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19話 淵源・前編

4 迫る罠 (下)

 小学校は造成地のはずれ、川の近くにあった。まわりを歩いてみると、裏手に工場らしき建物が建っていた。鉄工所であったことを示す看板は塗装がはがれ、さびついていて、長い間使われていない様子を見せている。「立入禁止」と書かれた札と張られたロープからも、ここが廃工場であることがうかがい知れた。
「この中の可能性が高いな」
 裏口のドアを調べながら、圭一郎はつぶやいた。ロープの先端を引っ張ると、するりとほどける。
「埃が取れてるし、ロープも最近結ばれたっぽいし」
「いつも思うけど、よくこんな場所見つけるよなー」
 征二郎が暢気なコメントを発する。たしかに、前田を追うとふだん見過ごしがちな町中の廃墟に出くわすことができる。
「開けるよ」
 鉄製のドアを少しだけ開けてみる。薄暗かったが、天井付近の採光窓から太陽の光が差し込んでいて、中の様子も見ることができた。奥までは見えないが、動くものがいる様子のないのを確かめて、圭一郎はドアから中に身を滑り込ませた。
 廃工場の中は広い空間になっていた。撤去されなかった機器や資材の一部が打ち捨てられて埃をかぶっているが、そのほかにはなにもない。ただ、新しい足跡がそこここにつけられている。つい最近、何者かがここに入り、さんざん歩き回った形跡だ。
 不意に護宏が動いた。足跡をたどり、部屋の一方の隅にまっすぐ歩み寄る。その先、壁と思われた部分の一角に、鉄格子の扉らしきものが見えた。
(隣に別の部屋?)
「沙耶!」
 護宏が扉の向こうに短く叫ぶ。
「出水さん、いたのかよ?」
 征二郎の問いには答えず、護宏は鉄格子の扉を開けようとしていた。が、頑丈な錠前が取り付けられているようで、簡単にははずせそうもない。
(滝、あわててないか?)
 護宏の様子からは、沙耶が見つかった安堵感は感じられない。むしろひどく切迫した、ただならぬ緊張感が漂っているように思えた。
 いったいなにが見えているのか。圭一郎は護宏の背中ごしに鉄格子の中をのぞき込む。
 そして、はっとその場に立ちすくんだ。

 鉄格子の正面の壁に、白いコートの少女が座らされていた。薬かなにかで眠らされているらしく、壁に背をもたせかけたままぐったりとしている。怪我はないようだが、手と足を縛られているのが見える。
 が、圭一郎の目は、沙耶よりもむしろ沙耶の一メートルほど横にあるものにくぎづけになっていた。
 床から生え出た、巨大な鬼の首。
 角と牙を持つ、絵巻物さながらの鬼の頭が、沙耶の方を向いてかっと口をあけていた。圭一郎たちの位置からは、ちょうど横顔が見えている形になる。ずらりと並んだ牙を沙耶に向け、だが、動かない。
 三人に気づいたのか、鬼の目だけがぎょろりとこちらに向いた。
 明らかに妖魔だ。だが圭一郎に気配は感じられない。恐らく鉄格子の向こうに結界が張られているのだろう。
 見えている妖魔の気配がしないということは、圭一郎にとってはあまりにも奇妙な事態だった。
(とにかく、前田が戻って来る前に出水さんを助けないと)
 圭一郎は様子をうかがう。護宏が鉄格子の錠前をはずそうとしているが、難航しているようだ。鉄格子はすり抜けるには幅が狭いし、いかにも頑丈で壊したりはずしたりもできそうにない。鉄格子から鬼の首までの距離は十メートルほど、宝珠の剣や真言が届く範囲ではない。 
「圭一郎、なに突っ立ってるんだよ、出水さんを助けないと!」
「わかってる。……滝」
 圭一郎は宝珠を手にしていた。沙耶を助け出すために、考えられる方法はひとつしかない。
 振り向いた護宏に、圭一郎は宝珠を手渡した。
「君ならここから退治できる。そうだろう?」
「そうだな」
 護宏は短く答え、宝珠を受け取る。妖魔との距離がある状態では、護宏が宝珠を弓矢に変えて射るしか方法がない。わざわざ説明しなくても、護宏にはそれが伝わったようだ。
「征二郎」
「ど真ん中! 急げよな」
 征二郎の反応も素早かった。護宏に声をかけられるやいなや、護宏には見えていない妖魔の急所を教える。むだなやり取りはいっさいせず、三人がそれぞれの役割を果たそうとしていた。
 護宏の手に握られた宝珠が光を放ち、形を変え始める。
(ほんとに……宝珠を使えるんだ)
 護宏が宝珠を扱う場面を目の当たりにするのは初めてだった。圭一郎は驚きをもってその様子を見守る。
 その時だった。
「そこまでにしてもらおうかね」
 聞き覚えのある声が、工場内に響き渡る。
 工場の入口に前田が立っていた。
(しまった!)
 圭一郎たちが反応するより早く、前田は言葉をつぐ。
「動くとあのお嬢さんの命はないぞ?」
「!」
 護宏の手がぴくりと動いた。その手の中で、宝珠が光を失っていく。圭一郎はやりきれない思いで、その様子を見つめていた。
 あと一分もあれば、護宏の矢が妖魔を貫き、沙耶は少なくとももっとも差し迫った危険から解放されていたはずだったのだ。
 それなのに。
 前田はつかつかと歩み寄り、護宏の前に立つ。
「せっかくだから、その珠も渡してもらおうかな」
 護宏の顔色がさっと変わった。
「……」
 無言で宝珠に目を落とす。
 ――沙耶の安全を優先する。
 圭一郎は護宏のそんな言葉を思い出していた。
「聞こえなかったか? ま、渡さなけりゃあ、鬼が娘を食うだけだがね」
 護宏は宝珠を握った手をゆっくりと前田のほうにのばす。苦渋に満ちた表情は、その選択が彼にとっても決して楽なものではないことを如実に示していた。
(だめだ!)
 圭一郎は心の中で叫んだが、言葉にならない。
 宝珠と沙耶の命であれば、護宏は確実に沙耶を取る。望ましくない事態だが、それは容易に予想できたことだ。
 とはいえ、前田が宝珠を扱えるわけでも、摩尼珠に加えられるわけでもないことはわかっている。彼にとって宝珠はただの珠にすぎない。
 圭一郎が懸念しているのは、むしろその後のことだった。
(宝珠だけじゃない。奴は滝になにかをさせようとしている!)
 そうでなければ、妖魔を使って白昼堂々と沙耶をつれ去って人質にするはずがない。
 だが、なにを?
 前田のねらいがどこにあるのかわからない。それになにより、沙耶が人質に取られている状況では、護宏ならずとも動くに動けない。
 目の前で宝珠が護宏から前田に手渡される、その様子を圭一郎はなすすべもなく見つめることしかできなかった。

(第19話 終)

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