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20話 淵源・後編

1 望まぬ戦い (上)

 前田の勝ち誇った哄笑が工場内に響いた。
「それでいいんだよ。さあ、早く」
 前田の手が宝珠に触れようとした瞬間。
「ちょっと待てよ!」
 征二郎が叫ぶ。
「さっきから勝手なことを! それは俺たちのなんだよ!」
「ほう。娘より珠が大事か」
「なわけねーだろ。でも宝珠を渡したからって出水さんを解放するわけじゃないよな? だったらおまえが宝珠を持つことになんの意味があるんだよ」
「それはそうだな。意外といいところをつく」
 前田は興味深そうに征二郎をじろじろと眺めた。そしておもむろに護宏の手から宝珠を取り上げる。
「よし、ではこうしよう。おまえたちが戦って勝ったら、これを返してやる。負けたら、まあ退魔師廃業ってことだな」
「はあ? 戦って?」
 征二郎が呆気に取られた声を出す。
「俺たちと護宏がってこと? それこそ意味ねーじゃん」
「なに、ちょっとした余興だよ。そのぐらいは楽しませてもらわんとね」
(やっぱりこの後になにかをたくらんでるんだ)
 圭一郎は懸命に推測をめぐらすが、前田のねらいはどうしても読めない。
 前田は続けた。
「勝負を降りるなら、この珠も戻ってこないがね?」
「わかったよ。どうするってんだ?」
 引き受けないわけにはいかないようだ。征二郎が返答するかたわらで、圭一郎も覚悟を決める。
「そうだな」
 前田は工場の廃材の山を指し示す。偶然捨てられていたのか、それとも用意されていたものなのか、木刀が数本置かれていた。
「それで戦ってもらおうか」
「おいおい、なに考えてるんだよ」
 征二郎がやっていられないというような声を出す。
「俺たち剣術の師範だぜ。勝負以前の問題じゃん」
「それはどうかな。なにしろ、必死さが違うからなあ」
 前田は余裕たっぷりに、護宏を見やる。
「五分で二人を負かせば、あの娘は解放してやろう」
「その言葉、確かだな?」
 護宏が念を押す。
「ああ、もちろんだ」
(なにか変だ)
 圭一郎は奇妙な感じにとらわれていた。
(出水さんを解放したら、滝を従わせることはできない。でも僕たちを五分で負かすことが、前田の目的なわけはない。だとしたら、いったい……)
 余興だ、と前田は言った。その余興で沙耶を自由にしてしまっては、沙耶をつれ去ってまで護宏を意のままにしようとした意味がないではないか。
 前田のねらいはもっと別のところにある。だがそれがわからない。
 そのねらいに、護宏も自分たちも乗せられ、動かされているような気がする。だが圭一郎は、それをうまく言い表すことができなかった。
 なにか、とてもまずい方向に事態が進みつつある。
 それなのに、言葉が出なかった。
「……わかった」
 護宏が木刀を拾い上げる。
「おい、マジでやるのか? おまえそんなの振り回したことないんだろ?」
 征二郎が護宏を制止する。が、護宏は征二郎にもう一本の木刀を手渡した。
「ない。だが、こうする以外にどうすればいいかわからない」
「だけど……」
「だから」
 征二郎の言葉をさえぎり、護宏は木刀を構えた。
「本気でいく。悪く思うな」
「待って」
 圭一郎は困惑した表情の征二郎から木刀を取り上げ、護宏の前に立つ。
「まず僕が相手だ」
 この勝負でどちらが勝つことが前田のねらいなのか、圭一郎にはわからなかった。
 だが少なくとも、圭一郎たちが勝てば宝珠を、護宏が五分以内で勝てば沙耶を取り返すことができる。前田が約束を素直に守るとは思えなかったが、今はそれに賭けてみるしかない。
 圭一郎は正眼の構えを取った。
「さあ、来い!」
 この時点で圭一郎は、五分以内で護宏に負けるつもりだった。宝珠は後からでも取り返せるが、沙耶の身の安全は失われたら取り返しがつかない。なにより、沙耶が解放されない限りは、護宏が前田に協力せざるを得ない状態が続いてしまうのだ。
 その思惑を前田に悟られぬよう、本気で戦って負けたふりをする。剣術において素人の護宏が、いくら本気でかかってきても自分たちに勝てるはずはない。だから自分たちが負けてやるしかない。征二郎にはそんな器用な真似は難しいから、まず自分がやってみせよう――そう圭一郎は考えていた。
