞳と髪の彼との出会いも。
広場をあとにする彼の目は、穏やかな晴れ晴れとした色をしていた。
戦場を駆け抜けた、一人の剣士がいた。彼は一振りの剣を片手に戦場に現われ、無敵の強さを誇った。彼を傭兵として雇い損ねた国が自ら撤退を始めるほどに、その名は知れ渡っていた。
あまたの剣士達と同じように、彼もまた、戦場でその生を終えることになる。彼の持っていた剣を多くの者が求めたが、彼の亡骸の傍らに剣はなく、それからも決して発見されることはなかった。
(end)