守護獣の翼  2 魔獣の襲来

[index][prev][next chapter ]

[1][2]

 その晩、もう明け方近くだろうか。
 物音に気づいてユァンは跳ね起きる。見ると両親が「盾」の正装――「獣」と戦うための装備――を身につけている最中だった。あわただしい空気はただごとではない。
「どうしたんですか?」
 ユァンも手早く身をととのえながら尋ねた。成人前で正装は与えられていないが、一通りの装備はある。
「魔獣の襲撃だ」
 父が短く答える。
「魔獣?」
 初めて聞く言葉だった。
「人ではなく『獣』でもない。習性も決まった形も持たないやつらだ。時々こうして村を襲いに来る」
「あなた……」
 何が気がかりなのか、声をかけてきた母に、父は厳しい調子で答える。
「こいつは『盾』なんだぞ。敵を知らないでは済まされん」
「……」
 母は黙り込む。
 ユァンは「敵」という言葉にどきりとした。何が村に起こっているのだろうか。
「ユァン、魔獣は俺達の手に負える相手じゃない。倒そうと思うな。追い払うだけでいい」
「は、はい」
 父の気迫に圧倒され、ただうなずくよりほかはない。そのような敵がいるのに、その名さえも耳にしたことがなかったのはなぜなのか、考えるゆとりは今の彼にはなかった。
「門は俺達が守る。ユァンは広場へ行け。空から襲ってくる奴もいるかも知れない」
 ユァンはできれば両親とともに門を守りたかった。ユァン一人に広場を任せるということは、広場は危険ではないと思われているからだ。どうせなら「盾」として働きたいものだが、広場にいてはそれはできそうにない。
 だが、火急の時に口答えは許されない。彼は剣を取り、門とは逆方向の広場へ向けて駆け出す。
 門の方からかすかに、叫び声やぶつかり合う物音が聞こえる。ところどころが明るいのは、かけられた火だろうか。
 村が何者かに襲われるなどということは、ユァンにとっては初めてのことで、それだけに不安と高揚した気分が入り交じる。
 走りながら「翼」を門に向かって伸ばす。未知の襲撃者を知っておきたかったし、被害の状況も確認したかった。
(これは……)
 真っ先に感じ取ったのは、敵意だった。
 怒りとも憎しみともつかない負の感情を持った者達が、その矛先を村に向けている。
 襲撃者達がなぜそのような感情を抱いているのか、ユァンにはわからない。戸惑いを抱きつつ、姿を確認しようと「翼」に意識を集中させ、敵意を強く発しているものを探っていった。
(『獣』? いや、違う……)
 襲撃者達の姿は一様ではないようだった。それぞれが平原や森の「獣」に似ているようで、どこか違う。しかも、衣服らしきものをまとっていたり、武器を手にしたものもいた。どうやら、鳥の姿をした者が上空から防壁を突破し、門を開けたらしい。
 「獣」はそれぞれの習性に従って生きる。なわばりを荒らされたわけでもないのに防壁の中の村に危害を加えようとする「獣」などいない。空を飛ぶ「獣」でさえ、防壁の中には降りて来ない。
 人ではなく「獣」でもない。
 父の言葉を思い出す。確かに、そうとしか言いようのない者達のようだ。
 数は十数から二十。門を守る「盾」よりも多いようだが、防壁が幸いして「盾」が優勢になりつつある。
 門から離れた広場で、ユァンは注意深くあたりを見回す。人の気配がほとんどしないのは、夜明け前だからか、あるいは魔獣の襲撃に息をひそめているからなのか。
 広場にまで襲撃者がやってくる様子はなかった。「翼」で感じ取ることができる敵意も、少しずつ遠ざかりつつある。撃退しつつあるのだということがわかった。
(だめだ、油断しちゃ……)
 門は両親をはじめとする大人の「盾」が守ってくれている。空からの襲撃も、広場までは及びそうにない。
 だが、もう一つ侵入経路が残っていることを、ユァンは知っている。
 防壁の穴。
 村長に知れたのは昨日のことだ。まだ塞がれてはいない。
 見つけにくいように隠しているし、そもそも大柄な体格ではくぐり抜けられないだろうが、念のために穴の方へ「翼」を伸ばす。
 「翼」にははじめ、何も触れなかった。普段と変わらぬ畑と果樹園、そして防壁の様子が、離れていても感じとれる。
 考えすぎかな、とユァンは思った。
 が、その時である。
(!)
 ユァンは目を見開いた。
(何かが……外にいる!)
 意志あるものが、防壁の外、穴の付近をさぐっている。何者かはわからないが、壁から村の中へ入ろうとする意志と、むき出しの敵意がはっきりと感じとれた。
 ユァンは走り出す。防壁の穴を知りつつ放置していたのは、ほかならぬ自分だ。まさか侵入を試みるものがいるとは考えてもみなかったのだが、このせいで村の中が危険にさらされてしまってはならない。
(入ってくる前にくい止めなきゃ……)
 幸い、広場から穴まではさほど遠くない。畑の中を通る道は走りにくいが、さほど時間もかからずに穴のそばまでたどり着くことができた。
 だが、防壁が視界に入った時、彼の目は侵入者の姿を捉えていた。
 思わず、立ち止まる。
(子供……?)
 穴をくぐってごそごそと這い出してきた姿は、見たところ人間の子供のようだった。服を身にまとい、手に武器らしきものを持っている。
