守護獣の翼  6 鏡の村

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 槍尖は玉輝から朝日の方向に歩いて四日の位置にある。真影ほどではないが、玉輝などの平原中央にある町村からは、幾分隔たったところだ。そのため、玉輝との間の道も整備が行き届いておらず、「獣」のなわばりになっている箇所もいくつかあった。
 ユァンが「獣」の習性を見越して移動時間をずらし、あるいは迂回路を進んだため、二人が「獣」に襲われることはなかったものの、地図で見たよりも二日ほど余計にかかってしまった。
「やっと着いたな。あれが槍尖か」
 防壁が見えてくると、ウェイがほっとしたように言う。
「たぶん。それにしてもずいぶん遠くに来たな」
「まったくだ」
 門を叩こうとして、ユァンは見慣れぬものに気づく。
 門の外側一面に、鏡が貼られていた。磨かれた形跡もなく、風にさらされてすっかり曇ってしまっているが、他の村や町では見かけないものである。
「なんだろう、これ……」
 ウェイが後ろから疑問の声をあげる。
「外側に向けてあるってことは、普通に考えれば『獣』なんかを遠ざけるものだろうけど」
 ユァンも首をひねった。実用的な意味があるようには、あまり思えない。もしそのような意味があるのなら、もっと念入りに手入れされていてもよいはずだ。
 鏡を避けて門を叩き、外から真影の者であることを告げる。これまで通ってきた村と同じように、ほどなく門が開けられた。開けてくれた年輩の男は「盾」の普段着を身に着けている。
「真影から? それも『盾』も一緒か。これは珍しい」
 来訪者の一人が「盾」の旅装であることの気安さもあったのか、男の迎え方はかなり好意的だった。玉輝の娘にもらった紹介状を見せると、さっそく村長のもとに案内してくれるという。
「そうだ、門の外に鏡が貼ってありましたよね」
 歩きがてら、ウェイが尋ねる。
「あれは真影鏡だよ」
 何気ない男の返答に、ユァンは内心どきりとする。
 真の姿を映し出し、人や「獣」の姿に化けている魔獣を探すという鏡。知らなかったとはいえ、その前に立ってしまったのは迂闊だったのではないか。
「え、でもそれって昔話の中のものじゃないんですか?」
「そうさ。あれが本物かどうかは誰も知らない。本物が今もあるのは真影だけじゃないのか?」
(本物の真影鏡?)
 ユァンは聞きとがめる。門の鏡は曇っていて、ユァンの姿もぼんやりとしか映し出してはいなかったが、特に「翼」が何かを感じ取ることもなかった。本物ではないというのなら、納得がいく。
 だが、本物の真影鏡が自分の村にあったと言われていることに、ユァンは少なからず驚いていた。そのような鏡の話は、先日の玉輝で聞いたのが初めてである。
 なぜ、当の村で耳にしないことが、遠く離れた村で伝えられているのだろう。
 そんなものが本当に真影にあるのだろうか。
(もしそうなら、俺が真影に戻ればいつか……)
 正体が明るみに出てしまうかも知れない。
「それが、聞いたこともないんです」
 ウェイが答えている。
「そうなのか? ふうむ」
 男は首をかしげたが、それ以上の詳しいことは知らないようだった。

