守護獣の翼  2 魔獣の襲来

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「この丘、なんだか気になってたんだ」
 森の中、ウェイが楽しげに言う。
 あれ以来、三人は連れ立って、数日に一度は森に入り込んでいる。むろんユァンはメイエイとウェイの危なっかしい行動にはらはらしつつ、放っておけずについて来ているのだが。
「気になって、って?」
「ほら、てっぺんに木が立ってるだろ?」
 なだらかな丘の斜面を登りながら、ウェイが答える。防壁の穴からさほど遠いわけではなく、木々の切れ間から見えるところではあるが、ここにたどり着くまでには結構な時間がかかった。ユァンが安全を確かめ、「獣」を刺激しないように少しずつ行動範囲を広げていたからである。ウェイもメイエイも、水蜥蜴の一件があったためか、ユァンの指示には従っているつもりのようだ。もっともユァンにしてみれば、それでも何度も肝を冷やすような無茶をされているのだが。
「あの木がどうしたの?」
「いやあ、木に登ったら遠くまで見えるだろ?」
「……『獣』に狙われやすくなるぞ」
 先頭を歩いていたユァンが振り返り、ぼそりと言う。
「そこをなんとか」
「……努力はしてみる」
 とりあえず、そう答える。
 「盾」とはいえ、彼はまだ成人していない。覚えねばならないことはまだまだ多いのだ。
 本来ならば、半人前の「盾」が森を探索するなど、危険きわまりない。まして、他に二人も守らねばならない状況で。
 だが、彼には「翼」がある。誰の目にも見えない「翼」を広げて常に周囲の様子をうかがい、危険な時には決して進まない。「盾」としての技術と慎重さに加えた「翼」の力が、彼らの無茶な探索を可能にしていた。
 何度も「翼」でさぐるうちに、森が平穏な状態なのかどうかということの判断もつくようになってきている。今日の森は、いたって静かだった。村と変わるところのない、やわらかな陽射しがあたたかい。
「あれ、なんだろう」
 メイエイがユァンの背後でかがみ込んだ。見ると、半ば草に埋もれた棒のようなものに手を伸ばしているところだった。
「枝じゃない……人がつくったものみたいね」
「どれ」
 ウェイがそれを、拾い上げたメイエイの手から受け取る。
「これは……短剣?」
 明らかにそれは、人のつくったもの――森にあるはずのないものだった。泥で汚れてはいるが、どうやら鞘におさめられた短剣らしい。
「見ろよ、これ……」
 鞘の汚れの下からウェイが見つけたのは、村の門に彫られているものと同じ紋章だった。
「じゃあ、真影の……私達の村のもの?」
「……」
 それは、ユァンも初めて見る短剣だった。「盾」の持つ剣や小刀とは形が違う。ということは、この短剣は「盾」でない誰かが森に来た証なのかも知れない。
 だが、普通森に村人は立ち入らないはずだ。
 不思議に思ったユァンは、ウェイの持った短剣を「翼」で探ってみようとした。「翼」なら目に見えない感触や気配がわかるかも知れない。
 見えない「翼」が短剣をなでるように覆う。
 が、その時。
「……っ?」
 「翼」どころか全身に緊張が走った。
 今まで経験したことのない、ひどくいやな感じがする。
(なんだ? この短剣……)
「どうかした、ユァン?」
「……なんでもない」
 かろうじて、それだけ答える。平静を装っている間にも、正体の見えない不吉な予感が「翼」を通じて背筋に伝わってきていた。
「村の紋章なんて、ただの剣じゃなさそうだな」
 短剣を鞘ごと観察していたウェイが、柄に手を添えている。
 抜いてみるつもりだ、と思った瞬間、ユァンは我知らず叫んでいた。
「やめろよっ!」
「ど、どうしたんだ?」
 ウェイがきょとんとした表情でユァンの方を向く。
「……あ、いや……」
 ユァンは口ごもる。いやな感じ、と言ってもわかるまい。まして「翼」のことを口にするわけにもいかない。
「抜くのは、やっぱり危険だと思うか?」
 ユァンはうなずく。先まわりしてそう尋ねてくれたウェイがありがたい。
「そうだね、こんなところに落ちてたんだもの、なんか怪しいよ」
 メイエイも同意する。
「もうちょっと調べてみるか。紋章があるってことは、村の歴史と関係ありそうだし、親父の書庫でも探してみるよ」
「その方がいいんじゃない?」
「ことによったら……」
 ユァンはつぶやくように口を開く。
「村長に知らせた方がいいのかも知れない」
「親父に?」
 ユァンはうなずく。
「俺が一人で森に入って見つけたことにすれば……」
「そんなに、気になるのか?」
「……」
 ウェイの問いに、ユァンははっきりとは答えられない。そうだ、としか言いようがないのだが、なぜそう感じるのか、自分でもうまく説明できなかった。
 ただ、言いしれぬ不安がとめどなくわき起こる。「盾」しか入らないはずの森に、村にとって無価値であるはずのない、紋章入りの短剣が棄てられていたのだ。この短剣には、少なくとも彼ら子供には知らされていない村の秘密があるように思えてならない。
 村にとって、決定的な何かが。
「……よし」
 ユァンの顔をじっと見ていたウェイが、大きくうなずいた。
「俺が親父に届けるよ。もともと森に来ようって言い出したのは俺なんだから」
「でもそれじゃ……」
 もう森には来られなくなるかも知れない……そう言いかけたメイエイを、ウェイはさえぎる。
「メイエイ、俺達は、森についても『獣』についても、大して何も知らないよな」
「……うん」
「それなのに、森にこうやって来られるのは、ユァンがいたからだ。森について一番詳しい奴が森の中で下した判断は、たぶん俺やおまえの判断よりはあたってるんだと思う」
 ユァンは黙ってウェイの言葉を聞いていた。そんなにりっぱな判断というわけではない。うまく説明もできないような感じでしかないものに、そこまで信頼を置かれるのは、嬉しい反面戸惑うことでもあった。
 
