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第三話 オブジェは校舎を埋め尽くす

3 見回った先には(下)

「滝くん」
 弓道場に足を踏み入れた滝護宏に、声がかけられる。
「様子を見に来たの?」
 そう言って護宏を迎えたのは、弓道部部長の早瀬あゆみだった。快活な性格で、護宏に対しても臆することなく声をかけてくる、数少ない人物である。弓道部の雰囲気の盛り上げ役で、抑え役の護宏とのコンビネーションは評判が高い。
「早瀬さんも?」
「うん。例の騒ぎがあったからね。だけど、見て……あれ」
 早瀬は道場の奥を指さした。安土と呼ばれる砂を盛って作られた壁に、的がきれいに五つならんでいる。
 あるべき位置に的がある。練習中には当たり前の光景であるにもかかわらず、護宏はわずかに眉をひそめた。
「誰かつけたのか?」
「わからない。来た時にはついてたの」
 通常、的は取り外されていて、練習の前に一年生がつけることになっている。
 試験期間中には、部活動が禁止される。試験最終日の今日も、昼休み後のホームルームが終わって初めて活動を再開できることになっていた。したがって、活動禁止期間中である今、安土に的がついていてはならない。
 的がつけられていたとすれば、誰かが禁止期間中に練習を行った可能性がある。発覚すれば、部活動停止の処分が下されるだろう。
 護宏と早瀬は顔を見合わせた。弓道部の部長と副部長として、オブジェよりも重大な問題である。
「私、一年生に聞いてくるね。滝くんはあの的、外しておいて」
「わかった」
 小走りに弓道場を出て行く早瀬を見送ってから、護宏は道場の中を見渡す。的がつけられているほかには、特に変わった様子は見られない。校内を騒がせているオブジェも、ここには出現していないようだ。
 護宏は安土に歩み寄った。
 一番端の的に手をかけ――その手が、ふと止まる。
 ふつうの的は、木枠に紙を貼って作られる。だがこの的の感触は、木と紙でできたもののそれではない。
「……」
 護宏は手をかけたまま、的に目を落とす。しばらくそのまま何かを考えていたが、やがて立ち上がり、制服のポケットから小さな袋のようなものを取り出す。
 護宏は再び的にかがみ込み、袋を握った手をそっと的に押し当てた。

 誰かが弓道場に入ってきた気配を感じて、護宏は立ち上がる。見ると、宝珠征二郎が射場に立ってきょろきょろと見回していた。護宏の姿に気づき、軽く手を上げている。
 弓道部員でもないのに弓道場を訪れる生徒は少ないが、護宏は特に驚いた表情を見せることもない。ゆっくりと落ち着き払った足取りで、征二郎に歩み寄った。
「今校内のオブジェの調査しててさ、ここには何かあった?」
「見ての通りだ」
 護宏はわずかに顔を傾ける。がらんとした矢道に、秋の澄み切った日差しが降り注いでいる。その先には的が二つだけ、黒く湿った砂の壁に立てかけられていた。
「マジ? 珍しいなあ」
 征二郎が驚いたように言い、手に持った紙片の「弓道場」の欄に「なし」と書き込む。
「邪魔して悪かったな。それじゃ」
 征二郎は手を振って弓道場を出ていく。その姿をじっとながめる護宏の顔には、わずかにいぶかしむような表情が見られた。

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