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11 接触

3 新たなかたち(下)

 屋上。
 征二郎は一人でたたずみ、携帯電話を操作する。
 屋上の中央あたりに灰色の壁が立つ。高さは三メートルほどだが、屋上を横切っていっぱいに広がっていた。
「とりあえず、おまえは屋上に行って、従兄か誰か助っ人を呼べ。こんなのについて回られるおまえも迷惑だとは思うが、廊下を塞がれるのも困るからな」
 貴志にはそう指示されている。要するに邪魔だから人の来ないところでなんとか退治しろ、ということだ。
「ったく、どこにいるんだ流は」
 流とは相変わらず連絡が取れない。頼りたくない相手に頼らずに済むのはありがたいが、この事態をどう打開したものだろう。
 征二郎は携帯電話の画面を見た。時刻は八時二十分。始業十分前だ。
「遅刻しなかったのに、教室に行けないってなんだよ」
 しかも、退治しなければここから離れられないのだ。
 征二郎は宝珠を取り出す。さっきから何度か呪を唱えてみたが、宝珠が変化する様子はなかった。
「これが剣にさえなればいいのに……あ」
 ふと、思いついたことがある。征二郎は急いで携帯電話を持ち替え、電話をかけ始めた。
「あ、悪い、すぐ屋上に来てくれない? 急いでさ」

「こんなところでなんの用だ」
 屋上の扉に右手をかけたまま、滝護宏が尋ねる。朝練のあと教室に戻る途中だったらしく、左手にはスポーツバッグを持ったままだ。
「おう、来てくれたんだな」
 満面の笑みで、征二郎はクラスメイトを迎えた。
「見てくれよ、あの妖魔。昨日圭一郎に怪我させた奴なんだけどさ、ずっとついて来るから、俺教室にも行けなくて」
「俺の数珠を使えというのなら、無理だな。大きすぎる」
 妖魔を一瞥して状況を悟った護宏は即答する。
 ということは、小さければ数珠で消すぐらいのことはするつもりだったということだ。征二郎はそう気づく。
(やっぱりこいつ、いい奴だ)
「じゃなくて、試してほしいことがあんだよ」
 征二郎は顔に笑みを浮かべ、宝珠を護宏の手に握らせる。
「これ、剣に変えてほしいんだ」
「……」
 護宏は呆気に取られて目を向けた――そう、征二郎には見えた。
 滝護宏は寡黙で無表情だと言われている。だが、鋭いまなざしに思わず威圧されてしまうことなく、ちゃんと話しかけて正面から表情を見ていれば、それなりに喜怒哀楽はわかる。最近征二郎が気づいたことだった。
「俺がなぜ」
「前にさ、この剣を元の珠に戻したことがあったじゃん。だから逆もできるんじゃないかと思ってさ」
 あれはいつだったか、巨大な野兎に斬りつけようとした征二郎の前に立ちはだかった時だ。すぐ目の前で剣が宝珠に戻っていくのを、征二郎ははっきりと見ていた。
「頼む。圭一郎は入院中だし、従兄には携帯つながらないし。剣にさえなれば俺がなんとかするからさ」
 征二郎は正面から、護宏の端正な顔を見据えた。鋭いまなざしも、その奥に潜む当惑の感情を見抜いてしまえば、威圧されることはない。
 護宏はふっと目を細めた。どこか根負けしたように見える。
「できるかはわからないが、いいか」
「そうこなくっちゃ」
「どうするんだ?」
「妖魔から人を守る力となれ……って祈るらしいぜ」
 征二郎は、幼い頃から教えられてきた方法を告げる。
「あ! それと呪がいるんだ。圭一郎以外は唱えないとダメでさ。えーと、俺が言うとおりに言ってくれる? 『金剛の地の守り神と祝いまつりませまつる』……」
「おい」
「だめじゃん、ちゃんと言わなきゃ……って、ええっ?」
 護宏の手にあるなにやら長いものを、征二郎ははじめ、あまりきちんと認識できなかった。あまりにも意外なものだったからだろう。
「なに、それ?」
「弓と矢のようだが」
 よく見れば、護宏に言われるまでもなく、それは弓矢だった。弦が張られた状態で、護宏はちょうど弓の中ほどを握っている。弓には矢が一本添えられ、やはり護宏の手に握られていた。
 ――宝珠を持っていたはずの手に。
 宝珠が弓矢に変わったのだと、征二郎は気づく。
「すげえじゃん! おまえがやると弓になるんだ。それに呪なしで使えるなんてさ。どうやったんだ?」
「言うとおりにしただけなんだが」
 護宏は弓に沿って視線を滑らせる。彼にとっても予想していなかったことなのだろう。困惑した様子が見て取れた。
「それより、使えるのか?」
 弓矢を差し出しつつ、護宏が尋ねる。征二郎は受け取ってから弦を引っ張ってみる。弓に触るのは初めてだ。
「意外と堅いんだなー」
「……」
 大丈夫か、という目で見ていた護宏は、ふとかがみ込んで足元に置いてあったバッグに手をかける。中から革の手袋のようなものを取り出し、膝をついて右手にはめ、手首のあたりを紐で縛った。
「征二郎」
 護宏は立ち上がり、見よう見まねで弓を引こうとしている征二郎に声をかけた。
「その引き方では矢が飛ばない。――俺がやろう」
「ほんとか?」
 征二郎は顔を上げ、護宏を見た。
 宝珠の武器を彼が使いこなせるのか、征二郎にはわからない。だが少なくとも、弓の扱いに関しては護宏の方が勝る。
 迷っている暇はなかった。もとの宝珠に戻るまでには、そんなに時間はないはずだ。
「じゃ、頼む」
 征二郎は弓を手渡す。護宏は手早く矢をつがえて立ち、弓を両手で持つ。
「どこを狙えばいい」
「黒っぽい影があるだろ?」
 征二郎の目には、壁の一部が黒っぽく見えていた。それが妖魔の弱点だと、彼は思っている。はじめて見る妖魔であっても、狙って攻撃すべき箇所はわかりやすく見えているのだ。
 が。
「……俺には見えない。位置を教えてくれ」
「えー?」
 意外な返答。
 誰にでも見えていると思っていたのだが、そうではなかったらしい。戸惑いつつも彼は弱点の位置を伝える。
「えーと、高さは下から五十センチぐらい、真中から一メートルぐらい右」
「……」
 護宏はわずかに足の向きを変えた。それから両手で持った弓を高々と上げ、妖魔に向けてきりきりと引き絞っていく。自分の弓で引いているかのように、その動作は滑らかだ。
「んー、もうちょっと下。あ、そのへん」
 征二郎の指示に合わせて護宏は狙いをわずかに調整し、引き放つ。
 鋭い音とともに、矢はまっすぐに飛び、次の瞬間には妖魔を貫く。
「っしゃぁ!」
  思わずガッツポーズを取った征二郎の前で、妖魔が射貫かれたところから霧のように消えていく。
「征二郎」
 護宏が左手を差し出す。掌にはもとの形に戻った宝珠が乗せられていた。
「ありがとな、助かったぜ」
 征二郎は右手で宝珠を受け取り、左手で護宏の肩をたたいた。
「またなんかあったらよろしくな!」
「……」
 護宏は無言ですっと屈み込んで膝をつき、右手の手袋を外す。
 返事はなかったが、大丈夫だと征二郎は思った。
 こいつはきっと、ピンチの時にまた手を貸してくれるだろう、と。