「おまえ達、どこでそれを……」
 ウェイに差し出された短剣を見て、村長は明らかに顔色を変えた。ウェイに似た、いくぶん小柄な身体つきと丸い柔和な顔に、見たことのないような厳しい表情を浮かべている。
「その……森の中で」
「……!」
 村長が息をのんだ。あまりのことに何から言ったものか迷っている様子がはっきりとわかる。ユァン達三人は、その様子を息をつめて見守っていた。
 そもそも、森に入ったということだけでもひどく怒られるのは必至だ。加えて、あの短剣がやはりただの落とし物などではなかったことが、村長の反応からうかがい知れる。
 普段は気のいいおっさんだけど怒ると怖いんだ、とは、ウェイがしばしば口にすることだ。覚悟はしていたつもりだが、目の前の村長を見ていると、やはりどれだけ怒られるかと身をすくめたくなる。
 が。
 ややあって開かれた村長の口は、意外なほどに静かだった。
「ユァン」
「はい?」
 突然名を呼ばれ、戸惑い気味に答える。
「これを抜いたかね?」
「えっ? あ、いいえ……」
「そうか」
 村長はうなずき、ウェイの方に向かう。
「ウェイ、それにメイエイ。とにかく今は仕事に戻りなさい。詳しい話はあとで聞く。ウェイ、おまえへの説教もその時だ」
「えっ……」
 ウェイは目を丸くする。延々と続く説教を覚悟していたのに、拍子抜けしたといった表情だ。
「今は?」
「この短剣が見つかったことで、急を要することができた。……ああ、ユァンは少し残ってくれ。『盾』の仕事の話だ」
 腑に落ちない表情のまま、ウェイとメイエイが出ていく。後に残されたユァンは、村長と二人きりで向かい合い、当惑した面もちで立っていた。村長はと見ると、手にしたままの短剣の鞘に目を落としたままだ。何か、懐かしく思いがけないものを見る目に見えないこともない。
 長い沈黙。
「あの……」
「すまんな、ユァン」
 沈黙に耐えかねたユァンが口を開きかけるとすぐ、村長は顔を上げ、脇の卓上に短剣を置いた。
「ウェイには後でたっぷり説教しておくからな。どうせあやつに引っ張り出されたのだろう?」
「そんなことは……」
「隠さずともよい。おまえは無口だが、表情にすぐ出るからわかりやすいぞ」
「はぁ……」
 困惑した表情のまま、ユァンは曖昧に答える。
「森でウェイやメイエイのお守をするのは大変だったろう」
「そんな……ことはないです。俺も森の様子を見ることができましたから……」
「そうか。それならばよかった」
 村長は柔和な顔に微笑を浮かべる。
「ユァン、ウェイ達をよろしく頼むよ。おまえが厭でなければ、あいつらを守ってやってくれ」
「……?」
 突然何を言い出すのだろう、という表情で、ユァンは首をかしげる。
 村長は、なんでもない、というように笑う。だが、そこにはユァンの知らない重要な意味があるのだと、「翼」には感じられた。
「話というのはな、すぐに父上をを呼んできてもらいたいのだ。それも内密に」
「仕事の話ですか? それなら俺が……」
「ああ、いや」
 村長は両手を振ってとどめるしぐさをした。
「できればこれは、大人が片づけるべきことなのだ。おまえにはすまないが、いまは彼と話をさせてくれ」
「……? わかりました」
 村長は何かを隠している。それは「翼」を使うまでもなくわかりきっている。
 大人達はこれまで何かを隠してきたのだ。たぶん、村長の息子で成人間近のウェイすら聞かされていないような、何かを。
 そして短剣は、そのことと関わりを持っている。
 それが短剣のいやな感じと関係のあることなのかどうか、ユァンにはわからない。
「父を呼んで来ます。でも一つだけ聞いていいですか」
「何かね?」
「この短剣は……村に伝わってきたものなんですか?」
 村長はうなずく。
「防壁が作られた頃から村に伝わるものだ。だが、これがあったせいで悲しいことも数多く起きたものなのだよ」
 そして、ぽつりと付け加えた。
「もはや失われたものと思っていたが……やはり逃げるわけにはいかんのだろうな」

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