Path

[back]

 レーギス大陸北東部の都市、ケレス。大陸の北周り航路と東周り航路のまじわる拠点として、古くから栄えてきた町である。交通の要所であることに加えて、遺跡と洞窟といった観光資源も豊富で、常に人々が行きかう賑やかな場所だ。
 ケレスの中心街にある、一軒の道具屋。
 古びた石づくりの建物はどこにでもあるもので、うっかりしていると見過ごしてしまいそうな、目立たない店構えだ。近隣の飲食店などのような派手な看板もなく、扉にはそっけなく「道具屋」と書かれたふくろうの形のプレートがかかっているだけである。
 一見ありふれた店に見えるが、ただの道具屋ではない。
 長くつややかな漆黒の髪に黒衣をまとった長身の店主は、見る者によって男性にも女性にも見える。年齢も定かではなく、ラドアという名も本名かどうかはわからない。正体不明のこの店主は、客の要望に応じて生活雑貨から武器防具、はては呪具に至るまで、どのような貴重なものであっても、ものの数日とかからぬうちに取りそろえてくれるのだ。
 だが、道具とともに控えめに申し添えられる禁忌事項を破ってしまったが故に身を滅ぼした者も数知れぬという。安眠をもたらす香を日の当たる場所に放置してしまったために永遠の悪夢に悩まされることになってしまった貴族の話や、人魚に変身して海底を探索できるという装身具を繰り返し身につけた結果、人の姿に戻れなくなってしまった冒険者の話は、ケレスではあまりに有名である。
 この道具屋にまつわる、幾分不吉な噂の数々は、表立って人々の口に上ることはないものの、ひそやかに語られ続けている。
 どのようなものでも取り寄せてくれる店。
 わざわいをもたらす魔性の道具を売る店。
 店の倉庫からは、意思を持った道具達の話し声が洩れ聞こえてくるという。
 ここでは客が道具を選ぶのではなく、道具が客を選ぶのだと言う者もいる。
 そんな謎めいた、だがどこか魅惑的な店。
 それが「ラドアの道具屋」であった。

 ラドアの店にその少年が訪れたのは、夏の夕暮れのことだった。そろそろ店を閉めようとしていた時刻、他に客はいない。
 「ごめんくださーい。ラドアさんの店ってここですか?」
 快活な口調は、どこにでもいる十代後半の若者のものだ。
 「いらっしゃいませ。ラドアの道具屋にようこそ」
 ラドアがそう言うと、少年はとことこと店内に入ってきて人なつこそうな笑顔を見せる。少年と青年の境目といった年代に見えるが、快活な身のこなしがいくぶん幼さを感じさせた。黒い髪、額にほくろ。よく動く黒い瞳が印象的である。
 「……」
 ラドアの表情がわずかに……ほとんど見落としてしまうぐらい微妙に動く。少年は珍しそうにきょろきょろと店内を見回しながら用件を告げた。
 「俺、ディングって言うんだけど、ランディ・フィルクス・エ・ノルージに頼まれて、注文してたものを受け取りに来たんです。えっと、これが注文票の控え」
 「エ・ノルージさまのご注文ですね。少々お待ち下さい」
 帳簿をめくるラドアの手元を見て、ディングは驚いたような声をあげる。
 「それ、暑くないんですか?」
 「……え? ああ、この手袋のことですか?」
 ラドアは夏でも黒い手袋をはずさない。店によく来る者は承知のことだが、初めてやって来たディングが驚くのも無理はなかった。
 「習慣のようなものなので」
 「ふーん」
 あっさりとディングは納得したようである。ラドアは優雅な動きですっと立ち上がった。
 「ご注文の品はそろっております。お包みしますので、少々お待ち下さい」
 「はーい、あっ、店の中見てていいですか?」
 「ええ」
 ラドアは珍しくそれとわかる笑みをみせた。
 「かまいませんよ。ごゆっくり」

