ultimate orb

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 表情のはっきりした闇色の瞳がひときわ目を引く奴だった。
 そのせいなのか、闇色の髪を長く伸ばしていたためなのか、あいつの両耳のピアスに気付いたのは、あいつがケレスを出て故郷の島に帰る直前だった。乳白色の淡い石はムーンストーンのようだったが、装飾品にしてはあまりに目立たない。整った目鼻立ちを邪魔こそしていないものの、もっと映えるピアスもあろう。そんなことを言ってみると、あいつ──ガルト・ラディルンは少し笑ってこう言った。
 「これは、俺の生命石だから」
 生命石は、レーギス大陸南部に伝わる「石の竜」の物語に出てくる石だ。その昔ある王国をおびやかした竜が持つ不思議な石で、竜はそれを通じて大地の無限の力を得ていたという。だがその石が破壊された時、竜もまた滅びた。ただの所有物に過ぎなかった石が、いつの間にか竜の生命そのものとなっていたのである……そんな話だった。
 その時はなぜあいつがそんなことを言ったのか、俺には理解できなかった。ただ、実利主義のガルトがファッションを意識してアクセサリーをつけるわけはないな、と妙に納得しただけである。あいつの指輪だって魔法を使うのに必要な道具だったはずだし、きっとまあ、似たようなものなのだろう、と。
 そんな、もう何年も前のちょっとしたできごとを思い出したのは、ケレスの道具屋でのことだった。

