守護獣の翼  4 辺境の村より

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 背の低い草が生い茂る平原。決して整備されているとは言い難い、形ばかりの道が、どこまでも続いている。
 この道だけが、点在する村と村をつなぐ経路だ。
 ユァン達はひとまず、この道を五日ほど歩いたところにある紅裳という村を目指すことにしていた。
「魔獣の集落?」
 ユァンは聞き返す。出発してすぐ後、最終的に目指す場所を尋ねたユァンに返ってきた答えだった。
 ウェイは大きくうなずいた。
「誰も確かめたわけじゃないけど、たぶんあると思う」
「なぜ?」
「姿も習性も違うのに、村を襲う時は群れて来るっていうだろう? ということは、少なくともやつらはお互いに協力するぐらいの関係は持ってるわけだ。だから、そういう関係を作れる条件があるはずなんだ」
「なるほど……」
 考えてもみなかった。
 ユァンの知る範囲では、人も「獣」も、同じような姿のものが同じ種として群れをなす。姿のまるで異なるものどうしが協力し合うという光景は、まず見られない。防壁の内には、人と人に飼われているものがともに暮らすが、その関係は協力とは言えない。
 出発前に村長に渡された魔獣の記録から、魔獣達が人と同じ言葉を解することや、高度な連携も可能なことがわかっている。
 ユァンの出会った魔獣も人語を話していた。ごくあたりまえに話すことができるということは、言葉を話す者の間で育ってきたということではなかろうか。
「でも、どこにあるのかは……」
「そうだな、全然わからない。でもな」
 ウェイはゆっくりと歩きながら続ける。
「俺達は真影の……自分の村のことしか知らないよな。だから、他の村で魔獣についてもっと詳しい話を聞ければ、何かわかるかも知れないだろう?」
「何かって……」
「魔獣がやっぱり襲ってくるのかとか、何を狙ってくるのかとか。戦った人がいれば、その時の感じや逃げていった方向なんかも聞けるよな」
 逃げて行った方向。
 ユァンはあの魔獣の子供を思い出す。
 森の中をまっすぐに川へ向かっていった。追いつめたと思った川べりで、水の中に逃げられた。あの時彼が、はじめから川を目指していたのだとすれば、森の地理についてある程度知っていたことになる。
 ということは。
「ウェイ、その集落ってもしかして、意外と真影の近くなんじゃないか?」
「かもな。じゃないと群れで襲うなんてできないだろうし」
 ウェイは砂色の布をかぶりなおす。上空から襲ってくる巨大な鳥、飛禽の目をくらませるために、昼間はこの布を頭からすっぽりとかぶって移動するのだ。
「でもなあ、ユァン」
 おっとりとしたいつもの口調で、ウェイは言う。
「最短の道が最善とは限らない、ってこともあるぜ」
「……?」
 ユァンは首をかしげてウェイを見た。聡明で知られるウェイの言葉は、時折謎めいたものに聞こえる。
「ああ、だからさ、集落が村に近いからって直行するより、他にもいろいろ見ておいた方がいいような気がするってこと」
「そういうものなの?」
「そうさ、それにせっかく旅できるんだから、いろいろ見ておきたいものな」
「あ、そう」
 なんだ、いつもの好奇心か……と、ユァンは拍子抜けしかけたが、ウェイがそれに気づいたのか、慌てたように付け加えてきた。
「だからさあ、俺達って大して知ってることないと思うんだよ」
「?」
「魔獣のことだって、実際に襲ってくるまで知らなかった。誰も教えてくれなかったからだけど、じゃあ俺達は誰かが教えてくれなかったら、ずっと知らないままなんだろうか?」
 でも……と、口答えに近い反論をユァンはしかけた。が、次の瞬間、すっと手を上げて立ち止まる。
 上空から地表を睥睨する、鋭い目。
 見たわけではない。だが常に広げて周囲を探っている「翼」がとらえたものを、わざわざ目で確認するまでもなかった。
「飛禽だ」
 低くユァンは言い、とっさに見上げようとしたウェイを押しとどめた。
「動くと気づかれる。奴の目がそれた隙に、あそこの岩陰に逃げ込むんだ」
「目、って、わかるのか?」
「あ、ええと……飛び方で。合図するから気をつけろよ」
 「翼」でわかるのだとは、さすがに言えない。なんとかごまかしたユァンは「翼」に意識を集中させる。
 飛禽が上空をゆっくりと旋回しているのがわかる。平原の小さな「獣」も見逃さず、一瞬のうちに鋭い爪にかけて上空へ運び去る。その目からいかに逃れるかが、生死の分け目となるのだ。
 飛禽の意識が地表からふとそれた瞬間、ユァンは叫ぶ。
「今だ、走れ!]
