守護獣の翼  7 地の魔獣

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 真影の防壁の穴は、今も開いたままだった。修理をしていたウェイが旅に出てしまったこともあるが、魔獣の襲撃が当分ないだろうと判断した村長が、穴の修理をさほど急いでいなかったからである。
 それをいいことに、メイエイは一人で穴の外に出ていた。
 森が危険なことは承知している。だが、ウェイとユァンが旅に出てしまってからというもの、無茶をできる相手のいないメイエイは退屈で仕方がない。防壁のすぐ外のさほど危険ではないところで、旅路の二人のことを考えるのが、いつしか彼女の日課になっていた。
 その日も、防壁に背をもたせかけ、メイエイは空を見上げる。
 流れ行く雲が速い。
(もうすぐ、雨でも降るのかなー)
 ぼんやりと雲を眺め、特に何をするでもなく佇む。
(ウェイ、無茶してないかな……ユァンがいると安心して羽目外す方だし)
 自身のことは棚にあげ、メイエイは思う。ウェイとユァンが出て行って二十日ほどたつだろうか。連絡が取れるわけでもなく、今どこにいるとも知れない。
 メイエイは何度となく繰り返してきた愚痴をつぶやく。無茶だとはわかっているが、思うぐらいは罪にもなるまい。
「もう……一緒に行きたかったのになあ」
 その時。急に茂みががさがさと動き、メイエイははっと身を堅くする。
(『獣』?)
 さすがにユァンがいないところで、出ていってつついたり声を出して挑発したりするわけにもいかない。
 防壁の穴に逃げ込めるようにじりじりと近づきつつ、メイエイは様子をうかがった。
「おおい、人がいるのか?」
 声がした。
 明らかにそれは人の声だった。
「誰?」
「……女の子?」
 茂みがさらに動く。現れたのは、見覚えのない大柄な青年だった。長めの上着、組合わさった枝を意匠した肩掛けの柄は「医師」をあらわすものだ。
 「医師」は人のみならず、家畜や作物の病をも治す仕事だ。他の職業と異なり、親から子へと受け継がれることはない。本人の資質がものを言う要職で、「長」に次ぐ尊敬を集める職業と言える。少なくとも、森に気軽に出入りする職業ではない。
 メイエイは少なからず驚いていたが、それは青年も同様であった。メイエイを見下ろし、驚いたような表情を浮かべる。
「この村の子かい? 『盾』でもないのにこんなところで危ないじゃないか」
「あなただって『盾』じゃないでしょう? 一体何者なの?」
 メイエイの問いに、青年は軽く笑って答える。
「ランタイ。昔この村で『医師』をしていた者だ。君は?」
「……メイエイ」
「『織師』のリュウシェンさんの娘さん? 大きくなったなあ」
「なんで父さんの名前を?」
「こんな所で会ったのも何かの縁だな。メイエイ、一つ頼みがあるんだが」
 みなまで言わせず、ランタイと名乗る青年は背をかがめ、メイエイの顔をのぞき込む。穏和で落ち着いた顔立ちだが、どこかせっぱ詰まった表情だ。
 何か急ぐことがあるのだろうか。
「大したことじゃない。村長に僕のことを知らせてほしいんだ」
「……直接会いに行けば?」
「僕は……ちょっと村に入るわけにはいかないんだ。もし村長が放っておくように言ったら、僕のことは忘れて構わない。ユァンという少年のことで話があるとだけ、言ってもらえないか?」
「ユァン?」
 メイエイが聞きとがめる。
「ユァンを知ってるの?」
「君は……彼の友達?」
 メイエイはうなずく。
「そうか。だったらなおさら、頼まれてくれないだろうか。彼を失わないために」
「……」
 メイエイは考える。何者かはわからないが、この青年がよからぬことを考えているようには思えない。
