守護獣の翼  4 辺境の村より

[index][prev][next]

[1][2][3]

 壁が彼らの前にそびえ立つ。初めて見る、他の村だ。
「ちゃんと防壁は防壁なんだな」
 ウェイが石の壁をこつこつと叩きながら言う。真影の防壁とは石の組み方が違うが、それは確かに防壁だった。村全体を隙間なく取り囲み、ただ一つの門が出入りする者を監視する。
 村の名は紅裳。ユァン達の村よりも小さいが、同じように防壁の中で人々が暮らしを営んでいる。他の村からの来訪者は少ないが稀ではないらしく、彼らはいくぶん珍しがられつつもすんなりと迎え入れられた。
 門で彼らは、村長の添え書きを見せるように求められた。
「決まりなんだ。住んでいる村がはっきりしない人間は、魔獣が化けたものかも知れないからね」
 門番をつとめていた、気のよさそうな男が何気なく言う。
 ユァンはわずかに唇を噛んだ。
 人に化けている――そうなのかも知れない。
 人でない姿の自分など、想像もつかない。だがあの魔獣の子供や木と化した男のように、自分も異形の正体を隠しているだけなのかも知れないではないか。
 ウェイと二人で平原を歩いている間は忘れかけていたが、魔獣は人間の敵なのだ。
「いやあ、よかったな」
 ウェイの声に、ふと思考が中断される。
 顔を上げると、ウェイがいつものおっとりとした調子で続けた。
「黙って村を抜け出して来てたら、入れてもらえないところだったよ。やっぱりおまえの言うこと聞いといてよかった」
「……そうだな」
 沈みかけた心がいくぶん軽くなるのがわかる。
 ユァンはくすりと笑い、出がけに村長に渡された書き付けを取り出した。
 同じように書き付けを見せているウェイが、世間話ついでといった風に尋ねている。
「この村も魔獣に襲われるんですか?」
「とんでもない」
 門番の男は驚いたように首を振る。
「辺境の真影じゃあるまいし……や、すまん、君達の村だったか」
「やだなあ、気にしてませんよ」
 ウェイの気さくな話しぶりに、男も打ち解けたように語ってくれる。
「こういう決まりはあるけどな、魔獣を見たことある奴なんていないんじゃないかね」
「そうなんですか?」
「古い言い伝えや決まりごとは残ってるし、怖いからあまり話題にしたがらない奴も多いけどな」
「言い伝え?」
「ああ。普段は人に紛れているとか、殺しても死なないとか。君たちの村にはなかったのかい?」
 ウェイは男との会話に夢中になっているようだ。もともと魔獣を探す旅であるが、彼の生来の好奇心が、彼をさらに駆り立てているのだろうか。普段ならば、ウェイはその場にいる誰もがそれなりに話題に加われるように話を振ったり質問をしたりする。だが今のウェイがユァンを会話に引き込む様子はない。
 魔獣の話につい気が滅入ってしまうユァンにとっては、むしろその方がありがたい。
 男との会話をウェイに任せ、ユァンは門から見える通りを眺めやる。防壁に囲まれ、門のそばには「盾」らしき家、中心部に泉のある広場と家並み、それを囲むように畑と果樹園――村のつくりはユァン達の村とそう変わらない。だが、通り沿いに見える家や歩く人々の格好は華やかで、さまざまな色に満ち溢れている。
「どうした、ユァン?」
 ウェイに尋ねられ、ユァンは通りを指さす。
「ずいぶん、華やかな村みたいな気がして」
「絹虫の糸がよく取れるからな、碧水で染料を仕入れて染めて、玉輝に売るんだ」
 男が説明してくれる。
「他の町や村と交流があるんですね」
「そりゃあそうだよ、辺境の真影じゃ……すまん、また言っちまった」
「いえいえ、確かにそうですから」
 「辺境の真影じゃあるまいし」という表現は、そこまで辺鄙なわけではないことをあらわすおなじみの言い回しのようだった。実際、真影では他の村との交流がほとんどない。紅裳でも年に数度だというが、それでもユァン達にとっては驚くべき頻度だ。
 村の中でたいていのものはまかなわれるし、そうでないものも平原で採取できる。地図を見ても真影は、他の村とはひときわ離れていた。
「旅してみるもんだなあ」
 ウェイが感心したように言った。

