薄気味悪い子供だと思った。
玉輝には、親を亡くした子供を集めて育てる養育園がある。そこで子供の世話をしている「医師」のシェンミンに呼ばれ、引き合わされた少女。名はレンユウという。十二歳という年齢にしては小柄でやせっぽちな上に、ずっと下を向き、呼びかけられても反応ひとつない。ばさばさの長い髪の合間から見える表情はじっと動かず、こちらの声が聞こえているのかどうかもさだかではなかった。
「ではあの子が魔獣かも知れないと?」
セイリンの問いに、シェンミンはうなずく。
「どうもね、あの通りなんだか気味悪い感じでしょ。それに……人の心を読んでいるみたいなの」
「心を?」
「うん、うちの子供たちがあの子には内緒にして行った遊び場に、いつの間にか来ていたり、いたずらをしかけた器を取らせようとしても絶対に取ろうとしなかったりね」
「ふむ……」
「そもそも、誰の子なんだかさっぱりわからないし。採掘場から切り出してきた石の間に、いつの間にか捨てられてたらしいんだけど、その日誰もそこに入った跡がなかったんですって。そんなこともあって魔獣なんじゃないかって噂になっちゃって……ねえセイリン、確かめることってできないかな」
ため息まじりの彼女の口振りから、ほとほと手を焼いている風なのが見てとれる。
「そうはいっても……」
故郷の村には、映した者の真の姿を暴き、魔獣を狩るのに用いられた「真影鏡」の伝承がある。だが、防壁の外側に貼られた鏡が伝承のそれなのか、誰も知らない。もはや手入れもされず曇りきった鏡にそんな力があるとは、セイリンにはとうてい思えなかった。
そもそも、セイリンも魔獣というものを実際に見たことがあるわけではない。魔獣かどうかなど、わかるはずもなかった。
(待てよ、そういえば)
ただ、一つだけ心当たりがないでもないことに、セイリンは気づく。
三年ほど前に、魔獣を探して旅をしていた少年達がいた。セイリンの故郷である槍尖へ向かった後、魔獣の集落を目指したと聞いている。「真影鏡」を彼らは知らなかったが、少なくとも魔獣がどんなものなのかを知ろうとしていたのは確かだった。
「真影では今でも魔獣が村を襲うらしい。そこに行けば、あるいは……」
セイリンのつぶやきを、シェンミンは聞き逃さなかった。
「じゃあ真影に連れて行けばわかるのね?」
「い、いや、それはわからんが」
「なんにしても今のまま噂になってるのは困るし、本当に魔獣だったら、ほかの子供達が危ないのよね。あの子のこと頼めないかしら」
半ば強引に押し切られるような形ではあったが、セイリンはそうして、レンユウを真影につれて行くことになってしまった。シェンミンが彼女を持て余していて誰かに押しつけたがっていたことがわかっていたのに、その前でうっかり打開策めいたものを口にしてしまったのは、ひどく迂闊に思われた。
望んだことではないにせよ、仕事として引き受けたのだからやむを得ない。旅立ちの日、セイリンは自分が「盾」であること、シェンミンに頼まれて真影に一緒に行くことになったことをレンユウに告げた。反応はなく、どの程度理解しているのかまったくうかがえなかったが、歩き出すとついて来ることから、どうすることが求められているのかは一応理解しているようだった。
平原は「獣」の領域である。「盾」が入念な準備の上に適切な指示を行い、誰もがその指示に従わねば、安全に旅をすることは難しい。森に近い真影に向かうのなら、なおさらである。
彼女がどの程度指示を聞いてくれるのか、セイリンにはわからなかった。
果たして真影に連れて行くことができるのだろうか。玉輝を出る門に向かって歩きながらセイリンは頭を振った。考えれば考えるほど見通しが暗くなりそうな気がして、頭の中から追い出したかった。それでもどうしても浮かんで離れないことがある。
真影に着いたとして、それでどうなるのか。
もし、レンユウが魔獣だと判明したら?
槍尖では、魔獣は人の敵だと教えられてきた。魔獣を探し出して殺した祖先の記録を読んだことがある。
(もしも魔獣ならば、殺さなければならないのか)
人に化け、いつか人に危害を加えるのだとすれば、その前に適切な処置を下すことが、「盾」としての義務である。「魔獣かどうか調べる」ことには、当然その結果下すべき処置も含まれているのだ。
「……?」
ふと、気配が途絶えたような気がして、セイリンは振り返り、そしてはっとする。
少し離れたところで、レンユウが立ち止まっていた。
明らかにおびえた表情を浮かべ、手を握りしめて、こちらをじっと見ている。
恐怖にすくんで動けなくなってしまったように、セイリンには見えた。
「どうした……」
言いかけて、不意に気づく。
――心を読んでいるみたいなの。
シェンミンの言葉が頭をよぎる。
一瞬、なんとも言えない嫌悪の念が浮かぶ。だが、セイリンはその感情を抑え込もうとした。
(自分を殺そうと思っている相手と旅をする気になれるか?)
彼女がセイリンの心を読んだのだとすれば、すくんでしまうのも無理はないのだ。セイリンは今まさに、彼女を「処置する」ことを考えていたのだから。
セイリンと少女は、しばらく離れたまま向かい合っていた。
やがて、セイリンはゆっくりと歩み寄り、膝をついて目線の高さを合わせた。
「……悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ」
「……」
レンユウは答えなかった。だが、おびえた表情は消えている。じっとセイリンを見つめる目は、どこか不思議がっているような表情に見えた。
「私の仕事は、君を守って旅をすることなんだ」
セイリンは言葉を選びつつレンユウに話しかける。彼女はもしかすると既に、セイリンの話すことなど読みとってしまっているかも知れないが、それでも伝えたいことと伝えたくないことの区別をはっきりさせておきたかった。
自分の言葉が、すべてを言い表す真実ではないにしても、決して嘘ではないのだと。
「平原を旅していくのは危険だ。『獣』に会わないように注意して進んで行かなければならない。危険なことになる前に、いろいろと君に指示することもあるだろう。それを聞いてくれないだろうか。君の安全のために」
レンユウは無言ではあったが、小さくうなずく。初めて反応らしい反応を返してきたことに、セイリンはほっとした。
セイリンが歩き出すと、今度は後をついて来る。真影に着いてからのことをなるべく考えないようにしながら、彼女は歩みを進めた。
門を守る「盾」に話しかけ、門を開けてもらうと、目の前には短い草に覆われた大地がどこまでも広がっていた。
傍らでレンユウが息を呑んだのがわかる。見ると、口をぽかんと開けて平原の彼方を見やっていた。
「門の外は初めてか?」
セイリンの問いにうなずきつつ、目は大地と空をきょろきょろと見渡してさまよっている。よほど平原の風景に驚いているのだろう、と、セイリンは思った。
「紅裳までずっとこんな景色が続くぞ」
セイリンはそう言い、ゆっくりと歩き出す。旅はまだ始まったばかりなのだ。
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