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8 ヒドゥン・プロジェクト

1 迷惑な疑惑(下)

「そういえばさ、リンリンさんには連絡した?」
 一家そろった朝食の席、納豆を力強くかきまわしながら征二郎が尋ねる。
「それが、出ないんだ。電波が届かないところにいるとかでさ」
 圭一郎は答えながら、手にしかけたみそ汁の椀を置いた。
「家には?」
「かけたら、調べ物があるからゆうべ和歌山に行ったって」
「和歌山ぁ? 何調べるんだよ」
「さあ……」
「美鈴さんのところなら、本家が和歌山にあったはずよ」
 それとなく会話を聞いていた母が、征二郎の茶碗に二杯目をよそいながら口をはさむ。
「へえ。じゃあ本家の古文書とか?」
「そんなところじゃないか?」
 圭一郎はそうつぶやき、卵焼きを一切れ、箸で口にほうり込む。
 凜に尋ねたかったのは滝護宏のことだ。出水沙耶によれば、凜は護宏を妖魔だと思っているらしい。征二郎は一笑に付していたし、圭一郎も今の段階で信じる気にはならないが、退魔師の先輩である彼女が誤った判断をするとも考えにくかった。なにより、護宏から時折感じられる気配が圭一郎を不安にさせる。妖魔のそれとは違うが、ほかの誰からも、そんな気配は感じたことはない。
 凜はなにか確証をつかんでいるのだろうか。
「リンリンさんがどう言ってたのか、出水さんに聞いとけばよかった」
「護宏に出水さんの電話番号聞く?」
「!」
 征二郎があまりにもさらりと護宏の名を口にしたので、圭一郎は思わず卵焼きの最後の一切れをみそ汁の中に落としそうになった。
 圭一郎の護宏に対する警戒感を、征二郎は今一つ理解していない。クラスメイトだからという気安さがあるのだろうし、そもそも気配を感じないからなのだろう。圭一郎にとっては、それが時折歯がゆく思われる。
「そこまではしたくな……って、おまえ?」
 征二郎が箸を置き、携帯を手に取っている。
「まさか、あいつの番号登録してるのか?」
「もちろん。ほら」
 征二郎に見せられた携帯の画面には、護宏の名前と携帯の番号、それにメールアドレスが表示されていた。
「い、いつの間に……」
 圭一郎は愕然とつぶやく。携帯を二人で共用しているのに、まったく気づいていなかった。
「結構前から入れてたけど?」
「征二郎、食事中に携帯はやめなさい」
「あ、はーい」
 母にたしなめられ、征二郎は携帯を置いて食事に戻る。
「リンリンさんにはメッセージ入れといたし、そのうち連絡取れるからいいよ。そこまで話を広げなくても」
 圭一郎もそれだけ言って、食事を続けた。会えばつい突っかかる態度を取ってしまう同級生に、わざわざこちらから接触する気にはなれない。そもそも自分が知りたいのは、その同級生が普通の人間ではないのではないかという疑惑の確証だ。
(そんなこと、うかつに言うわけにいかないじゃないか)
「ごちそうさま」
 朝食を終えた圭一郎は立ち上がる。部屋に戻るついでに、征二郎がテーブルの上に置いていた携帯を手に取った。
(?)