 今、俺の目の前ではガルトが意識を失ってベッドに寝かされている。
 彼の故郷、破壊神信仰におびやかされていた北の孤島を解放した後、俺とガルトは大陸へ戻ってきた。ずっと革命のために動き回っていたガルトもさすがに疲れていたのか、長い船旅の間中、いやにおとなしくじっと何かを考え込んでいるように見えたのだが、その時はあまり気にならなかった。
 が、ケレスに到着し、いよいよ船を降りるという時になって、ガルトはいきなり倒れた。何の前触れもなく、ふらりとその辺の床に倒れ、そのまま目を覚まさない。
 「ガルト? おい、どうした!」
 肩に手をかけて揺すぶろうとして、ふと気付く。
 おどろくほどに細い肩。触れた首筋は冷たく、脈も弱々しい。まるで死にかけた病人のようだ。
 (こんな状態で今まで走り回っていたのか?)
 とりあえず町のどこかの医師のもとへ運ぼうと周囲を見回した時、すっと誰かの髪の毛が手に触れる感触があった。見ると、長い銀髪の少女が屈み込んでガルトの手を取っている。
 どこから現われたのか、彼女からは人の気配がしない。こちらを向いた彼女の赤い大きな目が印象的だった。
 「お願い、ランディ」
 すがるような目で少女は、初対面の俺の名を呼ぶ。
 「ガルトを……ラドアの道具屋まで運んで」
 「あんたは?」
 「あたしはイーシュ。ガルトの使い魔。ねえお願い。早くしないと……」
 イーシュと名乗る少女は俺の服の袖をつかみ、せき立てるように引っ張る。
 ラドアの道具屋。ガルトがケレスでよく出入りしていた、謎めいた店主のいる店だ。どのみちガルトのことを一番知っていそうなのはその店主だったから、俺は少女の頼みを聞いてやることにする。
 ケレスまで同じ船に乗っていた船員の手を借りて、中心街の道具屋にガルトを運ぶ。少女はひどくもどかしげな表情を浮かべ、俺の後ろについてきた。一言もしゃべることなく、赤い目をうるませて。
 そうして連れてきたガルトを、道具屋は理由も聞かずに迎え入れてくれた。店の別室に用意されたベッドにガルトを寝かせたのが、つい先だってのことだ。
 長い黒髪の神秘的な道具屋は、ガルトの耳もとにふと目をやり、つぶやく。
 「倒れるわけですね。ここまで力を使っていたとは」
 「わかるのか」
 「……ピアスの石の色を見てください」
 道具屋に言われて、ガルトの右の耳を見る。乳白色のはずの石が、いつの間にか真紅に染まっていた。
 「これは?」
 「このピアスは身に着けた方の余分な力を吸収して貯えておくことができるんです。こんな色になるまで吸収しているということは……」
 「よほどの力を使った、ということか」
 「ええ」
 「まったく……」
 俺は横たわったままのガルトに視線を移す。
 ガルトは「生命の摂理」の力を持つ。生命に死を与え、さまよえる死者には安息をもたらす力。それはヘスクイル島で数百年もの間「破壊神」として信仰されてきた力でもある。だからガルトは「破壊神」として伝えられて来た像とよく似た姿なのだという。
 島を破壊神信仰から解き放つために、ガルトは俺の知らないところで島中を駆け巡っていた。革命後は解放された生命の神を演じて「奇跡」を起こしてまわっていたらしい。力を使い過ぎもするわけだ。
 「イーシュ、あなたも大変でしたね」
 道具屋は銀髪の少女を知っているらしく、そう声をかける。
 「あたしは……使い魔だもん。主人には逆らえない。ガルトが自分の命を削っていくのに、手を貸すことしかできないって、すごくくやしい」
 「命を削る?」
 聞きとがめた俺の方をきっとにらむように少女は振り返る。
 「どうして止めてくれなかったのよ。島中の屍鬼を浄化したり、近海の漁場を探しあてたり……どう考えたって生身の人間がやれば負担がかかることじゃない」
 「いや、しかし」
 いきなりそう責められても困る。そこまでのことをしていたとは知らなかったのだから。
 「……ガルトの状態は、そんなに悪いのか」
 「……」
 イーシュはうつむいて唇を噛んだまま黙りこくっている。
 「イーシュには、人の寿命がわかるんですよ」
 ラドアがかわりにそう言った。
 それはつまり、ガルトはもう長くはない、ということか。
 口に出して言えるはずもない。思わず視線を泳がせる。
 「あー……勝手に殺さないよーに」
 唐突に耳に入ってきたのは、聞き慣れた声だ。弱々しいが、いつもの快活な口調の片鱗は残っている。
 「ガルト!」
 「悪かったな、ランディ。ケレスに着くと思ったら気が抜けた」
 横たわったまま、ガルトはにやりと笑って見せる。今となってはそれも痛々しい。
 「無茶をする人だとは思っていましたが……」
 「笑ってる場合じゃないでしょ!」
 ラドアの嘆息とイーシュの声が重なる。
 「そこまで怒られるとは思わなかったな。十年が五年になっただけじゃないか」
 ガルトの言葉に、はっと気づく。
 イーシュに人の寿命がわかるというなら、ガルトが以前から自分の寿命を知っていてもおかしくはない。
 どのみち、そう長生きできないということが。
 革命後にヘスクイル島で聞いた話だが、島の暗殺者の平均寿命はひどく短いのだという。任務中途で命を落とすのは言うに及ばず、魔法や毒薬を使う者は自らの武器に身体を蝕まれていき、三十歳前後で大半が短い生涯を終える。ガルトもまた、暗殺者として訓練を受けてきたのだ。
 「……ずいぶん淡々としているんだな」
 思わずそう声に出すと、ガルトは軽い笑い声をあげた。
 「俺も、もうちょっとじたばたするかと思ってた。まあ、今日明日ってわけじゃなさそうだけど」
 「馬鹿だ、おまえは」
 「そうかもな。けど命はいつか終わる。後には残らない。それだけは知ってるから、さ」
 そうか、と思う。生命の摂理を引き受けているが故に、ガルトには死後の楽園を夢見ることも、あと少しの延命を望むこともできない。それが摂理をゆがめる人の意志であることを、その影響を受けざるを得ない彼は誰よりも知り抜いているのだろう。
 人は死ぬ。自分も含めて。
 人が直視できず、さまざまな幻想によって彩ってきたその現実を見据えて、彼は生きてきたのか。
 淡々と自らの死を見つめ、明日の天気のようにあたりまえのこととして語ることができるほどに。
 「ごめんランディ。一緒に行って手伝うのは無理そうだ。けど、約束は守る」
 ガルトは横たわったまま、真紅に染まったピアスを外した。
 ガルトの力を吸収していたというピアスの石。
 「ラドアさん。これ……ランディの剣の宝玉にしてくれないかな」
  「それは?」
 「たぶん……宝玉のかわりにできる」
 「?」
 何を言おうとしているのだろう。
 「ずっと思ってたんだけどさ、おまえの剣の力は、封じた死霊の力なんかじゃないんじゃないか?」
 「なんだって?」
 「いくら封じてるからって、近くに死霊がいて俺にわからないはずはないんだ。それに……おまえが死霊を封じる時、摂理の乱れがおさまっていくのがわかる。おまえは死霊を封じたんじゃなく、浄化してたんだ」
 「ばかな……」
 呆然と俺はつぶやく。死霊を封じて剣の糧にする、それがノルージ家に伝わる魔剣ではなかったのか。
 「じゃあ俺が宝玉に集めてきたものはなんだったんだ」
 死霊を封じるごとに、宝玉の許容する範囲で宝玉に宿る力は増していった。あれはなんだったというのか。
 「たぶん……死霊を浄化したおまえ自身の力だと思う」
 「俺の……?」
 首をかしげた俺に、ふと思いあたることがあった。
 死霊に立ち向かい、これを祓え。
 日の剣を継ぐ時、父はそう言っていなかったか。
 死霊を集めよ、ではなく、祓えと告げた父は、何を言おうとしていたのか。
 「……だからたぶん、この石は役に立つよ」
 「……」
 ピアスの石を受け取る。ぴりぴりと震えるような力を感じた。
 「これは……」
 間違いない。
 今まで手にしたどんな宝玉よりも力を感じる。そして、底知れぬ許容量も。
 これが、探し求めていた宝玉なのだ。
 だが、俺は知ってしまっている。これがガルトの命を削ってつくられたものだということを。
 ──どんな死霊よりも強い力、欲しくないか?
 ヘスクイル島で彼が俺に持ちかけてきた取引。
 ──ウドゥルグの力は、生命を正しい流れに返す。おまえの婚約者も解放できるはずだ。
 あの時既に、自分の余命を知っていたのだとすれば。
 ガルトはもしかしたら、はじめからそのつもりだったのかも知れない。
 おのれの命を一片も余さず他人に切り分ける。デューイ達のために島を駆け回り、ピアスに力を注ぎ、自らは倒れるまでに衰弱して。
 あまりにも。
 あまりにも、それは。
 「もう一度言う。馬鹿だおまえは」
 「……そうだな」
 ガルトはかすかに笑った。
 穏やかな笑みが、彼らしくないようでいて、逆にいかにも彼らしいようにも見えた。

