幻の種族人間族滅亡まであと数日となった、ある日のこと。 「ここは、いつ来ても景色がきれいだねえ」 のんびりと、サーレントが言った。立ち並んだ素朴なつくりの家の間を流れる川、あざやかな緑の木々。過酷な旅をほんの一時忘れさせてくれる光景だ。 「ロロ、長老に挨拶してこいよ」 レギンの言葉にロロはうなずいて駆け出す。ここは前世の隠れ里。ロロの故郷だ。サーレントとレギン、それにソークは、ロロが戻って来るまで待つことにする。 「……む?」 最初にそれに気付いたのは、ソークだった。 「どうしたんだい?」 サーレントの問いに、ソークは茂みを指さしてみせる。 「何か…妙な形のものが動いていた」 「何か?」 レギンが茂みに近寄り、かきわけてみる。 「これは…!」 「どうした、レギン?」 茂みの中の一点を見つめたまま固まっているレギンを、ソークがつついた時。 何かがいきなり飛び出した。 人の腕ぐらいの長さと太さの、細長い棒状の物体が、茂みの中からぴょんぴょんと飛びだし、逃げて行こうとする。とっさに出されたレギンの手をかわし、ソークの横をすり抜けたまではよかったが、そこはサーレントの正面だった。 「おっと」 ぱしっと音を立ててサーレントが捕まえると、それは棒状の身体をくねらせて抵抗した。まるで魚のようだが、魚と違ってすべりやすい鱗がないためにつかみやすい。 「これ…何だ?」 レギンの言葉に、ソークが応じる。 「ずいぶんと、生きのいい葱だな」 「それ以前に、葱ってこんな風に暴れるものだっけ?」 「……いや」 レギンとソークは顔を見合わせる。 普通よりもかなり大振りではあるが、紛れもなく、それは葱だった。白く長い茎の上端が緑色に枝分かれし、きちんと切りそろえられている。 それが、暴れている。 サーレントは暴れる葱をつかんだまま、どうしたものかと困った表情を見せていた。 「……う…」 葱の動きがぴたりと止んだ。かすかな震えがサーレントの掌に伝わってくる。 「?」 ぷるぷると震える葱。 「ぐすっ…うっ……っく…」 よく見ると茎の色が白から緑に変わる境い目あたりに、ゴマつぶのように小さな点がふたつ。透明な水滴がゴマつぶの上に盛り上がっている。 「泣いてる…」 サーレントの言葉にレギンとソークも覗きこむ。 「ほんとだ」 「これは一体…」 「えーん、えーん」 葱は本格的に泣き出してしまった。 サーレントがとりあえず、葱に声をかけてみることにする。 「あ、あのね…別になにもしないから」 「ひっく…ほ、ほんとに?」 葱がしゃくり上げているのが、サーレントの掌に伝わってきた。 「ああ。心配しなくていいよ」 サーレントはそっと手を放し、地面に葱を下ろしながら続けた。 「だが一つ教えてくれないか? 君は一体何なんだい?」 自由になった葱はぴょこんと一つお辞儀をしてみせた。「意外に礼儀正しいな」と、ソークがつぶやく。 「お、おいらは葱だい」 「いや、それはわかってるけど」 サーレントが苦笑した。レギンが質問を継ぐ。 「普通、葱って動いたりしゃべったりしないんじゃないのか?」 「ねっ、葱を馬鹿にするなよう。大昔は地上を支配してた一族なんだぞー。今はみんな動かなくなっちゃったけどさー」 「地上を支配?」 三人は同時に聞き返す。 「兄ちゃん達、どーしたの?」 タイミングよく戻って来たロロに、ソークが尋ねる。 「おぬし…昔葱が地上を支配していたなどと、聞いたことはあるか?」 「葱??」 ロロも聞いたことはないようだ。葱がぴょんぴょんと跳びはねて文句を言う。 「なんでだよぅ、汚染が浄化されたから、仲間を探してここまで来たのに、誰も知らないのかよー」 「知らないもなにも…」 「嘘じゃないぞー、ちゃんと、葱のラゴウ石だってあるんだからなー」 「葱の…ラゴウ石? まさか。ダナンのルドラだってそんなこと言ってなかったぜ」 レギンが反論した。 葱の白い部分がうっすらと赤くなっている。怒っているようだ。 「本当だもん。ルグのほこらの近くに立ってるもん。嘘だと思ったら見てこいよー」 葱は跳びはねつつ去って行く。途中一度だけ止まって「本当なんだぞーっ」 と、繰り返した。 後に残された4人は、しばらく呆然としていた。 「…頭痛くなってきた…」 サーレントがつぶやき、額に手を当てる。 「本当にあるのかなあ、葱のラゴウ石って」 首をかしげるロロ。レギンがぽんと手を叩く。 「じゃあ、確かめに行くか」 レギンが一同を見渡す。とりあえず異論がないようだ。 「ルグのほこらか…またパンの耳なんかお供えされたら困るなあ」 ルグのほこらのワープポイントに出現したところを付近の住民に見とがめられ、ルドラ教の信者が言っていた神だと勘違いされて、パンの耳やすっぱくなったワインなどを供えられそうになったのは、つい昨日のことである。 「だ、大丈夫だろ?」 レギンがややひきつった笑いを浮かべた。 幸い、ルグのほこらのワープポイントには誰もいなかった。