守護獣の翼  5 めざめる翼

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 雨のせいもあって、二人は紅裳に数日滞在した。ウェイは驚くほどの速さで書庫の本を読みあさり、嬉しそうにそのあらましを話してくれる。ユァンは旅を続けるのに必要な装備を整え、現れる可能性の高い「獣」への対処法を考えていた。
 部屋を貸してくれた村長に丁重に礼を言って、数日後の夜明けに彼らは、このあたりで最大の町、玉輝に向けて出発した。
 平原の道は、真影から紅裳への道に比べて幅も広く、人が通った痕跡もあちこちに見られる。「獣」の出る時間帯さえ避ければ、さほど困難な旅にはならずに済みそうだったし、実際、二人はほとんど「獣」の襲撃を受けずに玉輝に着いた。
 玉輝は石の切り出しと加工で知られる町だ。防壁に用いられる石から、身を飾るのに用いられる玉まで、あらゆる石が玉輝を通るという。石のみならず様々なものの加工を手がけるため、周囲の村からの来訪者が絶えない。
 真影とはあまりに対照的なので、ユァンは実際に見てみるまで、玉輝がどんなところなのか想像もつかなかった。
 他の村とは異なり、各地から人が集まる玉輝には、来訪者のための宿泊施設もある。門で村長の添え書きを見せねばならないのは同じだが、門での応対も紅裳に比べてずいぶんと手慣れたものに見えた。
 防壁も門も、真影や紅裳と同じつくりだ。
 だが。
「大きいな」
「うん……」
 二人は門のかたわらでしばし呆然としていた。
 防壁の中には、彼らにとって初めて見る光景が広がっている。
 石づくりの高い建物、敷石で整備された道、行き交う人々の多さ。
「すごいね」
「ああ」
 そんな言葉しか出てこないまま、ぽかんと口を開けて、彼らはたたずんでいた。
「宿の店があるんだってさ。とりあえずそこに行こうか」
 先に気を取り直したウェイが言う。
 ユァンも我に返り、歩き出す。
 途中何度か「翼」で周囲の様子をうかがってみた。町は広く、さすがに「翼」も全体には及ばない。
 その上、ユァンには気になることがあった。
(なんだろう……この町の気配、なんだか苦手だな)
 人々の喧噪に紛れ込む、わずかな気配。悪意や欲望の発する気配によく似ている。真影や紅裳ではあまりなじみのないものだったが、様々な人が集まっているのだからあり得ないことではなかろう。
 だが、ユァンはそれだけにとどまらない何かを感じていた。
 「翼」を伸ばせば伸ばすほどに、伝わってくる気配。それがしきりに心のどこかを引っ掻いているような、妙にかき乱された気分を引き起こす。
(いやな感じだ……)
 人々のさざめき、店先の客引きの誘い文句。
 それらをなるべく耳に入れないように、ユァンは心持ち足を早めた。
「どうした? 疲れてるのか?」
 ウェイが気がかりな様子で尋ねてくる。人が多いからかな、と曖昧に笑って答えたが、気が晴れたわけではなかった。

 ユァンの不安は、その翌日にはさらにはっきりした形を見せ始めた。
 宝玉を売る店で、ウェイがメイエイに買って帰ろうと玉を見つくろっていた時のこと。
「どうだろうユァン、これなんか」
「こっちの方が似合いそうだと思う」
「えー、そうかなあ」
 そんな品定めをしつつ、手頃で質もよさそうな玉を選ぶ。
「じゃあ、お包みしますね」
 そう言い置いて奥へと消えた下働きとおぼしき店の男に、ユァンはふっと不審なものを感じた。
(あの男……?)
 男はすぐに戻って来て、包みを差し出す。愛想のよい笑みの裏に、ユァンの「翼」は悪意の気配を感じ取っていた。
(俺達をだまそうと……?)
「はい、毎度」
「……ちょっと待って」
 品代と引き替えに受け取ろうとしたウェイの手を、ユァンはとっさにとどめた。
「どうした?」
「……」
 ユァンは黙って男の手から包みを取り上げる。
「何を……」
 男の動揺が、「翼」からはっきりと伝わってきた。
「お客さん、うちの商品にけちをつける気ですかい」
 男の抗議をよそに、ユァンは包みを解く。不自然なほどにしっかりと包まれた玉を取り出し、光に透かして眺めた。
 「翼」が先刻まではなかった傷と質感を感じ取っている。明らかにそれは偽物だった。
「ユァン?」
「ここに傷がある。それに……」
「おい、素人に玉がわかるってのか?」
 男が乱暴にさえぎる。その声に、今まで隠していたどす黒いすごみのようなものを感じた瞬間、なぜかユァンは全身が硬直したような気がした。
 歩み寄ってきた男は、動けずにいるユァンの手から玉を取り上げようとする。
「どうした」
 ユァンの背後からゆったりとした声がかかる。この店の店主だという男だ。
「あのー、買った紅玉に傷があるみたいなんですけど、ちょっと値段おまけしてもらえませんか?」
 のんびりとした調子でウェイが言う。
「おかしいな、紅玉に傷なんてつくわけはないが」
「こいつら、この店に言いがかりをつけてるだけですよ。叩き出しましょう」
 男が強い調子で店主に詰め寄った。
「まあ待て。言いがかりかどうかは私が決める」
 信頼すべきが誰なのかは「翼」が教えてくれる。ユァンは店主に玉を渡した。
 店主は一瞥して顔色を変えた。念のためというように、鑑別用の器に玉を転がし、音の響き具合を確かめる。
「これは紅玉じゃない。色をつけたくず石だ」
「やっぱり」
 ユァンはつぶやく。
「おい、どういうことだ」
 店主の詰問よりも早く、男が動いた。たまたま近くにいたウェイを突き飛ばし、店の外へと駆け出して行く。
「あっ、待て!」
 ユァン達は店の外に出て追おうとしたが、狭い路地に逃げ込んだのか、既に男の姿はなかった。
 「翼」で探そうかと、ちらりと思いはしたが、この町で「翼」を広げるのはためらわれる。あの男の発した悪意が、なんともいえないいやな感触となって残っていた。
「あいつ……なんてことだ、包むふりをして偽物を売っていたのか」
 店主が拳を握りしめて発したつぶやきに、ユァンは応じた。
「慣れた感じだったし、これが初めてじゃないような気がします」
「俺達、この町の人間じゃないし、子供だからだませると思ったのかも知れませんねえ」
 ゆっくりと立ち上がりながら、ウェイが続ける。こんな時にも、ウェイの声はいつもと変わらない。
「そうか、すまんな」
 店主はうなだれて謝る。
「この町が栄えるのはいいんだが、ああいう手合いも増えてきてな。よその村から追い出された流れ者もいるらしい。……『盾』にも押さえきれんのかねえ」
「『盾』?」
 ウェイが問い返す。
「この町の『盾』は、町の中のいざこざをおさめることもやってるんだってさ」
 ユァンは説明する。真影では、いさかいの仲裁は長の役目だ。だが玉輝ほどの町にもなれば、長だけの手には余るし、中には乱暴をはたらく者もいる。「盾」はそういった者を取り締まるのだという。
 店主に協力して、付近の詰所にいた「盾」に事情を知らせ、ユァンとウェイは店を後にする。買おうとしたはずの玉は男が持って逃げたためか結局見つからず、出直すことにした。

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