守護獣の翼  5 めざめる翼

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 二人が店を出てまもなくのこと。
 通りを歩いていた彼らの周囲に、突然、数人の男が現れた。ばらばらと二人を取り囲む男達の一人には、見覚えがある。
(さっきの奴だ!)
 先刻の腹いせといったところだろう。「翼」を使うまでもなく、彼らの悪意は伝わってくる。
「そこの路地に入りな」
 突きつけられた短剣の持ち方は、少なくとも「盾」のような、武器を扱う職業のものではない。その割に持ち慣れた様子であることにユァンは気づいた。
「まただよ」
「かわいそうに」
 見て見ぬふりをして通り過ぎていく通行人のささやきが聞こえる。
(よくあることなのか、こんな町なかで束になって短剣を振りかざして……)
 玉輝や豊橙のような町にはそういう人間もいるのだとは聞いていた。だが、まさか自分が標的にされるとは思っていなかったので、剣は宿に置いてきている。それ以前に、人に刃を向けるなど考えたこともない。剣とは「獣」から人を守るためのものなのだから。
 かなり不利な状況だとわかっていた。逃げて「盾」に知らせるにしても、囲まれた状況ではいかんともしがたい。
(せめてウェイだけでも守らないと)
 ユァンはきっと顔を上げる。
「文句があるのは俺にだろう? だったら俺一人をつれて行けよ」
「何ぃ?」
 男達の一人が、歯の隙間から絞り出すように一言一言区切って言った。
「何様のつもりだおまえ。『盾』でも呼ばれちゃかなわねえんだよ」
「そら、さっさと入れ」
 突き飛ばされるように、二人は路地に追い立てられた。石づくりの建物の壁ぎわに追いつめられ、男達が短剣を手に詰め寄ってくる。
「さっきはよくも、俺の邪魔をしてくれたな」
 ウェイに偽の玉を売ろうとした男が口を開く。店では隠されていた悪意をむき出しにして、ユァンの顔に短剣をつきつける。
 ユァンが目を細めたのは、短剣を恐れたからではない。一人ならば刃をかわすぐらいはできる。問題は、その後でウェイをつれてこの場から脱出することだ。
 男達から逃げる道を探して「翼」を広げてみたが、男達の悪意を感じ取ってしまうためか、うまく探せない。その間にもさまざまな考えをめぐらす。
(ウェイを残して行くわけにはいかないし……風を起こして……だめだ、相手の人数が多い。それに……)
 石畳の上では、一度に五人の視界を奪うほどの砂は巻き上げられないだろう。
 何か一瞬でも相手の注意をそらせればよいのだが、この状況ではそれも難しいようだった。
「おかげであの店が使えなくなっちまったんだ。どうしてくれるんだよ」
「田舎者はおとなしく俺達にだまされてりゃいいんだよ」
「今からでも遅くないぜぇ、金目のもの置いて、田舎に帰りやがれ」
 口々に男達が言う。
(冗談じゃない……ただの逆恨みじゃないか)
 元はと言えば、ウェイを騙そうとしたのは彼らなのだ。それが発覚し、今度はその腹いせにユァン達を脅し、金品をまきあげようとする。
 理不尽だ、と、ユァンは思った。
(なぜこんな奴らが堂々と歩いてるんだ?)
