「守護獣の翼」番外編

無窮の空

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 町長の書付けを渡して門を開けてもらうと、レンユウは防壁の中の村をぐるりと見渡した。
 「はっはぁ、お嬢ちゃんはこんなところ、珍しいのかね」
 門番をしていた「盾」の男が陽気に言う。確かに彼女の表情には驚きが見てとれた。
 「この子、玉輝しか知らないんで」
 「そりゃあそうだな。俺もこの村しか知らねえし。玉輝なんぞに行ったら目ぇ回すかもね」
 男にあいづちを打ちながら、セイリンは内心首をひねっていた。
 (初めての村が珍しいだけなのか?)
 防壁を見た時の、あのすがるような目を思えば、珍しがっているだけとは思えない。首をめぐらすレンユウを目で追っていると、ふと目が合った。
 「……怖く、ない」
 小さな声だったが、つぶやいた言葉がはっきりと聞こえる。
 「そうか」
 セイリンは笑顔を彼女に向けた。
 レンユウはこの村が怖いところだと思っていたらしい。だが裏を返せば、それは彼女が防壁に囲まれた区画を「怖いところ」と認識していたということだ。それほどに玉輝は、彼女をおびえさせる場だったのだろうか。
 紅裳は玉輝に比べればはるかにのどかで、人も多くない。とはいえ、それが彼女にとってどのような差として感じられているのか、セイリンにはわからなかった。
 「ところで、どうして真影に?」
 男が問いかけてくる。もっともな質問ではあるが、まさか「魔獣かどうか確かめる」というわけにはいくまい。紅裳では「魔獣」は、おどろおどろしく脚色された怪談の主役なのだから。
 「この子の面倒を見てくれる人が、真影にいるかも知れないので」
 とっさにそう返事をする。前もって答えを準備していたわけではなく、口をついて出てきたままの言葉だった。
 「へえ、そうなのかい」
 特に疑う様子もなく男はうなずく。彼にとってこの話は、ごくありふれた世間話の一つにすぎないのだろう。
 が、その時レンユウが顔を上げ、セイリンの方をじっと見た。何か言いたげな目をして、だが、言葉にはならない。
 本当のことを言っていないのがわかっているのだと、セイリンは思った。だが、なぜセイリンがこんな風に答えたのかがわからないのだろう。
 それは、セイリン自身にもわからないことだった。もしレンユウが魔獣だったとすれば、セイリンは立場上、彼女を殺さねばならない。彼女をおびえさせないよう、つとめて考えないようにしてきたことだが、いずれつきつけられる可能性のあることだ。
 だが、ひとつだけ彼女を殺さずに済む方法がある。
 (彼らは、魔獣の集落を探していた)
 魔獣の集落などというものが本当に存在するのか、セイリンは知らない。だが三年前に会った真影の少年達がその集落を見つけていたなら、そして彼らへの何らかの橋渡しが可能になっていたなら、彼女を迎え入れてもらうわけにはいかないだろうか。そんなことをちらほらと考えていたから、あんな答えがとっさに出たのだろうと、彼女は思った。
 我ながら突飛で、かつ、虫の良い考えだ。そんな考えにすがらざるを得ない自分を愚かだとも思う。
 最初は薄気味悪く思われた表情の乏しい顔も、そこに現れるわずかな動きをきちんと見て取れば、理解可能なものに思えてくる。さしのべた自分の手をしっかりと握る様子は、愛らしいとさえ思う。
 「獣」を狩るようには、もはや自分はこの少女を殺すことはできない。
 ふと、祖先のことを思った。彼らは魔獣をどうやって狩ったのだろう。どのような思いで、それまでともに暮らしていた者達の「真の姿」を暴き、その息の根を止めていったのだろう。
 (魔獣が人の敵なのか、人が魔獣の敵なのか)
 これまで疑ってみたこともなかったが、考えれば考えるほどに謎が深まるような、そんな気がした。

 紅裳を出発した翌日のことだった。
 平原をよぎった影に、セイリンは歩みを止め、鋭く指示を出す。
 「飛禽だ。布をかぶってしゃがんで!」
 レンユウは無言で、だが素早く肩に羽織っていた布を頭からかぶり、身を伏せる。紅裳までにも何度か繰り返してきた、飛禽の目をくらます方法だ。平原に似た砂色の布をかぶり、可能ならば木の下や岩陰に移動して、飛禽が去るのを待つ。セイリンが見回すと、さほど離れていないところに手頃な岩があった。
 「あそこまで移動するぞ」
 セイリンはささやき、そろそろと岩に向けて移動する。上空から動きが見えないよう、少しずつ。レンユウもセイリンの後に続いた。
 岩陰でセイリンは、警戒しつつ上空を見上げる。遠くで飛禽が急降下し、何か大きなものをつかんで飛び去るのが見えた。
 ほっと息をつく。今回はうまくやり過ごせたようだ。
 道に戻ろう、と言いかけて、セイリンはあることに気づく。
 岩陰に残されていた足跡。
 すっと背筋が凍った。
 (虎だ!)
 虎は大柄な体躯と長く伸びた牙を持つ肉食の「獣」で、平原でもっとも危険な存在とされている。その足跡があるということは、この岩陰が虎のなわばりであることを意味していた。
 「レンユウ、急いで戻って!」
 とっさにそれだけ言い、レンユウの手をつかんで道に戻ろうとする。
 初めて通る道ゆえ、知らなかったのは仕方がない。だが、「獣」の生息地域をよく知らない状態で、道からはずれるべきではなかったのだ。おのれの迂闊さを呪い、何もないことを願いながら、セイリンは足を踏み出した。
 が。
 ぐるる、といううなり声が、近くで聞こえた。
 (なんてことだ……!)
 すぐ近くに、虎がいる。
 「盾」が数人がかりで罠を張ってやっと仕留めることのできるほどの「獣」に、無防備な少女を連れたセイリン一人でかなうはずもない。それでも「盾」として、セイリンがすべきことはたった一つしかなかった。
 「レンユウ、逃げろ」
 剣を抜き、うなり声の方向に向けて構えながら、セイリンは言った。
 「紅裳までなら、一人でもなんとか戻れる。私に構わず行け」
 「セイリン!」
 「いいから行け!」
 レンユウが立ち去る気配はなかったが、そちらを向いている余裕はない。草の間からじっとこちらに狙いを定めている虎の目を凝視しながら、考えることはたった一つだった。
 ――少しでも、レンユウに逃げる時間を!
 虎はセイリンに狙いを定め、身を低くして飛びかかる体勢を整える。飛びかかられた瞬間にどこまで反応し、剣で反撃することができるか。セイリンにはわからないが、最善を尽くすしかない。
 それが「盾」なのだから。
 誰かを守って死ぬことは「盾」の誇りである。こんな平原で、虎の牙にかかるのだとしても、レンユウを守ることができれば本望だ。
 守りの構えを取ったセイリンは、虎としばしにらみ合う。
 そして、虎の後肢が力強く平原を蹴り、跳躍した瞬間。
 思いもかけない強い力で、セイリンは横へ突き飛ばされた。
 「?」
 何が起きたのか理解できないまま、手から剣を取り落とし、膝をついて体勢をくずす。
 はっと振り向いた彼女の目に映ったのは、セイリンを突き飛ばした体勢のまま、今まさに虎の牙にかかろうとするレンユウの姿だった。
 (間に合わない!)
 「レンユウーッ!」
 セイリンは絶叫する。
 虎の牙が少女の細い首を噛み裂こうとした瞬間。

 少女の姿が、ふいに消えた。

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