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19話 淵源・前編

1 白昼の拉致 A

 日曜日の金剛駅前広場は、いつもと違ったざわめきにあふれていた。
 何台ものパトカーが赤色灯を回転させて止まり、警官が通行人に話を聞いている。彼らは一様に、駅前広場のモニュメントのあたりを指さし、ついで、その指で北の方を指し示す。それを見守る人々の表情には不安の色が見て取れた。
「あの、すみません、宝珠ですっ!」
 パトカーに駆け寄った二人連れは宝珠圭一郎と征二郎。たった今、バスから駆け降りてきたところだ。
「ああ、お待ちしていました。お呼び立てして申し訳ない」
 一人の警官が進み出て、二人を迎えた。
「人が妖魔にさらわれたっていうのは……」
「はい。ご説明します」
 警官はメモを片手に状況を語る。
「十二時四十五分――二十分前のことです。高校生と見られる少女がここに立っていたんですが」
 警官はモニュメントの正面あたりを指さす。
「急に現れた黒い影のようなものに抱えられ、北の方角に連れ去られたそうです。目撃証言によれば、影は身長二メートル以上、人のような姿をしていましたが、少女を抱えたまま跳躍して、あっという間に消え去ったということでして」
「その後の足取りは?」
 連絡を受けてからここに来るまでの間に、圭一郎はバスの中で聞くべきことがらを整理していた。少なくとも被害に遭った少女を連れたまま消えることはないだろう。ならば、連れ去った道筋に目撃者がいるはずだ。
「今情報を収集しているところですので、少々お待ちください。それで逆にお聞きしたいんですが、妖魔の気配とかっていうのはどうなんですか」
「それが……」
 圭一郎はどう説明したものかと一瞬迷ってから答える。
「最近、妖魔の増え方が半端じゃなくて、今もあちこちに出現しているんです。それでごちゃごちゃしてしまって。ただ、ご連絡いただいた数分前に、駅前あたりから北の……山の方にすごい速さで移動していった気配がありました」
「現在地は?」
「それが、消えてしまって……今はわかりません」
 もっと早くに気づいていれば、ここまで騒ぎになる前に現場に駆けつけ、被害者を助けられたのだろうか。
 そんなやりきれない思いを表情ににじませつつ、圭一郎は答える。
 わかっている。
 今はやりきれなさに浸る時ではない。妖魔の足取りを追い、連れ去られた被害者を救出することが、なによりも優先すべきことだ。
「けど、人をさらう妖魔なんて、聞いたことないぞ」
 征二郎がつぶやく。
「僕もだ」
 圭一郎は即座に答える。
「でも知らないだけかも知れない。征二郎、吉住さんに電話してデータベースを調べてもらって。さっき第一報のメールはしておいたから」
「おっけー」
 征二郎は携帯電話の登録番号を呼び出し、通話ボタンを押す。
「吉住さん、宝珠征二郎っす。メール見ました? そう、その件で……あ、今検索中? じゃあわかったらよろしくっす」
(もう始めてくれてたんだ。さすが吉住さんだなあ)
 征二郎の声を聞きながら、圭一郎は警官に引き続き事情を聞くことにした。
「跳躍って言ってましたよね。高さは?」
「電線を軽く越えた、ということなんで、十メートル以上ですかねえ。空を飛んだというよりは、跳びはねていったようです」
「その、被害に遭った女の子というのは……」
「待ち合わせかなにかで立っていたんでしょうね。たぶん高校生で、身長は一五五センチぐらい、格好は……ショートボブの髪形でオフホワイトのコートを着ていたようですね」
「……」
 いやな予感がした。
 そんな姿の少女に、どこか心当たりがあるような気がする。
「モニュメントの前に本が落ちていまして、恐らく被害者が持っていたものと思われます」
 ビニール袋に入れられた本。「川の伝説」という題名の、民俗学のシリーズの一冊らしい。
「見せてもらっていいですか?」
 本を手に取り、ぱらぱらとめくって中を見る。金剛市近辺の川にまつわる伝説や神話を集めたもののようだ。
「?」
 ぱらりと一枚の紙が落ちた。
 拾い上げてみると、手書きの文字が書かれている。
 「斎女の命断たれ、闇俗世を覆ひたり。これよりこの世はこと世となりぬ。欲塵淵源にて色をなし、諸々の禍事の種となるべし」
 そう書かれていた。意味はよく分からないが、重大な手掛かりの予感がする。
「おい、征二郎」
 圭一郎は吉住からの電話を待っている征二郎をつつく。 
「この字、見たことないか?」
 丁寧な筆跡に見覚えがあった。
「あれ、これって出水さんの字?」
「たぶんね」
 圭一郎がうなずく。古文書の写しを何度か見せてもらったことがあるが、字の形や筆圧の具合が、それらのメモとよく似ていた。
「ほら、ここに『淵源』ってある。出水さんが見てくれていた那神寺の記録じゃないかな」
 警察官が話していた格好も、沙耶の私服姿を思わせる。
「じゃあ、さらわれたのってまさか……」
 征二郎は最後まで言わずに言葉を切ったが、圭一郎はうなずいて後を続けてみせる。
「たぶん、出水さんだ」
「あのー、被害者に心当たりがあるんですか?」
 二人の会話を聞いていた警察官が口をはさむ。
「ええ、たぶん。名前は出水沙耶さん、慈愛の二年生で、たしか上恒町あたりに住んでいるはずです」