 病室で圭一郎は顔を上げた。
(ひとつ消えた……征二郎がやったのかな)
 圭一郎が感じ取っていた妖魔の気配は二つ。どちらも黎明館高校のあたりにいたようだ。もうひとつの気配は、高校からゆっくりと遠ざかりつつある。
(もうひとつは逃がした……まあ、しかたないか)
 どうやら弟や同級生たちの周辺から、妖魔の気配は去ったようである。気配しか様子をうかがうすべのなかった圭一郎は、ほっと息をついた。
 その時。
「やあ」
 病室のドアが開く。同室の入院患者への面会だろうと思っていた圭一郎は、入ってきた人物に意表をつかれた。
「流? なんでここに?」
「なんだよ、僕が見舞いに来るのがそんなに意外?」
 従兄の流。近所に住んでいるとはいえ、さほど親しいわけでもない。当主の座を争った相手でもある。そもそも彼は、たかだか一日の検査入院中の従弟を見舞いに来るほど、まめな性格ではないはずだ。
 まして、今は――。
「昨日本渡した後でおまえが怪我したっていうからさあ、さすがに僕だって気になるじゃないか。それに先生も様子を見て来いって言うしさ」
「先生……木島さん?」
「あたりまえだろ。おまえ気に入られてんのな」
「そうは思えないけど」
 圭一郎は木島と会った時のことを思い出す。突き放した態度を一転させ、圭一郎の関心を引こうとしていた木島の態度には、なにか含むものがあるように感じられた。
「それより流、征二郎のところには?」
「征二郎? なんのこと?」
「携帯に連絡なかった?」
「知らない。ここに来るんで電源切ってるし」
「……」
 流の言葉の意味を圭一郎が咀嚼するには、しばしの時間がかかった。
 宝珠家の一族で退魔の力を持つ者は流に限らないが、居住地や勤務形態から考えて、この時間に征二郎のもとに駆けつけることができるのは彼しかいない。
 その彼が携帯の電源を切ってここにいる。
 ということは。
「だ、だれが退治したんだよ!?」
 圭一郎は思わず叫ぶ。
 彼が真相を知ってさらに驚愕するのは、それから数時間後のことだった。

(第十一話 終)

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