夢魔

第10章 黒衣の夢魔

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「それじゃあ、プレゼントの交換をしましょうね」
 大人の女性が、にこにこと笑いながらそう言った。
 建物の中で円形に並べられた椅子に座った子ども達が、元気よく「はーい」と答える。
 建物の中には、色とりどりの飾りつけが施されていた。緑色の木に小さなおもちゃ のようなものが沢山ぶら下げられ、てっぺんには銀色の星が一つ。
 輪になって座った子ども達は、手に手に小さな包みを持ち、流れ始めた軽快な音楽に乗って隣の子どもへと包みを順に渡していく。
 不意に、音楽がぴたりと止む。
「はい。みんなプレゼントは持ってるかなー?」
 大人の女性が尋ね、子ども達が再び「はーい」と答えた。
 その様子を彼は、建物の外から見ている。
 彼の目は、子どもの中の一人に向けられていた。
 この夢の世界の持ち主、まだ幼い少女である。
 この光景は彼女が外の世界で体験したことの再現なのだろうか。
(楽しそうだな)
 彼がそう思った時。
 少女がふと、こちらを向いた。そのまま、彼と目が合う。
 少女はしばらく目を丸くしていたが、やがて立ち上がり、彼の方に小走りで駆けて来た。
「はい、お兄ちゃんの分」
 包みを渡された彼は、とっさの対応ができなかった。人間が彼に話しかけてくることなど、今まで経験したことがなかったのだ。
 少女は彼に、人なつこい笑みを向ける。
 これがきっかけで、少しずつ彼は少女と親しくなっていった。
 やがて少女の世界も荒廃を始める。世界が荒廃してしまった時に、持ち主の人間に何が起こるのかを、彼はまだ知らなかった。だが、荒廃するまでこの世界に留まっていてはならないという予感がし、彼は間もなく少女に別れを告げた。
 別れを惜しんで泣いてくれた少女の名――「かおる」と言った――を、彼はどうしても忘れることができなかった。

 それから幾つの世界を渡り歩いた頃だろうか。
 思いがけない形で、彼は少女と再会した。
 世界の持ち主でもないのに突如現れた彼女が、あの時の少女だということが、彼には一目でわかった。
 少女は今や、若く美しい女性に成長していた。
 そして彼の姿を見ると、殺気をみなぎらせて身構える。
「夢魔め……もう人を殺させやしないわ」
 彼女の口から出た言葉に、彼は様々な意味で衝撃を受けた。
 人を殺す、ということがどういうことなのか、彼にはわからない。狭い夢の世界を渡り歩く彼は、自分が漠然と人間とは異なる存在だということには気付いていたが、夢を通じて人の生気を奪い、人間を死に到らしめている「夢魔」だということまでは知らなかった。無論、その夢魔を狩る「夢使い」の存在も。
 まして、彼女が彼に殺気を向ける理由も、彼には理解できなかった。
「……かおる…?」
 思わずその名が口をついて出る。
 彼女は怯んだ。
「な、なんで私の名前を……?」
 彼女は幼い日の夢のことなど覚えていない。彼を倒すべき敵としてしか見ていないのだ。
 そう気付いた時、彼は逃げ出した。
 別の世界へ。
 あのプレゼントの件以来、彼女のことを彼はなぜか忘れられなかった。できれば彼女とは、もう一度会いたいと思っていた。だが、このような形で再会することになろうとは……。
 自分の心が、かつてないほどに揺れ動いていることを、彼は感じた。
 彼女が自分に敵意を向ける。そう思うだけで心が乱れる。他のことは何も考えられなくなるぐらいに、彼は彼女のことを思った。
 どうしたら、敵としてではなく語り合えるだろう。
 どうしたら、以前のような微笑みを向けてくれるだろう……。
 それは、長い時間をかけて人間のような思考と感情を身につけた彼が、初めて持った感情だった。


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