外に出てみると、のどかな風景が広がっている。 広大な葱畑。 「いくら葱畑だからって、ほんとに葱のラゴウ石なんて…」 「いや」 レギンを途中で制し、ソークが彼方を指さした。 「あれを見てみろ」 一同の視線が集まる。畑の隅に何かがそびえ立っているのが見えた。 「あの形…確かにラゴウ石みたいだな」 そうつぶやいて、サーレントが歩き出す。つられて、他の3人も続いた。 近づくごとに、それはますますラゴウ石に見えてきた。形といい、表面の質感といい、彼らがこれまでに見て来たラゴウ石にそっくりである。 「まさか…本当に…」 ソークが声をあげて一同を呼んだ。 「何か書いてあるぞ」 「古代文字?」 「い、いや…」 ソークにしては珍しく言い淀む。不審に思った3人がソークの発見した文字を見…ぽかんと口をあけた。 「このあたり一帯、ごんべえの葱畑」 石の表面には、下手くそな字で、そう書かれていた…。 「看板かよ…」 拍子抜けしたように、レギンがつぶやく。が、石の裏を見ていたロロが、あっと声を上げた。 「見て、兄ちゃん。葱が埋まってる!」 ロロの言葉通り、そびえ立つ石の裏面には、葱と言われればそう見えなくもない、細長い物体が石と化して埋まっていた。 「……葱のルドラ?」 そんなバカな…というニュアンスを言外に色濃く漂わせながら、サーレントはそっと手を触れてみる。 その瞬間、何かが光った。 「兄ちゃんのジェイドが!」 「見ろ、葱が…!」 ロロとソークが、ほぼ同時に叫ぶ。サーレントのジェイドに反応した葱のルドラが、その場でよみがえろうとしていたのだ。 「…じょ、冗談じゃなかったのか…」 唖然とする一同。その前でよみがえった葱のルドラは、隠れ里で見かけた葱のように、ぴょんぴょんと跳ねた。どうやら葱族のスタンダードな移動方法らしい。 「わーい、わーい。2万年ぶりの地面だー」 畑の土を踏みしめるように跳ねる葱。 「いいのか? 畑…踏み荒らしてるぞ」 「2万年ぶりってことは…ダナン以前の種族なのか?」 ダナンが最初の種族ではなかったのか…と、サーレントはいぶかしむ。 「わーい、あのねーあのねー、ぼくらって焼くとおいしいよー。でも焼き過ぎて焦げたらおいしくないんだよー」 「………えっ?」 それ以上に反応のできる者は、少なくともその場にはいなかった。 「おいしく食べてねー。じゃっ」 ぴょんとひときわ大きく跳ねたかと思うと、葱のルドラはラゴウ石に戻り、再び像と化した。 「な、なんだったんだ…」 「ロロ」 サーレントが一塊の石を手に、ロロを呼ぶ。 「ラゴウ石のかけらだ。読んでくれないか?」 「かけらまであるとはな…」 ソークがつぶやく。ロロはしばらくかけらの古代文字を目でたどっていたが、やがて、 「えーと…『最初に作られし種族、葱。しかし何の力も持たず、食用になるだけの種族だったため、滅ぼされるまでもなく忘れ去られていった』…だって」 「な、情けない…」 呆れるのを通り越して、ただ、苦笑するほかはない一同だった。
翌日。 サーレント達は、冥界のガフの間で、ゴモラと向かい合っていた。 「…ならば、私がルドラになれば、人間は助かるのですね?」 サーレントは眼鏡の奥の瞳にある決意を込め、ゴモラに言う。レギン達が不安げに見守る中、サーレントは続けた。 「私はすべてのラゴウ石を調べた…」 「ほう、まさかラゴウ石のかけらを? 」 「手に入れました。すべてのラゴウ石のかけらを手に入れた者は次期ルドラとなれるはず…」 サーレントが示したラゴウ石のかけらは、全部で6個あった。ダナン、水棲族、ハ虫類族、巨人族、人間族、それに…葱。 ゴモラの声が不審げな響きを帯びる。 「1つ多いようだが」 「それは…葱のラゴウ石の分でしょう」 「…葱? お、おまえ達…どこでそれを…」 ゴモラの声には、明らかに狼狽の色が混じっている。 「知っているんですね? やはりダナン以前の種族だったというのは…」 「言うな」 サーレントの言葉を、ゴモラは遮る。 「言わんでくれ…頼む」 切実な声。 どうやらゴモラと葱の間には、触れられたくない何かがあるらしい。だが、人間を滅亡から救うためには、ゴモラの力が必要だ。うかつなことを言って怒らせてしまうわけにはいかない。サーレントは、尋ねたい気持ちをぐっと飲みこんだ。
その後、次期ルドラを倒したシオンにゴモラが「長い進化の歴史の中には、忘れてしまいたいこともあるものだ」とため息まじりに述懐したとか、月に向かうサーレントにレギンが「帰って来たら葱料理食べに行こうぜ」と言ったとか、無量暦4000年を迎えた世界のどこかで、ほどよく焼けた葱がぴょんぴょん跳びはねているのを見た人がいるとか噂が流れた……かどうかは定かではない。ともあれ、ダナン以前の幻の種族の謎は、ゴモラが何も語らぬままガフに還ってしまった今、永遠の謎となった。 |
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