(まずは様子を見るか)
 護宏が無言で打ち込んでくる。圭一郎はそれを無駄なく受け流した。素人の太刀筋などたかが知れている。傾向を見極め、じりじりと押されるふりをして、最後に負けを認めればいい。
 が。
 受け流された護宏は瞬時に態勢を整え、再び突っ込んできた。
(!)
 予想よりも素早い攻撃を、圭一郎はかろうじて避けた。護宏は短い一ステップで圭一郎に向き直り、続けざまにたたき込んでくる。
(速い!)
 護宏の木刀の扱いは確かに正式な習練を積んだ者のそれではない。だが無駄のない動きもねらいも、とても素人と言えるようなものではなかった。離れようとしてもすぐに間合いを詰められ、至近戦に持ち込まれてしまう。すぐ近くでこのスピードでは、到底対応しきれない。
(それだけ本気ってことか)
 護宏はひたすら、こちらの懐に飛び込んでこようとする。それは桜公園での護宏の妖魔との戦いを彷彿とさせた。自ら傷つくのも厭わず、相手に近づいて素早い攻撃をしかける、それが彼のやり方のようだ。というよりも、それほどに必死なのだ、ということなのかも知れない。
 だが。
(それだけじゃない)
 護宏の攻撃に押されつつ、圭一郎は思った。
(こいつ、慣れてる!)
 「記憶」という語が直観的に浮かんだ。経験したことがないのに覚えている、それは見聞きしたことに限らないのではないか。たとえば、戦場で刀を振り回していた「記憶」のようなものもありうるのではなかろうか。
 様子を見ている余裕は既に失われていた。圭一郎は間断ない攻撃を受け流しつつ反撃の機会をうかがうが、じりじりと追い込まれていく。
(隙がないわけじゃない。ならば……)
 突きを繰り出してきた時にわずかな隙が生じるのを、圭一郎は見抜いていた。その瞬間をねらえば、護宏の木刀をたたき落とすことができるだろう。
 圭一郎は慎重にその瞬間を待ち、間合いを詰められながらも有利な立ち位置を確保していく。
(今だ!)
 護宏の突きをかわしざま、背後に回り込むようにして木刀を振り下ろす。
 この一瞬、自分がそもそも負けるつもりだったことを、圭一郎は完全に忘れていた。
 木刀と木刀がぶつかり、激しい音を立てる。
 が、護宏は木刀を手放しはしなかった。背後からかぶせるように振り下ろされた圭一郎の木刀を逆に押し戻そうとする。
 しばしの間、無言の力比べが続いた。
 そして。
 からん、と床に落ちたのは、圭一郎の木刀だった。
(ばかな!)
 予想外の展開に、圭一郎はうろたえた。有利な体勢に持ち込んだはずなのに、まさか、自分が武器を取り落とすとは。
 護宏は無言で体勢を整え、構えをとる。
「護宏っ! 俺が相手だ!」
 圭一郎と護宏の間に征二郎が割り込む。
 勝負は征二郎と護宏の間で再開された。護宏の絶え間ない攻撃を受け流していた圭一郎とは異なり、征二郎は真っ向から受け止めることを選んだらしい。間合いを詰められても動かず、打ち込みを自分の木刀で止め、逆に攻撃の機会をうかがう。
 木刀と木刀がぶつかり合う乾いた音が、工場内に間断なく響く。
 だが五分以内で二人に勝とうとする護宏の攻撃はいっこうに緩まず、征二郎もじりじりと立ち位置を変えざるを得なくなってきていた。いつしか征二郎は鉄格子を背にするかたちで護宏の木刀を受け止めるようになる。もう後ろに下がることはできない。
 圭一郎は拾い上げた木刀を手に、息をつめて成り行きを見守っていた。
 と、その時。
「うわ?」
 征二郎がよろけ、後ろにのけぞった。足を滑らせたのか、そのまま鉄格子の扉に背をぶつけ、しりもちをつく。
 護宏ははからずも追い詰めた形になった征二郎に向かって、木刀を振り上げた。
「! おい……」
 圭一郎は思わず声をあげる。
 これは勝負だ。勝敗が決すれば、それ以上相手に攻撃を仕掛ける必要はないはずだ。
 護宏は征二郎をどこまで「負かす」つもりなのか。
 そんな圭一郎の目の前で、だが、護宏は止まらない。振り上げた木刀はためらいなく、鉄格子ぎわに座り込んだままの征二郎に向かって振り下ろされた。

 

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