 少し離れたところにある大きな岩と灌木の茂みが、上空の目をくらませてくれそうだった。
 岩の陰に身を隠し、二人は砂色の布をしっかりとかぶったまま、息をひそめる。飛禽があきらめて去っていくのを、こうして辛抱強く待つしかないのだ。
 そのままどれだけの時間、動かずに息を殺していただろうか。
「……行ったみたいだ」
 ユァンがそう言い、ふぅっと息をつく。 
 道に戻ろうと、二人が立ち上がった瞬間。
「!」
 無数の敵意を感じた。
 見回しても何も見あたらない。上空にももう飛禽が舞っている様子はない。だがユァンの「翼」は、彼らに向けられる敵意を察知していた。
 敵意は、地面から感じられる。
「気をつけろ、そこに何か……」
 ユァンが小声で注意をうながした刹那、彼らの周囲におびただしい土煙が舞った。
「わっ」
 傍らでウェイがかぶった布をしっかりと引き寄せ、驚きの声を上げる。
「なんだこりゃあ……」
 土煙がおさまるとそこには、小さな「獣」の大群が姿を見せている。人の膝の高さほどにしかならない、茶色い毛皮の生き物。後足で立ち上がり、歯を噛みならしてうなり声を上げていた。
「草鼠だな。平原の地下に住む、兎に近い「獣」だ」
 ユァンは低く答えた。姿を見てしまえば、それは既知のものだ。正体不明の敵ではない。習性がわかっていれば、対処のしようは十分にある。
「奴らの足下に巣穴がある。繁殖期にはこうやって集団になって、近寄るものを威嚇するんだ」
「ってことは、奴らが立ち上がってるところが巣穴のあるところなのか?」
「ああ」
「なんてこった、巣穴だらけじゃないか」
 ウェイの言う通り、草鼠の群はすっかり彼らを取り囲んでいる。どうやら、岩の周囲は草鼠のなわばりのただ中であったらしい。
「道に戻らないと……」
 ユァンは一本の笛を取り出す。この音は草鼠を一時的に遠ざけられるはずだ。
 甲高い笛の音が鳴り響くと、草鼠はじりじりと後退を始める。笛に唇を当てたままのユァンにうながされるように、ウェイがそろそろと道の方へ歩きだす。どうにか二人が道に戻るまで、笛の音は続いた。
 道に戻って振り返ると、草鼠が警戒を解いて次々に巣穴に入っていくのが見えた。よく見れば確かに、そこかしこに小さな穴がある。
「やれやれ、どうなるかと思った」
 ウェイが道に座り込んでため息をつく。
「いきなり囲むぐらいなら、なわばりに踏み込んだ時に警告しろよな」
「無理だよ、上で飛禽が飛んでたから」
「ということは、俺達は草鼠にとって、飛禽ほど怖くないってことか」
「そうなるな」
 「盾」の修行を続けているとよくわかる。人は防壁の外の世界では、かくもか弱い。「獣」が防壁を越えて入って来ないから、かろうじて生きていけるのだ。
 防壁の外に初めて出たウェイには驚くべきできごとだったのかもしれないと、ユァンは思ったが、見るとウェイはさほど驚いてはいないようだ。納得したような面もちで一人うなずいている。
「そうだよなあ、壁の中にこもって滅多に出てこないやつらなんか、警戒するほどにも目に入らないよな」
「えっ……」
 そういう見方をするのか、と、意外に思ってユァンはウェイを見る。
 その目に気づいたウェイが、逆に目を丸くした。
「だって気にならないか? 『獣』が人間のことをどう見てるのかってさ」
「いや……あんまり」
「そうかぁ」
 実際、まったく考えてもいないことだった。「盾」にとって「獣」は、人間がいるかどうかに関わらず固有の習性を持つもので、人間はその習性を計算して襲撃を回避するものだ。それ以上でもそれ以下でもなく、まして「獣」の目に映る人間のことなど、一顧だにしたこともない。
 回避が必要か、それとも戦って排除するか。そんな強さ弱さでしか「獣」を見てこなかったし、それ以外の見方があることにすら気づいていなかった。
 ウェイは「盾」ではない。「長」としてのものの考え方は「盾」のそれとは違う。そういうものだということはユァンにもよくわかっているし、だからこそ一緒に話をしていて新鮮に感じられることが多い。
 だが「獣」に関しては、新鮮さよりもむしろ違和感の方が、この頃のユァンにとっては先に立ったし、それが自分自身に関わってくるものの大きさにも、彼はまだ気づいていなかったのである。

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