「セイリンの紹介か。遠いところをようこそ」
 村長はセイリンとさほど年の違わない女性だった。女性ながらにきりりと精悍な雰囲気は「盾」のセイリンと相通ずるものがある。
「この村には『盾』の家が多くてな。村を守るには多すぎるので、玉輝に出て働く『盾』も増えてきた。元気でやっているようで何よりだな」
 村ごとの事情は、それぞれに異なる。防壁や家などの建築物の様式や、職業ごとの服装がかえって違わなさすぎるように思えてくるほどに。
「それで、魔獣を探していると聞いたが?」
「ええ」
 ウェイが大まかな事情を説明する。
「なるほど、真影にはまだ魔獣が現れるというのは本当だったのか」
「ええ。この村には過去に魔獣と戦った話が残っていると聞きました」
 ウェイは静かに、ゆっくりと話す。
「今、魔獣に襲われるのは真影ぐらいなものだといいます。でも肝心の真影には、魔獣が何なのか、どこにいるのか、なぜ人を襲うのか……そういったことがまったく伝わっていないんです」
「真影らしいといえば、らしいな」
「どういう意味ですか?」
「いや、悪い意味ではない。なぜ襲うのか、などということは、この村ではまず出ない問いだし、戦いの歴史を伝えるのは、戦う意志のある者達だろうからな」
 村長は両手をあげ、苦笑した。
「この村は、かつて海の近くにあった。森の近くの真影と、海の近くの槍尖は、『獣』から人を守るために『盾』を多く育ててきたが、魔獣があらゆる生き物に紛れているのを知った時の対応はずいぶん違ったものだったらしい。我々の先祖は、紛れた魔獣を見つけ出して戦おうとした。だが君達の先祖は、真影鏡を作り出したにもかかわらず、魔獣を狩ることには消極的だったそうだ」
「……」
「槍尖では、魔獣は人間の敵だから必ず探し出して殺すべきだとされていた。……結局槍尖は魔獣の反撃にあって人が住めなくなり、今の場所にやって来たのだがな」
「隠れている魔獣を探し出すのが真影鏡?」
「そう。真影鏡に映された奴らは仮の姿を保てなくなり、正体をあらわす。この村のあちこちに鏡があるだろう? 本物ではないが、真影鏡で映るものの正体を暴き出していた名残だな」
 ユァンは眉を寄せて村長の話を聞いていた。
 昔の話とはいえ、いい気分ではない。暴き出され殺された魔獣には、たとえばユァンのように、自分が何者かも知らずに人として暮らしていた者もいたのだろうか。
 その名残が、門のあの鏡だったのだ。
 それは、ユァンのように人の姿をとる……「獣」ならば、門をくぐって入ろうとはするまい……魔獣に向けられた拒絶の意志。
 もはや形骸化しているとはいえ、何か、悲しい気分がする。
「じゃあ、魔獣が何なのかはやっぱりわからないんですね」
 ウェイが問う。
「そうだな。習性も姿も一様ではない。だが、祖先は大きく分けて三つの種族がいると言っていたようだ」
 村長は古い文書を棚の奥から出してきてくれる。
「かつての槍尖が襲われた時、水の魔獣が海から高波とともに、地の魔獣が平原の彼方から地響きとともに、風の魔獣が空から雷鳴とともに現れた、と書いてある」
「水と地と風、ですか」
「実際のところはわからんがな。どの『獣』に似た姿なのかで分類したものらしい」
「この記述だと、いろんな方向から集まってきてるみたいですね」
 文書をめくりながら、ウェイが尋ねる。
「少なくとも海と森に、魔獣の拠点があったらしい。真影が今も襲われているのなら、森の方の拠点はまだあるのかも知れないな」
「!」
 ユァンとウェイは顔を見合わせた。
 真影を群をなして襲撃することができるならば、その拠点は真影から遠くはあるまい。森の中であれば説明がつく。
「場所、わかります?」
「古い記録だから、今でも同じ場所にあるかはわからないが……」
 村長は現在の地図を取り出し、文書のある箇所を見て確認してから、細い指で指し示す。
「このあたりは……」
 森の奥深く、指先が示しているあたりには、川がうねるように流れている。川の流れをさかのぼっていくと、真影の近くを流れているのがわかる。
(もしかして、あの魔獣の子供も?)
 襲撃の夜、ユァンが戦った魔獣の子供は、川へ飛び込み、下手へ泳いで行った。そのまま彼らの拠点を目指していたのだとすれば……。
「どう思う? ユァン」
 ウェイに尋ねられ、ユァンはうなずく。
「この川沿いにある可能性が高いな」
「ありがとうございます。村長」
 ウェイが丁重に礼を述べる。
「そうか。役に立てて何よりだ。詳しいことはここに滞在している間に文書に当たってみるといい」
 村長も笑みを見せた。

 

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