守護獣の翼  9 鏡の試練

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 身体が拡散していく感覚。
 あらがいがたい内側からの流れがユァンを翻弄する。
 ユァンは自らの手をきつくにぎりしめた。ぼやけて見えるのは、目がかすんでいるせいか、それとも姿が薄れてきているせいか。かろうじてその形を保っているが、時折ふっと自分がゆらめくような気分になる。
 それは、無言の見えない戦いだった。
 彼は身体に感じられるあらゆる感覚に意識を集中した。手が触れるもの、足の下にあるもの、目が映し出すもの。そうして身体というよりどころを保とうとする。
 ふっと気を抜くと、とたんにゆらぎ、薄れていきそうな自分の姿。ウェイとメイエイが届けてくれた自分の姿を思い浮かべ、さらに耐える。
 もう、忘れてはならない。
 剣を取る手も、地を駆ける足も。
 守るために。
 これまでに何度となく、背後のウェイ達を守ってきた。その時の感覚を思い出す。
 手に剣を持ち、背の「翼」を広げ、正面に敵意ある者達を見据え、わずかの隙もないように立つ。
 守る者でありたい。
 守りたいという思いによって形をなし、生きる存在として。そして同時に人を守る職業に携わる村の一員として。
 人とともに暮らす魔獣だからこそ、彼らを守ることができる。
 だからこそこの存在を――この手と身体と、そしてこの「翼」を、手放すわけにはいかない。
 
 どれほどそうやって、一人戦っていただろうか。
「……それが、おまえの望んだ姿か」
 長老の声が、ユァンを現実に引き戻した。
 気がつくと内側からユァンを解体しようとしていた力もおさまりつつあった。
「……」
 自分の手を見る。元のままの、人の手だ。
「俺……」
 口を動かして出る声も変わらない。
「俺、元のまま……か?」
「うん……」
 メイエイの声が、すぐ横から聞こえた。見るとメイエイはちょっと笑いをこらえるような表情で続けた。
「大体、ね」
「……大体?」
 なんだよそれは、という表情でユァンはメイエイの視線の方向を追い、あっと声をあげた。
 翼。
 虹色にきらめく一対の翼が、自分の背に広がっている。
 よく見ればそれは、光を受けて屈折し、輝く空気の渦だった。炎のあかりを受けたそれは、暖かな輝きを放っている。触れてみるとかすかに風を感じた。
(初めて見た……)
 ずっと身近にいたものとはじめて対面したような気恥ずかしさがあった。
「よく耐えた」
 長老がいくぶん穏やかな声を発した。ほぼ同時に聞こえたふぅ、と息をつく音はウェイのものだろう。
「遠い昔、我々は人間を守り、防壁を築き、秩序をもたらした。その人間に裏切られ、狩られた怒りが我々の今のよりどころになっている。そんな怒りによってしか、我々はもはや存在し得ぬのだと思っていた。だが……おまえ達の築く新しい秩序は、我々にとっても救いとなろう」
「長老……」
 魔獣と人が見つめる中、長老は静かに宣言する。 
「……おまえ達を認める。人間の若者よ、話を聞こう」
「ここからは、俺の仕事だな」
 ウェイがユァンの肩を叩いた。 
「おまえががんばってくれたおかげだ。あとは任せてくれ」
「ああ」
 うなずいてみせる。
 守り抜いたのだ。ウェイの信頼に応えて。
 そんな安堵の念が浮かんだ途端に、ユァンの身体から力が抜ける。
 その場に倒れていきながら、ユァンは自分の身体に広がる疲労感を、肩にかかるメイエイの手を、名を呼ぶホンルの声を――身体を持つがゆえの感触を――心地よく感じていた。

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