神の表象

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1 依頼

 「ガイドの指名?」
 ディング・ウィルビアーは靴を修繕する手を止めて聞き返した。戸口に立つジェレミー・カッツはうなずき、走り書きがされたメモをひらひらと振ってみせる。
 「ケレスの洞窟探検じゃない。群島の遺跡の探索だそうだが、どうする?」
 「はぁ?」
 ディングは首をかしげた。
 「どうするって、珍しくない? いつもはそんなこと聞かねえで仕事振って来るのに」
 「いや、今回の仕事は結構危険でな。それに……」
 カッツは苦笑する。
 「お客さんがどうしてもおまえに頼みたいっていうんだ」
 「遺跡のガイドなら、カッツの方が慣れてるんじゃねーの?」
 「それはそうなんだが……」
 「ふーん。あ、ちょっと待って。これだけ済ませちまうわ」
 ディングはレーギス鹿の革でつくられた靴底を丹念に貼りあわせ、革ひもで手早くかがっていく。器用に動く手の中で、すりきれかけた靴が見る間によみがえっていった。
 「よし、完成。それでいつからなの?」
 「明後日から。詳しいことはそこに書いてあるし、不明な点は店に直接来てくれ、だとよ」
 「店?」
 ディングは渡された紙を広げて目を走らせる。
 「あれえ? このお客さんって……」
 「知ってるか?」
 「うん。一度行ったことあるよ。『ラドアの道具屋』って、中心街のなんでもそろうって評判になってるところだろ?」
 「ラドアの道具屋」とは、中心街にある小さな道具屋である。「道具屋」というプレートがかかっているだけのそっけない外観とは裏腹に、店内には数多くの珍しい品々がそろえられている。噂では、この店で注文して入手できないものはないという。
 謎めいた店にふさわしく、店の主人も謎に満ちていた。長くつややかな黒髪に黒衣をまとい、常に黒い手袋を身につけている。美しい容姿は見る者によって男性にも女性にも見えるらしい。その上、半年ほど前にケレスにやって来て道具屋を構えるまでの一切の過去も不明である。
 「でもなんで、俺を指名するんだ?」
 「そいつは知らねえ。だがディング、もっと重大な問題があるぜ」
 「?」
 「目的の遺跡、知ってるか?」
 ディングは再びメモに目を落とす。「ジェローム四世島 カウフマン一族の墳墓」と書かれているのを読み、首を横に振った。
 「全然。ここがどうかしたの?」
 「この島は第一級危険区域。中でもその墓はとびきり危険だそうだ」
 ケレスで観光業が盛んになり、それに伴ってうっかりと危険な区域に足を踏み入れて遭難する観光客や、周辺への二次災害が増えていた。当局はこれを重く見て、危険区域をランク別に指定し、ガイドの有無や人数などによって立ち入り制限を加えるようにした。第一級危険区域はその中でも危険度の高い区域であり、ガイドの同伴なしには入ることすらできない。しかも、遭難したとしても自己責任で、被害の拡大を防ぐために救助隊の出動は行なわれない。
 「ますます、俺を指名するわけがわかんねーな」
 「断わってもいいぜ。大体『ラドアの道具屋』ってのは、世界の果てにしかない道具だって仕入れる店だって言うじゃないか。おまえが受けなくてもなんとかするだろうよ」
 「うん」
 ディングはしばらく考え、メモを手に立ち上がった。
 「どーいうつもりか、直接聞いてくるよ。その方が早いだろ」
 「あっ、おい……」
 カッツが止める間もなく、ディングは初秋の夕暮れの町へ飛び出して行った。