 「ガルトさんは、生命の神として生きていくこともできたんです」
 ピアスの石を加工し、俺の剣のつかにはめ込みながら、ラドアは言った。奇妙なことに、宝玉よりもかなり小さかったはずの石が、俺の目の前で、あたかも剣のつかにはまりこむべく切り出されたかのような大きさに変化した。異なる世界からもたらされたものだという以上のことを、ラドアは口にしなかったが、ともかくも普通の石ではない。だが石の由来など、俺にはどうでもよいことだった。石から感じられる力は本物なのだから。
 「『ウドゥルグ』の記号に新たな意味が加えられたとはいっても、ヘスクイル島で『ウドゥルグ』が神の名であることには変わりがない。だから彼が望みさえすれば、人を越えた存在になることもできたはずでした」
 「奴はそうしなかった、ってことか」
 「ええ。神として生きるのではなく、神を演じた人間として死ぬ道を選んだ……」
 ラドアは複雑な笑みを浮かべる。
 「私としては、違う選択をして欲しかったのですが」
 この道具屋が何者なのか、俺は知らない。だがガルトの力を理解し、協力していたのが仕事上の取引のためだけではないことはわかる。
 なにか共感するものがあるのでは、という気はしていた。だがそれならばよけいに、ガルトの衰弱ぶりは痛々しく思えるだろう。
 もしかすると、ラドアはガルトが人ならざる存在として生き続けることを望んでいたのかも知れない。
 「どうぞ、あなたの剣です」
 ラドアから渡された日の剣。
 「!」
 予想以上の力が手に伝わってくる。
 ノルージ家に代々伝えられてきた魔剣。持ち主を選び、宝玉に封じられた力によって無限の力を発揮する……。
 この剣ならば。
 すらりと抜いた刀身が血の色を帯びる。鈍い輝きにとけ込んだ、俺の目の色だ。
 「レスター……待ってろよ」
 口元に笑みが浮かぶのがわかる。
 これ以上、ミルカを苦しませはしない。
 「私からも、一つだけ」
 ラドアがごく控えめに口を開いた。振り向くと、いつもの神秘的な微笑をたたえてこちらを見ている。ガルトに関しては動かす表情も、今はすっかり店主の笑みの背後に隠れてしまったかのようだ。
 「ノルージ家当主としての務めを果たされますよう」
 「……そのつもりだ」
 わかっている。
 レスターを倒してすべてが終わりではない。レスターの所行によって失ったものを取り戻すことも、俺の義務だ。
 そして、歴代の当主に課せられてきた「日と月の理」を解き明かすこと。
 そもそも日の剣と月の剣は何なのか、後継者はどうやって選ばれるのか。剣と同時に秘術を禁じつつ伝えていたのはなぜなのか。
 なにより、宝玉の力がガルトの言うとおりのものだとしたら、ミルカを生きながら宝玉に変えて死霊を呼び込ませたレスターの月の剣が、なぜあんなにも強大になったのか。
 心に浮かぶのは、かつて父に教えられた当主の心得だ。
 「対をなして守れ」。
 対。二本の剣が、宝玉と剣が、剣とあるじがそれぞれ対をなす。それは何の意味をもっているのだろうか。
 今なお、手がかりはない。だが、どこかでその意味をつかみかけているような、漠然とした感覚があった。

 数日後、ラドアの店の前。
 ケレスを後にする俺を、なんとか動けるようになったガルトが見送ってくれた。
 「おまえには世話になった」
 俺にしては珍しく感謝の言葉を口にすると、ガルトは声を上げて笑う。
 「お互い様だろ? 第一おまえの目的はまだ済んでないじゃん」
 いつもの陽気な笑顔に、ついつられてしまう。
 「それもそうだな。じゃ、行ってくる」
 「ああ」
 それは、ケレスに滞在するガルトとケレスを拠点に各地を渡り歩いた俺との間で、何度も繰り返されてきた光景だった。
 いつものように背中ごしに一度だけ手を振り、街道に向けて歩みを進める。広場を抜けて街道に入るまで、俺は一度も振り返ろうとはしなかった。

(end)


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