神の表象

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3 駆引

 一方。
 ディングのもう一つの人格であるガルトは、ディングの中で彼が抱きかけた疑問をずっと考えていた。
 (あの道具屋、どういうつもりだ?)
 他人を疑うことを知らないディングのかわりに、ガルトはディングの内面から外の世界を観察し、ディングが危険にさらされるようなことがあれば自分が表に出ることで、ディングを守ってきた。だが、ガルトは今迷っている。
 道具屋の意図が、ガルトにはわからなかった。
 (あいつは、ディングの不調の原因を知っている)
 蚊帳の一件で、ガルトは確信していた。ラドアはこの島でディングが不調を訴えることを知っていたかのように、あらかじめ準備を整えていたのだ。だがそもそも、この島にディングをわざわざ連れてきたのは、ほかならぬラドアである。
 (それにあの魔法は……)
 先刻、死霊を消し去った術を、ガルトはよく知っていた。故郷の暗殺者養成所で魔術師として育てられた彼は、声をほとんど立てずに宙に記号を描くことで発動する魔法に熟達している。実際、ケレスの洞窟の奥底でランディに謀られて死霊に襲われた時、彼自身もまったく同じ魔法を使ったものだ。だが、大陸にその魔法の使い手がいるという話は聞いたことがない。
 (島からの追手だったら、すぐに片付けないと)
 ターニャの件に見るように、ケレスにも破壊神の信奉者はいる。放置しておけば危険だ。この道具屋は破壊神を崇めているようには見えないが、なんらかのつながりがあるのかもしれない。
 ディングは自分の力について、なにも知らない。知らないがゆえに使うこともできずにいるが、もしも彼の力が破壊神の信徒の知るところとなれば──。
 (また、あの時と同じことになる)
 ヘスクイル島──ダーク・ヘヴンに伝えられる、死と破壊の神、ウドゥルグ。その力を持つことが司祭達に知られ、妹を目の前で殺された。人格を分かつ前のガルトはその時力を解放し、周囲の町や村を瞬時にして死の世界に変えた。
 決してそのような結果を望んだわけではない。ただ、妹の死を一瞬だけ拒絶してしまっただけだ。それだけで彼の身に宿る力は彼の制御を離れ、周囲の生きるものをことごとく死に追いやった。
 あのような悲劇だけは、繰り返してはならない。
 ガルトは意識の表舞台に上がる。必要な時以外はディングの意識の底でじっと見守っているが、彼は望む時にはいつもこうしてディングと「交替」することができた。
 「ラドアさん、ちょっといい?」
 ごそごそと蚊帳から這い出し、ディングの言葉づかいに似せながら、ガルトは道具屋に語りかけた。ガルトが表に登場している時は、ディングが感じていた違和感のようなものは感じられない。ガルトには、その力はないのだ。
 「なんでしょう?」
 「俺を雇った本当の理由ってなに? トラップ解除だけなら他の奴でもよかったろ?」
 「……」
 ラドアは笑みを浮かべ、予想外の言葉を口にした。
 「思ったより遅かったんですね。あなたをお待ちしていたのに」
 「?」
 ガルトは一瞬たじろぐ。この道具屋は、誰に対して今の言葉を放ったのだろう。
 「何もご存じないディングさんにお話しするわけにはいきませんから。そうでしょう? ガルト・ラディルンさん」
 考えるよりも先に、身体が動いた。ガルトは何の前触れも見せずに跳躍し、ラドアの背後にまわり込む。ディング愛用のナイフをぴたりとラドアの喉におし当てるまで、ほんの一瞬のできごとだった。
 「……何を知っている?」
 ディングをまねた親しげな口調をかなぐり捨て、ガルトは低く鋭い調子で尋ねた。だが一番当惑し、混乱しているのは他ならぬガルト自身である。反射的に相手の背後にまわり込んで詰問はしたものの、ラドアがどのような答えを返すのか、まるで予想がつかない。ガルトの存在を知っているのはランディだけのはずだったし、その彼も彼の姓までは知らないはずなのだ。
 この道具屋は、何を知っているのか。
 「警戒心の強い方だ」
 ラドアはくすりと笑う。ガルトは無言でナイフに力をこめた。あと少しでも力を加えれば、ラドアの細い首から鮮血が吹き出すことだろう。
 「そこまで警戒なさらなくても、ちゃんとお話しします。私は……あなたの味方のつもりですから」
 「……話せよ」
 ガルトはいったんラドアの首筋からナイフを放す。だがぴりぴりとした殺気はそのままだ。
 「最初に言っておきますが、私はダーク・ヘヴンとは関係ありませんよ」
 「なら、さっきの魔法は何だ?」
 「ガルトさん」
 ラドアは幾分寂しげにも見える笑みを浮かべた。
 「記号魔法は大陸でも伝わっていました。恐らくは私が最後の継承者なのでしょうけれど。だから少なくとも、あなたの島の司祭達よりはあなたがたの力について知っているつもりです」
 「……」
 ガルトは信用すべきかどうか判断に迷ってはいたものの、とりあえず目で先をうながす。ラドアは黒い手袋をはめた手を振ってみせる。
 「私の左手は、触れたものの過去を読む力を持っています。あなたには以前、一度だけ触れさせていただきました」
 「あんたの店に行った時か」
 「ええ」
 あれはほんの一瞬のできごとだったはずだ。背後から触れられたと感じた刹那、彼はその手を振り払ったのだから。
 「この島には、あなたがたが手にすべきものがあります。この島へ来ていただいたのは、それを取り戻し、あなたがたの手に返すためなんですよ」
 「何のことだ?」
 ラドアは笑みを浮かべたまま、答えない。
 「……」
 ガルトは道具屋の言葉の真意をはかりかねていた。そもそもラドアは誰に対して今の言葉を言ったのか。元暗殺者の魔術師ガルトにか、それとも……。
 「様子を見ている。俺はいつでもあんたを殺せるし……それに俺達の過去を知っているというのなら、ディングの力にむやみに関わったときの結末も知っているはずだ」
 「肝に銘じておきます」
 ラドアはガルトの脅しにもまったく動じていない。どこかからかわれているような気がして、ガルトは明らかに不愉快な表情を見せたが、そのまま無言で引き下がることにする。
 (もう一つ、問題があるな)
 道具屋の真意を問いただすつもりが、どこかはぐらかされた形になってしまったガルトは、うとうとと眠りかけているディングの意識の片隅でもの思いにふける。
 (明日このまま遺跡に入ったら、ディングが苦しむ)
 ディングを襲う不調の正体に、ガルトは気付いていた。遺跡を中心に渦巻く、生命の摂理を乱す力。生命を正しい方向へ導く力を持つディングは、自分では気付いていないものの、その力を乱し、ねじ曲げる力に無意識のうちに反応しているのだ。強い力が加われば反発力も強まるように、ディングの力が乱れに耐えかねて本人の意志とは無関係に解放されてしまうこともありうる。ガルトはそれを懸念していた。
 (俺が出ていた方がいいんだろうか)
 だが、彼にはディングのようにトラップを解除することはできない。トラップが多数仕掛けられているという遺跡では、ディングの手がどうしても必要なのだ。
 かといってディングに力の制御の仕方を知らせることもできない。なにしろディングはガルトの存在すら知らないのだ。
 (どうすればいい?)
 打つべき手が見つからない。
 今のガルトには、ディングを見守り、最悪の事態にならないよう祈るしかなかった。
 心と力が分かたれていることが、これほどまでにもどかしく思えたことはなかった。


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