 怒りの念が、ユァンの心にわき上がる。
 「翼」を広げたまま、だが、周囲を探ることも忘れて、彼は男達をにらみつけていた。
「なんだその目は!」
 男の一人が、短剣の柄でユァンの頭を殴る。
 鈍い音と衝撃によろめきつつも「盾」としての身のこなしで踏みとどまり、かろうじて背後にウェイをかばう体勢は保つ。
 殴られたところがかっと熱く感じられた。
 痛みよりも、怒りが先に立つ。
(こんな奴ら……)
 背にざわざわとした感触が走る。「翼」が彼の怒りに呼応するように変化していくのがわかった。
 後から思えば、それは「翼」というよりも、背から広がる無数の刃と化しつつあったのだ。目に見えず、形も持たなかったはずのそれは、次第に鋭さを増し、実体を持とうとしていた。
(切り裂いてやる……)
 自分にはそれが可能なのだということを、その時のユァンは疑いもしなかった。
 周囲の空気がすうっと冷たくなっていく。もう間もなく、ユァンの「翼」は凶器としての実体を持ち、周囲の人間達を寸断するだろう。
 まさに、その瞬間であった。
「あっ、こっちでーす、『盾』のお姉さーん」
 肩越しに聞こえたウェイの声が、ユァンを現実に引き戻した。
(今、俺は何を……)
「『盾』だと?」
 男達が一斉に振り返った。
 その一瞬にウェイはユァンの手をつかみ、走り出す。
「ユァン、走れ!」
「あ、ああ」
 「盾」の影など見あたらない。ウェイは嘘を言ったのだ。これ以上にないほどの、見事な間合いで。
 自分の身に起こりかけたことを反芻している暇はなかった。今は男達から逃げ、可能ならば「盾」に助力を仰がねばならない。
 男達はすぐに追ってきた。一瞬早く路地から飛び出し、ユァンは「翼」で風を路地に送り込む。
 狭い路地に吹き込まれた風は、意外なほどの圧力となって、男達に襲いかかる。
「うわっ」
「突風?」
 男達の足がわずかに止まったことで、差は少しだけ広がる。ウェイに手を引かれたまま、ユァンは走った。ウェイもユァンと同じことを考えたらしく、先ほど玉の店のあるじと訪れた「盾」の詰所の方に向かっている。
 どれだけ追われつつ走ったろうか。
「君達?」
 正面からかけられた若い娘の声は、事件を届け出た時にいた「盾」のものだ。
「あの人達に追いかけられて……」
「みんな、出たぞ!」
 みなまで言う前に彼女は理解したようだった。鋭い笛の合図とともに、準備を整えていたらしい数人の「盾」が飛び出す。気づいた男達が逃げて行こうとするところに追いすがり、取り押さえる。
「玉の事件が単独犯ではなさそうなんで、このあたりを警戒していたんだ。ちょうど、男の子二人が脅されて路地に連れ込まれたという知らせもあってね」
「誰かが知らせてくれたんだな」
 ウェイがユァンの肩を叩いた。
 ユァンは黙ってその場にたたずんでいる。あまり周囲のことが耳に入っていなかった。それよりもたった今起こったことをうまく整理しきれていないことに、彼自身がうろたえている。
「そっちの子……顔色が悪いな」
「そういえば頭殴られてたけど、怪我してない?」
 ユァンは殴られたところに手をやってみる。痛みはあるが、特に傷になっているわけではなさそうだった。
「宿まで送って行くから、今日はもう休んだ方がいい」
 「盾」の娘が促し、ウェイはうなずいて歩き始める。ユァンは無言のまま、その後に続いた。
「ユァン、気分が悪いのか?」
 うつむいたまま歩くユァンは、何度かそう問われた。そのたびに「大丈夫」と弱々しく答えるが、自分でも答えになっていないことがわかる。
(……ウェイが止めてくれた)
 ウェイにはそんなつもりはなかったはずなのはわかっている。だがユァンを止めたのは、ウェイのあの声だった。
 もし、止められなかったら。
 「翼」は実体を持たないが、ユァンにとってはまぎれもなく自分の身体の一部だ。その身体が、激しい怒りとともに姿を変え、実体を持とうとしかけたのだ。
 後になってみればわかる。この町の居心地の悪さは、人々の理不尽な悪意を感じ取り、それに対する怒りや苛立ちを感じてしまったからなのだ。自分でも抑えきれない感情が、自分の身体を変容させる、その予兆だったのだろう。
 身体が変容する。そして……。
(人でないものになろうとした)
 考えたくない。
 自分が魔獣だと知らされ、「翼」が魔獣ゆえの力だと理解してはいても、ユァンは「魔獣である自分」を考えることは避けてきた。
 その時自分がどんな姿になるかなど、一生知らずに済ませたい。