 とりあえず村長に知らせ、判断を仰ぐことにすることにして、青年を待たせて防壁の穴をくぐる。村長に告げると、村長は明らかに驚いた表情を見せた。
「ランタイ……だと? メイエイ、すぐ案内してくれないか?」
「あ、あの……」
 村長の剣幕に、メイエイは完全に気圧される。
「い、いったいあの人は……」
「古い友人だ。もう戻って来てはくれないかと思っていたが……」
 村長は急いで支度を済ませる。あまりに急いたふうなのに押されつつ、メイエイは防壁の穴を通った先に村長を連れて行った。
「久しいな」
 青年は先ほどと変わらぬ位置にたたずんで、村長を迎えた。
「ランタイ……おお、本当に……」
 村長は声をつまらせている。その様子を見ながら、メイエイは内心しきりに首をひねっていた。
(あの人ってどう見ても三十歳行ってないわよね。この村で見た覚えもないし……。村長さんとはかなり年が離れてるけど、どこで知り合ったのかな)
「もう会えぬかと思っていた」
「僕もそのつもりだったが……そうもいかないようなんでね」
「ランタイ?」
「単刀直入に言おう。風の魔獣が僕を目覚めさせた。君達が彼をどうするつもりなのかを聞きたい」
「風の……」
 村長は驚きこそしなかったものの、どう返答したものかと迷っているようだったが、やがてメイエイの方を向く。
「メイエイ」
「なんでしょう?」
「内密の話になる。少し外してもらえないか?」
「でも……」
 メイエイは返事に迷う。ランタイと名乗る青年は確かに、ユァンについての話だと言っていた。幼なじみの話とわかっているだけに気になってならない。
「さ、早く」
「あ、はい」
 メイエイはその場を離れるふりをして、物陰から様子をうかがう。あたりの地形は大概頭に入っているので、身を隠す場所はすぐに見つかった。
 メイエイが去ったと思い、村長が話を続けている。
「風の魔獣……ユァンのことか」
(ユァンが魔獣?)
 メイエイはその言葉を聞きとがめる。
 魔獣といえば、つい最近までメイエイ達には存在を知らされていなかったが、時折村を襲撃する異形のものたちだという。「盾」として魔獣と戦ったはずのユァンが、その魔獣だなどということがあるのだろうか。
(ウェイが旅に出る前に言ってたっけ)
 十数年前にこの村で村人として育てられていた魔獣がいたが、正体が明らかになって姿を消したという。それほどに、魔獣は人と見分けのつかぬ姿をとれるのだ。それならば、誰が魔獣でも不思議ではないのかも知れない。
(でもユァンは知らなかったはずだわ。知っていて気にしないとか、顔に出さないなんて、ユァンにはできないもの)
 赤みがかった大きな目にはっきりと表情が表れるユァンの顔を思い出しながら、メイエイは思う。
(それに、ユァンがこの村を襲ったりできるわけがない)
 メイエイの知っているユァンは、身近な誰かが危険にさらされているのを見て放ってはおけない、不器用だが優しい少年だ。人であろうとなかろうと、そんなことは関係のないように、メイエイには思える。
(だけど、あの人はなんでユァンのことを……)
 もしかすると、この青年が姿を消したくだんの魔獣なのではないか――メイエイにはそんな気がしてならなかった。
 村長が静かな調子で答えている。
「今は息子と魔獣の集落を目指しているが、戻って来て成人の儀を迎えれば、彼はこの村の一人前の『盾』だ」
「そうか。それならよかった」
 ランタイは少し目を細める。
「……だが僕が気になっているのは、彼が戻って来られるかどうかなんだ」
「何?」
 村長が聞き返す。
「あの少年は、友を守ることだけを支えにしている。今のまま魔獣の集落に行けば、彼は己を見失うかも知れない」
「どういうことだ?」
「自分が何かをまだよく知らないんだ、彼は。魔獣にとってそれは危険なことなんだよ」
 ランタイがふと遠い目をする。
