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8 ヒドゥン・プロジェクト

1 迷惑な疑惑(上)

 早朝、本家の道場。
「ありがとうございましたっ」
 一斉に礼をして休日の朝稽古を終えたのは、変化のない面々――宝珠家の親戚一同――である。それでも道場主である伯父の優は最近妙に嬉しそうだ。以前はほとんど道場に顔を出さなかった征二郎が、最近稽古に参加するようになったからだろう。
「腹へったー、早く帰って朝飯!」
 征二郎が圭一郎の道着の袖を引っ張る。
 が。
「待ちなさい、二人とも」
 二人を呼び止めたのは優だった。
「はい?」
「昨日の報告書をを読んだんだが、そのことで話があってね」
 圭一郎は内心どきりとする。口ぶりは静かだが、伯父のこの切り出し方は説教の前触れだ。
 妖魔退治の経験が浅い二人は、前当主である優の指導を受けている。報告書を警察に提出する前に、伯父に見せて許可を得ることになっていた。問題点がある時にはこうして二人して呼び出され、注意を受ける。
「先に戻ってるぞ。遅れるって母さんに言っておくからな」
 一緒に稽古していた父は、そう言い置いてさっさと帰ってしまう。
「まあそこに座りなさい」
 優は二人を道場の床に座らせ、自らもその前に正座する。昨夜渡した報告書を手にしているところを見ると、今日ははじめから、稽古の後に説教するつもりだったようだ。
「まず、一日に別々の場所で二体の妖魔を退治するのは大変だったよな。僕もあんまり経験ないけど、よくがんばったと思う」
「はい」
 そう答えながら、圭一郎は頭の中で何がまずかったのかを懸命に探す。
(長靴のやつが出てから対岸に向かったことかな、それとも……)
 思い当たることはいくつかあるし、そもそも報告書に書けなかったこともある。滝護宏とあの子どもに関することがらだ。そのために状況をわざと曖昧に書かざるを得なかったところもある。
「けど、これは危険過ぎるだろう。そう思わないかい?」
 優に示された報告書を、圭一郎はのぞき込んだ。川べりで釣り糸にかかった、長靴の妖魔についての報告のくだりである。新種の妖魔らしいので、暫定的にタイプ不明、種別は出没・徘徊型としておいた。
「『征二郎が剣によって退治した』ってところですか?」
 指の先にある文字を読み上げる圭一郎の声は、怪訝な響きを帯びている。指摘を受けるとは予想していなかったところだ。
「その前。ほら、この写真だよ」
「写真……ですか?」
 それがなにか、という口調で、圭一郎は聞き返す。新種の妖魔ならば参考になるだろうと思い、征二郎が携帯電話で撮影していた写真をパソコンに取り込み、資料として一緒にプリントアウトしておいたのだ。
「どんな妖魔かわからないのに、すぐ近くで写真を撮ったら危ないじゃないか」
「それは……」
 撮影したのは征二郎だ。圭一郎はむしろ止めた方なのだが、それをここで言っても仕方がない。
「こういう場合は、退治を優先した方がいい。僕たちは退魔師なんだから、すべきことをするんだ。タイプがわかっていて安全だと判断できればいいんだろうが、何が起こるかわからないからね。それに……」
 二人は正座したまま神妙に説教を聞き続けた。
「わかったかい?」
「は、はい」
 不意に問われ、圭一郎はあわてて返事をする。伯父の言いたいことはわかるしもっともだ。だが、話し方がいくぶん単調でくどいので、半分上の空になってしまっていた。
「征二郎は?」
「はーい、気をつけます」
 気楽な返事だ。こうやってさらりと受け流す技術を、自分も身につけた方がいいのだろう。そう、圭一郎は思った。
「よし」
 優は満足げにうなずき、立ち上がる。
「報告書の内容自体は、特に問題ないだろう。しかし、君たちももう随分退治してるんだなあ」
 説教から世間話に移っても、話題はそう変わらない。
「最近、ほんとに増えてるみたいですから」
 圭一郎は立ち上がりながら答えた。
「データベースの更新もすごいことになってて、吉住さん、大変みたいです。昨日メールが来てました」
「吉住君か」
 第一次妖魔研究プロジェクトに協力していた優は、妖魔データベースを管理している吉住裕美とも顔見知りである。一方圭一郎は、妖魔を退治して報告書を作成するたびにデータベースにも届けを出さねばならないので、自然と連絡を密に取り合う形になっていた。
「彼も大変だよなあ。本来の研究テーマ外の仕事で忙しくなって」
「あれ、妖魔がテーマじゃないんですか?」
「違ったはずだよ。確か、もともとは地域行政学かなんかじゃなかったかな。データベースが作れるからって誘われたとか」
「はあ」
 研究者のテーマなどよくわからないが、妖魔とは関係なさそうな雰囲気だけはわかる。退魔師でなくても、妖魔にかかわらざるを得ない人はそれぞれに大変だということなのだろう。

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