「守護獣の翼」番外編

無窮の空

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 数日後。
 目の前の防壁を、セイリンは見上げた。
 「真影、か」
 疲れ切った表情、重い足取り。
 長い旅の目的地が目の前にあるのに、セイリンの表情は重く動かない。
 わだかまったものを抱え込んでいるかのように、彼女はゆっくりと門に歩み寄り、軽く叩いた。かたんと音を立てて開いた小さな覗き穴に声をかける。
 「玉輝から来た『盾』のセイリンといいます。この村の村長に会うために来ました」
 言いながら、身元を保証する町長の書付けを覗き穴に差し入れる。誰かの手がすっと書付けを受け取り、ほどなく門が開かれた。中から扉を押し開ける人影を識別するより早く、驚いたような声がかけられる。
 「セイリンさん!」
 「! 君は……」
 門扉に手をかけている青年の顔に、セイリンは見覚えがあった。繊細な赤みがかった目をした、長身の「盾」。
 「俺……覚えてますか? 三年ぐらい前に玉輝で世話になった……」
 「ユァン、だったな」
 忘れてはいない。そもそもこの村にやって来たのは、三年前のあの邂逅あってのことだ。
 「元気そうだな」
 「ええ」
 扉を閉め、鍵をかけながら、ユァンは答える。三年前に比べてずっと柔らかい雰囲気になっていることに、セイリンは気づいた。それとも、あの時の彼が声をかけるのもはばかられるほどにぴりぴりしていたのは、見知らぬ町で事件に巻き込まれて気が立っていたせいだったのだろうか。
 「どうしてここに?」
 ユァンの問いに、セイリンはしばし考え込む。
 いったい何から切り出したものか、彼女には見当がつかなかった。この数日、彼女の置かれた奇妙な状況を、彼女自身うまく整理できていないのだ。
 「君達は……あの後、魔獣の集落を見つけたのか?」
 さんざん考えた末に、そう口にする。ユァンの赤みがかった目が一瞬見開かれたが、彼はその目をすぐに伏せた。
 「なぜ、ですか?」
 読まれたくない表情を押し隠すようなその反応に、警戒心めいたものを感じつつ、セイリンは答える。
 「もしそうならば、私に起こったことがなんだったのか、私がどうすればよかったのか、わかるのではないかと」
 晴れぬ表情をたたえたまま、セイリンは続けた。
 「魔獣とはなんなのか、その答えを少しでも得ているのなら、どうか私の話を聞いてほしい。私は、そのためにここに来たんだ」
 「セイリンさん……」
 ユァンの瞳に、たとえようのない表情が浮かんでいた。あたかもセイリンが今抱いている当惑と喪失感、不可解さとやりきれなさを理解しているかのような、そんな表情だった。
 「……長の、ウェイのところに案内させます。あいつならたぶん、セイリンさんに答えてくれると思います」
 アイリ、と、ユァンはすぐ近くにいた「盾」の服装の少女を呼ぶ。恐らく門の当番同士なのだろう。門を守る「盾」が二人で一組なのは、どの村や町でもかわりのないことのようだ。
 「玉輝の方を村長まで案内してくれないか?」
 「あなたが行って、一緒に話聞いてきたら?」
 「俺が? でも君はまだ一人前じゃ……」
 「門番ぐらい平気。それに、気になってしょうがないって顔してるよ、ユァン」
 「う……」
 どうやら少女の指摘は図星だったらしく、ユァンは真剣な表情でしばらく迷っていた。
 が、やがて、
 「じゃあ、頼む。なるべく早く戻るから」
 「気にしないでいいよ。じゃあね」
 成人前なのだろう、まだ幼さの残る顔に元気のよい笑みを浮かべ、少女は手を振って見せた。
 「すまんな」
 セイリンが言うと、ユァンは首を振る。
 「いえ、いいんです」
 「あの子は……君の伴侶か?」
 「!」
 ユァンの目は、思いがけない言葉にはっきりと動揺を映し出す。
 「そうなれたら……とは」
 幾分小さな声で答えるユァンの横顔を見ると、かすかに頬が紅潮しているのがわかった。当たらずとも遠からずといったところなのだろう、と、セイリンはくすりと笑った。
 澄んだ高い空は、収穫の季節の到来の印だ。村の中心部へ向かう道をすれ違う「耕人」とおぼしき人々が手にしている籠から、収穫したばかりの果実が顔をのぞかせている。玉輝の喧噪とはまるで違う、のどかな風景だった。
 「セイリンさん」
 しばらく無言で歩いていたユァンが口を開いたのは、村の中心にある広場が見えてきた頃だった。どの町や村でも同じように、中心部の広場の近辺に「長」の家がある。
 「ん?」
 どことなく意を決した声のように感じられて、セイリンはユァンの方に顔を向ける。
 「……」
 ユァンは言葉に迷っているようだった。
 「……いえ、なんでもないです。すみません」
 「? そうか……」
 迷った挙句に呑み込んだ言葉が何なのか、セイリンには見当もつかなかった。

 長の家では、見覚えのある青年がセイリンを出迎えた。
 「セイリンさん? 驚いたなあ」
 青年――ウェイはにこにこと顔いっぱいに笑みを浮かべる。顔の中央できちんと二つに分けられた前髪と、やや垂れ下がり気味の目尻が、朴訥な愛嬌を感じさせた。この間の夏に長を引き継いだばかりだという。
 「ウェイ、セイリンさんが話したいことがあるって……」
 「話したいこと?」
 セイリンに座を勧めつつ、ウェイは首をかしげる。
 「はじめから、君達の力を借りたいと思っていた。というよりも、魔獣と真影鏡について、君達以外に知っていそうな人物に心当たりがなかった……」
 「……」
 ウェイはユァンにも座れという風に促す。ユァンが座るのを待って、ウェイは口を開いた。
 「話してみて下さい。俺達に何ができるのかはわかりませんが」
 「ああ、すまない」
 セイリンはうつむき加減に語り始めた。
 「二十日ほど前のことだ……」

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