守護獣の翼  3 人にあらず、獣にあらず

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 森は穏やかな表情を見せていた。高く昇った日に照らされ、木々の緑があざやかに照り映える。
 昨日ウェイ達と歩いた道を、ユァンは一人で進む。草をかきわけ、丘の斜面を登っていく。
 頂上の木の下に立ち、丘を覆いつくさんばかりに広がる枝を見上げた。
 青々とした葉の隙間から、こぼれてくる日の光がまぶしい。
(この木が……)
 村長の推測が正しいのかはわからない。とにかく探ってみようと思い、「翼」を広げた。
 その時。
(!)
 不思議な感覚が、ユァンを襲った。
 「翼」が、木の枝葉と溶け合っていく。丘を、森を覆い、そのままどこまでも広がっていくような気がして、ユァンは思わずよろめいた。
 それは一瞬にして通り過ぎ、気がつくと彼は木の根元に座り込んでいた。
(……)
 座り込んだまま、彼はうつむく。
「……なんでわかっちまうんだよ」
 悲痛な目を地面に向け、嗚咽に近い声をもらす。
「俺も……村にはいられないのか?」
 「翼」が木と溶け合った瞬間に、彼はすべてを理解してしまっていた。
 この木は、仲間だ。
 理屈ではなく感覚として、仲間だとわかる。のみならず、彼の持つ記憶が流れ込んでくる。
 彼は、かつて村に住んでいた「医師」の青年だったが、魔獣の襲撃を受けて大怪我を負ったことがきっかけで人ならざる正体が露見してしまった。恐れと困惑のまなざしで見つめる村人達の目の前で、彼は異形の姿のまま村を守り抜き、その後で、この場所に生えていた木と同化した。
 今の彼は、木の中で眠っている。
 魔獣は決まった形を持たない。眠りにつきたいという願いが、彼をその願いにふさわしい姿に変えた。
 村にはいられない――そんな男の思いを、ユァンは強く感じ取っていた。
 誰が悪いわけでもない。だがあのおびえた目を自分に向けていた人々と、ともに暮らすことはできない。かといって、魔獣として人間を襲うこともできない。だから――眠りにつくしかない。
 もはやものいわぬ木でしかない男の思いに同調し、理解してしまう力を自分が持っているということ。そして、彼もまたユァンと同じ苦しみを抱え、その結果としてひっそりと眠りにつくという選択をしていたこと。
 いずれにせよ、ユァンの問いに答えを与えてくれるものではない。それどころか苦しさがいっそう増したような気さえする。
(このまま帰らずにいようか)
 ふと、そんな思いにとらわれる。
 このまま森で、眠りにつけたら。
 だが一方で、ユァンは気づいていた。
 木と化した男は、やはり木の姿であっても生きて、苦しんでいるのだ。誰からも知られないまま、苦しみだけが抜けないとげのように残り続ける……。
 彼は、いつまでこうして苦しみを抱えてたたずんでいるのだろう。
(俺は、俺達は、どうすればいいんだろう)
 沈鬱な表情のまま、ユァンは村の方を眺めやった。
 視界に何か動くものがよぎり、何気なくそちらを見る。
 そして、目を丸くした。
「おーい」
 ウェイが丘を駆け上がって来る。
「いたいた、やっぱりここだったんだな。探したぞ」
「ウェイっ!」
 ユァンは立ち上がる。
 「盾」でもないのに一人で森に来るとは。
 それまで延々と悩み続けていたことが吹き飛んだ。
「何してるんだ、危ないじゃないか!」
「いや、ほら、だってさあ」
 ウェイがいつものように笑う。彼にとっては、今日は昨日の翌日でしかない。たった一日で世界がまるで違う姿になってしまったかのように感じているのは、ユァンだけなのだ。
「肝心のおまえがいないしさ、話があるのに捕まらないし」
「……話?」
「ああ。昨日ここで見つけた短剣のことなんだけどな、あれ……今朝襲ってきた奴らが狙ってるものらしいんだ」
 魔獣が?
