[index][prev][next]

1 ほの見える気配(2)

 一方圭一郎は、そう単純に構えてはいられなかった。校内に、それも弟のクラスに妖魔が現れたのだから、気をもむのも無理はない。妖魔の中には人に傷を負わせる「傷害型」がいる。あるいは数こそ少ないが、人を食う「捕食型」というタイプも知られている。そういった妖魔が学校の中に現れた場合、下手をすれば大きな被害が出てしまう。
 しかも征二郎は、剣を手にしなければ普通の人と大差ないのだ。妖魔が出現した時は、いつも以上に素早い対応が必要となるだろう。さもなくば、妖魔退治どころか征二郎の身にまで危険が及びかねない。
 もともと宝珠家の当主として妖魔を退治することを、積極的にやりたいと思っていたわけではない。だが、宝珠を手にすることの責任は、考えていた以上に重かった。なにしろ自分が動かなければ、確実に誰かが被害をこうむる。それを黙って見過ごすことのできる圭一郎ではない。
(気配が弱かったのが気になるな)
 自分の教室で、圭一郎は天井をにらむように見上げた。妖魔の気配はないが、どこかに妖魔が出現しそうな、嫌な雰囲気が感じられる。
 どんな妖魔なのか、次はいつ、どこに現れるのか。短い時間の弱い気配だけでは、それらを推測する手がかりを得られそうにない。だが警戒を怠ってはならないと、圭一郎は思った。妖魔の存在に気づいているのは、おそらく圭一郎だけだろう。だからこそ、実際に害が及ぶよりも早くに気配を察知し、退治しなければならない。
(帰ってからデータベースにあたってみるか)
 一年ほど前、全国の研究者たちによって、妖魔の特徴を分類したデータベースが構築された。これまでに記録されている妖魔の出現形態や被害の状況が整理されており、退魔師の認定を受けると自宅のパソコンからアクセスして閲覧することができるようになる。
 データベースの情報を活用できるかわりに、退魔師にはあらたなデータの提供が求められている。妖魔を退治するたびに報告書を提出し、次にどこかで同じタイプの妖魔が出現した時に参照できるようにするのだ。
 このデータベースで同じような妖魔を探せば、次に出現した時にどうすればいいかわかるかも知れない。そう圭一郎は思った。

 帰宅後、さっそくデータベースにアクセスし、発行されたばかりのIDとパスワードを入力する。ガイダンスに従って項目を選んでいこうとしたが、すぐに手を止め、頭を抱える。
「だめだ……」
 手がかりが少なすぎて情報を絞り込めない。姿も被害状況も不明、ただ気配だけが感じられたという程度では、データベースに記載できる情報にはならないのだ。
「どうかした?」
 征二郎が呑気な声で尋ねてくる。
「いいよな、おまえは気楽で」
「あ? なんだよそれ」
「妖魔のいる教室でよく平気でいられるな、ってことだよ」
「しょーがねえじゃん。わかんないんだからさ」
「そんなこと言ってる場合か? 傷害型や捕食型だったらどうするんだよ」
「その時はその時だよ。だいたい、妖魔が俺らの教室にまた出ると決まったわけじゃないし」
 それが気楽なんだよ、と言いかけて、圭一郎ははっと気づく。たしかに、妖魔の出現条件がわからない現在、征二郎のクラスに限定して現れると決めつけるのは早計かも知れない。
「でも……じゃあ、事件が起こって被害が出てからじゃないと、どうしようもないのかな?」
 圭一郎は不安げにつぶやく。その目の前に突然、携帯電話がつきつけられる。
「そういうことは、この道の先輩に相談すればいいじゃん」
「……?」
 圭一郎は携帯を受け取る。征二郎がかけてくれていたらしく、既に通話はつながっていた。
「もしもし」
「圭一郎?」
 凛の声。
 たしかに今圭一郎に適切な助言を与えられるのは、凛ぐらいなものだ。
「あ、はい。ちょっと相談したいことがあって」
 話しながら圭一郎は内心、征二郎の行動に感心していた。
 思慮を重ねた上で行動に移す慎重な自分と、行き当たりばったりで勢いにまかせて行動する弟。たいていの場合は、自分の方が的確な判断を下すことができると、圭一郎は思っている。だが、考え込みすぎてどうにもならなくなってしまった時、征二郎は時としていとも鮮やかに、圭一郎の迷いを断ち切るような道を示してくれる。おそらく本人は考えたり計算したりはしていないのだろうが、圭一郎にとってはそれが救いになることも一度や二度ではなかった。
(天然の強みだな)
 口の端に苦笑を浮かべつつ、圭一郎は凛に状況を説明する。
「難しいわね」
 電話の向こうで、凛がため息をついた。
「たぶん、あんたの感じる力が強すぎるんだと思う。普通はまだ気づいてない状態なのかも」
「僕が……わかるせい?」
「未然に気配がわかるのが悪いわけないでしょ。そうね……とりあえず、データを集めなさい」
「データ?」
 圭一郎は聞き返す。
「そいつがまた現れるのを待って、いつどんな気配を感じたのか、その時何があったのか、できる限り詳しく調べるの。そうしたらきっと、出てくる時の共通点が見えてくるはず。一度感じた気配からでわからなかったら、二度三度と感じればいいのよ」
「そんなに待ってて、大丈夫なんでしょうか?」
「それはわからないわ。被害だってなしに済ませられないかも知れない。でも、妖魔はそいつが最後じゃないの。同じような奴が現れた時に、あんたが今回集めたデータが役に立つかも知れないでしょ?」
「そうですけど……」
「待つのも立派な戦略よ。こういう、誰かが正解を出してくれてるわけじゃない場合には、特にね」
「はい……」
 たしかに、正解などないのかも知れない。学校のテストとはわけが違うのだろう。だが、そんな時にどう動けばよいのか、圭一郎には確信が持てない。
 日常の一端、たとえば生徒会をどう運営していくかということなら、周囲の生徒がどう行動するのかが経験的にわかっているから、何をすればよいのかわかる。だが、こと妖魔に関しては、圭一郎はほとんど経験を積んでいない。
 ならば経験を積んだ者に従っておくべきなのかも知れない。
「あと、何が起きても対応できるように、心構えだけはちゃんとしておくこと。征二郎にもちゃんと言っておくのよ」
「……そうですね」
  圭一郎はうなずいた。今は凛の言葉を信じて待つしかないようだ。

[index][prev][next]