「わかるのか?」
「彼が僕を目覚めさせてから、ずっとその気配をたどっていた。時が迫っているようだから、彼がこの村で受け入れられているのかを聞いておきたかったんだが……心配には及ばないようだな。わざわざ呼び出してすまなかった」
 ランタイは一歩退く。どこかへ行くつもりなのだということは、メイエイにもわかった。
「ランタイ、どこへ?」
 村長が問いかける。
「彼を救いに。できるだけのことはしてやりたい。彼が戻って来たら、受け入れてやってくれ」
「おまえは?」
「僕はもう、村にいるべきじゃない」
「ならばユァンを救うためだけに……目覚めたというのか?」
 彼は微笑した。
「襲ってくる連中も覚えていないらしいが、僕たちはそういうものなんだよ」
 村長が何かを返そうとした時。
「ねえ、ちょっと待って」
 メイエイは物陰から飛び出し、会話に割り込んだ。
「メイエイ? 聞いていたのか?」
 村長はひどく驚いているようだった。構わず、メイエイはランタイに向かう。
「あなた、ユァンを助けに行くの?」
「ああ、そのつもりだよ」
「私も連れて行って」
「えっ?」
 ランタイは当惑したように村長を見る。
「メイエイ……聞いていたのならわかっているとは思うが……」
 村長が横から口を出す。
「わかってます。ユァンが危ないっていうことでしょう?」
「いや、そこじゃなくて……」
「ウェイだけじゃ頼りないから、手伝いに行ってあげなきゃ。この人なら行き先もわかるみたいだし」
「メイ……」
「足手まといにはならないわよ。森の中では『獣』のしきたりをむやみに破らなければいいんでしょ?」
「……」
 村長は完全にメイエイの勢いに呑まれていた。
「ランタイ、おまえも止めてくれ」
 音を上げた村長が、助けを求める。
 ランタイは真顔で、メイエイの目をじっとのぞき込んだ。
「君は、ユァンに戻ってきてもらいたいと思うかい?」
「もちろん」
「彼は人じゃない。これからどんな姿になるかもわからない。それでも?」
「……ああもうっ!」
 苛立ちをつのらせ、メイエイは叫ぶ。
「どーしてそんな細かいこと気にするのよ。職業だ領域だ人だ魔獣だって、大人はなんでそんなにいろんなところに線引いてその中にこもるのが好きなの? 自分達が好きなだけならともかく、私達にも押しつけて、外の世界を見せてもくれないじゃない。見たら何か変わるかも知れないのに。ユァンが魔獣だからなんだっていうの? 姿がなんだっていうの? あの子が魔獣なら、魔獣が敵だっていう大人の言い分の方が間違ってたってことじゃない!」
「……」
 ランタイは唖然とした表情でメイエイを見る。まさか、人と魔獣の違いを職業の違いと同列に語られるとは思ってもみなかったようだ。
「ユァンには私もウェイもずいぶん守られてきたわ。でもね、守る方が強くて守られる方が弱いとは限らないの。必要な時に駆けつけられなくて、友達面なんてできないじゃない。今恩を売っておかなくていつ売るのよ」
 ユァンとウェイが旅立ってからの鬱憤を一気に晴らすかのように、メイエイは早口でまくし立てた。その様子に、ランタイがくすくすと笑い出す。
「元気なお嬢さんに育ったもんだ。生まれたばかりの頃は病弱だったんだけどなあ」
 そしてランタイは、村長の方に向き直る。
「どうやら、この子も連れて行った方がいいみたいだ。むしろ僕よりも彼を救う力になれるかも知れない」
「しかし……」
「森を進むのは確かに危険だが、道中は僕が守る。幸いここからそんなに遠くはないしな」
 ランタイが確約してくれたこともあり、村長もしぶしぶ受け入れざるを得ない。三日間という限定付きで、メイエイは森への旅を許された。

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