 カウンターの奥の扉を開け、ラドアは倉庫に足を踏み入れた。生命ある道具達のひそやかなざわめきが伝わってくる。
 棚に注文票とともに置かれていた品を手早く包装しつつ、ラドアはそっと店内の様子をうかがった。珍しい品々に夢中になっているのか、時折ディングの「うわっ」「すげぇ」というような声が聞こえる。
 (彼が……しかし……)
 ラドアは首をかしげる。
 彼がこの店にやってくることを、ラドアは知っていた。だが彼は、ラドアが予想していたような者ではない。
 (どういうことだ?)
 ラドアはしばし考え、手袋を外す。右手に包装した品物を持ち、倉庫の扉を開けた。
 (……っ)
 扉に触れた刹那、さまざまな光景が頭の中に流れ込んできたような気がした。
 この店がラドアの手に渡る前の持ち主達の顔、店内で繰り広げられたできごとの数々。
 それは、扉の持つ過去の記憶だった。
 左手で触れたものの過去を知ることができる……ラドアの知られざる能力のひとつだ。この力で商品の来歴や客の事情を知ることができる。とはいえ、触れるたびに膨大なイメージが流れ込むのでは日常生活に支障が出ることおびただしい。ラドアの手袋は、余計なイメージを見てしまうことを防ぐものなのである。
 ラドアは店内を見回した。ディングが新しいナイフの陳列棚に見入っているところに、気配を感じさせぬ足どりでそっと近づく。
 ディングの背後から影のように忍び寄り、ラドアは左手を伸ばす。
 その手がディングの背に触れる。
 「!」
 ディングの身体が大きく横へ跳躍した。飛びすさった姿勢のままラドアを見つめるその目は警戒と不信感に彩られている。
 無防備に見えた先刻とは、まるで別人のようであった。
 が、次の瞬間。
 ディングは目をぱちくりさせ、きょろきょろとあたりを見回す。
 「あ、あれ? 何やってるんだ俺?」
 その声の調子は、もとの快活な少年のものだ。
 「……失礼。驚かせてしまったようですね」
 ラドアはなにごともなかったかのようにそう言った。

 ディングが店を出てから、ラドアは手袋をつけ直す。
 あの時、ほんの一瞬のことだったが、確かに別の存在がディングから感じられた。
 (そういうことだったのか)
 わずかに触れた左手から、彼の凄惨な過去が流れ込んできた。切り落とされた少女の首。死に覆いつくされた街。制御できぬ力。心を二つに引き裂いた悲しみと憎悪……。
 (同じもの、か……)
 因果をあらわすシンボル「ヴァリエスティン」の力を持って生まれ、あまたの選択が織りなす運命という名の綾を見届ける者。それが、ラドアの真の姿であった。
 生命のシンボル「ウドゥルグ」の力を持つ者。
 おそらくは、ラドアのたった一人の「同類」。
 その「ウドゥルグ」は、過去の血に染まった記憶を封じ、自らが何者であるか知らぬまま、平凡な少年としてラドアの前に現われた。記憶を引き受けたもうひとつの孤独な心を内に抱えて。
 ふたつの心がひとつに戻る時、「ヴァリエスティン」は「ウドゥルグ」に出会うことができる。
 そしてそれは、さほど遠いことではないということを、ラドアは知っている。
 「やっと会えましたね……」

 薄暗くなりかけた店内で、ラドアはそっとつぶやいた。

(end)


短編。 やっと「謎の道具屋さん」を登場させることができました。某サークルの会報にて、さんざん紹介しておきながら小説(「シニフィエ」)には一切登場せず顰蹙かいまくったのですが、やっと汚名を返上できるっす。 ええと、時間的には「Perverted Religionist」の事件のあとの夏。ランディが注文品を受け取る前に旅に出てしまうんで、代わりにディングに預かってもらうように頼んだものと思われます。この後間もなく、続編の物語が始まるはず。


[back]