「小さい頃、『鬼』の話とか聞いたろ?」
 男と別れた後、ウェイが歩きながら問いかけてくる。
「死んだ人が墓地からよみがえってきて人を襲う、って奴? 時々見たって人もいて、そのたびに騒ぎになったよな」
「そう、それ」
 ウェイはうなずくが、ユァンには唐突な問いかけに聞こえた。「鬼」の話は他愛のない怪談だが、幼い頃はずいぶん怖く思えたものだった。そんなものが今なぜいきなり話題に出てくるのかわからない。
 首をかしげつつ、ウェイの次の言葉を待つ。
「この村で言われてる魔獣って、なんか『鬼』みたいな感じがしてさ」
「どういうこと?」
「殺しても死体がどこかに消えるとか、いつの間にか村の人と入れ替わってるとか。あのおじさんのそういう話聞いてたら、なんだか思い出したよ」
 ユァンは黙っていた。ウェイの言わんとすることが、今ひとつよくわからない。
「なんだろうなあ。俺達の村とは魔獣についての考え方がずいぶん違う気がするんだ」
「どこが?」
「なんだかよくわからないものを、むやみに怖がってるところ、かなあ」
「だって、襲われたことはないんだろ?」
「そう。なのに怖い話ばかりが伝わってる」
 ウェイの好奇心のどこに触れたのかはよくわからないが、ユァンにもウェイがこのことに興味を抱いていることはわかる。
「ユァンはさ、魔獣の話を初めて聞いた時、怖かった?」
 ウェイの問いに、ユァンは首を振る。
「いや、襲われた時であわただしかったから……」
 わずかに言葉を濁したのは、その後に自分が知ってしまった悲しい事実に触れてしまいそうだったからだ。
「俺もそんなもんだけど……どう言えばいいのかな、俺達の村と比べて、なんだか話に尾ひれがついてる気がするよ」
 ウェイの話を聞きながら、ユァンは考え込む。
 村の大人達は、ユァン達に魔獣の存在を知らせてこなかった。だがその一方で、村長が渡してくれたような記録は残されていたし、ユァンやあの男のように、村の中で人として育てられてきた魔獣がいたのも事実なのだ。
 どういうことなのだろう、と思う。少なくとも村長やユァンの両親が、ユァンを得体の知れない存在として恐れていたわけではないことを、ユァンはよく知っている。「獣」でも人でもないとは言うし、襲ってくる敵という以上のことは知られていないが、人の中で育てれば人とそう変わりはない存在だと、彼らは思っていたのだ。
 ユァン自身、自分が村の中で人として暮らすことに躊躇を感じているとはいっても、自分がそこまでおどろおどろしく不可解なものだとはどうしても思えない。
「実際に襲ってくる奴らを見たから、かえってあんまり怖くないのかなあ」
 ウェイの言葉に、ふと気づく。
「見たのか? ウェイ」
「あれっ、言ってなかった?」
 ウェイはいつもの人の好い笑顔のまま、首をかしげた。
「おまえ、うちの裏で戦ってたじゃないか」
「えっ……」
 よくよく思い返してみると、村に戻ってきた時にすれ違ったウェイにそんなことを言われたような気もする。
 見ていたのだ、ウェイは。
 魔獣と魔獣の戦いを。
「近くで見てたわけじゃないけど、あのちびがそんなに怖いものには見えなかったな。おまえはどうだった?」
「……夢中だったから。でも……」
 ユァンは言葉を選びつつ答える。
「どっちかというと、人と戦ってるみたいな気がしてたかも……」
 「獣」であれば躊躇なく刺せたであろうとどめを、あの魔獣の子供には刺せなかった。言葉を話し、知恵を使って挑んでくる彼らは、「鬼」より「獣」より、人に近い気がする。
「だよなあ」
 うなずくウェイを見て、ユァンはふと思ったことを口に出してみた。
「もしかして……人に近いと思ったから、魔獣を探そうとしてる?」
 そう尋ねてみると、ウェイは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうなんだ。見てみればわかることがあるかも知れないだろ? ……少なくとも、目をつぶったまんまで怖い想像だけ広げていくよりいいような気がするよ」
 ユァンはうなずいてみせたが、一方で拭いきれない思いがあるのも確かだ。
 ウェイは知らないのだ。目の前にその魔獣がいることを。
 人に化けた人でないものが、友人としてそばにいることを。

[index][prev][next]