 だが、普通の人間の子供と異なる特徴が薄暗い中でも見てとれる。水蜥蜴のように太く大きい尾が、丈の短い服のすそから見えていた。
(魔獣か!)
 二本の足で立ち上がり、きょろきょろと周囲を見回す。顔とは逆の方向に尾がぴょこんと動く。
「へへっ、やっぱり抜け道があったじゃんかよ」
 魔獣が言葉を発した。
(話せるのか)
 ユァンは少なからず驚いていた。姿のみならず、今まで知っていたどの「獣」とも違う。
 だが、相手は侵入者だ。村への敵意を抱いて入り込んできた者である。
 ユァンは剣を握りしめ、魔獣の前におどり出た。
「!」
 とっさに横に飛び退いたところを見ると、相当身が軽いようだった。体格は小柄で、ユァンの半分ほどの背丈しかない。
「見張りかよっ!」
 張り上げた声もまた、子供のようである。
「……村には入れさせない」
 剣を構えてユァンが言った瞬間。
 魔獣の子供は無言で突進してきた。
 繰り出された小刀の刃をかろうじて避け、続く攻撃を後ろに飛び退いてかわす。間髪を入れずに魔獣が駆ける。一度ユァンの脇をすりぬけ、背後に回り込む。反転したユァンが刃を剣で止め、そのまま突きに転じるが、背の低い魔獣に狙いが定まらず、空を切る。
(速い!)
 力はさほどではないが、その素早さには目を見張るものがあった。加えて目まぐるしい動きで走り回り、時折見失いそうになる。
 ユァンはいつしか防戦一方に追い込まれていた。急流に翻弄される木の葉のように、魔獣の攻撃を避け、はじくのが精一杯である。加えて、小柄な相手に対して剣を構えにくいことも不利だった。
 空はいつしか白み、魔獣の姿もかなりはっきりと見えるようになってきている。それでもなお、魔獣の動きを見切るのは難しかった。
(正面からじゃだめだ。ならば……)
 ふと思いついたことがある。
 上空からならば。
 ユァンは魔獣の攻撃をよけながら果樹園から張り出した枝の下にじりじりと近づく。ユァンの背丈ならば飛びつけない高さではない。
 十分な位置に来た時。
(今だ!)
 魔獣の子供が正面から突進してくるのを見計らい、「翼」を地面に向けて羽ばたかせる。目に見えなくても風を起こすことはできるのだ。乾いた土煙が魔獣の視界を遮る瞬間を利用して、彼は片手で枝に飛びつく。反動をつけ、ちょうど魔獣の頭上から襲いかかる。
 見上げた魔獣の目が、驚きの色を浮かべている。
 一瞬の後、彼は仰向けに倒れた魔獣に剣をつきつけて立っていた。
 勝った、と思った。子供のようだとはいえ、魔獣を組み伏せることに成功したのだ。
 魔獣は怒りに燃える翠の目で、ユァンをにらみつける。瞳孔が縦に細長い、明らかに人のものではない目だ。目と同じ色の髪やとがった耳の形もまた、人とは異なる。
(ええと……)
 魔獣を捕らえてからどうするかを知らないことに、ユァンは気づく。
 捕獲すべきなのか、それともとどめをさすべきなのか。
 殺してよいのだろうか、この、人の言葉を話す相手を。
 そんな隙を、魔獣は見逃さなかった。
 突然ユァンの脚に衝撃が走る。何か堅いものがすねにぶつかった痛みに、体勢が一瞬くずれた。魔獣はぱっと起きあがり、防壁の穴へと駆けていく。
 どうやら魔獣は尾でユァンのすねを打って逃れたようだった。穴をくぐり、そのまま森へと逃げていく。痛みに顔をしかめつつ、ユァンもその後を追う。
 追い払うだけでいいと言われたことを、このときの彼はすっかり失念していた。
 ウェイ達がいる時には慎重だったユァンだが、今はためらいなく森の奥に踏み込んでいく。誰も守る必要がないからだ。
 ほどなく視界が開ける。川の流れが行く手をさえぎっていた。
(追いつめた……!)
 魔獣は川を背にしてこちらに向かう。ユァンはゆっくりと魔獣に近づいていった。
 その時である。
「来るなよっ!」
 魔獣が叫んだ。
 泣き出しそうな子供そのままに。
「……」
 ユァンがさらに一歩踏み出すと、魔獣はさらに叫ぶ。
「なんで人間なんかの味方するんだよ! 仲間のくせに!」
「?」
 魔獣の声は、明らかにユァンに向けられていた。
 仲間?
 この魔獣は何を言っているのだろう。
 ユァンの動揺は、魔獣にも伝わったらしい。
「わかんねーのかよ、そんなすげー翼持ってるのに、人間に飼われて忘れちまったのか?」
 翼。
 ユァンは聞きとがめる。
 見えないはずだ。なのになぜこの魔獣にはわかったのだろう。
「どういうことだ……」
 自分の声がかすかにふるえているのがわかる。
 まさか……そんなことがあるのだろうか。
「村長にでも聞いてみろよ、ここじゃあ魔獣を飼い馴らして村を守らせてきたんだ。もう長いことな!」
 言い捨てるように魔獣は叫び、くるりと背を向けた。
「待て……!」
 ユァンの声は、魔獣が川に飛び込んだ音にかき消される。川の下手、ちょうど昇ったばかりの朝日がきらきらと輝く水面に、ひとつの影がすうっと流れるように浮かび、そして見えなくなった。
 川べりにたたずんだまま、ユァンは呆然とつぶやく。
「俺が……魔獣?」

[index][prev][next chapter ]