 「わざわざすみませんね。こちらからお願いしたことでしたのに」
 道具屋の店主は、にこやかにディングを迎え入れた。店に足を踏み入れると、ひんやりとした空気の中にどこかざわめきのような気配が感じられる。
 「……?」
 視線を感じたような気がして、ディングは周囲を見回した。
 「どうかしましたか?」
 「あ、いえ……なんか見られてるようで」
 「ああ」
 店主は神秘的な笑みを浮かべた。
 「そこの鉢植えかな、それとも後ろの絵か……」
 「えっ?」
 振り向くと、窓際の鉢植えと目が合った。
 比喩ではない。不格好なサボテンのようなその鉢植えには、顔があった。眠そうな一対の目に半開きの口。あまり利口そうではないが、その目がディングに反応するかのようにぱちぱちと瞬きをしている。
 「な、なんだこれ?」
 「サボテンの変種なんですが、いつもこんな風に寝ぼけた顔をしてるんです」
 果物屋の店頭に並ぶ果実を説明するようにあっさりと、店主が言う。この店では日常の常識は通用しない。生きた道具や伝説にしか登場しそうにない秘薬が、あたりまえのように並べられているのだ。
 「……しゃべったり、するの?」
 「いえ。でも……」
 店主は鉢植えのそばに歩み寄り、顔の位置関係でいえば喉にあたるであろう場所を、手袋をはめた手でくすぐるようになでた。
 鉢植えの半開きの口が、へらへら笑っているかのように開く。だらしない顔に、ディングは思わず笑い出した。
 「へ、変な顔。ねえねえ、俺もやってみていい?」
 「どうぞ」
 鉢植えをつついてみると、つつく箇所によって微妙に反応が異なることがわかる。ディングはしばらく面白がって遊んでいた。
 「おもしろい店だなあ、ここって」
 素直といえば素直すぎる感想を、ディングは口にする。常識では考えられないことであっても、ディングはあまり気にする方ではない。もともとあれこれ考えるのは得意でないし、しがみつくほどに日常に縛られているわけでもない。それゆえにこの異様な鉢植えすらも、彼は素直に楽しむことができた。
 ディングを指名した意図のわからぬ店主に対しても、ディングは屈託ない態度を取っていた。もともと客の気持や素性といった個人情報については、ディングはさして気にしていない。一時の旅の案内をするだけの仕事であるし、他人をあれこれ詮索することなどしなくても、少し話せば誰とでも仲良くなれる。謎の店主に対しても、きれいなお姉さんという程度の印象しか持っていなかったし、それ以上はまったく気にしていなかった。
 店主はディングにいすを勧め、本題に入る。
 「ディングさんは、ジェローム四世島に行ったことはありますか?」
 「あー、ないですね。名前しか知らないっす。あと、第一級危険区域なんですよね、たしか」
 ディングは正直に申告する。
 「そうでしょうね」
 店主はうなずく。ディングが目的地の島に対してほとんど何も知らないということを、店主はある程度予想していたらしい。
 「ジェローム四世島は、十数年前までは村もある、ごくふつうの島でした。しかし現在では『死人の島』と呼ばれ、カウフマン一族の墓を中心に死霊が徘徊する場になっているようです」
 「あっ、もしかしてだから俺を指名したんですか?」
 ディングは店主の言葉を遮る。
 「と、言いますと?」
 「俺、そーいうの、見える方だから。あ、でも幽霊退治とかなんとかができるわけじゃないけど」
 「やはり見えるんですか。それは心強い」
 「あれ? 違うの?」
 ディングの予想ははずれたらしい。店主は相変わらず神秘的な笑みを浮かべながら、時間をかけていれた茶をカップに注ぐ。かぐわしい香りがあたりに立ち昇った。
 「いえ、見えるにこしたことはないでしょう。もっともあなたに手を出す死霊などそうそういないと思いますが……」
 「えっ?」
 ディングは店主の言葉の意味がよくわからなかった。店主もそれ以上説明する様子はない。
 「墓とは言われていますが、カウフマン一族の墓所は巨大な地下遺跡なんです。トラップの数が非常に多いそうなので、得意な方にお願いした方がよいかと思いまして」
 「あ、なるほど」
 確かにディングのトラップ解除の腕は、ガイド仲間には広く知られている。ディングもそれで納得した。
 「もちろん、遺跡内部の資料はそろっていますし、できるだけディングさんに危険が及ばないようにとり計らいます。……引き受けていただけませんでしょうか」
 「うーん……」
 ディングは少し考える。
 悪い話ではない。提示された報酬もよい部類だし、要はトラップをはずして地下遺跡の奥に案内すればよいだけのことだ。ざっと地図を確認したところ、遺跡の内部は面積こそ広いものの、さほど入り組んだ構造にはなっていない。死霊の島というのが少し気になるが、ディングは死霊が特に怖いものだとは思っていない。ごくあたりまえに、そのあたりにいるものという程度の認識しかなかった。
 むしろ。
 (死霊でもいいから会いたいのに)
 見える力は、だが、一番見たい者を見せてはくれない。ターニャの死から1年近く。今でも彼女の死に立ち会ったはずの記憶が欠落していることは、彼の心の隅に引っ掛かったままだ。
 ともあれ、仕事として特に断る理由はなさそうである。


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