魔獣の村。
防壁のないこじんまりとした集落が、川を渡って森を少し分け入ったところにあった。
途中にはいくつも「獣」のなわばりがあったが、ホンルが示す回り道を伝って回避し、着いた頃には日も傾きはじめていた。
「警戒されてるな」
ユァンが言う。「翼」は驚きと戸惑いと、何より不審の念を感じ取っていた。
はたして、村の入り口にさしかかると、待ちかまえていたように数人の異形の者が飛び出す。かつて村が襲撃された時、「翼」を介して感じ取った姿は知っているが、実際に目の当たりにするのは初めてだ。
魔獣達はめいめいの武器を取り、彼らに向けて身構えた。反射的にユァンの手が剣にのびる。
「ユァン、抜くな!」
ウェイに制止され、剣こそ抜かなかったものの、ユァンは一行をかばうように手を広げ、魔獣たちの前に立つ。
「貴様、人間をかばうのか!」
巨大な角を生やし、斧を持った男がユァンを見下ろし、低く威嚇するような声で言う。
ユァンは一歩も退かず、決意を込めた目で男を見据えた。
「翼」が見えない壁となってウェイ達を守っている。
(ウェイもメイエイも、俺がこの手で守る!)
「退かん気か……真影で飼われ、魔獣の誇りを失った奴が!」
「俺は飼われていたんじゃない」
「なんだと?」
「俺は……仲間を守っているだけだ!」
ユァンはきっぱりと言い放つ。
そう言い切れる自信があった。
ウェイもメイエイも、幼い頃から守ってきた友だ。魔獣だという正体が知られても変わることなく、そして、姿を失いつつあった彼を呼び戻してくれた。
守り、かつ守られる、そんな――仲間。
だから、命に代えても守る。
「貴様、魔獣でありながら人間を仲間というか!」
「違う!」
ユァンは叫ぶ。
「俺は魔獣だから、認めたものを守るんだ!」
思えば。
「守りたい」という思いは、いつもユァンの根源にあった。どんなことよりもウェイ達を守ることの方に気をかけてきた。そのためであれば気がかりなことも忘れたし、どれだけ過酷な作業や継続して集中力を必要とする探索を続けても平気だった。
「盾」だからだと、かつては思っていた。だが、空に拡散した魔獣に残された思いは、彼が持ち続けてきたものと同じだった。
ランタイも、ユァンのためだけに長い眠りから目覚め、森の中、メイエイを連れて来てくれた。
魔獣は、守るもの。
漠然と感じていたことを言葉にすると、それが確固たるものになっていくような気がする。
「この……」
男は舌打ちして斧を振り上げる。
「待て! 仲間を斬るな」
唯一武器を持っていない、飛禽に似た魔獣が、はっきりとした言葉で一喝し、金色の目で一同を見回した。男は渋々といったように斧を下ろす。
ほっとしたようなため息をもらしたのは、息をつめて見守っていたホンルだった。
そのホンルに、巨鳥の姿の魔獣は厳しい口調で尋ねる。
「……どういうことだ、ホンル。人間と……人間に飼われた奴らを、なぜここに導いてきた?」
「リウユンのあんちゃん……違うんだ」
ホンルは懸命に弁明しようとする。
「この人達は、話し合いに来たんだ」
「騙されるなホンル、たくらみがないとは言い切れん。それに……その地の奴」
鋭い眼光が、まっすぐにランタイを射る。
「覚えているぞ。十五年前、人間に与し、私のこの翼をもぎとった」
示すように広げられた左の翼が、半分ほど失われていた。飛ぶことは不可能だろう。
「……ああ、僕も覚えている」
静かにランタイが応じる。
「あの姿で村を守ろうとして……加減ができなかった。すまない」
「……何?」
リウユンが予想だにせぬ反応にたじろぐ。魔獣達の間からもざわめきが漏れた。
「おねがいだ、あんちゃん」
ホンルがリウユンの褐色の羽毛にしがみつく。
「あんちゃんは"風"なんだから、嘘ついてないことぐらいわかるだろ? じいちゃんに会わせてあげてよ」
「ホンル、おまえは私達が受けてきた苦しみを忘れたのか? 人間への怒りが私達を生かしている、そのことを踏みにじるつもりか!」
「違うよ! そうじゃない。人間のしたことを忘れることだけはしないって……そのために来たって。だからほら……」
ホンルは短剣――ユァンの身体を拡散させた真影鏡を取り出した。
「この、姿のわかる鏡を渡してくれたんだ」
「鏡……だと?」
「本物なんだ、この目で見たもん。だから……だからこの人達、本気で話し合うつもりなんだよ!」
「……」
リウユンはじっと考え込む。判断に迷っている様子が感じられた。
やがて。
「……いいだろう。長老に会わせてやる。だが、妙な真似をすればその人間二人の命はないと思え」
「わかった」
ウェイが即答する。
「ホンル、おまえもその鏡を持って一緒に来い。それから……そこのおまえ」
リウユンはユァンに目を向ける。
「人間を殺されたくなければ、風を使うな」
「風?」
問い返しかけて「翼」のことだと気づいた。
風と地と水。魔獣の三つの種類の中で、自分は「風」なのだということは、ホンルやランタイの言葉から理解していた。「翼」を使って風を起こすこともできる。ならば「風」とは彼が唯一使える魔獣としての力のことにほかならない。
「翼」をおさめ、了解の返事に代える。リウユンがかすかにうなずいた。彼もまた「風」なのだと、どこかでユァンは理解していた。
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