 目に見えず実体もない「翼」ならば、彼は人の姿のままでいられる。だが、ひとたびそうでないものの姿になってしまえば、取り返しのつかないことが起きてしまうのではないか。
 人の姿であることが、彼にはどうしても必要だったのだ。
 それなのに。
(それも……ウェイの目の前で)
 ウェイには自分が魔獣であるとは知られたくない。メイエイにも、未だ秘密を知らない真影の人々にも。
 それなのにあの時、ウェイの前で「翼」が変化して実体を持とうとするのを、ユァンは止められなかった。
 感情の高ぶりと同じように、一度堰が切れると、とどめようもない方向へ進んでしまうような気がする。
 ユァンは真影の森で木と化した男のことを思い出していた。「翼」を通じて知った記憶では、彼は魔獣から子供をかばおうとして重傷を負い、苦痛と怒りの中で異形の姿へと変貌していった。
 自分では止められないのだとすれば、いつかは人ならぬ姿を人目にさらしてしまうのかも知れない。
 その姿を目の当たりにした人々とはもはや共にいられはしないという彼の心が、今ならいっそうはっきりとわかる。
(だめだ、考えちゃ……)
 これ以上考えたくない。
 その先など、知りたくもない。
「ユァン」
 肩を軽く叩かれ、思考が中断される。
「?」
 顔を上げると、宿の前だった。ウェイが心配そうにのぞき込んでいる。
「着いたよ。苦しくない?」
「あ、ああ、もう大丈夫」
 殴打された頭の痛みは、既にどこかに吹き飛んでしまっている。
「そうじゃなくてさ」
 ウェイはどう言ったものかと迷っているようだった。
「なんだか考え込んでるみたいだけど、どんどんつらそうな顔になってきてるよ」
「そ、そう?」
 無理に平気なふりを装おうとはしたが、今更ごまかしきれるものではない。かといって、何を考え込んでいたのかだけは、口にするわけにはいかなかった。
「まあ、おまえは「獣」には強いけど、人に攻撃されるのには慣れてないからな」
 真影は平和な村だ。徒党を組んで人のものを奪おうとする者など滅多にいなかったし、「盾」は「獣」から人を守ることだけを考えていればよかった。ウェイは、そんな真影と玉輝の差異にユァンが衝撃を受けたと思っているようだった。
 少しだけほっとして、ユァンは逆に聞き返してみる。
「ウェイは? 慣れてるって?」
「いや、おまえと一緒。でも俺はそういうこともあるかなって思えるけど、おまえはそんなに簡単に割り切れないだろ?」
「割り切れない?」
 自分の口で反復してみて、確かにそうなのかも知れない、と思う。思えば「翼」の変容のきっかけになったのは、彼らのような人間がいることを許容できなかったからこそ感じた怒りだった。
「そうか、その子も『盾』だったな。ならばよけい驚いたかも知れん」
 ついて来ていた「盾」の娘が苦い笑みを見せる。
「ふつう『盾』は『獣』から人を守るのに、玉輝では人から人を守るからな」
「人から人を……」
 二人は期せずしてまったく同時に、その言葉をつぶやく。
 人を守るために、人に剣を向けるのが、玉輝の「盾」なのだ。
「『獣』ならば姿でわかるが、ここではそうも行かぬ。昔話の『真影鏡』ではないが、人に害をなすものとそうでないものの見分けがつく道具でも欲しいところだよ」
「真影鏡?」
 ウェイが聞き返す。彼らの村の名のついた鏡のようだが、ウェイにもユァンにも心当たりはない。
「槍尖に伝わる昔話さ。私は数年前に槍尖からこちらに出てきたんだ」
「どんな話なんです?」
「真の姿を映し出す鏡。それで隠れている魔獣を見つけたそうだ。……その鏡があったのが真影の村だと言われていたな」
 ユァンは首をかしげる。そのようなものがあるという話など、聞いたこともない。
「ウェイ、知ってる?」
「いや……」
 二人は顔を見合わせる。その様子に、「盾」の娘はくすりと笑った。 
「昔話に興味でもあるのか?」
「俺達、村を襲った魔獣を探してるんです。このあたりには出ないらしいけど、言い伝えでもなんでもいいから、手がかりがないかなと思って」
 ウェイが答える。
「それで真影からここまで?」
 「盾」の娘は、酔狂だな、というような笑みを見せる。
「それなら、槍尖に行くといい。セイリンに聞いたと言えばわかるだろう」
 セイリンはその場で村長への紹介状をしたためてくれる。
「襲われた話は聞いたことがないが、魔獣に襲われて生き残った子孫の村だと言われている。少なくともこの町で人間どうしが疑い合っているさまを見るよりは役に立つさ」

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