 ユァンは聞きとがめる。
「どういうこと?」
「詳しくはわからないんだけどな、この村はあの短剣があるから、何年かに一度奴らに襲われてきたそうだ。それが行方不明になったから、もう十年以上襲われずに済んだらしい」
「じゃあ、もしかして俺達が村に持って帰ったから?」
「おいおい、自分のせいだとか言うなよ? だいたい大人が魔獣なんて連中がいることを隠してたのも原因だろ? ……とはいえ」
 ウェイはわずかに口調を変える。折り入った話をする時の癖だ。
「俺達に責任がないわけじゃない。だから、だ」
「……?」
「俺、魔獣を探しに行こうと思う」
「……は?」
 ユァンはウェイの言っていることが理解できなかった。
「なんであいつらが襲ってくるのかわからないまま、短剣をどこかに棄てて万事解決、ってのは変だろう? また、俺達みたいな何も知らない誰かが見つけてくるかも知れないし」
「それは、まあ」
 魔獣が短剣を狙っているのだとすれば、隠しただけでは確かに何の解決にもなっていない。
「あいつらが短剣を狙ってどうするつもりなのか、あの短剣が何なのか、他の村ではどうなのか……親父も含めて誰も知らないんだ。知らないまま、ただ目をつぶって見ないふりして、俺達には隠して、それで済むと思ってる。俺は……それじゃいけないと思うんだ」
「だけど……」
 魔獣を探しに行く、ということは、村の外に出るということだ。どれほどの危険が待ち受けているか、想像もつかない。
「危ない、っていうんだろ?」
「そりゃあ……」
「だから、ユァン……おまえも一緒に来てくれないか?」
「ちょっと待てよ」
 ユァンは慌てて言う。
 村の外の世界など、ユァンでさえ大して知らないのだ。
 ウェイの言うことは正論だ。だが、そのために危険な外を旅する必要が、ウェイにはあるのだろうか。
「だいたい、村長が許すわけないだろ? 跡継ぎをそんな危険な目に遭わせるなんてさ」
「そうだなあ、だから急いでるわけだ。防壁の穴がふさがれたら、抜け出しにくくなるだろ?」
 抜け出す気か。
「……一応聞いておくけど、もし俺が行かないって言ったらどうする?」
「うーん、実は困る」
 ウェイは頭をかいてみせる。
「メイエイは危なくて連れていけないからなあ。一人ででも行くつもりなんだけど、さすがに戻って来られる自信はないんだな」
 ああ、もうこいつは。
 ユァンは頭をかかえる。
 こう言い出したら、本当に一人ででも行くのだろう。むこうみずな旅へ。
 ユァンに放っておけるわけがない,。
 それに、ふと気がつく。
 今はしばらく、村から離れた方がいいのかも知れない。両親や村長の前ではもはや何も知らないふりはできないが、ウェイはもとから何も知らないのだから、まだ気が楽だ。
 それに、誰かを守ろうと必死になっていれば、自分のことを考えずに済むかも知れない。
「……わかったよ」
「一緒に来てくれるかユァン!」
 がしっと手を握られる。喜びあふれるウェイに、ユァンは忘れずに釘をさす。
「いいけど、村長にはちゃんと許可もらえ。メイエイにもちゃんと言っておけよ」
「しょうがないなあ。ま、ユァンが一緒なら大丈夫かな」
 なぜそこまで信頼を寄せてくれるのだろう。
 ユァンは年上の友に対してそう思う。
 人間でない、この自分に。
 もしも自分が魔獣だと知ったら、ウェイはどうするのだろう。
 木と化した男の周囲にいた人々のように、困惑と恐怖のまなざしを浮かべるのだろうか。
 それはとても恐ろしい想像だった。そうなったとしたらとても耐えられまい。
 知られたくはない。
 ウェイにもメイエイにも、自分の正体は知られたくない。
「よし、じゃあ村に戻ろう。早速準備だ」
「……今から?」
 ウェイに引っ張られるように、ユァンは丘を降りていく。
 当惑と同時に、どこかほっとしたような表情を浮かべて。
 白い幹から生え出た枝が、そんな彼を見送るかのようにさわさわとゆらめいた。

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