 メールの着信表示に、圭一郎は目を止めた。たった今着信したものだろう。廊下を歩きながら、画面に目を走らせる。
(入江さんだ)
 件名は「『すいとるぞう/もってくぞう』について」となっている。昨日宝石店で退治した妖魔の通称だった。
 昨日の現場に駆けつけた警察官の中には、入江もいた。言葉をかわす間はなかったが、入江のほうで気になることがあったのだろうか。
 文面を読んでいくうちに、圭一郎の表情が変わる。
 メールに書かれていたのは、「すいとるぞう」が何者かに操作されている可能性がある、ということだった。昨日は店内で解決したが、過去の事件では、妖魔に吸われ、持ち去られたはずの宝石が盗品の売買ルートに乗っていたことがあるという。また、数日前に発生した同様の事件で、妖魔が向かった先に居合わせた男に事情を聞いたところ、妖魔を待っていたとの供述が得られた。――そういったことが、入江らしい几帳面な文面で書いてある。
(そんな、ばかなことが……)
 到底信じられないが、入江が不確かな情報をよこすとは思えない。愕然とした表情で、圭一郎はメールを何度か読み返した。
「どーした?」
 やや遅れて食事を終えた征二郎が部屋に戻ってきた。圭一郎は入江からのメールが表示された携帯を渡す。
「見ろよ、これ」
 圭一郎に言われて読んでいく征二郎の顔にも、次第に驚きの表情が浮かんでくる。
「……え、これマジなの?」
「あの人が冗談言うように見える?」
「うーん、ああ見えて実は……無理か」
「そういえばさ、思い当たることもあるんだ」
 机上のノートパソコンを起動させながら、圭一郎は続けた。
「昨日あれが出た時、店の人、強盗だって言ってたんだよね」
 いざ店に入ってみれば、妖魔が宝石を吸い込んでいたわけだが、店員が手を出せない状況で商品を無理やり奪うのだから、強盗と言えなくもない。だが、妖魔と普段かかわりのない店員が、妖魔を強盗と呼ぶだろうか?
「強盗っていうのか? あれ」
「それはよくわからないけど、人の手が入ってるって情報が店に回ってたのかも」
 言いながら圭一郎ははっとする。もしかしたら、あの場で退治せずに「もってくぞう」の後をつけていけば、宝石店を襲うように指示した人物がわかったのかも知れない。
(僕たちは、捜査の邪魔をしてしまったのか?)
 宝石の持ち去りを未然に防いでくれたと、あの時店員たちは喜んでくれた。そう、圭一郎には思えた。だが、そのせいで根本的な解決がはかられなかったとしたら、自分たちの行動は、かえって警察や宝石店の足を引っ張ってしまったのではないだろうか。
「けどさ、妖魔って操作できるもん?」
 征二郎の問いに、圭一郎はぐいと首根っこをつかまれて引き戻された気分になった。そう、人間が妖魔を操作しているという前提が成り立っていなければ、昨日の宝石店での自分たちの行動が間違っていたかどうかの判断はできない。だが、そもそも妖魔を操作することができるのか、確たる事実として確認されているわけではなかった。まず、そこから考える必要があるだろう。
「できるかも知れない」
 圭一郎は低くつぶやくように言った。立ち上がったパソコンの画面をクリックしながら続ける。
「オブジェ騒動、覚えてる?」
「忘れるもんか。あんなに苦労したのに」
「……そうだよな」
 圭一郎はわずかに苦笑した。征二郎は自分のようにあれこれ気を回さないし、関心のないことはさっさと忘れてしまう。だが、何も考えていないわけではない。つい忘れてしまうのだが、彼は彼なりの論理で動いているのだ。
「あれでわかったのは、妖魔を呼ぶ方法があるってことだ。それも、高校生にもできるぐらい簡単にね」
「けど、あれは呼ぶだけだっただろ? もっと難しいこともさせられるわけ?」
「僕が知ってるわけないじゃないか。ただ、可能性がある、っていうだけだよ」
 言いながらパスワードを入力し、妖魔データベースに接続する。フリーワード検索で「すいとるぞう」と入力すると、ほどなく画面いっぱいに情報が表示された。
「うわ、思った以上に出てる」
 データベースで検索して引っかかる件数が多いということは、それだけ多く出現しているということでもある。圭一郎は辟易しながら、それでも片っ端から詳細情報を見ていった。
