「君たち、宝珠家の退魔師兄弟だよな?」
突然話しかけられる。振り向くと、警官が二人立っていた。声をかけてきた方の警官には見覚えがある。何度か妖魔退治の際に見た顔だ。向こうも圭一郎たちの顔を覚えていたらしい。
「廃校舎から悲鳴が聞こえたと通報があったんだが、やっぱり妖魔?」
「はい」
「あの血は?」
「僕たちが来た時はもう……。たぶん、中に引きずり込まれたんじゃないかと」
事情を説明し、中に入れる状態ではないことを告げる。
「なるほど。近づくだけで攻撃されるのか」
「はい」
「どこまでは安全なんだ?」
「今のところは……このあたりまでなら」
圭一郎は円を描くように入口から半径五メートルほどのところを歩いて見せた。妖魔が反応する様子はない。
征二郎が襲われた時のことを考えれば、半径一メートルまでは近づいても大丈夫だろうという気がするが、用心はしておいた方がいい。なにしろ、妖魔がいつ動き出すか見通しが立っているわけではないのだ。
警官は部下らしきもう一人に指示して、集まってきていた人々をその線から遠ざける。その様子を見ながら、圭一郎は必死で頭をめぐらしていた。
(どうしたらいいんだ)
妖魔を退治するには、情報が少なすぎる。近づけない上に建物の中も見えず、気配以外はほとんどなにもわからない状態だ。
(もし、離れたところから妖魔を弱らせることができたら……)
せめて攻撃を防げれば、建物の中に入って退治することもできるかも知れない。だがそのためにどうすればいいかわからなかったし、そもそも妖魔がいつまで建物の中にじっとしているかもわからないのだ。
正直言って、打つ手がない。
少なくとも、自分たちだけでは今のところどうにもならない。それだけははっきりしていた。剣の届く範囲に近づけなければ、彼らには退治のしようがないのだ。
その時。
「圭一郎、電話」
征二郎が携帯電話をつきつける。
「だれ?」
「よくわかんないけど女の人。おまえに話だってさ」
「はあ?」
この非常時に、と思いながら、とりあえず電話を受け取る。
「もしもし」
「圭一郎くんね? 木島です」
「!」
圭一郎は思わず電話を取り落としかける。
そもそも彼らが大学内にいるのは、木島に会うためだ。それも、妖魔に自分たちを襲撃させた疑惑を確かめるために。
なぜ木島のほうから連絡を取ってくるのか、その意図が解せない。
「なんでしょうか」
「今、事件現場にいるんでしょ?」
「……」
どうしてそれを、と思ったが、圭一郎は黙って木島の言葉の続きを待った。
「あなたに情報を二つあげる。役に立つはずよ」
「情報?」
「そこにいる妖魔は動かない。実験室が結界になってるからね」
(実験室? 結界?)
わからない言葉だが、聞き返す前に木島の言葉が続く。
「あと、それは前田が合成した妖魔よ。複数のタイプの特性を持っているはず。手に負えなければ他の退魔師と協力すべきね」
「ひとつ聞いていいですか」
なぜか、木島がすぐに電話を切ってしまうような気がした。圭一郎は木島がわずかに言葉を切った隙を逃さずに尋ねる。
「ひとつだけよ?」
「あの妖魔が、前田が実験室の結界の中で合成したものだと、あなたはどうして知ってるんですか?」
「……」
少しでも多くの情報を引き出そうと、聞いたばかりの言葉を並べてみた。
電話の向こうから、軽い笑い声が聞こえる。
「聞き出そうと必死ね。悪くないわ、そういうの」
「……ちゃんと答えてください」
圭一郎はむっとした声で返す。情報がほしいのは事実だ。そして木島は確実にそれを手にしている。どう考えても、こちらの立場が弱いのは明らかだ。
「スポンサーだったからよ」
「スポンサーが人を怪我させるのに荷担するんですか?」
圭一郎は反射的にそう聞き返す。
明らかにはっとした空気が、電話の向こうから伝わってきた。
(そうか!)
木島の返答で、圭一郎にはおおよそのことと次第がわかりかけてきていた。少なくとも彼にはそんな気がした。
前田と木島は確かにつながっていた。それは彼女の口から前田の名が出てきたことからわかる。だが、妖魔を実際に操作していたのは前田で、木島はスポンサーとして協力していた――木島の言葉を信じれば、そういうことになる。
木島が真実を言っているとは限らない。まだ隠していることもあるかも知れない。それでも木島が前田のスポンサーだと言った以上、それを根拠に核心に迫ることができる。
が。
「……なんのことかしら」
木島ははぐらかすように、そう返してくる。
かっと頭に血が上る。
自分の言葉は確かになんらかの核心をついたのだ。だが木島はそれ以上の情報を出すつもりはないようだ。
その隠されたなにかによって、自分は入院するはめになった。それなのに、ここでうやむやにされてしまうのかと思うと、腹立たしいことこの上ない。
(この人に話を聞くだけ無駄だ)
「じゃ、いいです」
圭一郎は思わずそう言い放った。
「え?」
「あなたも僕に怪我をさせた共犯だったと思っておきます。失礼しましたっ」
自分でも大人気ないとは思ったが、圭一郎はそう言って電話を切ろうとする。木島から話を聞き出すなど、はじめから無理だったのかも知れない。やはり自分たちでなんとかしなければならないのだろう。
「ま、待ちなさい!」
木島が張り上げる声が、耳から離しかけた電話機から聞こえた。
「ちょっと、あなた……なにか誤解してるんじゃないかしら?」
「僕たちにわかっている範囲で考えれば、そうとしか考えられないんですけど」
木島が妙にあわてているのがわかる。だがそれもまたポーズなのかも知れない。
なにを信じていいのか、圭一郎にはわからなかった。だが少なくとも、相手の思いどおりにはなりたくない。なにが木島の狙いなのかわからないが、それでもこれ以上、誰かの掌上で踊りたくはなかった。
「……ああもう、しかたないわね」
意外にも、音を上げたような声が聞こえた。
「え?」
「あなたが知りたいことを話すわ。そこの妖魔を退治したら、私の研究室にいらっしゃい」
電話はそこで切れた。
「……」
圭一郎は当惑した表情で電話機を見つめる。
(なんで話してくれる気になったんだ?)
「あのさー、圭一郎。話が見えないんだけど」
征二郎がいらだったような声を上げる。
(そうだった)
圭一郎は目の前の現実に引き戻される。今は妖魔を退治することが、なによりも先決だ。
「ええと、あそこからはとりあえず動かないみたいだ」
圭一郎は素早く頭をめぐらす。
「それから、これでリンリンさんを呼んで。手伝ってもらう」
携帯電話を征二郎に手渡してから、圭一郎は警官たちに歩み寄り、二、三、耳打ちした。
木島から聞いた情報を完全に信頼しているわけではなかった。失敗すれば自分たちが――特に征二郎が――危険にさらされる。それは承知していたが、ほかに動きようがない。
(ええい、なるようになれだ)
腹をくくったというよりは、むしろやけっぱちな調子で、圭一郎はつぶやいた。