 沙耶の学校や住んでいる大体の地域は知っていたが、住所までは知らない。警官にはとりあえず、知っている範囲での情報を伝えることにした。
「なるほど。さっそく所在の確認をしてみます」
「あ、吉住さん? わかった?」
 征二郎が携帯電話に応答していた。吉住が検索した結果を伝えてきているのだろう。
「ありがとー。またなんかあったら連絡するからよろしくー」
 そう言って電話を切った征二郎が、顔をこちらに向けた。
「吉住さんが探してくれたけど、人を連れ去る妖魔の記録はないって。せいぜい数メートル引きずるぐらいでさ。物であれば強奪型の妖魔に例はあるけど、ターゲットが人だったことはないみたいだ」
「そうか」
 圭一郎は考え込む。
「どうした?」
「ある程度見えてきた気がする。もし本当に被害者が出水さんなら、しばらくは大丈夫だ」
「どういうことだよ?」
 征二郎が聞いてくるのも無理もない。だが圭一郎は征二郎の問いをさえぎって強引に続けた。
「でも、急がないといけない。刑事さん、この妖魔がすぐに新たな被害を引き起こすことはないようです」
「そうなんですか?」
「はい」
 圭一郎はきっぱりとした口調で答えた。
「だから被害者の捜索を優先させてください。僕たちはまず妖魔の気配が消えたところに行ってみます。目撃証言からわかったことがあったら連絡もらえますか?」
「わかりました。被害者の身元の確認も含めて、引き続き調査します。状況が変化したら知らせてください」
「ええ。征二郎、行くぞ」
 征二郎の腕を引っ張り、圭一郎はその場から離れる。
「なんだよ、意味わかんねーよ」
「征二郎」
 警官たちから少し離れたところで圭一郎は立ち止まった。
「妖魔は人のような形の黒い影で、高く跳躍して逃げて行った。――覚えてるか?」
「え?」
 征二郎はぽかんとした表情を一瞬しかけたが、すぐになにかを思いついた顔になる。
「あ、宝珠を取られた時のやつか?」
「そう。人を連れ去る妖魔の出現記録がないってことは、合成された妖魔かも知れない。宝珠を取られた時の、あの妖魔みたいに」
 あの時の妖魔は、ストーカータイプの妖魔と強奪型の妖魔が合成されたものだった。あれに似た妖魔を合成し、ターゲットを特定の人物に定めることができれば、人を連れ去る妖魔になるだろう。
 妖魔を合成する技術の持ち主には心当たりがある。征二郎もすぐにその可能性に気づいたようだった。
「ってことは、前田が出水さんをさらった?」
「ああ。それもわざわざ出水さんを狙ってね」
 状況から考えられる推論に過ぎないが、ほかに思いつかない。
「そんな……なんで出水さんが」
 征二郎には残酷なことを言っているかも知れないが、続けないわけにはいかなかった。
「たぶん、滝に対する人質だ」
「人質?」
「うん。滝を摩尼珠で操ることはできないけれど、もし出水さんを盾に取られたら、あいつは……」
 圭一郎は言葉を切る。言葉を用意していないわけではなかったが、続けるのが一瞬ためらわれた。
「あいつはどうするって?」
「前田の……妖魔による世界の浄化に協力せざるを得ない」
「なんだよそれ。冗談じゃない」  征二郎の声がわずかに震えている。
 征二郎は護宏を友人だと思っている。その護宏が敵対している相手と手を組む可能性など、考えたくないのが正直なところだろう。
 だが、そんなことを考慮している場合ではない。
「冗談なわけないだろ」
 低く応じた。征二郎が一瞬ひどく複雑な表情をする。圭一郎はあえて気づかないふりをした。
「そもそも、さらわれたのは本当に出水さんなのか?」
「たしかに確証はないけど、可能性は高い。たぶん、滝ならわかる。少なくとも僕たちよりは」
 彼ならば沙耶への連絡方法も知っているはずだ。
 それにもしかすると、彼は既に知っているかも知れない。
 彼の周囲に出没するものたち――ナギやサガミといった、圭一郎には妖魔と区別のつかない存在――は、沙耶をも守っていたらしい。今回守り切れなかったのはなぜなのか、圭一郎にはわからない。だが少なくとも、彼らによって護宏に情報が伝わっている可能性は高いように思われた。
 だから、と、圭一郎は続ける。
「滝に電話をかけて。たぶん近くにいるはずだ。さらわれたのが出水さんかどうか確かめて、もしそうなら一緒に探した方がいい」
 沙耶が人質なら、前田は必ず護宏を呼び出す。少なくともそれまで、沙耶は無事なはずだ。
 だが、護宏が前田の誘いに呼び出される形で行くのは、おそらくは前田の思うつぼだ。そうやって呼び出されれば、前田に都合のよいお膳立てが整う。そんな場で沙耶の命を盾にされれば、彼はきっと、前田に従うことを選ぶだろう。
 前田が護宏を脅迫してどうするつもりかはわからない。だが、妖魔を使って人間を粛正しようと考えている前田がその手段として護宏を利用しようとしているのであれば、その結果はあまり好ましいものではなかろう。
(僕たちが先に動けば、きっと変わる)
 自分たちが沙耶を救出できれば、前田のもくろみは失敗に終わる。護宏が前田に従うことも、前田が人間の粛正への歩みをさらに進めることも、沙耶の命が脅かされることも、きっと未然に防げる。
「わかった」
 征二郎の反応は素早かった。 

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