「宝石店、銀行の貸金庫、ジュエリー博物館……うわ、洒落にならない被害になってる」
「あー、だから出水さんも知ってたんだな」
「かもね……」
 そうはいっても、自分が知らなかったことの言い訳にはならない。昨日のへこんだ気分がよみがえりそうになる。
 ため息をつきかけた圭一郎に、征二郎が尋ねた。
「妖魔が増えてる原因って、これなのか?」
「これだけじゃないと思う」
「なんで?」
「これだけだったら、僕たちが二、三日おきに妖魔退治してるはずないじゃないか」
 宝珠を受け継ぎ、退魔師になってから一月あまり。退治した件数は既に二桁に達している。数で見ればオブジェ騒動のために、さらにもう二桁増えることになるが、さすがにあれだけ大量の妖魔を一度に退治する機会はめったにない。
 圭一郎は続けた。
「妖魔自体が増えてるのは間違いないと思う。ただ、それにこういうケースも加わってるんだろうね」
「ほんとに誰かが妖魔で犯罪やってるんなら、迷惑だよな」
「だね。それに……」
 圭一郎は、もっとも懸念していることを口にした。
「僕たちが犯罪に巻き込まれてしまうかも」
 妖魔が強くなり、退魔師が危険にさらされる場合ももちろん考えられる。だがそれに加えて、妖魔を利用する人間を相手にしなければならなくなった時、二人はどうすればよいのだろう。
「え、俺たち強盗も退治するの?」
「退治しちゃだめだろう、人は」
 圭一郎は苦笑する。犯罪が一介の高校生の手におえるわけがない。宝珠の剣では人は斬れないし、第一、斬れたら斬れたで大変なことになる。
「そうじゃなくて、妖魔を退治しようとして犯罪者の前に出て行ったら、こっちが危ないかも知れないだろ?」
 今までのように気配を感じたらすぐに追いかけるというやり方では危険かも知れない。そう圭一郎は思う。
「警察とちゃんと連絡を取り合っていかないとだめなんだろうね」
「んなこと言ってもさあ、すぐ目の前に妖魔がいたとして、警察が来るまで待ってられるのか?」
「……」
 征二郎の反論に、圭一郎は考え込む。
 そんな事態になったとしたら、征二郎はまず間違いなく、警察などお構いなしに妖魔に向かっていくだろう。
 問題は、自分がそれを止めていられるかどうかだ。宝珠を剣に変えなければ、征二郎が突っかかっていくこともできない。
「できるかどうかじゃなくて、やらなきゃだめなんだ」
 圭一郎は半ば強引にそう言い切った。
「そんなこと言って、いざって時は真っ先に動く癖にさあ」
「うるさいなあ。あ、こんなケースもあるんだ」
 圭一郎は画面に集中するふりをする。
 征二郎の指摘は正しい。そんな事態になったとしたら、先に動いてしまうのはおそらく自分だ。要するにどちらも抑止力としては頼りない。だが、それを認めてしまうわけにはいかない。
「おい圭一郎、いつまでもパソコン見てねーで、早く支度しろよ」
「えっ?」
 画面を目で追っていた圭一郎は、征二郎の声に振り向いた。征二郎がコートを着て立っている。どこかへ出かけようとしているようだ。
「な、なんだっけ」
 今日は連休の二日目だが、なにか予定があっただろうか。圭一郎は懸命に記憶を探るが、どうしても思い出せない。
「なにって、試合だろ試合。県大会の決勝戦!」
「……ああ、バスケットね」
 ようやく納得がいく。黎明館高校の男子バスケットボール部が県大会を勝ち上がり、初めて決勝戦に進出した。今日の決勝戦で勝てば、全国大会へ出場することになる。部員だった征二郎はその応援に行こうと思っているのだ。圭一郎は特に応援に行く予定はなかったが、征二郎は一緒に行く約束をしたつもりでいるのだろう。
(まあ、つき合ってやるか)
「ちょっと待ってて。すぐ支度するから」
 圭一郎は立ち上がる。
 護宏の件を相談しようと思っていた凜とは連絡が取れない。今日凜と会うことはできそうにないので、圭一郎は用事のない休日を過ごすことになる。それならば、弟につきあって応援に出てもかまわないだろう。
 それに、いつ妖魔が出てくるかわからない今、別行動を取る時間はできるだけ減らしておきたかったのだ。  

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